高野邦夫詩撰

高野敦志・編


目次


寒菊
枯野
嫁ぎ行く妹

蝶の死
木の実(一)
木の実(二)

星座
悲しみの儘に

海(一)
暴走
退学
ドジとうじゃうじゃ
野草料理
修羅
墓標
地球の秋

二人の一人
寂しい夜
お玉杓子

大五郎と猫
磁石
父の死
猫と自由の歩
秋を息づく猫
猫と天とタピスリー
父の叫び
母と星座
微光

海(二)

敗亡記
敗戦の日
苦悶
真夜の道
蝶(一)
蝶(二)

あ と が き……高 野 敦 志





 詩集『寒菊』(一九六二年 五月書房)より。



    寒菊

  口紅ほのか寒菊見入る瞳かな
                    
君は師走の風に立つ 
寒菊の花であった
その瞳が微笑み
私を視つめた時
風は凪いで
私は君の馥郁たる匂いを感じた

ああ
いま君は微笑み
私に呼びかける
じっと 視つめ視つめて
ふとそらした羞恥の瞳のいとしさ
恥じらいが然も
しっかり握った掌の中にあっては
ゆるがぬ生命の力を
私に直接じかに感じさせてやまないのだ

私は私が美しくなって行くことを感じる
私は私が清らかになって行くことを感じる
私が私でないものに
一歩々々近づいて行くことを感じる
私が私を乗り越えて行く
その心の階梯を
私は君によって直接に感じてやまないのだ

風雪が君を鍛えた歳月の中にあっては
君は荒撫の地にも尚匂う
寒菊の花であった
やさしみ 視つめる瞳が
静かに光年の中に浸透して行く時
君は選ばれた一の形象であると
私には思えるし
風の中にあっても散ることを知らぬ花びらは
きっと その風に耐えつつも
しべの香りに
私の胸をときめかさせずにはおかなかったのだ

真摯なる瞳よ
ものを視つめて居た
君の瞳が
ふっと私の前にあって眼つぶる時
睫毛は私の頬を撫でて
君は私の胸の中に居たのだ
愛憐から愛憐を越えたお互の力が
ひしと抱きあった瞬間を
ああ 何びとが侵すことを得よう

真夜まよは知らぬ
喫茶店の片隅にあって
君の髪を愛しみ
君の掌を愛しみ
総て君の一切を愛しみつつ
君に投げかける私の心を
君はしっかりと
君のやさしい掌の中に
いつまでも握っていてくれたまえな



    枯野

  旅に病んで夢は枯野をかけめぐる  
                 
              芭蕉

野は荒涼として展け
冬日 灰色の雲低く垂れて
空を舞う孤鳥に等しく
一筋の風雅の誠を求めてさまよう
永遠の旅人
芭蕉翁

詩は常にあなたの中に生き
鬼愁の息は
あなたを一処にとどめることを知らず
憑意のおもむくところ

あなたの肉体はあらゆる困苦を侵し
全ったき孤独を
一人身肉に傷みつつ
永遠の詩の世界を
あなたは追求してやまなかったのだ

永遠の孤客
芭蕉翁
私は今あなたの前に拝脆し
あなたの心の
底深い心理の秘密を求め
常に
あなたに等しい東洋の詩人達が求めた
自然の 悠遠の底にねむる
真理のすがた
私の貧しい心にも映してみようと
こころを
一心に誓って
歩まい行くものであります

芭蕉翁
あなたの象徴の世界に映った
透いて朽ちるなき久遠の匂いこそ
幾千万の詩人達の心に
果つるなき芸術の香りを伝えて
その一句を口ずさむ人の心を
一分のゆるがせも得ぬ厳粛な思いと
高遠なる理想に身を駆りたてる
激しい情熱の中に
どれ程導いたことでありましょう

遠い元禄の世
旅に生き旅に死んだあなたの姿よ
行脚なす幾百里の行程の中に
あなたの頭髪は風霜に洗われ
あなたの痩躯は病巣に侵され
尚も苦念に生きる
不滅の精神こそ
私は 私の中に
しかと押し戴きたいと
心に念じてやまないのでございます

その見る処の あらゆるものに
驚威を持ちて
此の私達の世界に充満する
自然の気息を
確と捉えられた
彫鏤の一七音
おお
然も 荒涼の秋霜の中に
或る日は
暮秋歎ズルハガ子ゾ

その腸絞る詰屈の精神は
心情の自由を求めて
一歩を 一歩をと歩まいつつ
その純粋な瞳に
不易の世界を捉え
然も停滞することなき
明自在の精神は
推移なす世界の
万象のすがたを捉えて
止まなかったのでありましょう

あなたの心の如何に自在にして深く
あなたの瞳の
如何に純粋にして澄明であられたことか
その生涯を
然も 詩をむさぼる如く
追求してやまなかった
精神のありようの
如何に毅然として高く
私等ごときものの及び得ぬことか

けれども
私は然く あなたの歩んだ道に
遠く及ばぬけれども
苦念に侵されつつも 苦念に耐えて
此処の 自然の 悠遠のすがた
その中に於ける私の位置をたしかめ
且つは あらゆる事象に宿る
真理のすがたをたしかめ
一切のそれらを私の中に呼び起こし
そのまことの心を
私の拙き筆に写し置かんとするものであります

