らんだむ書籍館







目 次


  高村光太郎
    午後の時  (エミイル・ヱ゛ルハアラン)


  小林秀雄
    酩酊船  (アルチュル・ランボオ)

  堀辰雄
    窓   (ライナア・マリア・リルケ)

  菱山修三
    海辺の墓地  (ポオル・ヴァレリィ)

  三好達治
    祝祷  (シャルル・ボオドレエル)

  堀口大学
    知られぬ海  (ジュウル・シュペルヴィエル)

  村上菊一郎
    ランボオ詩鈔  (アルチュル・ランボオ)

  山内義雄
    散文詩  (マルセル・プルウスト)


  編纂者の言葉



村上菊一郎・編 「仏蘭西詩集」

 昭和16 (1941) 年11月 発行、 青磁社。
 A5版。 本文 257頁。


 本書 「仏蘭西詩集」の編者 ・ 村上菊一郎 (明治43(1910)年 〜 昭和57(1982)年。 詩人、フランス文学者) は、 「編纂者の言葉」 で 次のように述べている。
 この本は目次を一見してもわかる通り、仏蘭西の詩の鳥瞰的なアントロジーではなく、またその系統的な紹介でもない。 編纂者の意図は、はじめからさういふところにはなかつた。 原詩は何れも文学史上著名な佳什ばかりであるが、いま茲に国籍、年代、位置の差異などを敢て無視して、ヴェルハーランやリルケ、ボードレールからシュベルヴィエルまでを、順序不同に収録し、「仏蘭西詩集」なる題名の下に並べた所以は、偏へに、詩を愛し語感に敏なる諸家の訳詩の美しさを、更めて読者に味到して貰ひたかつたからに他ならぬ。 …
 これは、訳者の感覚を信頼し、ここに表現された訳詩そのものを味わえばよい、ということであろう。

 確かに、訳者はみな詩人としても一流の人々であり、それぞれによる詩の選択そのものも審美的意味を有しているわけで、この詩集の内容は、一種の創作とみなしてもよいのかもしれない。

 ぜいたくな内容に相応して、装丁も美しく、愛玩するに堪えるものである。



 「本文の一部紹介」には、エミイル・ヱ゛ルハアラン、高村光太郎 ・ 訳の長篇詩 「午後の時」 を掲げる。 (この詩は、「一」から「二十四」までの24節からなり、うち「十三」までが「仏蘭西詩集」に、残りが「続仏蘭西詩集」に掲載されている。)

 エミイル・ヱ゛ルハアラン(Emile Verhaeren, 1855年〜1916年)は、ベルギーの詩人・劇作家であるが、フランス語を使用し、フランスの詩壇で活躍した。 (現在では、ふつう、エミール・ヴェルハーランまたはヴェルハーレンと表記される。)
 その詩の特徴の一つとして、日々確かに営まれている生活の肯定と、その中で感じる歓びの表明がある。 「午後の時」にも、まさにその傾向が示されていて、庭園での自然とのふれあいの快さや、長く連れ添った妻との愛の深まりなどが、細やかに表現されている。

 高村光太郎 (明治16(1983)年〜昭和31(1956)年)は、明治39(1906)年から42(1909)年までの3年あまり 欧米に遊学したが、その間 パリに滞在中にヱ゛ルハアランの作品に出会い、傾倒を深めたようである。
 村上菊一郎は、上掲の文の後続部分で光太郎の訳詩について、「…今は亡き令夫人への愛が、氏のヴェルハーラン訳詩の上に息づいてゐると書いては礼を失するあらうか」と述べているが、礼を失するどころか、光太郎は最大の共感をもって訳したのであり、知音の言と感じたことと思う。
 光太郎の 「智恵子抄」 には、この 「午後の時」 のいくつかの節と 情趣や表現の似通った詩が散見するし、妻への愛の率直な表現自体が ヱ゛ルハアランからの影響であるように思われる。



本文の一部紹介


   午 後 の 時       エミイル・ヱ゛ルハアラン   高村光太郎 訳


      私の傍に生きる者へ


     


