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北野屋鞠塢・編 「盛音集」

 文化元 (1804) 年、 申椒堂 (須原屋市兵衛)、綺文堂 (須原屋孫七)
 線装、1冊。 縦 18.6 cm、 横 12.7 cm、 31葉 (うち1葉は 抜け落ちている)


 本書 「盛音集」 は 漢詩集で、この文化元 (1804) 年当時 江戸で活躍していた文人 ・ 108人の作品、117首を収録している。

 編者の 北野屋鞠塢 (菊宇、鞠宇ともいう。 宝暦12(1762)年~天保2(1831)年) は、仙台の人であるが、江戸へ出て骨董商を営み、産をなした。
 書画を扱うことによる文人達との交流から、自らも詩文を得意とするようになり、文人としても名を成すに至った。
 かたわら、本草学にも造詣があり、隅田川東岸 (浅草の対岸) の向島に 各種の草花を栽培する 「百花園」 を開いたことで知られる。

 後掲する葛西因是の序文中で述べられているように、本書は、鞠塢がその交際の広さを生かして、多くの文人から直接 作品を集め、一書としたものである。
 大家から (今日からみれば) 全く無名の人々までの作品が、順不同に配列されている。 この無造作な編集は、全てを同列に扱うことで、作品そのものの純粋な鑑賞に供しようとする考えによるものであろう。
 詩形としては、七言絶句が圧倒的に多いが、五言 ・ 七言律詩や七言古詩も見られる。

 本書には、山本北山( 宝暦2(1752)年~文化9(1812)年)、太田錦城( 明和2(1765)年~文政25(1825)年)、葛西因是( 明和元(1764)年~文政6(1823)年) という、当時の大物文人 3人の序文がある。 分量はそれぞれ1葉、3葉、5葉で、つまり 北山のは短く、因是のが最も長い。 ( ただし、この館蔵本では、錦城の序文の最初の部分が落丁となっている。)
 その最も長文の葛西因是のものは、編者の鞠塢に代わって、「盛音集」 という書名の意義に関する、適切な説明を与えたものである。 「盛音」 とは、当時の江戸 市中の活況を総括した表現であるとして、特に季節や行事に密着した種々の商活動を列挙している。 ( …「盛音」 の主要なものは、街を流して歩く 様々な物売りの声であった。) そして最後は、本書中にも、風流な諸君子の文雅の盛音が洋々とみなぎっている、と結んでいる。 文の大半を占める 商活動を列挙した部分は、躍動的な散文詩であり、この序文もまた、集中の傑作の一つとすべきであろう。


 今回の 「一部紹介」 には、まず 三つの序文中から 「葛西因是の序文」 を掲げ、次に 「盛音集 作品選」 として 本文の作品の中から 知名の作者の特徴ある作品で、かつ虫食いによる判読不能文字を含まないものを選んで掲げる。

 因是の序文 は、訓読文のみで示す。 長文であるので、文単位に改行することで、読みやすく、かつ意味を把握しやすくした。 なお、こちらは判読不能な文字を含むため、それを ” [?] ” で示した。

 作品選 は、原文と訓読文を対比させて 示す。 作者を主体に選んだため、詩題の後に置かれた作者名を 前に出した。 また、この部分の注釈は、最小限にとどめた。



本書の一部紹介





葛西因是の序文
葛西因是の序文



鞠宇主人、名書画 ・ 古銅器を鬻(ひさ)ぎて産を為し、今は乃(すなは)ち 吟詩を学ぶ。

一時の名人 乃至 風流子弟の歌什(詩歌の草稿)を請ひ、自己の吟する所と併せ、裒(あつめ)て 一集と成し、開彫して世に布(し)くに、題して 「盛音集」 と曰(い)ふ。

鞠宇、何物を認めて音と為し、また何物を認めて音の盛と為すや。

鞠宇 則ち曰く、「小人(自分、私) 何ぞ敢て深意有らん。 竊(ひそか)に 賤名の驥に附すを喜び、また弊舗の興旺を図る。 請ひて先生に浼(たの)むらくは、小人の為に一解を費やされんことを《 と。