私の心は貧しく
私の言葉はいやしく
私の詩は不朽の香りを持つことは
出来ないかも知れぬけれども
尚も真理に恋がれ
道を求めてやまない
此の私の心こそは
あなたの風雅に生きた
一筋の誠の心と
何等変易ないものと
私には信ずることが出来るのであります

野は灰色の景に染む時
一人傷む身を抱えつつして
何処知らぬ処を旅して行く人の面影
万象はその人の心に
不朽の生命を宿し
その人の心は
あらゆる存在の中に生きる
吾と等しき生命を求め
道路に死なば死ななんと
誓いつつして
寒月に遊び
朔風に歯ぐきを凍らせつ
口ずさむ
一寸の言葉の貴とき

松籟と海の音や
磯辺 波を枕とす
或る日の夢の如何に
春は花 秋は紅葉と
移り行く此の人の世に生きて
遂に 此の翁以前 此の翁なく
此の翁以後此の翁なしと
人をして嘆ぜしめた
あなたの求道の一念をこそ
深く肝に銘じて渇仰してやまない
私の一筋の心であります

ああ 千歳に不易の道を求め
おのれの言葉の中に
その道のありようを表明致し
その言葉をもって
永遠に生きんとする私の心は
たとえ それが私の性の拙くして
なし得ざる処でありましょうとも
あなたの その心と
如何ほどの相違を持ちましょうか
翁よ
私は私の想念をより純粋ならしめ
私の骨肉に関する慾念と
苦痛を
しっかりと吾が身に受けとめ
苦しみ悶えつつも耐えて
何時かそれを乗り越え
私の此の心のありようを
本当にはまだ知らぬけれども
何時かは辿りつくであろうと思惟する
それは私の本来の心によって展ける
自由の天地にまいらせ
それを万人の共通の広場とまで
展開させて行かんと
欲するものであります

詩は此の孤独の心と
苦痛の中に於いて徐々に醸され
遂には 何時かは
芸術の香り高く醗酵する時あれば
おお 其処にこそ私の真の喜びはあり
その香りの深くして
遂には 人の心の奥底深く滲み行く時
私の骨骸は土に埋もれて
死は
静かに、私の心を
遙かなる銀嶺の果てに
消し去って行くことでありましょう

翁よ
私は今心深く
あなたの心の奥底深く生きて行くであろう
私の心を感じ
その心こそ私の真なる生命を歩ませて行く
指標であろうと考え
夜を深く
一人居の寒き此の室中に
秘かなる喜びと
私の本来生きて行かねばならぬ
遠い道程を思い
且つはその道程の果てに宿る
きらめく清浄な銀嶺のすがたをみつめて
静かにほおえむものであります

幾許もなくして
朽ち果てるであろう
私の生命ではありましょうけれども
夢幻と観じつつも
尚此処に生きて行かねばならぬ
私の身肉と精神のまことを
あなたの
常に私の中に生きては
正しく目守られんことを
心に深く念じつつも
私は静かに筆を置きます
       
 昭和三十二年一月七日深更



    嫁ぎ行く妹

私は箪笥を開けて
下着を出そうと思った
箪笥の中はがらんとしていた

門の処で泣いていたお前
「はやく行きなよ」
私はお前の肩をそっとたたいた
泣きはらした眼が
私をみつめて「さようなら」と言った

何時もは一杯になっている箪笥の中
お前のも私のもごちゃまぜで
私は癇癪を起こして
お前の下着を座敷の真ん中に
放り出したこともあったのに

過ぎ去った歳月が急にかえって
私はむなしい淋しさを覚えた
妹よ
今頃お前は汽車の中で
何を思うていることか
この感傷がやり切れないのに
箪笥の中の
こんなにも綺麗さっぱりしていることが
私には腹立たしいのだ

お前が行ってしまった座敷の中は
昨日までの夜具敷団や
荷造りされたミシン台だの
あらゆるがらくた類を詰めた林檎箱だの
何だかんだがみんななくなり
私は一人
肱を枕に寝そべっているのだが
お互いが
たまに心に思い描くような
そんな他郷に
お前は行ってしまったのだ
人間が結局は別れねばならないこと
私は一つの感傷も持ちたくないと思ったのに

お前が母に遅れて
門の処で一人泣いていた時
下駄をはいてお前の後に立った私は
何故か耐えられぬ気持のままに
「はやく行きなよ」と
お前の肩をとんとたたいたのだ
そうしてお前は「さようなら」と
眼にいっぱい涙をためながら
いってしまったのだ

私はずーっとお前のうしろ影をみつめ
そうして
通りに隠れてお前が見えなくなった時
それでも
まだ耐えねばならぬ感傷を
心にいっぱいもっていたのだ

ああ 口数の少ない二人は
何を語りあうと言うこともなかったけれど
こうしてお前が去って行った日
私は私がお前の兄であることを
たまらなく感じてならないのだ

小さかった私とお前が
或る日は何かでいさかい
共に泣いた日もあったであろうに
私は私の生活の殻にこもって
お前を真に思うてみる日とてはなかった

遠い処への
お前の旅立かしまだちの日
私はお前が残して行ったはっかの入った飴玉を
座敷のまん中に寝そべりながら
一人何時までもしゃぶっていたのだ




    死

此の身は土となり 落葉の下に
百の夜を迎える
わが罪はその儘 千百の悔いは
言葉とならず
喜びのない日々が
青白い空に消える
落葉がつもり 雪が降り
歳月が流れて
全くの無に帰し
人々からはさらに忘れられたところ
無いものが その儘で眠る
墓標は朽ち
風は流れて
そうした日々が
幾千百となく 過ぎ去って行く





