あれから一年
昨年のイタリアでの世界男子は、まさかの失格に終わり、非常に辛い体験をしてしまった。それから一年、とにかく秋田で行われる世界大会に優勝することだけを考えて、日々ハードなトレーニングを積み重ねてきました。そう、秋田で君が代を聞くことだけを考えて・・・。
全ての面で妥協せずに
昨年の世界選手権後、自分の弱点等を今一度分析しなおして、今年は年明けから本当にハードなトレーニングを積んできました。4月にはノーマルでスクワット300Kg×8Repsという目標を達成し、そして全日本ベンチプレス大会では夢の300Kg達成。そして立て続けに全日本パワーでのトータル1035Kg(125Kg超級)。しかし高記録とは裏腹に僕の身体はずっと続いてきた高重量トレーニングに悲鳴をあげていました。週一回木曜日には欠かさず廣戸道場という整体に通い、予定の無い日曜日には鍼灸に行き、身体のケア、栄養面にも一切妥協せずにやってきたのですが、回復が追いついていかず身体はぼろぼろでした。特に左の背中(肩甲骨の下5cm位を中心にわき腹から前のほうの肋骨にかけて)が痛く、ひどいときはスクワット、デッドリフト共に60Kgでも激痛が走り、息が詰まり、また、息をするだけでも痛みが出ました。左の肘から前腕にかけても疲労がたまってくると痛み、腕が伸びきらなくなり、ピーキングに入ると、両足に坐骨神経痛も出てきました。 こんな状態でしたが、なんとかだましだましピーキングを進めていき、仕上げていきました。また今回は全日本ベンチプレス、全日本パワーと125Kg超級で出場していたため、体重が131Kg位に増えていて、6Kg以上の減量もピーキングと同時に進めていかなければならず、自分の中では6Kg位たいしたこと無いなと思っていたのですが、久しぶりの減量だったので意外ときつく感じました。
いよいよ出発
今回は地元日本での開催ということもあり、周りからの期待、プレッシャー、怪我の不安等を抱えて、11月17日(金)秋田に旅立ちました。秋田へは羽田から飛行機で50分くらいしかかからないのですが、少しでも楽に行きたいと思ったので、エコノミーのチケットからスーパーシートに変更しました。スーパーシートは初めてだったのですが、やはりエコノミーに比べたら断然広く、快適な空の旅でした。秋田空港について、ここでひとつ事件が起こりました。預けてあった荷物受取所でなんと僕の荷物が一番最初に出てきたのです。しかもこのとき、なぜか僕は荷物が出てくる前に直感的に、(あっ、僕の荷物が一番最初に出てくるな。)と思っていたのです。そして荷物が一番最初に出てきたとき僕は、(あっ、僕は絶対に優勝するな。)と思いました。たかが荷物が一番最初に出てきただけのことですが、僕には非常に運命的に思えました。
緊張の大会前日
つぎの日は大会前日ということで、一日ゆっくりしてようかなと思ったのですが、お昼から映画を観に行ってしまいました。観た映画は「世にも奇妙な物語・特別編」です。面白かったです。その後、秋田まで応援に来てくれた、家族、親戚、友人、知人一同30名を、彼らが宿泊するホテルで出迎えました。親戚が横断幕を作ってきてくれたので、僕はそれをもって、早速会場に貼りに行きました。横断幕は、「You can do it, No Limits!! 三土手大介」と書かれており、うれしさと同時に、緊張感がこみ上げて来ました。
就寝は10時半、明日の検量が9時なので、起床は6時半予定。寝る前に体重を量ったら、125.8Kg。ちょうどいい感じだ。
なに!体重が重い!!
