出生
源田サーカスのメンバー「間瀬 平一郎」の愛機
映画「大空の遺書」に登場する飛行機
(当時の模型)
船員時代
- 明治36年 9月9日 愛知県知多郡東浦村森岡にて出生。
- 大正 5年 3月24日 知多郡森岡尋常小学校卒業。
- 大正 7年 3月23日 知多郡片ハ高等小学校卒業。
- 大正 8年 3月 名古屋商業学校1学年修了。
- 大正 8年 4月 商船乗組員として3年半欧州航海する。
- 大正12年12月1日 機関担当となる。
- 大正13年11月7日 潜水学校へ。翌年5月同校主席卒業する。
操縦教員時代
- 大正14年 7月5日 飛行機乗りとして霞ケ浦に移る。9月1日初飛行。
- 大正15年 5月29日 飛行練習生優等卒業。恩賜銀時計受ける。
- 昭和 2年 1月5日 飛行機操縦教員となる。
- 昭和 3年12月4日 発動機故障にて不時着する。
- 昭和 5年 4月8日 航空教練中に不時着する。
アクロバット源田サーカス「三羽烏」時代
- 昭和5年11月6日 横須賀に転勤する。
- 昭和5年12月1日 飛行機操縦教員となる。
- 昭和7年 アクロバット飛行の完成・「空中サーカス」と呼ばれる。
- (当初小林淑人・間瀬平一郎・青木与の三人)
- 「三羽烏」(源田実・間瀬平一郎・青木与)
- により三機編隊の巴宙返り、編隊宙返り等各地で行う。
- 昭和8年 源田サーカス(源田実・間瀬平一郎・青木与)
- 報国号の献納式に各地で三機編隊のアクロバット飛行を行う。
- 昭和8年 8月25日 満州国皇帝葉山御用邸に3機編隊飛行で歓迎する。
叙勲
- 昭和 8年10月27日 特別善行章付与
- 飛行中翼破損し危険状態となるも沈着果敢に操縦着陸させたことによる。
- 昭和 8年11月1日 呉に移る。
- 昭和 9年 1月25日 講習教程修了し横須賀附となる。
- 昭和 9年 初頭 空中他流試合に
- 梼原と互角の決戦を行う。
- 昭和 9年〜11年 空中他流試合は計3回実施された。
- 昭和10年 9月9日 叙勲八等授瑞宝章に任じらる。
- 昭和11年 4月22日 銀盃を授与される。
- 搭乗中方向堕舵毀損にもよく故障機を操縦着陸させたことによる。
佐伯
- 昭和11年12月1日 佐伯に転勤する。
- 昭和12年 7月11日 意を決するの時来る。
- 昭和12年 9月26日 地上十メートルの低空飛行を行う。
- 英雄の称号付与「海軍航空英雄列伝」(平成6年11月30日モデルアート発行)
間瀬機帰還せず
- 昭和12年11月8日 任務にて出発せるまま帰還せず。
- 昭和12年11月8日 任海軍航空特務少尉・叙勲・金鵄勲章授与
- 昭和13年 2月9日 戦死と認定される。
- 昭和13年 3月18日 遺骸発見される。
御霊故郷へ帰る
- 昭和13年 4月12日 御霊故郷東浦村森岡へ帰る。
- 昭和13年 4月14日 母校森岡小学校で厳かに村葬が行われる。
- 昭和13年 遺言により森岡小学校に奉安庫寄付
映画・レコード「大空の遺書」制作
- 昭和16年 映画・レコード「大空の遺書」制作される。
- 昭和16年9月航空日に合わせて封切りされ、その後全国各地で映画が上映されたと云われる。
- (出所;ゆまに書房 戦争と文学 7”解説(加納実紀代氏)”より)
- 現在、この映画・レコードがどうなったかは定かでない。
- それは「間瀬平一郎」の人生を消すかの如くに・・・。