年は来ました、ひと足ひと足、ひと日ひと日、
われらの愛の素裸すはだかの額の上にその手を置きに、
さうして、いくらか弱つた眼で、じつと見ました。

美しい園を七月はうつろはせ、
花や繁みや、みどり葉も、
そのはげしい力のすこしを落としました、
蒼白い池の上、物静かな道の上に。

時として炎炎ともえさかる太陽も
その光のまはりに、鈍い陰をつけます。

それでも、ここには常に立葵の花がさき、
絶えず芽を出してその輝きを見せ、
季節もわれらのいのちには能く重荷を負はせません。

われらが二つの心のあらゆる根は
今までにもなく飽く事知らずひたり入り、
身をよぢらせて惑溺します、幸福の中に。

おう、薔薇に包まれた此の午後の時間よ、
薔薇は「時」のまはりにからんで身を休めます、
頬を花にし又火にして、その静かな壁の上に。

何があらう、何があらう、かうやつて、
この幾年の後、尚ほ幸福に晴れやかに感じてゐる事以上のものが。
しかしどんなに運命がまるで違つたものであつたにしても、
又どんなに、二人して、われらが苦しまねばならなかつたとしても、
それでも おう、わたしは生き又死ぬ事を好んだでせう、
悔む事なく、頑固なひとつの愛の為に。


     


六月の薔薇、おん身最も美しいもの、
おん身の心臓は太陽につらぬかれる。
熱烈な又静寂な薔薇、
止まつた枝の上に軽く飛ぶ鳥のやうな。
まつすぐな新しい六月七月の薔薇、
風のまにまに、たちまち動き、
たちまち静まる唇、接吻、
ゆらめく園のなかの、影と黄金との愛撫。
黙つて燃える薔薇、こころやさしい薔薇。
苔のしとねに包まれた愛慾の薔薇。
明るさの中で、かたみに愛しながら
真夏の日を過ごしたおん身。
いきいきした、新鮮な、壮麗な薔薇、一切のわれらの薔薇、
おう、なんとお身等に似てわれらの多様な感情が
たのしい疲や打ちふるふ喜の中に
互に相愛し、奮激し又休らふことぞ。


     


若しほかの花花が家をかざり
又風景の荘麗をかざるものならば、
清浄な池はいつも芝生の中に光つてゐます、
その動きかはる顔の大きな水の眼で。

ねえどんなに遠い知られぬはるかな庭から
あの沢山の新しい鳥は来るのでせう、
あの翼に日をうけて。


七月が園では四月に代り
青の調子をうす紅いろに代へました。
空間はあたたかく風は弱い。
千百の昆虫がうれし相に空でぴかぴかする。
さうして夏は通ります、金剛石と火花との著物をきて。


     


陰は浄まりあけぼのは虹いろ。
鳥の
高く飛び立つた枝から、
露のしづくが落ちる。

すつきりしたきやしやな清浄さが
空中の七彩プリズムのひかるやうな
こんなに明るい朝をかざる。
泉がきこえる。 羽音がきこえる。

おう、なんとあなたの眼の美しさよ、この初めの時間に、
われらの白銀しろがねの池が光に照りはえ
むかうに登る日の光をうつす時、
あなたの額はかがやきあなたの動脈は脈うつ。

烈しい又善良ないのちとその神聖な力とが
あなたの胸の中に、
まるでうちかかる幸福のやうに、満ちみちて入り込めば
その悩と激動とを抑へる為、
あなたの手はいきなり私の手を取つて、
おびえてでもゐるやうに、それを
あなたの胸に押しあてる。


     


私は、こよひ、おみやげとして、あなたにあげる、
あの快活な吹きぬけな風とあのすばらしい太陽との
黄金の中うす絹の中へ此の身をひたした喜を。
私の足は草の中を歩いたので清らかです、
私の手は花のしんに触つたのであまやかです、
私の眼は、大地のお祭とその永遠な力を前にして、
瞳のまはりに、生れ、湧き、あふれて来る
涙を急に感じたので光つてゐます。