 詩集『氷湖』(一九七八年 昭森社)より



    蝶の死

木の葉に纏いつこうとしては
つき離される
秋の
陽差しの中。

しっかりとど
まって
翅を休める力も
ないのか。

少しの風に流されながら
縋ろうとする。

やがては
土にまみれ
土に還る日。

人間は意識するけれど
蝶は
純粋に
葉先に縋ろうとしているにすぎまい。




    木の実(一)

木の実が
一本の椎の木となる。
白い頭蓋を
貫いてーー。

遠い日からの
親たちの
無垢の優しさ
その儘に
風が
葉群を撫でて通り過ぎる
乾いた
空の下。

道が
地の底へ
僅かに傾斜している。




    木の実(二)

この固い殻にこもる
生命の不思議を
子供は問うた。

お前が
まだほんの赤児であった頃から
父は
お前の生涯を様々に思い描いたけれどーー。
父の夢の殻を破って
触れるものみなの
不思議を
尋ねる。
瞳よ。

どんぐりの中にある小さな生命が
丘の上で
風と遊んでいる。





詩集『燦爛の天』(一九八〇年 昭森社)より



    空

風が
何処から吹いて来るのだろうという思いが
私を豊かに
する。

青空は
すっからかんだが
その底にある星たちの思いが
地に溢れる。

木の葉や
花々の微笑み
流れ行く渚の砂や
鳥たちの遠くを視つめる瞳。
乾いた昆虫が微塵になって宙を彩る。

蜻蛉のように千の複眼を持ちたいと思う。




    星座

原中に立ち 星を視つめていると 無数の星
座が呼びかけて来る。虐げられた小さな生物
たちが綴る 神話の世界だ。

みみず とかげ おけら こうもりたち
地に睡るもの 地の底に潜むものたちの息づ
きに触れた密やかな営みが 天に還って星座
となったのだ。

遠い気圏に目覚めた小さな生物たちの囁きに
耳傾ける草の穂。草の穂の陰には 敏い耳を
ぴんと張りつめた兎たちの瞳が煌めいている。

みみず とかげ おけら こうもりたち
とのさまがえる なまず かぶとむしたち




    悲しみの儘に

私に呼びかける声が光となって
私の内側になだれて来る。

悲しみが悲しみの儘に
光で染められて
皮膚が内側から
張りつめて
来る。




    光

世の中の塵や芥を
払い落として
母は
もう童女のよう
ありあまる光に追い縋ろうと
光の中を駈けて行った。

虚空をささめく
光の波を
縫うて
舞い行く
蝶の透いてーー。
真裸の童女が
遍満する光の中の
光となってしまった。




    海

街中で海などあろう筈もないのに 毎日海を
見ているという。渚に座って波の音を聞いて
いるという。母の妄想が悲しくて 私は母を
連れ出して通りへ出た。

老いた母の歩みがいたましくて 私はすぐ後
悔した。もう帰ろうと母の手をひいたが も
う少し歩けば波の音が聞こえる筈だと 母は
意外に強情だった。

あの道の向こうには本当に海があったのだと
今は思う。あれをその儘にうなずいておられ
なかった小さな知恵が 今は悲しい。

眼を瞑れば あの街を削り あの道を洗い
清浄な海が深い碧をたたえて拡がっているよ
うな気がする。終日幼い心に還って海を視つ
めていた 老いた母の姿が胸に迫って来る。





詩集『定時制高校』(一九八二年 昭森社)より



    暴走

忘れられてある
皮手袋よ。

荒涼の埋立地を疾走するバイクの影が
脳裏を掠める。

 (天へ
  さしのべようとした少年の手首の
  指先の爪むしりとられて)

鎖が水に垂れているような一日を
ふっ切ろうと
地球の外へ暴走を試みる

君よ。

 (爪が
  螺鈿のように中有を飾っている)




    退学


瞳をあげて硝子戸越しに視つめると照明に照
らされた校庭を横切る少年のうしろ影。夜が
急速に深まって行く。

何時もは陽気な少年が 瞳をしばたき下うつ
むいて見せた暗い思い。あの井の底までは手
をさしのべられなかった。

草深い田舎に本当に帰って行くのだろうか。
都会の裏側の果てない真闇の中を とうとう
退学してしまったと挫折感に苛まれつつ歩む
少年のうしろ影。

感激の無い世界にみきりをつけて 俺もあの
少年のように誰かにうしろ影を見せた日があ
った。日比谷公園のベンチで冷たくなった弁
当を開いた日があった。あの弁当の記憶を少
年に語ろうとしながら どうして俺は口噤ん
でしまったのだろう。





詩集『川崎』(一九八三年 昭森社)より



    ドジとうじゃうじゃ

闇がなければ生きては行けない。闇の力だけ
で生きているのだ。人はただうじゃうじゃと
生きているのだ。

一寸した良心が邪魔だ。一寸した善意がつけ
こまれる。けれどもドジを踏んだ場数だけ人
は強くなって行くのだ。

尻手駅を通り過ぎ 鶴見操車場の陸橋に立っ
て 冬の夕焼けを視つめる。

そうだろうか。

ドつかれようとも それを曝けて
それを意識していることをよりどころにして
生き抜くことはできないのか。あのうじゃう
じゃの底にあるものを掴みとることは出来な
いのか。




