Last Update 1999/08/12(1998/08/29)
緒川城址(「於大の方」出生地)
「於大の方出生地」である緒川城には、室町時代からの長い歴史がある。
緒川には二つの古い城があった。
(緒川城址案内板より)
1.高薮城
室町時代の前期、竹内直道以下5代の居城であった。 5代 直玄は貞守一族の家臣となった。後に忠守 (信元の弟)、分長(忠守の甥)がここに住んだ。
2.緒川城 (土地の人は古城”ふじろ”と呼んでいる。)
文明7年(1475年)貞守が築き、賢正−清忠− 忠政−信元 5代100年の居城であった。
応仁の乱(1467〜1477年)により戦国時代が 幕開けるが、まさにこの時築城されたものである。
しかし、天正3年(1575年)織田信長の命により 信元が殺され、その後6代忠守、7代分長は高薮城を 居城とした。
そして、慶長11年(1606年)、高薮城・緒川城は廃城 の運命を辿ることになる。
貞守は勢力拡大をはかり三河の国(刈谷古城)に進出した。 その後、忠政は刈谷金ケ小路に亀城(きじょう:刈谷城)を 築城する。
亀城は天文2年(1533年)に完成し「於大の方」満5才 の時この亀城に移り住む。 以後、亀城(刈谷城)は廃藩を迎えるまで繁栄する。
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