らんだむ書籍館 |
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函 |
目 次
北郊雑記 (大正十年三月 ― 十一年二月) 一 人格主義の赤十字的態度 二 議会政治 三 掠奪被掠奪 四 友達の思出 五 私の郊外生活 六 閑談 七 静寂 八 雑草 九 旅中小感 一〇 祝祭と行楽 一一 読書余録 一二 ブールジヨア 一三 E氏に答ふ 思潮雑記 (大正六年四月 ― 七年十二月) 一 思潮の発刊 二 自分のこと 三 叱られた話 四 上林温泉 五 帰省 六 鳥海山 七 九月 八 『恩寵の生涯』と『出家とその弟子』 九 自力他力 一〇 霜月 一一 夏目先生の談話 一二 校正 一三 我侭な注文 一四 『愛国的』言語学 一五 人の噂 一六 愛国的偏執 一七 信濃の春 一八 春の潮 一九 枯れた檜 二〇 北越の春 二一 弄斉と宇治拾遺 二二 時事所感 二三 休戦条約 二四 暮れ行く年 二五 告別 雑 纂 (大正六年十二月 ― 十年六月) 一 故郷の冬 二 所感二三 三 早春の賦 四 時局雑感 五 雑談 六 役者の使ひ方に就いて (応問) 七 過激思想対策 (応問) 八 改造講座 (応問) 九 詩歌雑感 (ノートの中から) 一〇 夏目先生の書画 一一 吉右衛門の旗揚について |
本書の一部紹介 |
旅中小感 |
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有明山は 大天井一帯の九千尺に余る連峰を背景として見れば 決して高い山とは云へない。 併し その富士に似た山容と峭峻な巌壁とが この山に一種の性格を与へてゐる。 この有明山を半廻りして、中房(なかぶさ)川の渓流に沿ふて森林の間を登り、丁度有明山の背後に出た海抜五千尺の高みに 中房温泉(昔からの湯治場で、燕岳への登山口)がある。 清冽な渓流を 右に渡つたり左に渡つたりしながら、常に有明山の嶮しい峯を右に仰いで、闊葉樹の林を辿つて行く道は、自分がこれまで歩いた道のうちでも 最も美しいものゝ一つに属する。 路傍に多い石楠は もう花の時節を過ぎてゐたが、信濃坂の楢林の美しさは 夏でなければ見られぬものであらう。 有明温泉から三里の間 二軒の茶店があるばかりで 他に人家と云うふものがなく、益々山深くわけ入ることを覚えるのみで 人里に近づくといふ予感なしに、吾々は中房の入口の橋に到達する。 私が登つた日は まるつきり一片の雲もなく 飽くまで晴れ渡つた日であつた。 六十度位の仰角をなして聳えてゐる両岸の山と山との間に、あれほど深い青色を凝して高く高く懸つてゐる天を、私は未だ曾て見たことがなかつた。 この濃青の空の真中から 真直に落してくる真昼の太陽の光を、大きい白い岩と碧緑の渓とがまともに受けてゐる。 その間に無限の空間を挟みながら、極めて緊密に 極めて的確に 呼吸を通はしてゐる蒼空と大地との映発 ―― この映発の光景を、両岸に聳える三千尺の高峯と、この高峯に生ひ茂る暗緑色の樹木とが 縁取つてゐる。 私は寧ろ この奥深い道が尽きて 遂に温泉場に到着したことを悔んだ。
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中房から更に四千余尺をひた登りに昇つて、吾々は燕の小屋に到達する。 最初の間、熊笹の繁つた道や、猿をがせの垂れ下つてゐる針葉樹の密林は、中房に来る道の、明るい、柔かものある奥深さに対照して、一種の狭苦しさと単調とを感じさせるが、巓に近づくに従つて、登攀の道は次第に緩傾斜となり、眼界は次第に広濶となる。 這松と交互して広く生えひろがつてゐる裏白ナヽカマド (?) の葉の美しさ、底知れぬ谷底まで生え続いてゐるらしく見える柔かな草原の斜面に、白樺の大木の所々群をなして立つてゐる姿の力強さ、青草の原を斜に貫いて見えかくれしつゝ緩かに巓を目ざして行く道の両側に、白や黄や淡紅や淡紫の花をつけた高山椊物の咲き乱れてゐるいじらしさ ―― 総じて高山の上にある一種独特な柔かな美しさは、豊かに登山者の眼前に展開される。 私の登つた日は、巓に近づくに従つて、東北から吹く風が谷から濃霧を吹きあげて、白樺の幹を遠く見せ、草原の広さを限りなく見せてゐた。 さうしてこの霧の中に隠れて雷鳥のなく音が間近にきこえてゐた。 私は大天井と燕の絶頂との追分に立つて、覚束なく四辺を見廻したあとで、漸く咫尺の間に建つてゐる燕の小屋を霧雨の間に認めることが出来た。