    野草料理

アカザとツユクサの油炒めする
母の瞳。

敗戦の頃は無人の八丁畷への道
歩みつつ思う。

母よ。

かのフライパンを 再び滾らせ。

天上料理に
アカザとツユクサの苦きを加えて

かの日のように
私を巷に送り出せよ。

タンポポの気と薊の紫を飾って。




詩集『修羅』(一九八三年 昭森社)より



    修羅

(点滅の
 微灯も消えて)

(心は
 反射鏡に過ぎなかった)

今 残光に閃くレンズが
結ぶ

掌上の炎よ。

僕を 映し出せよ。
僕を 地上の存在たらしめよ。




    墓標

僕は死んで生き還り
人生を新しくする為に墓標をつくる。

未来への墓標よ。弔うとは訪うということ。
確然と定まった道ある日には 朽ちよ。

 (風は地球を経巡っている)

風が浚った墓標が 肉体の死によって完成したと
き 乾いた屍よ。

何回も死んだものの果てを 確認する必要はある
まい。

 (涼しい笑いの中を
 白い風が 通り過ぎて行く)




    地球の秋

音楽が軽快なリズムを以て靴の爪先を誘うときも
心の底に沈み行く錘を意識する春の夕暮れ。
喫茶店の片隅にあって僕は思う。屋上庭園に立っ
た時の垂直する魂が聞いた風の声について。

「齟齬するばかりだ。」欲しているのは簡素な素
描であろう。窓の外には華やぐ街。既に広告塔の
ネオンが点滅する 豊潤な春の息づき。けれども
それがうとましいのだ。

「人生は晩秋。地球も秋だ。」

僕がコーヒーカップに瞳をおとしたのは 僕自身
の中に 老い行く地球の一端と 晩秋を生きる人
生の終末を歴然と視つめていたからである。
 (執拗は 転生の必然を視つめる 瞳だ)




    闇

夜が樹林を促して小波だつ沼の表面を覆おうとす
る。岸辺にはち行く樹根の塊。陶器の
破片。光る小さな金属の類。総てが闇に沈もうと
する静けさを歩み 樹下に安堵して睡る鳥獣の無
心を心に描く。

 (メラネシア原住民は心に戴く石器の重みを毛
  髪の尖端に迄滴らせようとした)

闇を畏怖する心が光ばかりにあこがれて光に到達
したとき ある日 光は滅びの光となって天地を
覆った。人間は人間を超えることが出来るだろう
か。

 (原始社会の祭礼と渦状星雲の静謐)

繰り返した拒絶を明日もそうする為に 闇の中に
もある自らの光を頼りに 暫くの時を過ごそうと
思う。沼の水と 星の微光。




    二人の一人

二人が一つの肉体で結ばれていることを どうす
ればいいのか。ああ どうすればいいのか。僕は
どうすればいいのかということが 僕達はどうす
ればいいのかということなのか。僕達は どうに
もならないということを 一人の僕が もう一人
の僕に語りかけたりもするのか。父ははのこと。
森や大地や湖のこと。枯葉剤のこと。そうして今
も戦わねばならぬ現在を語りあいつつ 戦うこと
の出来ぬ 自分達を視つめたりもするのか。戦う
ことの出来ぬ自分達は 到底生きては行けぬ自分
達だと視つめたりもするのか。けれども「生きて
行かねばならぬ。それは人間の尊厳の為だ。」と
彼らが語りあったとする。その言葉を聞いたとき
僕はどうすればいいのか。

僕は全身全霊を以て その声から逃れようとする
だろう。然も その声から絶対逃れられぬことを
僕は知り尽くしている。




    寂しい夜

寂しさが車座になり酒を飲む。寂しい集まり。
寂しくない奴も車座に入れば 寂しさの輪は広が
り。

寂しいなあと誰かが 空の徳利を振り 寂しいな
あと茶を啜っている。

寂しいなあと一人帰る。寂しいなあとまた一人帰
る。寂しいなあと残った奴が詩を書いている。寂
しい詩を書いている。
寂しい歳月が 寂しい儘で過ぎて行った。

残った奴が詩を書いている。総ては夢であろうか
と詩を書いている。

寂しい夢が石となる日。石の息づきが
その儘 詩でありますようにと。




    お玉杓子

歪んだ缶詰。開くと二匹のお玉杓子が泳いでいた。
見覚えのある奴だなと 仔細に観察すると それ
は子供の頃の僕の瞳ではないか。あの頃の瞳が
こんな形ででも生きていてくれたなんてーー。僕
はそいつを水槽に入れて日夜視つめていた。

ところがである。それはお玉杓子だ。外気に触れ
て成長する。成長して一体どういうことになるだ
ろう。僕は僕の予想に堪えられなくなって そい
つを川に離してやった。

それから間もなくのことだ。瞳に金色の環を持っ
た蛙が 僕の夢の中に出て来るようになったのは。
蛙は その瞳でじいっと僕を視つめながら かえ
ろ かえろ 子供の頃の純粋にかえろ と僕の胸
を掻き毟るようにして 鳴きたてるのである。
ーー終夜。




    犬

薄墨の雲疾く流れる颶風圏の天と海に匹敵しよう
と渚にむかってひた走る犬よ。吠えよ。

風が無量の大気の天の傾斜であろうとも
波が千里の海の怒りの尖端であろうとも

渚にどっと圧し寄せる怒濤にむかって吠えよ。
力尽きるまで吠えよ。

(空と風と海に誰が匹敵できよう。然し 僕は
果敢な一匹の犬〈戦後間もない頃の僕を髣髴
させる〉にむかって限りない声援を贈らずに
はいられなかった)