因是老人 曰く、 此れ(以下に述べること)(すなは)ち 盛音の解か。

凡そ、行販(行商)して 主顧(ひいき、とくい)を求むる者、一歳四時、其れ亦た 幾多有り。

臘雪(年末に降った雪)(わづか)に融け、淑気(春のおだやかな気)(すこ)しく動けば、墉外(かきねの外)に忽ち、宝船の印図を売る者 有り、七種の菜を売る者 有り、便面アヲギ(扇)の料紙* を売る者 有り。
* 「便面(扇)の料紙」 とは、正月の飾りとして用いられた扇形の切り紙。

日景遅々(光のどか)たれば、斯(ここ)に 小田原外郎(小田原の外郎(ういろう)家で作られていた大衆薬)を売る者 有り。

上午(午前)には、年を祈り、斯に 太鼓を売る者 有り。

(一定の時日)には、絵馬を売る者 有り。

桃花を売る音(声)の未だ絶えざるに、早くも桜草を売る音 有り。

浴仏期(潅仏会=花祭りの時期)に届(至)れば、蜜梅ウノハナ新茶* を売る者 有り。
* 「蜜梅新茶」 とは、「おから」 で作った 「卯の花茶」 のことか?

急忙に(せわしく) 夏子魚カツヲを売り、緩慢に(のんびりと)(なす)の苗を売り、菖蒲刀(菖蒲の葉で作った刀で、端午の節句の飾り物。あやめがたな)を売る。

風を透すには 竹簾を売り、日を遮るには 菅笠を売り、渇を解くには 冷水を売り、暑を清(をさ)むには 枇杷葉の湯を売る。

女児の乞巧(七夕祭り)には、五彩の短冊を売り、[?] 剪琅玕タンザク タケを売る。

先を奉じ霊を迎る(盆の供養)に、五種の香 ・ 灯篭 ・ 菰席マコモ麻茎ヲガラ を売る。

芭芒ススキを売る者は 前後に月を祭るの宴を趕(追)ひ、菊花を売る者は 九日 酒に蘸(ひた)すの料に供す。

栗 ・ 芋 ・ 豆 ・ 柿 ・ 葡萄 等の種(たぐひ)の販売には、皆 [?] [?] 節 左右に在り。

霖雨(長雨)(ひとたび) 晴れば、紫糖蕈ハツタケ ・ 松蕈を売る者 有り。

微霜 初めて降れば、晨(あした)淡豆豉ナツトウを売る者 有り。

夜には、牡丹 ・ 紅葉のスヒモノ* を売る者 有り。
* 「牡丹湯」 ・ 「紅葉湯」 とは、身体が温まるような具の入った 冬の吸い物であろうか?

旧社 散じイレカハリて 新社を結ぶ* に、梨園姓名帖ヤクシヤツケ(芝居役者の番付) を売る者 有り。
* この句、何のことか不明。

周流 端無く、春気 又 [?] するに、追儺豆オニウチマメを売り、赤衣塩鰛アカイハシを売り、狗骨木ヒラキを売る。

今年を送るに 掃塵竹スヽハキを売り、来年を迎ふるに 挿門松カドマツを売り、竹を売り、藁を売る。

乾栗カチグリ乾柿クシガキ、榧子(カヤの実。…これも正月の縁起物)、大橘、竜蝦イセヱビ、昆布、海藻ホンダハラ至如シカノミナラズ、破魔弓、胡鬼板ハゴイタ、福寿草、 街頭 ・ 橋辺の生売の音波、此に唱和す。

一歳 是の如くなれば、歳々 是の如し。

上面(上に挙げた)数十般(種)の販売 [?] 粗* 、抑揚 ・ 頓挫の音 有り。
* この部分、判読不能字のため 意味通ぜず。

売る者は 息(利益)を得、買ふ者は 給(供給)を取り、有無 相通じて、 [?] 其の宜(よろしき)を得。

此れ、清平世界たる江戸府内 商販の身上、和楽 ・ 驩虞(喜び楽しむ) の音に非ずや。

其の余も、春秋両次の角力(相撲)の開場には、鼓を伐(打)ち 信を報ずる者 有り、毎日 勝負の状を売る者 有り。

喇叭チヤルメラを吹きて 飴を売る音、簷馬フウリンを揺して 河漏ソバキリを売る音、段子舗ゴフクヤの客を招く音、船戸フナヤドの駕(乗客)を呼ぶ音、轎夫カゴカキ喊声カケゴへ勾欄クルワの吹弾(楽器)の音、三座の傀儡アヤツリの音、 [?] 座の演戯カブキの音、日々に断えず、四時に改まらず。