寝たんだか寝てないんだかよく分からないうちに目覚ましがなった。体調はいい感じだ。背中以外は特に痛いところも無い。体重を量ってみると、124.6Kgだった。おにぎり一個と水500ccを飲んで会場に向かった。会場には8時半についたので、一応念のため検量の秤で体重を計ってみた。えっ!重い!!125.8Kgもある。自分で持っていった体重計よりもだいぶ重く出る。自分で持っていった体重計は正確なものなので、間違いは無いと思っていたが、やられた。僕の検量順は最後から2番目だったので、検量までにはあと1時間弱ある。すぐさまガムをかんで唾を吐き始めた。(ガムをくれた星野さんありがとうございました)そして検量、再検量覚悟で体重計に乗った。124.8Kg!!おーっ、落ちている、多少汗もかいたけど、唾だけで約1リットルも吐いたことになる。なんか想像すると気持ち悪い・・・。検量をパスしたあと軽く食事をして少し休憩した。
スタート重量
僕のスタート重量は、スクワット385Kg、ベンチプレス285.5Kg世界新、デッドリフト290Kg、スタートだけを足すとトータル960Kg。ウクライナの選手が932.5Kg、アイスランドが930Kgで、僕がよっぽどミスをしない限り優勝は確実だと思った。試合開始は11時なので、10時頃からストレッチを始め、ウォーミングアップを開始しました。アップ場は5面用意されていたので、自分のペースでアップできました。まずは60Kg×8Repsから。次に100Kg×6Reps、140Kg×4Reps。普段は大体140Kg位から左の背中に激痛が走る。でも、この日は痛み止めのイブプロフェンを普段よりたくさん飲んでいたのと、1週間休養したので、背中の痛みはまだ出ませんでした。この後、180Kg×2Reps、220Kg×2Reps。220Kgの時に痛みが出た。ノーマルのアップは260Kg×1Repを最後にやり、スーツを着た。スーツは丁度いいきつさだ。肩をかけてバンデージなしで320Kg×1Repのハーフスクワットを行い、最後にバンデージを巻いて350Kg×1Rep。350Kgは深さもバッチリで、軽くいい感じでアップを終えることが出来た。セコンドに荷物を持ってもらい、試合会場に向かう。今回の会場はアップ場と試合会場が結構離れていて、移動に時間がかかりました。
6年ぶりに潰れたスクワット!!
さて、いよいよスクワットが始まります。今回の125Kg級は12人。スタート重量385Kgの僕はもちろん最後です。第1試技は確実に成功させていかなければならないので、重量的には軽くても、非常に緊張します。セコンドの小岩井君にバンデージを巻いてもらいながら、集中していく。タイミングはバッチリだ。アンモニアを嗅いでプラットフォームのバーベルに向かっていく。385Kg、僕にとっては何てこと無い重量だ、担いで歩きスタンスを決める。担ぎと歩きは軽い、「スクワット」の合図を聞き、しゃがみ始める。十分しゃがんだ位置から立ち上がる。「あれっ?!重い!!」スタート重量の385Kgがメチャクチャ重い。最終アップの350Kgの感じからして、385Kgなんて粘る重量じゃないのに・・・、ショックだった。しかも膝が曲がっているとかで赤が1個付いてるし。予定だと第2試技は415Kgだったが、405Kgに変更。とりあえずスタート重量を成功した安心感と、予想以上に重かった不安感が入り混じる中、第2試技に向けて、イメージを固める。
そして第2試技。いやー粘った、久しぶりにあんなに粘ってしまった。405Kg、なんて重いんだろうと心から思いました。第3試技はパスしたかったけど、とりあえずがんばってみようと思い415Kgを申請した。・・・でもダメでした・・・。スクワット6年ぶりに潰れた。足が一歩前に出たとか、タイムオーバーで失敗したことはあったけど、純粋に潰れたのは、6年前のインドネシアで行われた世界ジュニア以来だ。潰れるってこんな感じだったなーということを、久しぶりに思い出しました。
ベンチプレス、失格の予感
125Kg級は1グループなので、種目間の休憩時間は15分。スクワットが終わり、速攻でアップ場に戻り、スーツを脱ぐ。この時点でもうすでに5分は経っている。ノーマルのアップは無しで、いきなりシャツを着て、200Kg×2Repsおこない、シャツを身体になじませる。もうほとんど時間が無いので、すぐに265Kgにセットして、ベンチ台に横になる、息はあがりっぱなしだ。そして265Kgを行ったときアクシデントが起こった。センターにとってもらい構えて、胸に下ろし爆発的に挙げると同時に意識が遠くなってしまい、バランスを崩して265Kg潰れてしまった。ここ1年くらいベンチプレスで意識を失うことが多い。高いブリッジときついシャツで自ら絞め落としてしまうのだ。ベンチプレスの開始時間も迫ってきたので、メチャクチャ不安を残しながらアップ場を後にした。
ベンチプレスのスタート重量は285.5Kg。いきなり世界新記録からスタートだ。第1試技は絶対に落とせない、アンモニアを嗅いで気合を入れてベンチ台に向かう。ベンチ台に寝た瞬間、照明の明るさにびっくりした。眩しくてバーベルがよく見えない。ブリッジを決めて、バーベルを補助に外してもらう。その瞬間、少し意識が遠くなった。このままでは意識が落ちてしまうと思い、普段よりもブリッジを低くした。そしてスタートの合図。コントロールしてバーベルを胸に降ろしていく、胸まであと3cm位のところで、意識を失ってしまった。ほんの一瞬だけなのだが、補助がバーベルをとってラックに戻そうとしているとことまでは記憶が無い。バーベルがラックに戻ってからも、身体が痙攣してうまく起き上がれなかった。会場が絶望的な雰囲気の中第2試技を同重量で申請する。セコンドにベンチシャツをもう一度よく引っ張ってもらって身体にフィットさせ、呼吸を整えるため少し歩き回った。この第1試技と第2試技の間はものすごく時間が長く感じられた。そして、昨年のイタリアでの世界の事が鮮明に頭に思い浮かんだ。「このまま失格したらどうしよう、応援してくれた人たちに何て言おう。」とネガティブな考えが頭の中をぐるぐる回る。その反面「こんなところで失格してたまるか、絶対に成功してみせる。」と自分の中で強く語りかけてくる自分がいた。そして、運命の第2試技。冷静にいくため、アンモニアは嗅がずに行った。ブリッジを決めてバーベルを受ける、大丈夫だ今回は落ちない。コントロールしてバーベルを胸に止める。そして押す。かなりコントロールしていたので、やや重く感じられたが押しあげた。判定は?!白二つで成功!!やった、この瞬間は本当にうれしかった。審判にコスチュームチェックを受けてプラットフォームを後にする。本来ならば285.5Kgの次は300Kgと考えていて、第1試技を成功していたら、第2試技は間違いなく300Kgにしていたが、第1試技を失敗したので、確実にトータルを伸ばすために、第3試技は295Kgに申請した。第3試技はブリッジもばっちり決める事が出来たし、意識が落ちそうにもならなかったので、非常に軽く成功する事が出来た。世界記録を300Kgの大台に乗せたかったので残念でした。また次回頑張ります。
だーっ!!握る位置ずれてたー!!
