うつせみ 
2002年 3月 3日
             正装

 乗船2日目の3月1日は一日中太平洋をひたすら西に航海した。早朝目が覚めてGPSを初めてセットしたら、船は丁度紀伊半島の先端を走っていた。NHKテレビ連続ドラマに出てくる熊野の山々がひときわ高く見え、串本灯台が見えた。長崎には近道のはずの瀬戸内海を通ってくれると面白いなと思っていたのだが、船は串本を過ぎても黒潮に逆らって西南西に進み続け、太平洋から鹿児島を回るコースに入った。

 このように一日中航海する日に夕食は正装と指定されることが多いようで、我々にとっては初めての挑戦だ。愛妻は午前中船酔い寸前で念のため横になっていたので、元気になった夕方から和装の半襟をつけ始めたが時間が押してきて、私がお裁縫の手伝いをする間にお化粧するという分担になってしまった。黒地に金模様の留袖を「ハクビ和装教授」の腕前を久しぶりに発揮して何とか時間までに着こなした。私は生涯初めてのTuxedoに挑戦し、これは簡単に着られて、最後の段階でハタと困った。ワイシャツの襟は詰襟で前の部分だけ三角形に折れている。それに黒の蝶ネクタイをした時に襟の三角部分を前にするのか蝶ネクタイのリボンの部分を前に出すのか予習してこなかったことに気づいた。こういうこともあろうかと持ってきた図解を参照して三角襟をネクタイの前に出すのだと判断した。

 正装など日常茶飯事という落ち着きで二人揃って悠然と廊下を行くと、既に正装したButler(執事)という職名の部屋係が廊下で待ち構えていて、素早く我々を上から下までチェックし、私の蝶ネクタイが三角襟の前に出るように修正してくれた。なるほどそういうものか。

 この晩留袖のおかげで愛妻のモテ方といったらなかった。すれ違ったり出会ったほとんどの男女が目を見張り"Beautiful"と褒めた。愛妻の感想が面白い。「今晩熱い眼差しで見られて、そうだ20歳代にはこういう眼差しで見られていたんだわと昔を思い出した」そうだ。考えてみると愛妻の年配で和服が自分で着られて、英語が話せて、話題が結構あって、年齢相当よりは多少とも容色を保っている奥さんはそう多くはなさそうだ。

 主レストランでは、二人だけで食事するか、出会いを求めて誰かと一緒に座るかと聞かれる。我々は当然いつも後者だ。支配人が入口で頑張っていてそれを尋ね「何番テーブル」とウエイタに指示する。つまりベテランの第六感をもって誰と誰を一緒に座らせたら皆が楽しめるかを判断する訳だ。英語国民でない場合は当然そこでさりげない英語のテストがあり、身なり顔つきで人間の知性や性格の評価がなされテーブルが決まる。或る日或るテーブルで除け者になっていたら、それを支配人はさりげなく見ていて次の機会には隅のテーブルに回すだろう。欧米の社会は何でも競争だが、Seatingすらも実は厳しい競争なのだ。勿論Seatingの後では同席者と親しく友達になれるか否かというチャレンジもある。その意味で私は愛妻に大いに助けられていることになる。我が家の外相だからな。

 翌3月2日は"Informal"の日だった。様子が分からないまま私は普通の背広にネクタイ、愛妻は森英恵の花柄のピンクのスーツに真珠のネックレスで行ったら、平均よりは少しFormal過ぎたようだった。それでもレストランの支配人は"Oh, here comes a lovely couple."と言って良い席に案内するよう指示した。おい俺のことLovelyと言ったんじゃないよな。東洋人は若く見られるから薄暗がりで65歳の夫婦とは見てないのかな。

 夕食の後には必ず劇場でショーがある。例え部屋に一旦戻っても原則そのままの服装で劇場に行くものだそうだ。つまり正装の日には着飾った旅客で劇場は埋まる。そこでも外見は大きな評価要素になる。

 私は愛妻が持って行きたい服を持って行けないばかりに旅が劣等感や後悔になっては可愛そうだと思って、荷物を大きくすることを厭わなかった。お陰で船室の2段30個のハンガーを私と愛妻で3対27で「公平に」分け合うことになった。私は愛妻への思いやりでそれを良しとしたのだが、どうも愛妻を飾ることは私自身を飾ることに非常に近いことを発見し「情は他人のためならず」を実感している。「人間見かけじゃないよ」と信じてきたが、そうでもない世界が確かにあった。         以上