うつせみ
2002年 6月 6日

           Hawaii島

 5月に初めて訪れたHawaii島について一筆書きたく思いつつ他事に阻まれてきた。Hawaii諸島と紛らわしいので最大のHawaii島はBig Islandとも呼ばれる。Oahu島が日本の街かと思われるほどであるのに対して、観光客が少なく、しかも日本人の割合が低い四国の半分ほどの島だ。Hawaii島の王家に生まれたKamehameha大王が、いち早く外国から大量に入手した鉄砲で他島の王を征服しHawaii島に統一王朝を設立したのが1810年であった。Kamehameha3世治世の1850年にOahu島Honoluluに首都が移された。Hawaii諸島は米英仏の勢力争いの場だったが1900年に米国領となった。

 Hawaii諸島は火山島だが、Plateの境界に集中する多くの活火山と異なり太平洋Plateのど真ん中にある。マグマ対流の上昇点、PlumeまたはHot Spot、に当たり、Plateを突き抜けて噴火した熔岩が深さ5kmの海底から積み上がって島となった。Plateが毎年8.5cm移動するのにつれて島は浸蝕されつつ移動し、後に新しい島が出来るという過程が古来繰り返されてきた。最も古い島は今は水没した海嶺となってKamchatka半島に接しており、それより古い島は既に海溝の下にもぐってしまった。7千万年前から4千万年前までの島の痕跡はKamchatka半島から南南東に伸びる天皇海山列Emperor Seamountsである。日本の学者が調査して1952年に北西太平洋海山列として発表したが外国の学者が面白がって海嶺に神武、推古、仁徳などの名をつけてしまったそうだ。4千万年前に太平洋Plateは突如移動方向を変えたために以降の島は社交ダンスよろしく45度回転して東南東に連なっている。この部分をHawaii海嶺という。Midway諸島もその一部だが3千万年前に当たり、Hawaii諸島の端から2,100kmも離れている。

 Hawaii諸島の北西端Kauai島は8百万年前の死火山である。東南端のHawaii島が最も新しく唯一の活火山島だ。Hawaii島の中でも北端に70万年前に形成されたKohala山と天文台が林立する4,205mの最高峰Mauna Keaは歴史上噴火の記録が無い。貿易風の関係で東北斜面に降る雨で浸蝕されて深い谷と高い滝を形成している。南側のMauna LoaとKilauea山が活火山で、UNESCO世界遺産のHawaii火山国立公園になっている。Mauna Loaは標高4,169mの世界最大の活火山で間歇的に噴火している。最近は1984年に噴火した。更に南の標高1,243mのKilaueaは常時熔岩を流出して成長中だ。実はHawaii島の南東30kmに既に次の島が出来つつあり、5kmの海底から4km立ち上がった段階だが、あと1万年もすれば島になるという。

 Hawaiiの熔岩は極端に粘性が低いのが特徴で、ガスが容易に抜けるため稀な水蒸気爆発を例外としてほとんど爆発しない。また粘性が低いため八ヶ岳や天城山のようなゴツゴツした山容にはならず盾を伏せたようななだらかな山容となり、盾型火山Shield Volcanoと呼ばれる。

 Hawaii島は大き過ぎて車では短時間の観光はできない。西海岸Konaでヘリコプタ・ツアを予約していたのだが生憎我々が訪れた日は雲が低くたち込めて火山は見られないと言われた。仕方なく午前中はタクシーで北辺を見物し午後少し雲が上がってからヘリに乗った。Mauna Kea北麓の割れ目噴火跡が一連の小山群になっている辺りをヘリは飛んで東海岸Hiloの上空を過ぎ、別荘地帯Mountain Viewを通ってHawaii火山国立公園上空に入った。直径1kmもあるというKilaueaの噴火口を見せてくれるのかと思ったが天候の加減かどうかそちらには飛ばず、1992年以降はKilaueaで最も活発に熔岩を吐き出している東側のP'u 'O'oという名の噴火口を見せてくれた。噴火口の中央から真っ赤に熔けた熔岩が流れ出しているのが見えた。それが昼間の光ではすぐ灰色に変わるが表皮の下は液状のままで、火口の中を熔岩湖として満たし、さらに火口の切れ目から外に流れ出している様子が灰色の表皮の模様から推察できた。熔岩がトンネルを流れて海岸に達していることが海岸に立つ白煙から推察でき、また東側の自然林を焼く流れもあった。急斜面では熔岩流が地表に表われ、赤い舌となって立木を焼いていた。地球のエネルギーを直に感じてすごい迫力だった。

 帰路には島の東北部に発達した深い谷と高い滝を見学してKohala山を越えてKonaに戻った。自然豊かなこの島にまた来たいと思った。   以上