Last Update 1998/11/03
「於大の方」と水野氏系図
第56代 清和天皇 | 貞純親王 | 清和源氏の祖 源 経基 | 源 満政(鎮守府将軍) | 源 忠重(陸奥守) | 源 定宗(駿河守) | 源 重宗(佐渡守) | 源 重実(六波羅四天王、佐渡源太) | 尾張源氏の祖 源 重遠(浦野四郎信濃守) | 緒川初代 小川重房(小川三郎:浦野重直の弟) | 尾張国春日井郡山田庄水野邑に住すという。 二代| 小川重清(後鳥羽天皇長衛尉、小川又三郎重清) | 小川(小河)に移り住む。 | 三代│緒川水野氏の祖 小川清房(鎌倉幕府3代将軍 源 実朝に仕う) | 水野近範経村が小川家の養子となり | 清房を名乗る。 | 経村は藤原基道(摂政関白太政大臣) │ の子・右大臣道経の子で、京都西嵯 | 峨野水野邑里長に在住した。 | (水野の由来) | 重清の子・友重が早世したため養子 | として迎えられた。 | 水野貞守の時代に家運が隆盛となり | 水野姓に改姓する。(戸田純蔵氏研究) 四代| 小川雅経(鎌倉幕府小川地頭職・下野守) | 五代│ 小川雅継(鎌倉幕府小川地頭職・下野守) | 六代│ 小川胤雅(鎌倉幕府小川地頭職・下野守) | 七代│ 小川光氏(鎌倉幕府小川地頭職・下野守) | 八代│ 小川正房(鎌倉幕府小川地頭職・下野守) |土岐直氏に滅ぼされ苦難の時代始まる | 九代│ 小川信業(中務大輔) |緒川濁池城にて戦死 | 十代│信濃小川村布留山に隠棲する 小川信安(左馬守) | 11代│信濃小川村布留山に隠棲 小川信義(土佐守) | 12代│信濃小川村布留山に隠棲 小川信重(土佐守) | 13代│ 小川忠義(下野守) |信濃小川村布留山より緒川潜在 |土岐氏と対峙、勢力を貯える ├───────────┐ | │ 初代緒川城主 為善(大高城主) 水野貞守(永亨9年生) │文明7年土岐代官・竹内八郎を逐して |緒川本城築城、刈谷砦築城する |家運を起こし勢力を知多、西三河に拡大 │水野氏に改姓する │水野九郎次郎十郎左衛門蔵人と称す │1475年宇宙山乾坤院を創建 | 二代緒川城主 水野賢正 │水野氏の勢力圏は更に拡大 ├───────────┐ | 政祖(常滑城主) │ │ | 忠綱(常滑城主) 三代緒川城主 水野清忠(河内守・下野守) | ├┬─────┬──┬──┬──┐ |女 岡崎城主 邦重 成政 清重 | 松平信忠の妻 │ 四代緒川城主・刈谷城主 水野忠政(下野守右衛門太夫) │緒川・刈谷・大高・西尾等6城主 │10万石領有 |息女「於大の方」を岡崎松平広忠に嫁がせる |(徳川家康の生母) | ┌┬┼┬─┬─┬─┬─┬┬┬┬┬┬─┬─┬┬┬┐ |│││ │ │ │ ││││││ │ ││││ 近守|│於上│ │ │忠勝││女││ │忠近│││ 忠貞│ 信近 │ │ 女│ 女│ │ 忠則│女 │ │ │ 女 │ │ 女 5代緒川・刈谷城│主│ │ │ 水野信元 於大 │ │ │ 24│万石領有│ │ │ │ │ │ │ │ │ │ |忠守 忠分 忠重 │松平 │6代 │ │ ┌┤広忠 |┌┼─┬┐ ┌─┤ ├─┬┐ ││└┬──┘││ ││ │ │ │ ││ 茂尾 │ 吉守│ ││ │ │ │ ││ 元茂 │ 重守│ ││ │ │ │ ││ │ │ ││ │ │ │ ││ 将軍 │ ││ │ │ │ ││ 徳川家康 │ ││ │ │ │ ││ (岡崎城主) │ ││ │ │ │ ││ │ 老中│ ││ │ │ │ ││ │ 忠元 ││重仲 │ │ ││ │ │守信│ │分長 │ ││ │ │ │女 │7代 │ ││ 秀忠 │ │ │ │勝成 ││ │ │ │ │ │ │重忠│ │ ┌──┤ │ │ │ │ 忠清 │ │ │ │ │ │ │ │ │ │堅物│ ├┬┐│ │ ├┐ ├──┐ 家光 │ 忠善 ││││ │ ││ │ │ │ │ │守元│││元綱 ││ │ │ │ │ │ 可勝││ │勝俊│忠職 │ │ │ │ 元貞│ │ ││ │ 忠増 家綱 忠久 │ │ │ ││ │ │ │ │ │ │ ││ │ │ │ │ │ │ │成貞│ │ 綱吉 │ │ │ ││ │ │ │ 忠春 │元知 ││ │ │ │ │ 重良 ││ │ │ │ │ │ 勝貞│忠直 │ │ │ │ ││ │ │ │ │ │ ││ │ │ 家宣 ├┐ │ │成之│ 忠位 │ ││ │ │ ├┐ │ │ 老中││ │ │ ││ │ │ 忠盈│ │ │ ││ │ 家継 ││ 重上 │ ││ │ │ ││ │ 勝種 忠周│ │ │ ││ │ │ │忠穀│ 8代将軍│ │忠之 │ │ │ │ 吉宗 │ │ 勝岑 │ │ │ │ │ │ ├┐ │ │ │ │ 勝長 ││ │ │ │ │ │ ││ │ │ 老中│ │ │ 忠幹│忠定 │ 忠之 │ │ ││ │ │ │ │ │ ││ │ │ │ │ │ │忠恒│ │ │ │ │ │ │ │ │ 重期 │ │ │ │ │ │ 勝政 │ │ │ │ │ │ │ │ │ 忠輝 │ ├┐忠恒 │ │ │ │ ││ │ │ 家重 │ │ ││忠穀 │ │ │ │ ││ │ │ │ │ │ │勝前│ │ │ │ │ 勝庸 │ │ │ │ │ │老中│ │ │ 忠辰 │ │ 忠友 │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ 家治 │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ 忠見 │ │ 忠昭 │ │ │ │ │ │ 勝前 │ │ │ 忠任 │ │老中│ │ │ │ │ │ 忠成 │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ 勝起 │ │ │ │ │ │ │ │ │ 忠鼎 │ │ │ │ 家斉 │ │ │ 忠義 │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ 勝剛 │ 忠韶ツグ │ │ 忠興 │ │ │ │ │ │ │ 忠武 │ │ 忠光 │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ 勝愛 │ │ │ │ │ │ 忠良 │ 家慶 │ 忠実 │ │ │ │ 老中│ │ │ │ │ │ 水野忠邦 │ 勝進 │ 忠実 │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ 忠寛 │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ 勝任 │ │ 家定 │ │ │ │ │ │ 老中│ 忠央 │ │ │ │ 忠精 │ │ │ │ │ │ │ │ 忠誠 │ │ │ │ 勝知 │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ 家茂 │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ 忠弘 │ 勝寛 忠敬 忠順 │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ 忠美 │ 忠愛 │ 忠密 15代将軍│ │ │ │ │ │ 徳川慶喜 │ │ │ │ │ │ │ │ 直 │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ 忠款 忠幹 勝邦 忠亮 忠陽 │ 山形流 新宮流 結城流 沼津流 鶴牧流 5万石 1.8万石 5万石 1.5万石 幕末 近江朝日山 菊間 明治4年 廃藩 子爵 子爵 子爵 子爵
ご参考;上の系図では相互の時代関係は一致しておりません。
なお私事、生まれ育った場所は故郷・東浦町です。実家や親戚の多くは 故郷におります。この「於大物語」を掲載するにあたっては多くの方々に お世話になりました。ここに感謝申し上げます。
先祖について少しだけ判っていますのは、森岡海印寺(河村宏詔住職) の位牌を辿りますと25代ほど前(鎌倉ー室町時代あたり)からこの地に 居住したと言い伝わっています。
丁度、水野近範経村が京都西嵯峨水野邑から小川に来たころより少し 後でしょうか?
その昔、知多は千田とも云われ、千枚のたんぼによく表現されています。 また、半島の南端は伊勢に極く近く南に開けていたと思われます。 衣たなびくのどかな湾(衣が浦)付近には織物業が発達して、衣食住の 充実と相俟って昔から歴史・文化が多く宿しているのもそのためでしょう。
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