空間がそのゆらめく光明の両腕もろての中に、
酩酊し熱狂し呻吟する私を奪つて行つた、
そして私は何処とも知らず、遥か遠く、向うの方を歩きまはつた、
封じ込められてゐた叫を私の歩が放たせながら。
私はあなたに野の生命と美とを持つて来ました。
思ひ切つた深い息で私のからだに其を吸つてごらんなさい。
オリガンが私の指を愛撫したし、空気と
その光とその芳香とが私の肉体の中にあるのです。


     


ふたりして路ばたに腰かけよう、
苔むした古い腰かけの上に、
さうしてあなたの確かな二つの手の甲の中に、
いつまでも私の手をあづけて置かう。

あなたの膝の上で知る甘美のおもひに
いつまでもあづけて置く私の手と一緒に、
私の心も、私の熱烈な又やさしい心も、
あなたの二つの温和な手の中で、休んでゐるやう。

これこそ極甚の喜、これこそ深い愛、
ただ一言の強すぎる言葉もわれらの唇の上にひびかず
一つの接吻さへあなたの額を焼かないほど、
こんなにわれらの一つである事を味ふこそ。

さうしてわれらのこの燃えるやうな沈黙と、
この無言の情熱の静けさとは更に長くつづいたらう、
だしぬけにそのをののきを感じて、我しらず、
あなたの物思ふ手を私が抱きしめなかつたら。

其処にこそ私の全幸福が潜んで居り、
又決して、どんな事があらうとも、
われらが其に生きて、しかも語るに及ばない
この深いものを傷ける事の無いあなたの手を。


     


しづかに、なほもしづかに、
あなたの腕の中で私の頭をゆすつて下さい、
私の熱した額と私の疲れた眼とを。
しづかに、なほもしづかに、
私の唇に口づけ、そして言つて下さい、
いつもの夜明のあのやさしい言葉を。
あなたの声がそれをささやき、
あなたが其身を捧げ、私が尚もあなたを愛する時の。

圧迫は沈鬱に重く湧き起り、夜は
あやしげな夢ばかりであつた。
雨とその髪とはわれらの窓をうち
地平は憂愁の雲にくらい。
しづかに、なほもしづかに、
あなたの腕の中で私の頭をゆすつて下さい、
私の熱した額と私の疲れた眼とを。
あなたこそ私にとつてうれしい夜明け、
その愛撫はあなたの手にあり、
その光明はあなたのやさしい言葉にある。
たちまち、痛みなく又悩みなく、
私の道に
その跡をのこす日日の為事に私は蘇り、
いのち逞しい黄金の拳を持つ
力と美との一武器たるやう、
決然として、自分を生かしめます。


     


われらの愛の生れるわけであつたこの家には、
なつかしい家具類が蔭や隅隅をあちこち作り、
われら二人で住むに、知るものとては
窓からわれらをのぞく薔薇ばかり。

あまりやさしい慰に満ちた、選ばれた日、
あまり静けさの美しい、夏の時時、
時として私は振り動く時を止める、
金の円盤の樫の時計の。

その時、時間も、日も、夜もすつかりわれらのものとなり、
われらを撫でる幸福はもう何も耳に為ない、
思ひがけない抱擁が互に近づける
あなたの心臓と私のとの搏つ音を除いては。


     


窓をあけひろげて
みどり葉のかげと
日あしのすすみとを
金茶の紙の上にうけながら、
無言のやさしい烈しさでつづく、
善い為事が、
われらの善き物静かな家の中で。

いきいきと花は頭をかたむけ、
枝をつらねて、大きな果物は輝き、
つぐみ、うそ、ひわは、
うたひ、うたふ、
私の詩が、
透明に、新鮮に、清浄に、真実に迸るため、
丁度彼等の歌と、
彼等の黄金の肉と彼等のまつかな花びらとのやうに。

又私はあなたが庭の遠くを歩いてゐるのを見る、
時時陰と日向のちらつく中を。
けれどあなたの首はこちらを見ない。
私が自分の心を抱きしめて、
此等のうちつけなやさしい詩を書いてゐる、
この時間の邪魔を為まいとして。


     


