Last Update 1999/08/12(1998/11/03)
入海神社(いりみじんじゃ)
伝説によれば、弟橘媛命の櫛は緒川の紅葉川に漂着し、帰還した将士達に よって近くの丘に祭られたという。この社は日向神社といったが、後世に なって「入海神社」とあらためられた。
この「入海神社」の境内一帯は、「入海貝塚」(いりみかいづか) と呼ばれる国指定史跡となっている。
また神社には、「入海式土器」と命名された縄文式土器が発掘され保存されている。
ここからは、人骨なども完全な形で出ていて、考古学的に貴重な遺跡の一つである。 この近辺、特に熱田から知多に至る地域には、多くの縄文時代の貝塚がある。 子供時代は、露天の貝塚をよく目にし、また貝を集めたりもしたものである。 「入海貝塚」は約6000年前の縄文時代と比定されている。
また、緒川近辺は伊勢国から篠島(知多半島南端の島)を経由して、衣が浦湾 に面して位置し、古代から大和国・伊勢国とのかかわりの深い地域でもあった。
このように徳川家康の母「於大の方」の出生地は、古代からの要衝の地であった。
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