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燕の小屋は山岳会の赤沼氏の手によつて今年新築が出来たばかりで、全アルプス中最も完備してゐるものだといふ話だつた。 実際 菓子がありサイダーがあり、酒があり、綿の新しい蒲団があり大型の毛布があり、九千尺の山上としては勿体な過ぎるほどのものである。 私が小屋についたのは昼前だつたが、風が益々吹募り雨が時々強く打つけて来るので、その夜は此処に一泊することにきめて、榾火(ほたび。いろりでの焚き火)の傍で偶然に落合つた色々の人の話をきいてゐた。 十四と十六の娘を連れて、これから大天井東天井を縦走して槍ヶ岳に登るといふ京都の会社員がゐる。 今朝 強風に逆つて常念から来て、中房へ降りる中休みにこの小屋に寄つたのだといつて、二合の酒をのんで喜多八式太平楽を並べてゐる江戸児の水兵がゐる。 燕に登る道を拓いたといふ六十七歳の老父を連れて矢張槍ヶ岳迄行つて見るといふ亜米利加帰りの地方紳士がゐる。 その他 強力や学生の二三の人も往つたり来たりして、或者は降り、或者は泊り、雨の声風の音の中に山上の日は暮れて行つた。 蚤に責められて眠り難かつた夜のその暁の二時半頃、便意を催して外に出て見ると、もう風はすつかりやんで月が雲の間からその光を漏らしてゐる。 昨日一日霧のために見えなかつたアルプスの主脈がこの分ならば見えないこともあるまいと思つて、小屋のうしろの観測台予定地になつてゐる台の上に登つて見る。 さうすると月光を半ば受け半ば遮られて、ほのかな白銀の綿のやうにふわ ~ と眼下に浮んでゐる雲の間から、墻壁のやうに連なつた山々が見えかくれして、西南の端近く、高塔の聳え立つやうな槍ヶ岳の大槍が、直(すぐ)眼の前に天を刺さんとしてゐた。 私は山上の月夜を見むとする願ひの遂にかなへられたことを喜んだ。 この怪しく明暗の入り乱れた月光の中に、粛然として、一万一千尺の峻峯と、これを掠めて徂徠する雲とに対して立つ心持は、実に何とも云へなかつた。
この嬉しさに寝てゐる人も皆起きて来て話し合つてゐる間に、もう暁が近づいて来た。 東が次第に白んで来て、丁度そちらに向いてゐる硝子窓にほのかな色がさして来る。 急いで外に出て見れば、浅間の左戸隠の右、名を知らぬ山の峯とすれ ~ に帯をひいてゐる黒雲の間から、旭が将に出ようとしてゐるところだつた。 昨日はあんなに仰ぎ見て来た有明山の峯も、今は脚下に低く黒く見えてゐるに過ぎない。 振返つて西の方を見れば、昨夜の浮雲は悉く晴れて、大天井や東天井の峯続きと燕岳の絶頂とを両端の框とした前景の中に、南は穂高から北は立山まで、槍や東鎌尾根や西鎌尾根や双六や野口五郎や烏帽子等の諸峯が嵌め込まれて、谷から始まり複雑な襞を刻んで巓にのぼるまでの全山容を露出しつゝ、直眼の前に一万尺を出入する峻峯を障壁のやうに列ねてゐる。 私達がこの大観に見恍れて前を見たり後を見たりしてゐる間に、日は黒雲との戦ひに勝つて、その眩しい姿を現はして来た。 さうしてその最初の光が脚下に投げられたとき、この大きく峻しい北アルプス主脈を背景として、何といふ可憐な光景が眼前に展べられたことだつたらう。 今まで影にゐて眼立たなかつた高山植物の花が、宿つてゐる露と共に急に輝いて来た。 而もその中でも最も眼立たぬ部類に属する 「雀の粺」 (?) や、鳥の柔色をつけたやうなぼやぼやととぼけた花などが、その数多い小さな実や毛に無数の日光を反映して、とりわけ美しい輝きを見せた。 私は此処にも亦 高山の上にある特殊の清らかな愛らしさを発見して嬉しさに堪へなかつた。
併しこんなに快く晴れたのも僅かに早朝の一二時間であつた。 始めに槍ヶ岳の槍の頭を照した日の光が次第に這ひ下つて周囲の諸山の巓にも光がさし始める頃には 霧が又立こめて来た。 さうして私がその朝 燕岳にのぼつて其処から下山の途に就く頃は、花崗岩の石砂が沙漠のやうに広がつてゐる白い斜面の上を、灰色の霧が行衛も知らず這ひ過ぎて、たゞ処々天の筍のやうに突立つてゐる巌石の影が、ポカリポカリと霧のまぎれにその姿を見せてゐるに過ぎなかつた。
槍 ・ 穂高 連峰 右手前から伸びる尾根の先(左端)は、大天井岳。 |
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燕 岳 頂上にかけて、阿部が 「天の筍のやうに」 と形容した岩石が屹立しており、手前には 「花崗岩の石砂が沙漠のやうに」 広がっている。 燕岳の左後方には、小さく立山が見える。 |
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終