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Last Update 1999/08/12(1998/05/18)
左の写真は江戸時代に徳川御三家の一つ尾張徳川家が三鷹の地に立てた”鷹場の碑”である。
この”鷹場の碑”は現在三鷹市役所雑木林、長久寺境内、吉野泰平氏邸内の三基が現存する。
三鷹の由来
明治22年4月の市制町村制の施行により三鷹村が誕生した時から”三鷹”が始まる。
昭和15年に三鷹町、昭和25年に三鷹市となり現在に至っている。
この付近は徳川幕府の鷹場に含まれており、野方・世田谷・府中の三領に分かれて鷹場があったので”三鷹”
と名づけられたと云われる。
尾張徳川家の鷹場
江戸時代、江戸周辺の村々はすべて幕府の鷹場として指定されており、三鷹の北西部井口・大沢各新田は尾張
徳川家の鷹場として定められた。
尾張家の鷹場は北多摩から埼玉県南部までの広大な地域に及んでいた。
”鷹場の碑”は鷹場の区域を示す名杭で、明和7年(1770)頃に7基建てられた。
参考文献;「てくてく・みたか」1987年 三鷹市教育委員会発行
武蔵野の緑が残る、東京は三鷹からご挨拶します・・・
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