ベンチプレスが終われば、最後はデッドリフトです。まー、デッドリフトはどうでもいいので・・、いやいや、デッドリフトも頑張りますよ。一応。
休憩が15分なので、ベンチプレスが終わった瞬間、速攻でシャツを脱いで、ダッシュでアップ場に行き、デッドリフトスーツを着る。僕の場合、デッドリフトはほとんどスーツが効かないので、デッドリフトスーツはすぐに着れる。その場にセットされていた190Kgで1回引いて、時間が無いので、すぐに250Kgにセットし1回引く。そしてまた試合会場に。本当に時間が無い。第1試技の順番は5番!おーっ、5番とは凄い。デッドリフトのスタート重量は最初290Kgだったのだが、2位にサブトータルで70Kg差をつけていて、2位のウクライナの選手がスタート300Kgだったので、スタートで確実に優勝を決めようと思い、10Kg下げて280Kgにしました。もちろん280Kgは軽くクリアし、この時点で優勝を決めた。第2試技はトータルを1トンにするべく、300Kgを申請。これも確実に軽く決める。第2試技を終えるまでは、とにかく1試技、1試技成功させていく事だけに集中していたため、ほかの余計な事は考えれなかったが、第2試技を成功して、優勝が確定した瞬間、優勝の喜びと、あと1試技引けば終わりだという安心感がどっと押し寄せてきて、胸が熱くなり涙が込み上げてきた。でも、あと1試技、320Kgが残っているので、涙をこらえ、集中した。そして第3試技。コールと共にプラットフォームに上がった瞬間、今までとは違う景色が目に入った。それは応援に来てくれている観客の姿だ。それまでは観客の姿や、声援などは全く感じていないほど集中していたのだろう。優勝が決まり、少し余裕がでてきたせいか周りがよく見える。でも、次の瞬間、涙で視界はさえぎられた。スタンスを決め、バーを握る。自分では左右均等に握っているつもりだったのだが、涙でよく見えなかったのだろう、後で写真を見たら、右手がずれていた。そして、案の定右手が外れた。引きはメチャメチャ軽かったのに・・・。でも、今となってはそんな事はどうでもいい。とにかく優勝がうれしい。プラットフォームから戻るときは、わんわん泣いてしまった。
進さん、寿子さん、パワーハウスの皆さん本当にありがとう!
泣きながら、ベルトを外し、スーツの肩を外したところで、進むさんが来て、「おめでとう」と声を掛けてくれる。僕は進むさんに抱きつき、ただただ泣いていた。100Kgの平櫛さんも舞台裏にきてくれて、お祝いの言葉をかけてくれました。パワーハウスに入会して以来、ほとんどの試合で進むさんは、僕のセコンドに付いてくれた。世界ジュニア、世界大会、どこに行っても、必ずセコンドに付いて僕を励ましてくれた。この世界大会で優勝するまで、進むさんと共に歩んできた9年間。長かったのか短かったのか分からないけど、ひとつだけ分かる事は、進さん、寿子さん、そしてパワーハウスのメンバー皆がいなかったら、この優勝は絶対にありえなかった事。それだけは分かった。
その後、スーツを脱いで着替えて、応援に来てくれていた、両親、親戚等にお礼をしに行こうと、舞台から観客席に降り立った。もう散々泣いて、落ち着いていたはずなのに、皆の顔を見た瞬間、また泣いてしまった。
僕が今日までパワーリフティングを続けていくにあたって、両親、親戚には本当にいろいろと迷惑や心配をかけてきたと思います。今回、日本で行われる世界大会にそれらの人たちが応援にきてくれて、そして最高の舞台で優勝する事ができ、今まで僕を支えてきてくれた人たちに、最高の恩返しが出来たと思います。
「君が代」最高!!
