養徳叢書
吉井 勇
「現代名歌選」
昭和23 (1948)年1月 改訂再版 昭和20(1945)年12月初版、 養徳社。
B6版。 本文 140頁。
<目次>
明治天皇 昭憲皇太后
八田知紀 福田行誠 井上文雄 佐々木弘綱 与謝野尚絅 天田愚庵
大和田建樹 小出 粲 高崎正風 海上胤平 黒田清綱 大口鯛二
阪 正臣 山縣有朋 森 鴎外 福本日南 落合直文 正岡子規
佐々木信綱 与謝野鉄幹 金子薫園 尾上柴舟 伊藤左千夫 長塚 節
島木赤彦 中村憲吉 古泉千樫 斎藤茂吉 釈 迢空 与謝野晶子
石川啄木 北原白秋 若山牧水 窪田空穂 岡 麓 木下利玄
新井 洸 川田 順 土岐善麿 前田夕暮 太田水穂 石榑千亦
相馬御風 尾山篤二郎 松村英一 半田良平 土屋文明 吉植庄亮
久保猪之吉 服部躬治 蕨 眞 石原 純 結城哀草果 土田耕平
依田秋圃 橋田東声 岡 橙里 田波御白 九条武子 大塚楠緒子
三ヶ島葭子 平野万里 茅野蕭々 茅野雅子 若山喜志子 今井邦子
花田比露思 岡本大無 藤沢古実 高田浪吉 竹尾忠吉 植松壽樹
橋本徳壽 石井直三郎 村野次郎 河野慎吾 臼井大翼 岡野直七郎
小泉苳三 前川佐美雄 明石海人 斎藤 史 五島美代子 中原綾子
穂積 忠 木俣 修 香取秀真 平福百穂 高村光太郎 小杉放庵
中川一政 石井柏亭 菊池幽芳 谷崎潤一郎 会津八一 新村 出
湯川秀樹 高田保馬 下村海南 吉井 勇
本書は、上掲の目次に示されるように、明治天皇 ・ 昭憲皇太后以下102人の短歌を選んだものである。 明治天皇のみは3首、他はすべて1人1首であるので、歌数は104首である。
明治天皇と昭憲皇太后を別格とすれば、ちょうど100人となり、現代版 「百人一首」 となっている。
なお、実際の目次では、各作者の作品の初句 (最初の5音) が見出しとなっていて、作者名はその後のカッコ内に示されている。
各作品(作者)ごとに1頁ないし2頁の解説が付されているが、本書全体を通じた編集意図などについての説明はない。
通覧するに、各派・各傾向の作品が網羅されているので、特別な選択基準に拠らず、幅広く採ることを心がけたようである。
これは、著者の吉井勇 (明治18(1885)年~昭和35(1960)年) が、初め与謝野鉄幹の新詩社に加わったほかは、結社に属さず、「自主独往の道」(本書中の自作に対する解説の語)を辿ったことと、関係があろう。
そのため、始めの方には近代短歌運動以前の旧派歌人の作品があり、終わりの方には詩人 ・ 画家 ・ 学者など、専門的な歌人以外の作品も入っている。
旧派歌人の作品はいずれも陳腐で、とても名歌とは言えないが、専門的な歌人以外の作品には、歌人の作品よりも新鮮な印象を受けるものがあり、このような人々の作品を採り入れたことは、本書の一特徴とみることができよう。
今回の 「一部紹介」 には、既に定評のある作品と 私(館主)が新鮮に感じた作品とを選び、それらの作者に対する著者の寸評部分 ( 「〇〇の歌風は、…」 として説明されている部分) を添えて掲げる。
あさみどり澄みわたりたる大空の 広きをおのが心ともがな
天皇の数多い御製の中でも、この大御歌位 国民の間に、欽慕の情を以て愛誦せられてゐるものはあるまいと思ふ。 庶民的な言葉ではあるが、この大御歌は天皇御製中の代表作であつて、誰しも天皇の御製といふと、先づこの一首を想ひ起して敬仰の情を新たにする。
それといふのが この大御歌の示し給ふ、浅緑の色美しく澄み渡つた、あの大空のやうな広く大きな心を常に自分の心としてゐたいものであるといふ、大御心の明朗闊達さが、端的に国民の胸に感じられて来るためではないだらうか。
霧の海の浮島なして見ゆるかな 生駒の高嶺 葛城の山