渚にどっと圧し寄せる怒濤にむかって吠えよ。
歯の尽きるまで吠えよ。

犬よ。





詩集『彫刻』(一九八五年 昭森社)より



    大五郎と猫

 初代クロ。二代目三郎。三代目大五郎。
貰って来た時から大五郎には大五郎という名前がつけられていた。風貌が高見山大五郎に似ているというのである。
「大五郎なんていやだな。」
「大五郎って素敵じゃん。大五郎で通そうよ。」娘は大五郎も大五郎という名前もすっかり気に入ってしまったらしい。
 此の家に引っ越して来てから犬を飼わない時期はどれ程だったろう。クロが死んだ時、もう生きものはこりごりだわ、なんて言っていた妻が、そのくせ三郎を自分から貰って来てしまった。三郎は可愛い土佐犬だったがフィラニアにかかってあっさり死んでしまった。クロもフィラニアであった。三郎が死んでから暫く犬のいない家庭であったが、そのうち娘がまたまた大五郎を貰って来てしまったのである。三郎が死んで大五郎が家に来るまでの間、それが唯一のチャンスであった。ある夜私は団地の庭の片隅でニャアニャア鳴いている仔猫の声を耳にした。立ち止まって一寸舌を鳴らしてみたら外灯の光の中を歩いて来たそれが、私のズボンの裾に全身をすり寄せるようにして私を見上げるのだ。「ニャオニャオ。」私は抱きあげ、外灯の光でじっとそいつを視つめた。野良猫の子供にしては上等ではないか。私はその仔猫を両掌で支えるようにして抱きながら家に帰った。猫を飼いたい。今度こそ飼ってやろう。そんなつもりであった。玄関の扉を開いて、猫をそっと廊下に立たせる。

「あなたつれて来たの。いやよ猫なんて」
「犬だって猫だって同じようなものさ」
「いやよ猫なんて。本当にいやよ。土足の儘のこのこ室に入って来る猫なんて。」「私、第一猫嫌い。早く棄てて来てよ。」

 妻が死んだら、可愛いのをみつけて、七匹ぐらい飼ってやろう。その夜は、寝床の中で棄てて来て終った仔猫のことを考え、猫と住まう幻の住居を闇に描いて、何時までも眠られなかった。






    磁石


 磁石を砂の中につっ込んでは砂鉄を集めていた。砂鉄は指先の感触に抗いながらも、拡げた新聞紙の上にはらはらとこぼれて行った。多分小学校の二年生ぐらいの時であろう。
 真夏の太陽がじりじりと照りつける工事現場、汗がたらたらと頬を伝い、身体がくしゃくしゃになるような気がする。
「どいたどいた。此処は子供が遊びに来るとこじゃねえ。」
 突如水道管のゴムホースを持った大人が私の背中をどやしつける。ゴムホースの先からは、じゃあじゃあ水がほとばしり出ている。
 私は慌てて拡げてある新聞紙の両端をつまみながら棒立ちとなった。乾ききっていた砂が、ぐんぐん水を含んで黒ずんでいく。
「坊主、見ろ。これが運河というものじゃ。」
 大人はどういうつもりか急に優しくなって話しかけて来る。多分大人の気まぐれというものだろう。
「ウンガって、何よ。」
「何だ。川崎にいて運河も知らねえのか。」
 大人は面白くもないという顔をしながら、ゴムホースの尖端を指先でつぶして天に放つ。
「あっ、虹だ。小っちゃな虹だ。」

 ある日の夕焼けの美しさも忘れられない。工業学校の一年生の頃だったと思う。電車通学だった私は、電車が鶴見川の鉄橋にさしかかった時、それを見たのだ。刻々と沈み行く燃える熱球。太陽があんなにも丸く、あんなにも美しく地球の陰に隠れて行く。私はその一瞬々々を胸に刻み込むようにして電車の窓から身を乗り出していた。

 何でもない一瞬の光景。あの日のそれを、人はどうして何時までも胸に抱いていたりするのだろう。地球は大きな磁石であったし、虹は幻影ではなかった。刻々と沈み行く太陽と、太陽が沈みきった時の夕暮れの空の気配。砂場に立った大人の影と、砂場を流れたあの日の運河は、一体何処へ流れて行ったのだろう。




    父の死

「僕、死んじゃったのかなあ。心臓が動いて無いみたい。」
 闇の中で目覚めた私は、その闇が恐ろしかったのだろう。私は私の胸を両掌で包むようにしながら、指の先で自身の心臓の音を確かめようとした。何歳頃の記憶であろう。

 父が死んだのは十二歳。小学校六年生に進級するばかりの春休みであった。父は病気療養をかねての旅行中、静岡県の実家で亡くなった。母に遅れて私は兄姉妹たちと家を出て夜道を急いだ。川崎の夜空が真っ赤に映えて視えた。私は明治天皇崩御の際、夜空が紅に染まったという、何時かの大人たちの言葉を思い出していた。父はもう死んで終ったのだろうか。それが不吉の前兆のように思えて不安でならなかった。今思えば、それは日本鋼管の高炉の反射光に過ぎなかったのだが。父は死んでいた。姉たちはわっと声をあげて父の遺骸にとりすがった。
 ところが私はどうしたことか、姉たちのように泣けなかった。泣こうと思い、泣かねばならぬと思いつつもどうしても泣けなかった。涙も出て来ないのだ。妙な具合であった。