そして、表彰式。スクワット、ベンチプレスはもちろん金メダル。トータルの表彰の前に、秋田の伊藤和弘さんが、肩に日の丸の国旗をかけてくれた。そして、表彰台の一番高い所に立つ。この場所が僕の目指してきた場所なのだと、心の中で思いながら周りの景色を見渡す。すばらしい眺めだった。そして、斎藤会長にトータルの金メダルを首にかけてもらう。今まで金メダルはたくさんもらってきたけど、この金メダルの重みは何にも変えがたいものがあった。2位、3位にメダルをかけたところで君が代が流れ出す。普段は何の意識もせずに聞いていた君が代、このときは心に染みた。君が代って、なんて良い曲なんだろうと思った。そして、君が代と共に上がってくる日の丸。僕は日の丸をじっと見つめながら、すべてのプレッシャーから解き放たれた開放感、充実感に酔いしれていた。僕が今まで生きてきた中で、最高のひと時だった。
世界大会が終わって
大会のさよならパーティーも本当にすばらしいものでした。料理もおいしかったし。大会前は減量もあり、おいしいものをあまり食べられなかったし、また、食べたとしても全然おいしくは感じませんでした。だからこの日の料理は本当にリラックスしておいしく食べることができました。国別の団体戦でも日本は今まで出最高の4位になる事ができ、本当にいい大会だったと思います。その後、みんなで2次会に行き、朝まで楽しいひと時を過ごしました。
でも、全ての事を忘れてリラックスできるのは、ほんの数日間だけです。またその後は、今回の大会を反省して、自分の弱点を分析しなおし、新たなる目標を設定し、それに向かってまた全力でトレーニングしなければなりません。今回世界チャンピオンになりましたが、僕は今の自分の現状には全く納得していません。まだまだ改良して強くなる余地があると思っていますし、強くなる自信もあります。今回の世界大会優勝は僕のゴールではなく、スタートだと思っています。ここからです、ここからどのように進んでいくのかが重要なのではないかと思っています。
世界大会の舞台、そこには魔物がいるといわれています。どんなに実力のある選手でも、優勝できない選手はたくさんいます。今回僕が優勝できた理由は、「勝利の女神」が微笑んでくれたから・・・。ではないでしょうか。
三土手大介
三土手さんへのアドバイスは、直接メールで送っていただくか、匿名をご希望であれば、目次のページにあるホームページアンケートに記入していただいても結構です。(三上)
氏名 | 三土手大介 |
生年月日 | 1972/8/26 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
midote@alles.or.jp | |
身体のサイズ | 身長170cm 体重125−130kg 胸囲140cm 大腿囲81cm 上腕囲56.5cm(パンプ時) |
趣味 | パワーリフティング(これは趣味なのかな?)、釣り、TVゲーム全般、DTM(パソコンでの音楽作り)どうしたら世界最強になれるか考える事。 |
特技 | 手品、カードマジック専門です。自分で言うのもなんですが、かなり凄いです。 |
好きな食べ物 | 水、お米 |
嫌いな食べ物 | 冷奴 |
尊敬する人 | ここまで育ててくれた両親。吉田夫妻。カーク・カルウォスキー |
好きな芸能人 | ザ・ブリリアント・グリーンのボーカルの河瀬智子 |
好きな女性のタイプ | 小柄で頭の良い人 |
好きな言葉 | No Limits(限界は無い) |
将来の目標 | トータルで世界最高記録を樹立する事 |
トレーニング暦 | 12年 |
スポーツ暦 |
アームレスリング(過去に全日本Jrチャンピオンになった事がある。) 空手(10歳から20歳までやっていました。) 沖縄琉球古武道 |
パワーリフティングの主なタイトル |
1999年世界ベンチプレス大会 優勝(125kg級) 1996年世界パワーリフティング大会 準優勝(125kg級) 1994年世界Jrパワーリフティング大会 優勝(110kg級) 全日本パワーリフティング大会 優勝5回 全日本ベンチプレス大会 優勝4回 アジアベンチプレス大会 優勝 |
ベスト記録 |
スクワット400kg(125kg級)アジア記録及び日本最高記録 ベンチプレス285kg(125kg級)アジア記録及び日本最高記録 (ベンチプレス252.5kg、125kg級世界Jr記録) デッドリフト302.5kg トータル987.5kg(125kg級)アジア記録及び日本最高記録 |