厚い掌(一)

高野敦志



 それは今から半世紀以上も前の、昭和四年(一九二九)十二月二日のことだった。私は「罌粟はなぜ紅い」という小説を書くため、神戸のある商家の二階に間借りをしていた。何ともやり切れない時期だった。梶井基次郎との仲を疑われた私は、二番目の夫、尾崎士郎と別れる羽目になり、気を紛らわそうとして、お酒に睡眠薬を溶かして飲んだりしていた。そのまま事故になって死んでしまっても、と思えるほど荒れていた。こんなことではいけないと美容院に出かけ、まだ珍しかったモダンガール風に断髪し、花柄の着物にマントを羽織って街に出たりした。道行く男に振り返られると、自分が捨てたものでもない気がしたものだ。そんな私の心をなぐさめてくれたのは、梶井からせっせと届いた手紙だった。
 その頃、持病の結核が悪化していた梶井は、東京での暮らしに見切りをつけ、兵庫県の伊丹市で療養を続けていた。いつ出歩けなくなるか分からない、と訴えていた彼は、私が取材で関西にいるうちに会いたがった。二人が会う約束をしたのは、阪急電車の三ノ宮の駅前だった。その日は明け方まで吹き荒れていたが、空は青く澄んで柔らかな陽射しが注いでいた。改札から出てきた梶井は、久留米絣に黒いマントをまとい、首には太い毛糸の襟巻きをしていた。下駄の歯をカランコロンさせた彼は、こちらの姿に気が付くと、目を線のように細めてほほえみかけてきた。
「宇野さん」
 梶井は決して私のことを、名前で呼ぼうとはしなかった。まだ文壇の一部に知られていただけの彼は、こちらになれなれしく接するのをはばかっていたのか。実はその年の秋にも京都で会ったりしていたが、その折と比べてみても、梶井の頬からは肉がそげて、山のように盛り上がっていた髪も、薄くなったのを目立たなくするため、短めに刈り上げられていた。しかし、その印象もこちらの姿を認めた途端、厚い唇に広がった笑みで打ち消された。
 トアロードというのは、三ノ宮を南北に貫く大通りである。それをゆっくり北野方面に向かうことにした。その先には異人館の地区へ通じる道がある。肩を並べて歩きながら、梶井は浮き浮きした様子で、道行く人の目がこちらに向けられるのに、胸の高鳴りを抑えかねているらしかった。
「宇野さん、元気になられたみたいですね」
「そう装っているだけ。それって結構疲れるのよ」
「僕の前ではありのままを見せて下さい」
「ほんとは毎晩、尾崎のこと思って泣いているわ。いっそのこと上海にでも渡ってしまおうかしら、なんて思っているの」
 そう口にした途端、梶井の顔がさっと曇った。何も聞かなかったとでも言うように、前を向いたまま唇を結んでいる。通りがかりの女学生が、こちらを指差しながらくすくす笑っている。それにも一向に気付かない様子で、目頭が熱くなってくるのに耐えている。
「逃げ出したりなんかしないわよ。それぐらい、梶井さんなら分かってくれてると思ったわ。私たちは物書きでしょう? 」
「そうですよね。書くことで自分自身が変えられるんだ」
 そうつぶやいてから、ハンカチを出して鼻をかんだ。何か言い出そうとして、目をそむけて大空を仰ぎ見るのだった。風に飛ばされるままに葉を散らせたプラタナスは、澄み切った空に盛り上がる筋肉に似た枝を、突き抜ける天に向かって伸ばしている。日の光が梶井の瞳を焼いていた。その痛みをこらえながら、彼の口許には笑みが広がっていった。
「生きているのって素晴らしいですね。今日みたいに穏やかな天気で、日向ぼっこしてると、それが体で感じられるんですよ」
「何を言い出すと思ったら……」
「僕は多くのことは望まない。ただ今日みたいに空が澄んで、美しいものを美しいと感じる人がそばにいて、それだけあれば幸せなんです」