 その翌日、遺骸を納棺する時になって自分でも思いがけなかった。涙がほとばしり出て来たのである。それは嗚咽どころか、声と涙が一緒くたになって、圧さえようと思っても圧さえることが出来なかった。私の傍らにいた従兄が余りの激しさに驚き、あきれたように私を視つめていた。その視線を意識しながらも泣きやむことが出来なかった。

 父の死は私に暗い影をもたらしたのだろうか。私は今までよりも一層、本の世界にのめりこんで行った。
「面白くも無い子だよ。此の子は。本ばかり読んでいて。」ある日の叔母の言葉が思い出される。

 読書とは死者の言葉を心に聴くことであろうか。けれども父は病気がちで、叱責の言葉しか私には残してくれなかった。私はある日戸棚の隅から父のノートを発見した。菊の作り方、建築設計図、配電図、面白くも無かった。ただそのノートの裏には署名があってそのわきに書かれた「天蓋浪人蔵」の一語許りが何時までも心の底に残った。




詩集『銀猫』(一九八六年 昭森社)より



    猫と自由の歩


けれども それで
傷つけられようか。

おれは丘の上で待ち
やがての風に出発するだろう

昨日のように。
人間の雑多の中では

ついに出口の無い世界であろうとも
ついに光の無い世界であろうとも

どうして おれが傷つけられよう。
おれがおれを生きる

今日の 出発を促す
芒の穂さ揺らぐ 朝明けの風。

草雲雀が 緊迫の空気を
フイリリリ リリとふるわせている。




    秋を息づく猫

鶏頭の花を視つめていると
世界が燃えて 燃えて

芒の穂がふうわり 秋の蝶が
ひいらぁ はふっ

ひいらぁ
はふっ

猫じゃらしにとまった。
あぁ 気持ちいいなあって空ぁ仰いだら

芋の葉の露が するするぅって
瞳へとびこんで来た。 一瞬

八方微塵に砕けて
光明世界 十方に拡がる

猫額 即
宏高 皓々タリ 玉光ノ裡




    猫と天とタピスリー

そんなゲイジュツ どうしたら織りなせるの?
天の壁に水平するタピスリー 蜘蛛の糸の

透いた文様視つめて 教えて 教えて
おらぁにも 教えて。

納豆の糸よりも細い奴
ピリリリ リリと痙攣させたのは

ヒミツ ヒミツ ホントハ オレニモ
ヨクワカラナイと 言っているのか。

かかるゲイジュツに堪能しながらも 蜘蛛は
刹那の閃きに全身を賭けて待っている。ただ

待っているのだ。微妙な光のレース模様の下
おれの悲哀(無芸無能にして 此の一筋にも

つながらぬ)が 棘のような舌で
全身を磨き上げようとする

*「ピリリリ リリ」の後ろの「リリ」は原文では拗音のように小さく表記されている。




詩集『日常』(一九八七年 昭森社)より



    父の叫び

 股関節の痛みを意識しながら歩いていると、リュウマ
チスを病んでいた頃の 父の日常が思い出される。

 苛烈を生きた父は その晩年を鬱積する不満のうちに
過ごした。「俺なんか 死んで終った方がいいんだ。」

 遠い日の父の叫びが 一切の希望を絶たれて地獄に喘
ぐ 無量の人たちの声々とかさなり

 頽れ落ちようとする褐色の天いっぱいに拡がって行く。
「俺たちなんか 死んで終った方がいいんだ。」

 私は私自身の苦痛を一瞬忘れて 信号を無視。横断歩
道を駆け抜けようとした。

「馬鹿野郎。」運転席からの忽ちの怒声が 私の全身を
つき抜け その反響が沈黙の地底から 繰り返し聞こえ
て来るような気がする。

「馬鹿野郎。」父は自分の運命に対して 常に激しい罵
声をあびせかけていた。




    母と星座

「港の灯が そりゃあ 綺麗だったよ。」
母は晴れ晴れとした顔で 私に言った。何時の日からか
道に迷うようになった母は 歩き始めれば もう歩くこ
とばかりに夢中になって 国道をずんずん歩いて行って
しまったりするのであった。

 幾百の階段を昇りつめようとしていた ある夜のこと
である。
「星にむかって歩いているみたい。」
息をはずませながら呟いた 少年の言葉が ある夜の母
を思い出させた。

 あの道を あんなにも一心に歩いて行った母は 港の
灯の燦爛を楽しみながら その道が星の世界に通じてい
ると、思っていたのではないか。
「港の灯が そりゃあ 綺麗だったよ。」

