Last Update 1999/11/21(1998/01/01)
「於大の方」菩提寺 無量山伝通院
「於大の方」は今、生れ故郷からは遠く離れた江戸の地・東京都文京区 小石川の”無量山伝通院”に眠っています。 ”伝通院(でんづういん)”は、「於大の方」の法名にちなみつけられたもの で、この寺の通り名ともなっています。伝通院の現在の本堂は昭和63年に 建立された総桧木造りの立派な建物で木の香りも心地よい。
「於大の方」は享禄元年(1528年)尾張の国・緒川(小川:おがわ) 城にて生誕しました。 父は当時の緒川城主で後に刈谷城主となった下野守右衛門太夫忠政(みずの しもつけのかみうえもんたゆうただまさ)、母は華陽院(けよういん:於富の 方:大河内左衛門尉元綱(おおこうちさえもんのじょうもとつな)の養女) です。
このころ緒川城主としての忠政は、戦国時代に勢力を伸ばし緒川の他刈谷、 大高、西尾等尾張と三河の6城を支配し10万石を領有するほど勢力を伸ば していました。
尾張の織田信長と遠州の今川義元にサンドイッチ状に挟まれて生き延びる ことが必死であった時代です。
なお、この寺には2代将軍秀忠の娘”千姫の墓”のほか、徳川家ゆかりの人々 や佐藤春夫など有名人のお墓があります。
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