9月30日(日)、人形劇団プーク元代表の星野毅氏を呼んで勉強会です。星野氏には、今年はじめ、年賀に伺ったとき、すでに台本の手直しをしていただいています。作り物は、すべて借りのものですが、大体の大枠が出来上がったので、通しで見てもらいました。
 旅がらすのカンタローの羽の具合を調べてます。
 「もっと軽いもので作って、リボンでつなぐんだよ」
 音響担当の丹羽君も参加です。夢まあるく舎は、ふたりきりですので、音響に頼ること大です。丹羽君の音楽は、私たちの芝居を理解して入れてくれるので、とてもやり易いんです。

 
「さんた人形の構造がちょっと変だぞ。饅頭がうまく持てない」
 あかおにのところに、あおおにが雲に乗って訪れます。ここからお話が始まります。
 立て札を読んで、様子を伺う村人たち。でも、あかおにを見ると、逃げ出してしまいます。
 村人がコミカルに表現できるといいな。
 村で、あおおにとあかおには、偽りの大立ち回りをします。ここは、とても難しいです。星野氏に、怖さが足りないと指摘されました。

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 7月12日(木)久方ぶりに泣いたあかおにの練習に入りました。上演があると、どうしても練習などでそちらに時間をとられてしまいます。遅々として進まず。歯がゆいです。
 旅行後、脚本を書き直しました。一番大きく変わったのは、村人です。あかおにが、友だちになりたいと思える村人でなくてはと、思ったのです。素朴でおおらか、好奇心旺盛で、愉快な村人。
 藤村が、装置をダンボールで仮に作ってきました。一目で気に入りました。やはり現地に行った甲斐がありました。



  あかおにの家です。
 居心地の良い、手作りの家。花壇もあるそうです。
 
 村人の家。
 家の前には、野菜畑が加わります。
 手前の木は、百日紅です。
 あおおにの家。
 岩をくりぬいて作られています。
 厳しい場所にあります。
 はい松が数本生えてます。

「ないた赤おに」製作日記

   
 4月24.25日、浜田広助の生まれ育った、まほろばの里、山形県高畠に行ってきました。広助の記念館があり、そこを訪れました。本格的に「泣いた赤おに」の製作に入る前に、ひろすけ童話の生まれた風土を、見ておきたかったのです。奥羽本線やフラワー線などを乗り継ぎ、一日中電車の窓から米沢盆地の田園風景を眺める旅でした。こちらはちょうど桜の季節で、行く先々で楽しむことができました。東北の桜はきりっと咲くのですよ。はんなりと煙ったような桜を見慣れていたので、新鮮でした。
 「まほろば」と言うのは、山に囲まれた平野のことを指すのだそうです。確かにぐるっと360度、山々です。思ったよりずっと低く里山に囲まれ、その奥に険しい山々が連なっています。山の木々はまだ芽吹く前で、地肌が透かし見え、山の中腹にあるものは、肉眼でも見て取れます。
 あかおにの住まっている家は、人里近い山中の崖の上にに立てられています。あかおには、一人ぼっちで住んでいます。村祭りのときには、お囃子の音が、風に乗って聞こえてくることでしょう。子どもたちの賑やかな声音も、届いたに違いありません。心のやさしいあかおにが、「人間たちと、なかよくなりたい」と思うことはとても自然なことに思われます。最初は、あかおに博愛主義と捉えていたのですが、どうも違うようです。あかおにの言う人間たちとは、里に住む村人のことなのですね。そんな気がします。
 この地に立ってはじめて分かったことが、いくつかありました。あおおには、ずーと山奥の、岩の家に住んでいます。雲に乗って行き来するあおおには、山の向こうの世界を知っていたかもしれません。だとすれば、旅に出たあおおには、山を越え、新たな世界に向かったのでしょうか。
 もちろん物語ですから、このまほろばの里がそのまま「泣いたあかおに」の舞台と言うわけではありません。でも、里山と村里のあり様は、しっくり、すとんと、私たちの心に入ってきました。                                        
 

つれづれ日記

 向かって右がつしで、左がふじさんです。
 つしが脚本・構成・演出を、ふじさんが人形・舞台美術を担当しています。
夢まあるく舎を結成して21年。初めて私たちの人形劇を見た子たちが大きくなって、呼ばれた園の役員さんだったりします(*^_^*)。
夢まあるく舎の人形たちは、遊ぶがモットーです。人形劇を見た子どもたちが、たくさんたくさん笑って、いっぱいいっぱい元気になってくれるのが嬉しいです。
つしとふじさん