 そうだったのだろうか。そうだったのだ。私は半ば確
信するように 夜空に際だつ数多の星を視つめながら少
年の掌をしっかりと握った。

 その夜 私は飽かず少年に語ったのだ。銀河ステーシ
ョンに立つ ジョバンニや カンパネルラについて。




詩集『短日』(一九九一年 吟遊社)より



    微光

傷みをこらえながら
思いがけないものを視つめるように

僕はそこに横たわっていた。
此の傷をどうにかしなければと思いながらも

不思議な安らぎを以て僕はそこに横たわっていたのだ。
見知らぬ僕が此処にいる。見知らぬ僕は けれども

確かに僕自身なのだ。それが
僕の自己発見だった。僕の中にある未知なるものよ。

僕が生きて行く限り 僕が歩いて行く限り
自然が様々な起伏を以て僕を遊ばせてくれるように

僕の中に生まれる
僕の見知らぬ僕が 常に僕に迫ってくるだろう。

僕は何処へ至り 一体何になるのだろう。僕は
僕の中を歩いて行く僕を 永遠の中に視つめつつ

何時までもその街の闇の底に
横たわっていた。




詩集『鷹』(一九九四年 吟遊社)より



    梅

梅の花が一枝 活けられてある。
硝子の瓶が透いて 梅の枝の折れた先端までが

はっきり見える。水を吸い取ろうとするのだろうか。
水を吸いとる以前の生命の力そのものがそこにあって

やや黄ばみがかったスポンジ状のその先には
繊毛のようなものもみられる。

畳の上に散った一枚の花びらを視つめていると
その一瞬に含まれる何事かを感じて

窓から見る空の果てまでが
春の灯の薄靄に一面掩われているような気がする。

その儘座って
無心になって目をつぶると

春の光の明るさ
綻び切った花の姿が

まるで豪奢な絵巻物を視るように
目裏に展開する。




    海

砕け散る白い波の重なり。
無限に繰り返す海の言葉。

ある時は鐘の韻きのように
ある時は鈴の音のように 変化しつつ

つき当たり砕け散るうねりと波が 岬鼻の辺り
咳き込むように巌頭を華で飾る。

揺れ動かぬ水平線は沈黙を守り
遙かに円を描ききろうとして 果ては視えない。

少年の吹く草笛の哀愁が
空の奥処を泳ぐ魚たちの銀鱗に触れたのだろうか。

うろこ雲が
遙か連嶺の辺りを流れて行く。




詩集『敗亡記』(一九九五年 吟遊社)より



    母

「家の人に相談して志願するなら するもんだよ。」
叔父にはそう言われたけれど 母は
「そうかえ。」と言っただけで
あとは黙っていた。薄暗い台所の隅で菜を刻む母と
幼い妹を残して俺は予科練に合格して終ったのだと思
い 一人机にむかって じっと頭を垂れていた。

横浜駅駅頭。あちらでは校歌 応援歌 此方では軍歌。
それぞれがそれぞれの学友を見送る輪が どよめき喚
声をあげ 胴上げする 一斉に掛け声をあげて走り廻
る。無数の日の丸の旗の波の中から 母が背伸びする
ようにして 俺を視つめながら旗を振っているのがチ
ラッと見えた。

列車は死に行く世界の軌道の上。今そこを突っ走って
いるのだと自分を振り返り 騒然たる友人の中 俺は
孤独だということを自覚し それを心の底から確認し
た。

俺の心の底までも視つめて沈黙する 諦めに徹した思
いなのであろうか。母の素顔が遠い灯火の中で微かに
点滅しているようだった。汽車ははや浜名湖を過ぎて
久しい闇の中だ。

*予科練……海軍甲種 飛行予科訓練生




    敗亡記

「死がなしうる何ものか」を求めて 俺たちは必死に
耐えた。次々に散華し行く特攻隊員の報に 俺たちは
心を朱けに染めて 琵琶湖畔の天空を視つめた。

ざっざっざっ ざっざっざっ
俺たちは歩調正しく練兵場を横切り 教場から教場へ。
ある日は寒風に晒されてのカッター訓練にと 常に氷
点下に身を置くような 緊張の中に在った。

厳しく執拗な罰直。海軍精神注入棒 バッターの激痛
にも耐えて一日々々を送った。死に行く道への最短距
離を求めて ひたすらに励んだ。

  みつみつし くめのこらが かきもとに うゑし
  はじかみ くちひびく われはわすれじ
  うちてしやまむ*

ああ撃ちてしやまむ 皇国スメラミクニの為にと
滾る血は けれども 一九四五年八月 満十七歳三カ
月を以て 一切は一挙に空無に帰した。

俺は死んで 路傍の缶カラのようにうち棄てられた。
それから甦る日まで幾たびも花は咲き花は散って行
った。

*古事記より




     敗戦の日

俺たちの部隊は予科練十四期から十六期までで編成さ
れ 舞鶴の小学校で敗戦を迎えた。俺たちはあの日真
夏の校庭に整列して雑音ばかりのラジオに耳傾けてい
た。それが何を意味するのか。しすと解らなかったど
うやら敗けたらしいことだけはうっすら伝わって来た。

夜 二階の将校室で海兵出身の若い将校が日本刀を振
り廻していると誰かが囁いた。俺たちは窓から身を乗
り出して二階の様子をうかがったが その時はひっそ
りとしていて 何の気配も感じられなかったが 真夜
中「十四期生は二階に集合。」の号令がかかった。
俺たちは不審に思いながらも二階に上った。

「十四期生 全員整列致しました。」
将校たちは俺たちを前にして『「皇国の興廃此の一戦
に在り」と言われたが 我等部隊はその一戦をも交じ
えず今回の降伏に至った。皇国の興廃は如何。十四期
生今後は貴様たちに期待するぞ』将校たちは「十四期
生頼むぞ 頼むぞ。」と叫びながら俺たちの顎を次々
と乱打して行った。俺たちに何を期待するというのか
 何を頼むというのか。誰も解らず 将校たちの為す
に任せて暴発の終わるのを待つばかりであった。




