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扉 | 背表紙 |
「 撰集抄 」 目 次
挿 図 (… 別記の3種) はしがき ( 和田 萬吉 ) 第一巻 (一) 増賀上人の事 他十三篇 第二巻 (一) 播州山居 他八篇 第三巻 (一) 正直房 他七篇 第四巻 (一) 明雲大僧正 他十八篇 (十三) 江口 第五巻 (一) 西仙上人 他八篇 第六巻 (一) 唐土 他七篇 第七巻 (一) 山居 他十篇 第八巻 (一) 公任 他九篇 第九巻 (一) 鳥羽院御中陰 他九篇 (十三) 西行 注 釈 注釈索引 |
「はしがき」 |
撰集抄は鎌倉時代に起つた仏教文学の白眉で、康頼入道(平康頼)の宝物集とともに重要視すべきものである。 その古くから行はれたことは、一遍上人語録巻上消息法話の中に、本書の名目が記載されてゐるのでも証明し得られる。 宝物集の仏教臭味の濃厚なのに反して、これはそれが淡泊で、興味は津々たる点が歓迎の本となつたのである。 著者は有名な天成の歌人西行法師となつてゐる。
西行俗姓は佐藤、名は義清( ( 又憲清)、俵藤太秀郷九世の後裔である。 保延(1135~1141年の年号)の初頃鳥羽上皇に仕へて北面の武士となり、左兵衛尉となつた。 名門の出である上に、歌人で弓馬の達者でもあつたところから、上皇の信任が厚かつたが、一向に栄達吊聞を欲求しなかつた。 然るに会々族人憲康が壮年の身を以て頓死したので、年来懐中に鬱勃してゐた厭離思想がここに至つて忽ち破裂し、遂に家を脱して円顱緇衣(坊主頭に墨染めの衣)の人となり、法号を円位と号した。 時に保延六年(1140年)二十三歳である。 塵界の覊絆を脱れた彼は、爾来月と花とを友として雲水斗擻(仏道修行の行脚)、日本国中至らざるなく、五十有余年の自適生活を続けて、)
願はくは花のもとにてわれ死なんその如月( の望づきの頃)
の素望の通り建久元年(1190年)二月の望月の夜に化寂した。 享年七十三歳である。
さて本書に就いては古来説があつて、「耳底記(烏丸光広と細川幽斎との問答書)」に、西行の書いたものに後人の書き添へたものであらうと載せてある。 現に書中を熟読して西行ならぬ人の筆つきと認められる処や、西行が自身には書く筈で無いふしが、数多あることを知り得るので、他人増補説は争ふべからざる事実となる。 その古刊本には元和(1615~1624年)頃の木活字版三巻(嵯峨本と称す)や、慶安三年(1650年)の木版本九巻を始め広略両様の本がある。 広本は九巻百十七章、略本は九巻五十八章である。 その他異本としては「 絵入再刻 西行撰集抄」三巻六冊百三章(文化七年(1810年)京都浪華書林)、九巻七冊百十七章(元禄十四年(1701年)江戸版)、九巻三冊五十八章(刊行上詳)。 その他古写本を数へれば、猶数種に上るであらうが、要するに序文に、「巻は九品の浄土に思ひ宛( 十に一をもらし、事は八十随好に思ひよそへて百に二十を残せり」と明言してあるから、当然九巻八十章あるべき筈である。 今異本の是非真仮、内容の齟齬せる諸点を論ずるのは別として、広本が既に鎌倉末期から存在した証拠があり、増補加筆されてはゐるものの、著者の命意を尊重して教訓撰集の本旨を達せしめてゐる。 或は本書は全然西行の作に非ずして、無名者が西上人の名に托して書いたものかといふ説もある。 推していへばさうも断ぜられぬことも無いけれど、今は姑く旧伝に従つて置く。)