皆 此れ、以て 清平の気象を徴するに足る。

然り 而して、鞠宇の貨(商品)を鬻(ひさ)ぐや、囁嚅(ささやくような)たる市語に過ぎず、殊に、抑揚 ・ 頓挫の音の、鼓腹撃壌(腹を打ち 地をたたいて、太平を謳歌する)の意に効(傚:なら)ふは、未だ聞かず。

乃ち 今、其の盛んなる者、此の詩集に在るを知る。

冊中、洋々渢々の音、其れ亦た 幾多有り。

声援を一時の名人に借り、恩顧を四方の君子に求むるは、敢て 分外の(身のほどを越えた)風流張致を装成するに非ず、唯 分内の売買道路を拓開するのみ。

四方の青眼 ・ 恩顧の君子、須らく 此の盛音集を認め、行貨を発兌するの引と作(な)すべし。 

因是老人 序す。


盛音集 作品選


一齋  (佐藤一斎、 安永元(1772)~安政6(1859))

  日夕尋梅 日夕(夕ぐれ)に 梅を尋ぬ
晩霞半護水邊荘晩霞 半ば護る 水辺の荘
玉骨氷肌淡々粧玉骨氷肌 淡々と粧す
等得看花人去後看花の人の去りし後を等(待)つに
黄昏和月十分香黄昏 月に和して 十分 香し



米庵  (市河米庵、 安永8(1779)~安政5(1858))

  春日郊行  春日 郊を行く
桃紅李白野人家桃紅く 李は白し 野人の家
別有清香滿水涯別に清香有りて 水涯に満つ
北地春光遲亦好北地の春光 遅くも また好し
却教遊蝶近梅花却て 遊蝶を 梅花に近づけ教(し)



抱一  (酒井抱一、 宝暦11(1761)~文政11(1828))

  梅  梅
霜枯一樹花千點霜 枯れて 一樹 花千点
冷艶映空疑有無冷艶として空に映じ 有無を疑ふ
唯見孤山寒月下ただ見る 孤山 寒月の下
驪龍爭弄漢江珠驪龍(黒い竜) 争ひて 漢江の珠を弄ぶを



如亭  (柏木如亭、 宝暦13(1763)~文政2(1819))

  九日  九日
佳節困窮不在家佳節 困窮して 家に在らず
在家却是奈窮加家に在らば 却て 窮の加はるを奈(いかん)せん
今年始覺生涯富今年初めて 覚ゆ 生涯の富
勾得重陽有菊花重陽を勾し得て(自分の方に引きよせて) 菊花 有り


  十日  十日
百年光景闇中移百年の光景 闇中に移る
銕作人心何不悲鉄作の人心も 何ぞ悲しまざらん
九日閑過到十日九日 閑(しづ)かに過ぎて 十日に到る
古銅缾裏菊初衰古銅缾(瓶)の裏(うち) 菊 初めて衰ふ



柳灣  (館柳湾、 宝暦12(1762)~天保15(1844))

