プロフィール


一九六三年 神奈川県に生まれる。
一九八六年 早稲田大学第一文学部文学科文芸専攻卒業
一九八九年 早稲田大学大学院文学研究科フランス文学専攻修士課程修了
一九九二年 第四回舟橋聖一顕彰青年文学賞受賞
二〇〇四年 早稲田大学大学院文学研究科日本語日本文化専攻修士課程修了
現在 早稲田大学大学院文学研究科日本語日本文化専攻博士課程在学中


作品

『漁火』(青空文庫

論文

「芥川龍之介の小説と『視点人物』の指標」(『文体論研究』第51号 2005.3)


僕の好きな言葉

 時は夜半を打った。おれは奇怪な仮装に身を包み、槍と角笛を手に取り、暗黒の中に進み出て、十字を切って悪霊共から身を守った後に、大声で時を告げた。(ボナヴェントゥーラ『夜警』より)

 言葉はただ自分自身のことだけを気にかける、という言葉に固有なものすら、誰も知らない。(ノヴァーリス『ひとりごと』より)

 死にたまえ。きみの心情はあまりにも壮麗だ。きみの生命はいま、秋の日のぶどうの房のように成熟しきっている。行くがいい、完成した人物よ。(ヘルダーリン『ヒュぺーリオン』より)

 生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し。(空海『秘蔵宝鑰』より)

 恋の至極は忍恋と見立て候。逢ひてからは恋のたけが低し、一生忍んで思ひ死する事こそ恋の本意なれ。(山本常朝『葉隠』より)

 なまよみの 甲斐の国 うちよする 駿河の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 不尽の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言ひも得ず 名づけも知らず 霊しくも います神かも せの海と 名づけてあるも その山の 包める海ぞ 不尽河と 人の渡るも その山の 水のたぎちぞ 日の本の やまとの国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 不尽の高嶺は 見れど飽かぬかも(山部赤人『不尽の山を詠める歌』より)

 以前と同じように、自分はまだあなたを愛している、あなたを愛することをやめるなんて、けっして自分にはできないだろう、死ぬまであなたを愛するだろう。(デュラス『「愛人ラマン』より)

 私が人間の女を愛していると答えると、彼女(水の精オンディーヌ)は顔をしかめ、恨めしそうに数滴の涙を流し、かん高い声で笑ったかと思うと、私の青いステンドグラスを白く染めて流れる俄雨の中に消え失せた。(ベルトラン『オンディーヌ』より)

 俺は架空のオペラになった。俺はすべての存在が、幸福の宿命を持っているのを見た。(ランボオ『錯乱U』より)

 今のぼくにとって有象無象の狐と同じ、ただの狐にすぎないさ。でも、君がぼくを飼いならしてくれたら、ぼくらはお互いを求めあうようになるだろう。君は僕にとってこの世で唯一無二の存在になるだろうし、ぼくは君にとってこの世で唯一無二の存在になるだろう。(サン=テグジュペリ『星の王子さま』より)

  勿論彼(河鹿)は幸福に雌の足下へ到り着いた。それから彼等は交尾した。爽やかな清流のなかで。―しかし少なくとも彼等の痴情の美しさは水を渡るときの可憐さに如かなかつた。世にも美しいものを見た気持で、暫らく私は瀬を揺がす河鹿の声のなかに没してゐた。(梶井基次郎『交尾』より)

 女の無感動な、ただ柔軟な肉体よりも、もっと無慈悲な、もっと無感動な、もっと柔軟な肉体を見た。海という肉体だった。ひろびろと、なんと壮大なたわむれだろうと私は思った。(坂口安吾『私は海をだきしめていたい』より)

 きみは人生の楽しさと芸術の楽しさを学ぼうとぼくのもとに来た。おそらくぼくはなにかもっとすばらしいものを―悲哀の意味とその美しさをきみに教えるために選ばれたものだろう。(ワイルド『獄中記』より)

 この水の干満、水の持続した、だが間をおいて膨脹する音が、僕の目と耳をたゆまず打っては、僕のうちにあって、夢想が消してゆく内的活動の埋め合せをしてくれる。そして、僕が存在していることを、心地よく感じさせてくれるので、わざわざ考えなくてもいい。水の面を見ると、それから連想して、うつし世の無常を思う念が、ふと、かすかに浮かんでくることもある。しかし、その淡い印象とて、僕をゆすぶっている波の絶え間ない運動の均等性の中に消えてしまう。(ルソー『孤独な散歩者夢想』より)

 老いたる海よ、お前は同一性の象徴だ。つねにお前自身そのままだ。(ロオトレアモン『マルドロオルの歌』より)

 唯だ行かんが為に行かんとするものこそ、真個まことの旅人なれ。(ボードレール『旅』より)

 大海の磯もとどろに寄する波われてくだけてさけて散るかも (源 実朝)

 げにわれはうらぶれてここかしこさだめなくとび散らふ落葉かな。(ヴェルレエヌ『秋の歌』より)

 速やかで微妙な想念、心静かに聴く微かな抑揚、このような状態でのみ、霊の想念は殆ど有りのままに我々に伝えられるのである。 (イエーツ『月の沈黙を友にして』より)

 肉体は悲し、ああ、われは全ての書を読みぬ。のがれむ、彼処かしこに遁れむ。(マラルメ『海の微風』より)

 蒼き夏の夜や、麦の香に酔ひ野草をふみて小みちを行かば、心はゆめみ、我足さわやかにわがあらはなる額、吹く風にゆあみすべし。(ランボオ『そゞろあるき』より)

 彼女の歌がすすむにつれて、大きな樹々から闇がおりて来た。そして、射し初めた月の光は、じっと聞き入っているわたしたちの輪の中央に、一人はなれて立った彼女だけを照らし出した。―歌は終わった。けれども、だれひとりその沈黙を破ろうとするものはなかった。(ネルヴァル『シルヴィ』より)

 こうして、焔の凝視は原初の夢想を永続させる。それはわれわれを世界から引き離し、夢想家の世界を拡大する。焔はそれだけでも大いなる現存であるが、しかし、焔のそばで、ひとは遠く、あまりにも遠く夢見ようとする。『ひとは夢想のうちにおのれを失う』のだ。(バシュラール『蝋燭の焔』より)

 眼は無限をめざす。耳は、この上なく巨大な騒音の中で、それとわからぬほどの音を聞きわける。……音は色を帯び、色が音楽を含む。」(ボードレール『アシーシュの詩』より)

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