撰集の語は釈迦牟尼仏在世並に前世に関する事縁百条を類聚した呉支謙訳の「撰集百縁経」や「撰集三蔵」の題名などに用ひられ、事実を蒐録するといふ意義である。 著者が本書を作つた意義は序文にある如く、「人間は生死の長い眠が醒めやらないで、夢にのみほだされ、あけくれは只妄念にのみ悩まされる。 同じ夢に遊ぶにしても、新旧の賢き道を選び覓(求)め、言の葉を書き集め、撰集抄と吊づけて座右に置き、一筋に善智識に頼まう、」といふ処から起つたものである。 人間は如何に賢明なりとても神仏の加護冥助を受けなければ、一も大事を成し得ぬ、末世に於ては殊に然りと説いて、処々に神明の利生を載せてゐる。 巻頭第一章増賀上人の条に伊勢太神宮、四巻第十四章に厳島明神、宇佐八幡、同 巻第十五章に春日神社、第七巻第四章に鹿島明神の神徳を称へて、両部説ではあるが、かにかくに日本の神国である所以を主張してゐる。 その他和漢の名僧智識に関する逸話伝説を「往生伝」、「往生拾遺伝」、「遊心集」等から採録し、道真、篁、行平、忠岑、遍昭、伊勢、公任、実方、顕基、兼方などの詩歌文章に関する奇談逸話を挙げ、加ふるに西行が遊行中の見聞を叙述した一種の随筆物である。 その内容が後世の文学に如何に影響してゐるかといふに、謡曲の「江口」、「雨月」、「松山」、「天狗」、「実方」、「初瀬西行」の題材を提供し、また秋成や馬琴等の述作の材料ともなつてゐる。 本集はまた勅撰歌集所載の名歌を検するなどに好資料となるものが少なくない。 概して仏教文学書中趣味最も饒多なものとして学ぶべきものの一である。
本文庫には元禄刊本を以て校訂し、片仮名文を読み易からしめんが為に平仮名に改め、尚巻末に略註を附けて読者の便に供した。 これは所拠の旧本には無いものである。
本書はもと芳賀博士の校訂に係るものであるが、本書の刊行を見るに及ばずして遽に逝去されたのは遺憾である。 今不肖ながらこの小序を綴つて聊か故人の志を紹(継)ぐ。
昭和二年四月中旬 辱知 和 田 萬 吉
本文(1) 「江口の遊女の事」 |
治承ニ年(1178年)長月( (陰暦九月)の比) ( 、或) ( 聖とともなひて、西国へおもむきしに、さしていづくとしもなきままに、日のかたぶくにもいそがずして、江口・桂本など云ふ遊女がすみ家) ( 見めぐれば、家は南北の岸にさしはさみて、心は旅人) ( の、しばしの情) ( を思ふ様) ( に、さもはかなきわざにて、さてもむなしく此の世をさりて、来世はいかならん、是も前世の遊女にて有るべき、宿業) ( の侍りけるやらん。 露の身のしばしの程をわたらんとて、仏の大にいましめ給へる態) ( をするかな。 我が身一) ( の罪は、せめていかがせん。 多くの人をさへ引搊) ( ぜん事いとどうたてかるべきに侍らずや。 しかあれども、彼の遊女の中に、多く往生をとげ、浦人) ( (漁夫)の物の命を断つものの中にあつて、終) ( にいみじき侍りしかば、さればいかなる事ぞや。 前世の戒行) ( によるべくは、なにとてか今生) ( にかかるうたてき振舞をすべきや。 又) ( 此の世のつとめによるべくは、あにかれら往生をとげんや。 是を以て閑) ( に思ふに、只) ( 心によるべきにや。 露の命をつがんとての、謀り事に侍れば、心にもあらず、是に交り、彼れにともなへども是に心を移さず。 彼れに心をしめて、常に後の世の事を思はん人は、口には悪しき言葉をはき、手にわろき振舞ひ侍れども、心うるはしく侍らんには、さうなりにけるにや侍らん。 或る聖と打) ( 語りて、其の里を過ぎなんとするに、冬を待ちえず、むら時雨) ( のはげしくて、人の門に立ちやすらひて、内を見入り侍るに、あるじの尼の、時雨のもりけるをわびて、板を一ひらさげて、あちこち走りありきしかば、何となくかく、)
