6.皇居東御苑
所在地:千代田区千代田
交 通:地下鉄東西線、丸の内線、千代田線、三田線・大手町
案内
江戸城の遺跡を保存しながら昭和43年から公開されている
百人番所など落ち着いたムードが味わえる、国の史跡公園
写真左
江戸城天守閣石垣
写真右
松の大廊下跡
江戸城の歴史概要
江戸城は江戸幕府の所在地として、1868年開城されるまで徳川氏15代の居城で
あった。
平安末期以来の江戸氏の居館であったこの地に、1457年関東管領上杉氏の
家臣太田道灌が築城した。上杉氏ののち、北条氏の城となり、1590年に
徳川家康が入城した。
徳川家康は豊臣秀吉の小田原攻めの東海道先鋒軍を命じられ、その功績によって
関八州への移封が発せられ天正18年(1590年)8月1日に江戸入りした。
この日を「江戸御打入り」と称するのは、この日が”八朔”といって農家が
はじめて新穀を収穫する目出度い日であったからである。
徳川氏の代になり慶長年間より寛永年間にわたり規模が拡張された。
現在目にする偉容の城郭が誕生するのは徳川家康が入城してからで、完成するのは
3代将軍家光の代になってからである。
ところが、明暦3年(1657年)正月18日、本郷本妙寺から出火した火は翌日にかけて
江戸市中を焼き尽くし10万人の死者をだす大惨事となった。この「明暦の大火」
により江戸城本丸は全焼し、城内の60%が焼失した。これを「振袖火事」
ともいう。
この後、江戸城の再建はなされることはなく、江戸の都市計画が本格的に
行われた。
Last Update 2000/11/03(1997/09/23)
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