西鶴の描く同性愛

高野敦志



 井原西鶴の「浮世草子」を見ると、当時は衆道(同性愛)がかなり一般的だったらしい。『好色一代男』の世之介は、五十四年の生涯に、女三千七百四十二人、男七百二十五人と寝たことになっている。『好色五人女』で最も知られた「八百屋お七」の物語では、火付けのために火あぶりとなったお七が愛した吉三郎は、すでに兄分のある若衆だった。吉三郎にしてみれば、誤って女色の道へと、踏み外したことになる。「おまん源五兵衛」の物語に至っては、愛する弟分を失い、悲嘆に暮れて出家した源五兵衛のもとに、おまんは男装して近付くのである。
 さて、西鶴は『男色大鑑なんしょくおおかがみ』で衆道の様々な相を描き出している。その中には単に笑いを誘うユーモラスな作品もある。例えば、「恨見の数をうったり年竹」では、両手に握っただけで、その人の年の数だけ打ってしまう魔法の棒の話が出てくる。若作りした年上の若衆は、力を入れて棒を押さえようとしたにもかかわらず、三十八も打ってしまい、赤面してそれを投げ捨てる。また「執念は箱入の男」では、人形師が精魂込めて作った美少年人形に魂がこもってしまい、芝居の太夫=女形おやまに恋をしたりする。
 しかし、この短編集に描かれている話の大半は悲劇的な物語である。当然のことながら、封建時代にあっては、自由な恋愛は許されていなかった。武士は倫理道徳に縛られていたから、自分の名誉が傷付けられれば、いとも易く死の道を選んだのである。小姓を自己の対面のために斬り捨てた殿様は、その後涙に暮れる日々を送ることになる。(「垣の中は松楓柳は腰付」より)
 「薬はきかぬ房枕」は横恋慕の悲劇を扱っている。十八になる若者母川采女うねめは、小姓伊丹右京のまばゆい美しさに心を奪われ、遂げられぬ恋のつらさで病に臥してしまう。ところが、以前の恋人が仲介してくれたおかげで、采女と右京は密かに相思相愛の関係に陥る。そこへ荒くれ者の細川主膳が邪魔に入る。右京に恋を仕掛けて断られたのを恨んで、真夜中に右京へ斬りかかる。右京は被害者であるはずだが、厳格な封建制のもとでは、他人に不意打ちされるようなことをしてさえ、不届き至極となるのである。一命を取り止めた右京は、改めて切腹を申し付けられる。処刑のその日、右京の首が飛ぶのを目にした采女は、いきなりその席に駆け寄り、「頼む」と叫ぶなり腹を掻き切った。右京に続いて采女の首も介錯された。武士にとっては、死はいつも身近な所にあった。それだからこそ、相手との強い結び付きを求める。それがまた、相手のために、易々と命を捨てることにつながるのである。
 『男色大鑑』の中で一番の佳品は「待ち兼ねしは三年の命」であろう。兄分の瀬川卯兵衛は、弟分の菊川松三郎に自らの思いを漢詩に詠んで贈る。ところがある日、川舟の中から同じような詩が聞こえるのを、たまたま松三郎は耳にしてしまう。顔を真っ赤にして身を震わせた松三郎は、卯兵衛のもとに駆け付けるや、「あなたは武士ではない」と咎める。同じ詩を自分以外の若衆にも与えたと思い込み、悔しさの余り泣き出してしまう。けれども、それは誤解だったことが分かる。事件は一件落着となるか、と思えば、悲劇の始まりはそれからであった。横山清藏という男が松三郎に惚れて、卯兵衛に弟分を譲るように迫ったのである。卯兵衛がそれを断ると、清藏は決闘を申し込む。しかし、清藏にも多少の人情はあった。決闘に三年の猶予を与える、というのである。その間、卯兵衛と清藏は不思議な縁を感じて語り合い、やがて二人の仲には友情さえ芽生えていった。そのことは松三郎にはずっと伏せておかれた。松三郎を元服させた後、約束通りに卯兵衛と清藏は差し違えて死ぬ。松三郎をめぐる二人の友情を、ロラン・バルト(『恋愛のディスクール』参照)なら、connivence(示し合わせ)と呼ぶかもしれない。その話を耳にした松三郎は、決闘の現場に駆け付けるが、すでに時遅く二人の命は果てていた。出家をして菩提を弔えという勧めも退け、年わずか十九にして自ら命を絶った。

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