山行遇雨戯作長句 山行して雨に遇ひ 戯れに長句を作る
十日愁霖意太窮十日の愁霖 意 太(はなは)だ窮す
今朝喜見霽霞紅今朝 喜び見る 霽(晴)れて 霞(朝焼け)の紅なるを
躍然忽動遊山興躍然 忽ち動く 遊山の興
呼僕一隻辨謝公(下男)を呼び 一隻(ひとくさり) 謝公(謝霊運)を弁ず
僕云梅天晴難信僕云ふ 「 梅天の晴は 信じ難し
況乃雨候卜朝虹況や 雨候に朝虹を卜するをや 」 と
主人掉頭不肯聽主人 頭を掉(ふる)ひて 聴くを肯ぜず
晴好雨奇將無同「 晴好雨奇(晴でも雨でも 美しい景色) 將に同じこと無し 」 と
遂齎麻蓑與篛笠遂に 麻蓑(麻で作った蓑)と篛笠(蒲で作った笠)を齎(持)
十里吟行小巒東十里 吟行す 小巒(小さな とがった峰)の東
仰望前嶺似招我仰ぎて 前嶺を望めば 我を招くに似たり
雨餘層翠欝巃從雨余の層翠(重なり合った緑) 欝として 巃從(けわしくそそり立つ)
傍澗穿樹尋樵逕(たに)に傍(沿)ひ 樹を穿(貫)き 樵逕(きこりの道)を尋ぬ
躡嶮陟危氣倊雄(けわしき)を躡(踏)み 危(高き)を陟(登)り 気は倊(ますま)す 雄なり
乍見山頭膚寸雲(やが)て見る 山頭 寸雲を膚(まと)ふ を
須臾萬嶺霧冥濛須臾(しばらく)にして 万嶺 霧 冥濛(暗く たちこめる)たり
面前咫尺路難辨面前 咫尺(すぐ近く)も 路 弁じ難く
但聞溪水鳴渢々(ただ) 聞く 溪水の渢々(急流の響き)と鳴るを
忽疑龍闘又虎嘯(たちま)ち 疑う 龍 闘ひ また 虎 嘯(ほ)ゆる かと
林木震動雨從風林木 震動し 雨は風に従ふ
主人沈吟僕吐舌主人は沈吟(思案にくれる)し 僕は吐舌(疲れて大口をあける)
笠漏蓑透悉瀧凍笠は漏り 蓑は透りて 悉く 滝凍(ずぶぬれで こごえる)
滿身淋漓無乾處満身 淋漓(水がしたたる)として 乾く処 無し
歸來換衣臥齋中帰り来つて 衣を換へ 斎(自分の部屋)中に臥し
作詩自戯又自戒詩を作り 自ら戯れ また 自ら戒む
專行己意聦非聡(おのれ)の意を専行するは 聡にして聡に非ず
善辨五音比師曠善く五音を弁ずること 師曠(春秋時代、よく音調を聞き分けた人)に比するも
眞言不容何異聾真言を容れざれば 何ぞ聾に異ならん
不從僕言我悔矣僕の言に従はざりしを 我は悔いたり
愼勿拒逆耳之忠慎みて 逆耳の忠を 拒むこと勿れ



善庵  (朝川善庵、天明元(1781)~嘉永2(1849))

 咏赤間關平家蟹  赤間関にて平家蟹を詠ず
平家将士此頽傾平家の将士 此(ここ)に頽傾(敗北)
紫蟹空傳鬼面名紫蟹 空しく伝ふ 鬼面の名
晩汐早潮雖鮮甲晩汐早潮 甲を鮮かにすといへども
二螯八跪自存兵二螯八跪(二本のはさみと八本のあし) 自ずから兵(武器)を存す
居廻洲渚成愁壘居は洲渚を廻らして 愁(悲)しみの壘(とりで)と成し
身住風波是恨城身は風波に住して 是れ 恨みの城
宿世劫因猶未盡宿世の劫因 猶ほ未だ盡きず
海龍王處也横行海龍の王處に また横行す



文姫  (生没不詳 : 山本北山の女弟子。)

 寄郷  郷に寄す
詩思綿々作睡稀詩思 綿々として 睡を作(な)すこと稀に
傍人謾道苦生涯傍人 謾(みだり)に 苦生涯を道(言)
不如簾外山螢亂如かず 簾外 山蛍乱れ
點々添明到碧紗点々として 明を添へ 碧紗に到るに



詩佛  (大窪詩仏、 明和4(1767)~天保8(1837) )

同鞠道人舟中聽蟲  鞠道人と 舟中に虫を聴く
如訴如悲各自鳴訴ふるが如く 悲しむが如く 各自 鳴く
閑人却聽耳偏清閑人 却(しりぞ)いて聴き 耳 偏へに清とす
舟離草岸漸將遠舟 草岸を離れて 漸く遠からんとし
種々聲爲一種聲種々の声は 一種の声と為(な)


 夏晩睡起 夏の晩 睡りて起く
斜日深林裏斜日 深林の裏(うち)
軽風且可欣軽風 まさに欣(よろこ)ぶべし
松聲一枕雨松声は 一枕の雨
竹影滿窗雲竹影は 満窓の雲
苦茗起來煮苦茗(苦い茶) 起き来りて 煮
清香浴罷焚清香 浴し罷(をは)りて 焚く
新涼與身愜新涼 身に愜(快)さを与へ
氣力得多分気力は 多分(たくさん)を得



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