 時は二年半ほどさかのぼる。どうして伊豆などに足を運ぶ気になったのか。ある懸賞小説に入選したのがきっかけで、尾崎士郎と同棲を始めた私は、東京の馬込村に赤い屋根の洋館を建て、新たな生活を始めたばかりだった。川端さんの誘いで出向いた頃の湯ヶ島は、まだひなびた湯治場に過ぎなかった。三島から修善寺まではローカル線でとことこ三十分、更に舗装されていない山道を同じだけ、バスの座席に揺られねばならない。旅館と言えば氏が「伊豆の踊子」を書かれた「湯本館」を含め、三軒だけしかなかったように思う。川下の西平からさかのぼっていくと、狩野川が猫越川と本谷川に分かれる地点に建つ「落合楼」と、猫越川を上流に向かった世古の滝にある「湯川屋」がそれである。海に面した熱海や土肥とは異なり、盆地にある湯ヶ島は冬はワサビ田にも氷が張り、窓ガラスには霧氷が植物みたいに枝葉を伸ばす。山並みはなだらかで絶景のような眺めはなく、生える木々も武蔵野で見られる雑木ばかりだ。
 私が梶井と出会ったのは、湯ヶ島に遅い春が訪れた時期で、街道に沿って生える広葉樹も芽吹き、山桜の花が若葉の間に彩りを添えていく頃だった。若い者には待ち遠しく、老いた者には物憂いこの季節、私は同宿していた川端さんと、猫越川を左の崖下に見下ろしながら、晩年の梶井が「闇の絵巻」で描いた道を、一歩一歩踏み締めるように登っていた。まだ若かった川端さんだが、小柄でやせていて目ばかりぎょろりとした容貌は、当時から終生変わらぬものだった。
 その時だった。川上から肩の張ったいかつい青年が、洗ったままのさんばら髪に、黒襟の半纏を羽織ってやって来たのは。男は無骨な士のような風采を持ちながら、顔の色は春の日を浴びて白く輝いて見えた。大きな鼻と口に比べると、目はまぶしいみたいに細めたままだった。正面まで近付いてくると、横に並んだ私の姿をちらりと認めた。きっと河原で会う約束でもしていたんだ。なのに見知らぬ女と連れ立っているのを、いぶかしく思っているのだろう。
「梶井君は東大で同人誌をやっているんだったね」
「ええ。そちらは? 」
「宇野さん、って言ってね。彼女は才媛だけど、気を付けなさいよ。夫を捨てて出奔するするような女性だから」
 むっとした顔を見せたからだろう。川端さんは梶井の方に向き直り、歯を見せてにやりとした。ようやく梶井も緊張が解けたのか、上目遣いでこちらを見ると、恐縮した面持ちで頭を下げた。
「この人が会わせたい、って話していた学生さんね」
 それから数日して、私は川端さんの部屋に呼ばれた。そこは「湯本館」の玄関から入って、すぐ階段を昇った上にある。襖を開けると縁側に木のテーブルと籐の椅子が二つ、一段上がった座敷の奥には、黒光りする柱で仕切られた床の間がある。その前で梶井が囲碁の相手をさせられていた。彼の髪はポマードで固められ、その一本一本の筋も際立つほど、きれいに櫛が入れられていた。碁を打っている間の川端さんは、ほとんど口をきかずに難しい表情をしている。氏はふいに顔を上げると、碁盤を見詰めたままの梶井を、頭上から見下ろす形で囲碁の本を手にした。勝負が決まったので一人になりたいらしかった。
「宇野さん、悪いけど話し相手をしてやってくれないか」
 梶井は一礼すると部屋を出て行った。それに従いおいとました私は、彼と肩を並べて川べりの道を登っていった。陽射しが強くなったせいか、半町も進むと襦袢が汗ばんできた。木々の若芽も鮮やかさを増している。それに見とれていた私は、坂の途中で立ち止まった梶井が、膝に両手を当てて前屈みとなり、苦しげに肩で息をしているのを見て驚いた。その視線に気が付いた途端、彼は背筋をぴんと伸ばして大きく息を数回吸うと、体のどこも不自由ではない、と無理に装おうとするのだった。
「梶井さん」
 彼はすぐにはそれに答えられず、呼吸が整うのを待って返事をした。きっとどこか患っているのだろう。私にはそれが何なのか分かる気がした。
「梶井さん、一つお聞きしてもいいかしら。どうして私が温泉場に残ってると思う? 」
「尾崎さんはどうされたんです」
「数日で戻ってくると言ってたのに、もう一週間も置いてきぼりを食っているのよ」
「女でも出来たかな」
「あの人、きっとカフェーの女給にでも入れ揚げてるんだわ。困っている女の人がいると、手を差し延べなくてはいられない質なのよ」
「ははーん」
 気のない返事をしながら、河原をまたいで伸びる黒い筋を指差した。それは風もないのに揺さぶられているようだ。
「吊り橋が見えますね。あそこからの眺めは最高ですよ」
 梶井に先導される形で、「湯川屋」の近くにある九郎橋の上に立った。そこは川面を覆い尽くすほど岸から枝葉が伸び、隙間からは岸辺の小道と岩の間をどよめく早瀬がうかがえる。それは川下でゆったりした流れとなり、本谷川と合流する辺りで大きく左に曲がる。そこからは「落合楼」のある新宿の集落や、対岸の営林署や役場のある地区まで、一望の下に見渡すことが出来た。その時、橋の上で宙吊りとなった二人の上を、青紫色の背をした雀ほどの瑠璃が、けたたましい声を上げながら越え、丘の向かい側の西平の方へ飛んでいった。それが視界から消えるや、梶井はふっと我に返ったのか、手探りに似た口振りで語り出した。
「僕はね、高い所が好きなんです。どうしてかって? 自分は何か思い悩むことがある時、決まって視界の開けた場所に足を運ぶからです。ところで、三年前まで自分には腹違いの妹がいたこと、まだお話ししていませんでしたね」
「ええ」
「それは父が使用人に生ませた子でした。まだ京都の三高に通っていた僕は、母の悲しみを思うと父が許せず、また罪を背負って生まれてきたとはいえ、まだいたいけなその子に、怒りをぶつけることも出来なかった。ところが、その妹の様子がどうもおかしい、と母が気付いて、僕が医者を呼びに行った時には、手遅れになっていました。結核性の脳膜炎にかかっていたんです。瞳孔が開いたままの状態で、しばしば襲ってくる引きつけに耐えているさまは、目の当たりにすると胸がつぶれるほど痛々しいもんです」
 でも妹が死んだという実感は、葬儀が終わった後も湧かなかったですよ、と彼は続けた。
「それから一月後、姉の嫁ぎ先である松阪へ遊びに行きました。そこには石垣に松が生えるばかりの城跡があって、つくつく法師が鳴いていました。市内を見下ろす高台からも、遠くはかすんで見えませんでした。その時ふいに、妹を亡くした実感が込み上げてきたんです。それは何でやと思います?」
「ふさいでいた気持ちが、下界に広がる光景を目にして吹っ切れたからよ」
「時々煙を吐く煙突や、田畑のあちこちに建つ藁葺きの百姓家、海から吹き上げた風を受けて走る軽便も、この僕自身の目がとらえたもんやったからです。そこまで意識は広がりが持てるんやと気付きました。自分の殻の中に閉じこもっていては、何も知ることが出来ないんですね……」
「ねえ、梶井さん。ぜひあなたの作品を読ませてほしいわ」
(つづく)

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