     苦悶


春画の女の恍惚と 縛り絵の女の凄惨な苦悶が 鮮明
に重なりあいながら猛火の空の彼方 無明の世界へ溶
暗するような錯覚を覚えたときも

  紅蓮の炎は天を覆い やがてそれが鎮まったくすぶり
の底に 妖しい青白い線が何条も流れ それらがまる
で生きもののように絡みあい 微かにかすかに金属を
すりあわせた時出すようなすすり泣きの声。

  一切はただ火災なり。空に遍して中間ちゅうげんなし
  四方及び四維 地界にも空しき処なし
  一切の地界の処に悪人皆遍満せり 我 今帰する
  所なく 孤独にして 同伴なし 悪処の闇にあり
  て 大火災聚に入る 我 虚空の中に於て 日月
  星を見ざるなり*

見てはならないものをつくづくと視つめ 知ってはな
らないものを知って終った。その上行ってはならない
処まで行ってしまった 大海の苦。

戦争とはそういう世界であった。大海の果ては知らず
 その中に溺れて 地獄の世界をまざまざと見せつけ
られながら 業そのものをいきるとは どういうこと
であろうか。

*往生要集より




     真夜の道

深夜 蒲団を跳ね退けて上着をひっ被り玄関へ走り出
そうとする。
「今頃何処へ行くのかえ。」
母の声を玄関の戸でぴしゃりと閉め切って外へ出た。

寒々の冬の夜 風がひゅうひゅうと耳を切って 吐く
息は忽ち霧氷のように散って行くのか。素足につっか
けた下駄の音が寝鎮まった街の隅々にまで響いた。俺
はその時無縁の墓石を負うて夜をさすらう幽鬼のよう
に 駅裏の酒場の方向へ歩いていた。

「非常呼集 非常呼集
  練習生脱走 練習生一名脱走。」

何処からか鋭い声が響いて来たがそんな筈はあるまい。
空耳であろう。俺はまともな練習生だった。阿呆なく
らい。それが今は時代に適応出来ず 巷の外に棄てら
れた犬のように 深い闇の底に曳きずりこまれようと
している。

「今頃何処へ行くのかえ。」
「本当は俺 行くあてなんてどこにもないんだ」




詩集『廃園』(遺稿 一九九八年 吟遊社)より



     蝶(一)

蝶が一つ
川を渡って行った。

蝶は
彼岸に達して
葦のぞよめきの中に消える。

彼岸に達した蝶は
秋の終わりを待たずに 消えて行くだろう。

生きて行くことは
死の瞬間より難しいのだ。

流れる大河を前に
そこに踏み込んで
泳ぎ抜こうとする決意が

一瞬彼岸の大地に翅開いた儘
静止する 金色の蝶を
幻想させる。




    蝶(二)

花から花へ 蜜を求めて飛び廻っていた蝶
秋風が吹き 秋の霖雨が続けば 忽ち翅破れ
草に死に あるいは
小さな蟻たちにその身を運ばれて行く。

然し 蝶は蝶の喜びの中を生きて来た。
総ては無意識の自然の所作のように思えるけれども
猫と戯れた時の蝶の歓喜。
追い行く子等を手招きするように菜の花にとまった蝶。
そして 丘陵を越えて遙かに消えて行った蝶。あるいは

木下をさすらい
大地を重苦しく羽たたきながら
ある日 そっと動かなくなった蝶。
秋風が巷に吹いて 飛行機雲が遙かに弧線を描く頃。

人々の喜びも 哀しみも
舞い狂い やがて死に行く蝶に通じる。
人間八十年も 蝶の一生と変わりなかった。

此の息づきも 此の呼搏も
連綿と生きるそれぞれの生命の
寒気と死の世界も。





    あとがき


 ここに紹介した詩は遺稿の『廃園』を含め、自費出版された十六冊の詩集の中から、私の主観的な好みで選び出したものである。それらを通読したのは父が亡くなってからで、生前に読んだ詩はそれらのごく一部に過ぎない。父と息子というものは、あらわな形でなくても対抗意識を抱き続けるものなのだ。私見で印象を述べるならば、第一詩集の『寒菊』には、みずみずしい感性が強く感じられる。今の私よりも若い時期に書かれたのだから、当然と言えば当然なのだが。若書きの印象はぬぐい得ないとはいえ、そうした純真な魂こそが、詩というものに人々の心が引きつけられる所以ゆえんである。父の詩魂がその冴えを見せるのは『燦爛の天』からだと思う。亡き母(僕にとっては祖母)の死を目の当たりにして、父の魂がその深みに下りて捉えた、いささかの衒いもない光の言葉がそこにはある。父の詩のすべてに言えることだが、亡き母への思いを綴った詩こそが、その生前に書かれた作品の中で、とりわけ価値あるものと感じられるのだ。それだけ父にとっては、僕の祖母は何ものにも代え難い存在だったわけである。『定時制高校』と『川崎』は、その主題の珍しさで新聞の地方版などで幾度か紹介された。詩篇の中でここに最も多く取り上げたのは『修羅』である。そこでは洗練された感性が自らのスタイルを確立すべく、言葉と格闘している姿が感じられて好感が持てた。その後父は持病の慢性肝炎と糖尿病の上に、歩行が困難となったせいか、憂鬱な日々を送ることが多くなった。それでも負けず嫌いの父は、書くことによって現実とは異なる世界を築き上げることに専心した。それが『廃園』に至るまでの軌跡である。そして手術の傷跡がふさがらぬまま、敗血症を併発して六十八歳の生涯を閉じた。『廃園』はその一周忌を前にして上梓されたものである。


  一九九九年四月十一日

              高野敦志                   


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