正風の歌風は、長年 御歌所長を勤めてゐた関係上、概ね宮廷歌人的な形式になづんだものばかりであるが、中には、新味のあるものも少なくない。 これは 「伏見三夜荘にて霧籠遠山といふことを」 といふ詞書のあるもので、この当時の叙景歌としては、先づ秀歌の部に属するものであらう。
唐櫃の蓋とれば立つ 絁の 塵も なかなか なつかしきかな
鴎外の歌は、先づ 余技といつてもいい程度のものであるが、明治四十年から四十二年の頃まで、明星派、根岸派、竹柏園派の接近を図つて、観潮楼歌会を開いたりした功績は、歌壇史上 忘れられないものがある。 ここに挙げた一首をも含む「奈良五十首」 の如きは、鴎外独自の歌風を作り出してゐる。
つけすてし野火の煙のあかあかと 見えゆくころぞ山はかなしき
柴舟の歌風は、自分でも 「当時の著しい浪漫主義には随ふことが出来なかつた。 これはもとの自由な心持で、写実主義と云はば云ふべきものに、依然として基礎を置いてゐたからであつた」 と言つてゐるやうに、終始 自然諷詠を主とした写生歌に、その主調を置いてゐるといつてもいい。 つまり 一種の自然主義的な思想から出発した清新調と言つたらば、その歌風の大体を説明することが出来るだらう。
みづうみの氷は解けてなほ寒し 三日月の影 波にうつろふ
赤彦の歌風は、アララギ伝統の写生を基調としてゐることは勿論であるが、後には一心の集注を説き 鍛錬道を唱道して、新しい観相と表現による独自の作風を樹立して行つた。 その歩んだ作歌の大道は、坦々たるやうには見えてゐるが、みづからの生命に徹した極致に達するまでには、容易ならぬ苦行のあつたことが想像される。 … ここに挙げたものは、大正十三年一月に作つた 「諏訪湖畔」 と題する一首であつて、格調の高い秀歌である。
死にちかき母に添寝のしんしんと 遠田の蛙 天に聞こゆる
茂吉の歌風は、子規の写生主義短歌にその根源を発し、左千夫(伊藤左千夫)の 「叫び」 節(長塚節)の 「冴え」 等の諸説を身を以て体験した結果、自ら悟得した 「実相観入」 の説に依つて、内容形式ともに自己のものを樹立したのである。 しかし 「赤光」 以来、幾多の推移はあつたにしても、堅く固守して来たものは日本古来の伝統であつて、その点この作者の堂々たる風格を見ることが出来る。
葛の花 踏みしだかれて色あたらし この山道をゆきし人あり
迢空の歌風は、以前から独自の内容形式を持つてゐたが、遂に 「アララギ」 から離脱して、新形式の古典歌とでも言ふべき一派を樹立するやうになつた。 音律を重んずる結果として、字間を開けたり 句読点を用ゐたりしてゐるところにも異色がある。 譬へば ここに挙げた歌にしても 「葛の花 踏みしだかれて、 色あたらし。 この山道を行きし人あり」 と書くが如きその一例である。
鎌倉や み仏なれど釈迦牟尼()は 美男()におはす夏木立かな
晶子の歌風は、その初期のものは 唯美的な思想を象徴的な表現に依つてうたつたもので、浪漫派短歌の代表的なものであつたが、晩年には、だんだん情熱が失はれて来るとともに、徒らに譬喩によつて美化しようとしたやうな、類型的な作品が多いやうになつた。 しかし 良人没後の現実に即した感傷歌は、さすがに惻々として胸に迫つて来るものがある。
やはらかに柳青める北上()の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに
啄木の歌風は、その生活の推移につれて、思想的にも形式的にも、かなり激しく転化してゐるやうに見えてゐるが、結局その根柢にあつたものは、純然たる日本固有の浪漫的情緒であつた。 後期の作品には日常生活を率直にうたつたものが多く、口語に近い表現を用ゐたり、句読点を使つた三行詩の形式を取つたりして、革新的な態度が著しいが、しかし 仔細に見ると やはりそれは、定型律の範疇を、殆んど出てゐないものばかりである。 自ら歌を軽蔑して 「悲しき玩具」 などと言つてゐたのも、愛するあまりの反語に過ぎなかつたのではないだらうか。
