うつせみ
2006年12月10日
            仏領Polynesia

 憧れのPF=Polynesie Francaise=仏領Polynesiaを訪れた。PFは英国が発見し開発布教したが、英国がAustraliaとNew Zealandに関わっている隙に仏国が盟主となった。今は自治領だが、仏が軍と警察を担当し、多大な補助金を出し、かっては原爆実験を行った。南半球ではあるが北緯で言えばPhilippinesと沖縄ほどの範囲の、欧州と同程度の面積の海に広がる百数十の島から成るが、陸地の総面積はスイスの1割ほどだ。

 Hawaiiと同様な火山島だ。地下からのMagma噴出で出来た島がPlateに乗って北西に移動した跡に、また新しい島ができる。この繰り返しで列島ができた。Hawaiiでは一番新しい島が南東端のBig Islandで、島の南端で火山活動が活発だ。これに対してPFでは噴出口が複数あるため、4つまたは6つに分類される複数の列島が出来た。列島の南東端は一番新しいから富士山型の島だ。年月が経つと山は浸食されて八ヶ岳型になりMagmaの力が衰えて沈下する。その間島の周囲には珊瑚礁が発達し、それが砕けて主島に美しい白浜ができる。しかしやがて珊瑚礁は環状の島に成長し、それで波の力がそがれると白浜は消える。群島の北西端では中央の主島はやがて海中に没し、環礁だけが残る。そういう発達過程が見本のように見られる。我々はSociety列島では環礁に囲まれた古いBora Bora島を訪れ、次に白浜の島Moorea島、それから比較的新しくまだ珊瑚礁が未発達のTahiti島のPapeete市に接岸した。次にMarquesas列島のNuku Hiva島を訪れた。

 PFの総人口は260k人だ。その半分が住む首都Papeeteを含むTahiti島が、人口の7割を占める。この偏在がPF全体をTahitiと通称する理由でもある。Tahiti島とPFは後期印象派の仏画家Paul Gauguinの作品でも有名だ。またMusical映画「南太平洋」はTahiti島を中心にSociety列島で撮影されたという。映画の通りに第2次大戦中は米軍が駐在し、米軍人の血を引く人口が増えたという。人口の83%が混血を含むPolynesianで、12%が白人、5%が経済を牛耳る中国人を中心とするアジア人だそうだ。主な掲示は公用語の仏語で、2つあれば1つはTahitian、稀には英語もあった。

 New Zealandから乗船してきたPolynesian Dancersが何れも大柄な美人だったので大いに期待したが、現地ではそんな女性は見当たらず羊頭狗肉ではないかと憤慨した。しかし田舎の島を回り終えてPapeete市に着き、早朝に独りで散歩した街で"Ou est le Palais Presidentiel ?"と言った片言を聞き取り道案内してくれた若い女性はDancersに劣らなかった。小さな公園で6:30am頃弦楽器で小声で歌っていた女性は英語が少し通じたので写真を撮らせて貰った。Marquesas列島で最大の人口2千名のNuku Hiva島で見た18歳の学生の踊子達が鄙にも拘らず美形揃いだった。

 PFの特産はフルーツ、バニラ、材木、海産物、コバルト、それに黒真珠だ。千円から10万円までの黒真珠の珠と金具を買うと、ドリルと接着剤で数分で取り付けてくれる。彫刻を施した黒真珠をここで初めて見た。

 田舎の島には文明人のあこがれる自然が一杯あった。ガラス底のボートで珊瑚礁とそこに住む多くの魚を見た。風邪を引いていなかったら是非Scuba Divingをしたかった。一番の感動はSpinner Dolphinを見たことだった。95%の確率でDolphinを見せるという売り込みの、現地Dancerと結婚した米人海洋博士のボートで、島の周囲数箇所を当たって音沙汰なく悲観し始めた頃、30頭ほどの群が遊ぶのに出会った。水面に出て呼吸するだけでなく、水面を飛び、更には高くジャンプして長さ方向を軸にして2-3回回転して見せた。ホテルはここでは遠浅の海上に建てた一戸建ての集合体だ。日本人が結婚式によく訪れるという。どこにでも椰子とバナナが実っており、マンゴとパンの実も沢山見かけた。数多くの椰子の実が顧みられることもなく波打ち際で自然発芽している。これだけ果物が豊富だと働く気がしないだろうという私の感想よりも、こんなに椰子の実が多くては詩にならないわねと言ったワイフの感想の方が一段と教養的だった。

 PapeeteからGauguin博物館に行った。予算がないのか田舎の展示場的で幻滅だった。しかし巻き起こした新風が生涯認められず、失意のまま現地妻と暮らし、Parisで貰った結核で寂しく逝った彼の人生を偲んだ。以上