まつたき信がわれらの愛の底に住む。
人は熱烈な思を些細なものにつなぐ。
木の芽の芽出しに、薔薇の凋落に、
陰や日向の中を、一羽が来たと思へば
又一羽が徂く花車な美しい鳥の飛ぶのにも。
屋根の苔むした縁から離れて、
風になぶられる巣には、心おびやかされ、
トレミエルの花のしんを喰ふ虫には
肚胸をつく。 すべてが懸念、すべてが希望。

判断が、その雪の冷厳と鎮撫とで、
だしぬけにこのたのしい苦労へ水をささばさせ、
それに構はず、これはうけよう、
その示す偽、まこと、悪、善の予兆などはあまり知らずに、
それを運命的な又は避け難い力と思ふには、
われらが子供に過ぎないのを喜ばう。
さうして、扉をしめて、あまり利口な人々からわれらを守らう。


     十一


暁、かげ、夕暮、空間、星。
夜がその幕の間に隠見させるものが、
われらの烈烈たる生存の感激に入りまじる。
愛に生きる者は永遠に生きる。

彼らの理性が同意しようと、蔑視しようと、
又、立つて、その高らかな墻壁の上に、
岸辺や港で明るい燈火を彼に向つてかかげようとそれが何。
彼等は、海のかなたの旅客である。

彼らは浜から浜へと太陽の照るのを見る、
はるか遠く、大海とその暗黒な波とよりもつと遠くに、
安定な確実さと動揺する希望とが
彼等の燃える眼には同じ顔を持つ。

たのしく明るく、彼等は貪るやうに信ずる。
彼等の魂は深い閃光であり、
その光で最も奠大な問題の額を灼く。
さうして世界を知るためには、彼等自身を究めるだけ。

彼等は、おのれの選んだ、幽遠の道をゆき、
曙のやうに単純で赤裸で、奥深くてやはらかい
彼等の眼が包蔵する真理に生きる。
彼等にのみ、楽園がまだ歌ふ。


     十二


今は善い時、ラムプのつく時。
何もかもこんなに静かで安らかな今宵、
羽の落ちるのも聞こえさうな
しづけさ。

今は善い時、しづやかに
愛する人の来る時、
そよ風のやうに、けむりのやうに、
しずやかに、ゆるやかに。
人は初め何も言はない しかも私は聴く。
その魂を、私はよく知つて居り、
不意に光り湧き立つのを見て
その眼に口づけする。

今は善い時、ラムプのつく時。
告白が、
一日中かたみに思ひ合つてゐたと、
深い、しかし透きとほつた心の底から
うかんで来るとき。

さうして互に平凡な事を話し合ふ。
庭で取つた果物の事、
青い苔の中で
咲いた花の事、
又古い引出しの底から図らず見つけた、
昔のてがみの上の
消えうすれた愛憐の言葉の思出に、
心はたちまち花咲き、感動に捉へられる。


     十三


過ぎ去つた年の死んだ接吻が
そのあとをあなたの顔にのこしました。
又年の陰気な手ざはり荒い風に吹かれて、
多くの薔薇が、あなたの面立の中に、色あせました。

もうあなたの口とあなたの大きな眼とが
お祭の朝のやうに光るのを見ず、
又、らうたげに、あなたの頭の休らふのを見ません。
あなたの髪のふかぶかと黒い園の中に。

まだそんなにやさしいあなたのなつかしい手も
もうむかしの日のやうに来て、
指さきに光明を放ちながら、
暁が苔を撫でるやうに、私の額を愛撫しません。

わかい美しいあなたの肉体、
私が自分の思によそほつたあなたの肉体も、
もうあの露の清浄な新しさを持たず、
あなたの腕はおう明るい小枝のやうでなくなりました。

一切が凋落、ああ、不断の褪色。
一切が変りました、あなたの声まで、
あなたのからだも楯のやうに痩せました。
青春の勝利を失ふままに。

しかしそれでも、私の堅固な熱烈な心はあなたに言ふ、
日日におもる年が何であらう、
世界の何ものも
われらの感動に満ちた生存を乱さず、
愛がまだ美にかかはるにしては
われらの魂のあまり深い事を知る以上。



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