しづがふせやをふきぞわづらふ
とうちすさみたるに、此の尼さばかり物さはがしくあわつるが、何とてか聞きけん、板をなげすて
月はもり雨はたまれとおもふには
と付け侍りき。 さも優に覚えて見過ごしがたかりしかば、彼の庵に一夜とまりて、連歌などし侍りて、あかつきがたに此のつれたる、僧かく、
心すまれぬ柴のいほかな
と付け侍りたるに、あるじ又、
都のみおもふかたとはいそがれて
と付け侍りし事の、げに胸をこがして覚え侍りき。 六十余州さそらへて、多くの人々見なれしかども、是程のものかくまでなさけは、えたる物は侍らざりき。 哀れおのこにしあらば、とかくこしらへていざなひつれて、飢へをなぐさむる友にもしてなん、いとどなつかしくぞ侍りし。 此のつれの聖は立ち出づる道すがらも、さも恋しき、江口の尼かなとぞ申し侍りし。
本文(2) 「西行 妻の尼に遇ふ事」 |
其のむかしかしらおろして、尊き寺々にまいりありき侍りし中に、神無月(陰暦十月)上( の弓はり月(七・八・九日頃)の比) ( 、長谷寺にまいり侍りき。 日暮れかゝり侍りて、入あひの鐘のこゑ斗) ( して物さびしきありさま、木) ( ずれのもみぢあらしにたぐふすがた、何となくあはれに侍りき。 扨) ( 観音堂にまいりて、法施) ( なんどたむけ侍りて、あたりを見めぐらすに、尼こゝろをしまして念珠をすりはむべり。 あはれさにかく、)
思ひ入りてするすゞ音の声すみて おぼえずたまる我がなみだかな
と読みて侍るを、聞きて此の尼こゑをあげて、こはいかにと袖にとりつきたるをみれば、年ごろ偕老同穴の、ちぎりあさからざりし女のはやさまかへにけるなり。 浅ましく覚へていかにといふに、しばしば涙むねにせけるけしきにて、とりて物いふ事なし。 やゝ程へて涙をおさへていふやうは、君( 心を発) ( して出で給ひしのち、何となくすみうかれて宵毎の鐘もすゞろになみだをもよほし、あかつきの鳥のこゑもいたく身にしみて、あはれにのみなりまさり侍りしかば、過ぎぬる弥生) ( (陰暦三月)のころ、かしらおろしてかく尼になれり。 一人のむすめをば、母かたのおばなる人のもとに、あづけおきて高野) ( の天野の別所にすみ侍るなり。 扨も又 我をさけて、いかなる人にもなれ給はゞ、よしなきうらみも侍りなまし。 是は実) ( の道におもむき給ひぬれば、露ばかりの恨み侍らず。 かへつて知識となり給ふなれば、嬉しくこそ。 別れたてまつりし時は、浄土の再会をとこそ期し侍りしに、思はざるにみづから、夢とこそおぼえ侍れとて、なみだせきかね侍りしかば、様) ( かへける事の嬉しく、恨) ( を残さざりけん事の、よろこばしさに、すゞろに涙をながし侍りき。 扨 有るべきにあらざれば、さるべき法文) ( なんどいひをしへて、高野の別所にたづねゆかんとちぎりてわかれ侍りき。 年ごろもうるせかりしとは思ひ侍りしかども、かくまで有るべしとは思はざりき。 女の心のうたてきは、かなはぬにつけても、よしなき恨をふくみたえぬ思ひにありかねては、此の世いたづらになしはつる物ぞかし。 しかあるに別れの思ひを知識として、真) ( のみちにおもひ入りて、かなしき一人むすめを捨けん事は有がたきには侍らずや。 此の事) ( 書) ( のせぬるも、はゞかりおほくかたはらいたく侍れども、何となくみ捨てがたきによりて、我をそばむる人のこゝろを、かへり見ざるなるべし。)
終