うつせみ
2006年11月 5日
            Indonesia

 Bali島のガイドはIndonesiaでは少数派のBalineseで、宗教や文化が異なる本島のJava島に少なからぬ敵愾心を持っていた。Balineseは田を耕し真面目に働くが、Javaneseは楽に儲けることばかり考えていると。

 火山島のBali島には5千年前から人が住み、100 BCに印度からHindu教が入ってきた。14世紀に建国されたJava島東部の帝国に属したが、Islam教がIndonesiaに入ってきて帝国が15世紀に衰退すると、Hindu教の文化人がこぞってBali島に亡命し、Islam教主体のJava島とは異なるHidu教の一大文化圏がBali島に出来た。Bali島は第2次大戦中は日本軍に占領されたが、日本の敗戦後はオランダ軍が再度侵入してきて独立軍を壊滅させ、植民地が再建された。しかしSukarno大統領を中心とするJava島西部の勢力がオランダから独立を勝ち取り、Bali島を含むJava島東部を併合して1949年にIndonesiaが建国された。Indonesianと呼ばれる共通言語が用いられるが、Indonesia各地に伝わる生粋の言語があり、Java島東部で話されるJavaneseは、海峡を隔てたBalineseとは異なる。

 高砂族などの台湾原住民から広大な範囲に広がったことが証明されているAustronesian語族(Austro=南 Nesia=島)は、西はMadagascarから東はPolynesiaまで、南はNew Zealandの原住民Maoriから北はPhilippines、GuamからHawaiiに至る。但しAustraliaの原住民Aboriginesは別だ。彼らはもっと前、4-6万年前にアジア大陸から渡ってきた。Austronesia語族はMalaysiaを例外として全て島に居住し、大洋を股にかけて小船で往来してきた。そのため広範囲にも拘わらず比較的共通部分が多い。特にMalaysiaとIndonesiaでは互いに会話できる程度に言葉が似ているそうだ。人口ではJavanese語が76M人で最も多く、次いで半島のMalay語が40M(但し第2語学として話せる人を含めて175M)、PhilippinesのTagalog語が22M(85M)など。Balineseは僅か4Mだから少数意識が付きまとう。

 Austronesian語の特徴は、ウキウキのように繰り返す語法があり、子音+母音から成る音節で言語が構成されるため発音が簡単だという点だ。全く日本語の特徴であり、日本語の成立以前に最初にAustronesian語の一つMicronesia語の系統が日本列島で通用していて、その発音の習慣がその後の言語の発達・変遷に影響したとされている。

 恥ずかしながら初めて訪れたBali島では、Batikという染布、絵画、金銀工芸品、木彫などの工芸が盛んで芸術家の島のようだった。またHindu教の寺院が至る所にあり、戸数より多いという冗談もあるくらいだ。棚田と緑の多い風景は、椰子を松に見立てれば日本の田舎の風景そっくりだ。米が年に2-4回採れるという。先進国から見れば決して豊かではないが、Jakartaで昔見かけた貧民街はこの島では見なかった。

 Indonesiaでは、世界遺産Komodo島の国立公園をも訪ねた。1000名の漁村があるが、Komodo Dragonという3mほどの大トカゲ1200頭が特徴だ。トカゲは鹿・野豚などを食べる肉食で、人間をも襲う世界一大きい種類だ。港がないので1.5kmほど沖に投錨しランチで公園の小さな波止場まで往復し、政府系のガイドに案内して貰った。3kmも歩いて1頭も見かけなかったという人の話も聞いて心配していたが、9amの日差しを避けて観光施設の床下や木陰で休む3頭を見かけた。結構早足で歩くので、隠れていて急に走れば鹿でも捕まるかも知れない。乾期ゆえに枯木状態の森の小道を1kmほど行き更に数頭のトカゲに出会うことができた。大きな鹿も居た。

 木彫や天然真珠と見えたバカ安いネックレスを持って現地人20-30人が公園に露店を開いていた。10歳前後の子供多数が金をねだり売りつけようとする。少額紙幣を桟橋から海に投げた船客が居て、子供達がそれを奪い合った。善意かも知れないが傲慢な行為だ。終戦直後、豪進駐軍にチョコレートをねだった時代を体験している私はそんなことはしない。我々が引き上げた後、彼らが白浜の上を歩いて数km離れた部落にトボトボと戻る姿が、1.5km沖の船で昼食をとる私たちから点々のようにかすかに見えた。決して点と見てはいけない、ここには貧しい人々の生活があるのだと、現実を厳粛に受け止め、少し悲しくなった。           以上