白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり
牧水の歌風は、自然主義を基調にしてゐるが、それは唯 散文的なものではなく、抒情詩的なものが、かなり多分に織り込まれてある。 殊に初期の作品には、主観の勝つたものが多く、だんだん時の経つにつれて、自然を対象とする覊旅歌が大部分を占めるやうになつて来たので、従つてだんだん客観の歌が多くなつて行つた。 酒を好んだので 酒を愛する歌が多く、ここに挙げたものなどは、その代表作として人口に膾炙してゐる秀作である。
牡丹花()は咲き定まりて静かなり 花の占めたる位置のたしかさ
利玄の歌風は、竹柏園風とアララギ風とを融合させた写生歌であつて、殆ど無技巧に近い歌調が独自のものを作り出してゐる。
山空をひとすじにゆく大鷲の 翼の張りの澄みも澄みたる
順の歌風は、最初の 「伎芸天」 「陽炎」 時代は、竹柏園風の穏健な歌調の中にも、抒情的傾向の強いものがあつたが、その後 窪田空穂の影響を受けて漸次写実的になり、更にまた万葉調を取り入れるやうになつてからは、確固たる技法に依つた独自のものを創り出して、高邁な格調を以て知られてゐる。 ここに挙げたものは、立山登山歌中 「鷲」 と題する一聯に属するもので、男性的な方面の代表作である。
いくとせを我にはうとき人ながら 秋風吹けば恋しかりける
武子の歌風は、竹柏園風の典雅なものではあるが、境遇から来た孤独をうたふ場合になると、思ひがけないやうな激情を、その作品に託することがあつた。
ひとときは胸こそをどれ 春雨の なつかしき音はわれを眠らす
葭子の歌風は、明星時代の抒情味に富んだものよりも、アララギ時代の人生苦に悩んだものの方にその特色が現はれてゐる。 晩年の病床吟には、涙なしには読めないやうな哀切なものが多い。
遠尾根に ひとつ離れし馬の居て 草刈る人の折々の声
壽樹の歌風は、空穂の自然主義的なところよりも、更に深い境地に到達してゐるやうに思はれて 親しみが深い。 ここに挙げたもののほかに 「眼を閉じて深きおもひにあるごとく寂寞として独楽は澄めるかも」 「この日頃とみに秋づけり朝ごとにとる無花果の数の減りつつ」などに その個性がよく現はれてゐる。
海にして太古の民のおどろきを われふたたびす 大空のもと
光太郎の歌風は、最初から新詩社風の浪漫的なところがなく、むしろ万葉調の伝統的な素朴さがあつたやうに思ふ。 万葉集の真髄に徹してゐたのは、或ひはアララギの一派よりも光太郎の方が、一歩先んじてゐたのではないだらうか。
上市()は 秋の日晴れて軒並の 障子の紙の真白なる町
潤一郎の歌風は、唯独自の境地を楽しんでゐるといつたやうな、まことに羨むべき雅懐から生れたものであつて、どつちかといふと新古今調のものが多い。
ほほゑみてうつつごころにありたたす くだらぼとけにしくものぞなき
八一の歌風は、純正万葉調とも云ふべきもので、殆んど全部平仮名のみを以て綴り、すべて読者の判読に委ねてゐるところに、その特色の著しいものある。 詩歌はもと口にてうたひ耳にて聞かしめたものだと言ふのが、その主張の根本である。
物みなの底に一つの法()ありと 日にけに深く思ひ入りつつ
秀樹の歌風は、おのづから会得したものであるだけに、それだけ純情で力強い。
いづれみなその妻を子を思ひゐむ 電車にならぶ顔のしたしさ
保馬の歌風は、その人格の率直に現はれてゐるところに、独自の懐しい境地がある。
終
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