太郎冠者は 狂言の喜劇的性格の中でも 最も代表的な者の一つで、名称の冠者()は 本来 加冠した少年の義で、木曽冠者() ・ 蒲()ノ冠者()の如く、初めは クヮンジャ と訓んで 地位高き家の少年の尊称であつたが、後には 街冠者()、辻冠者() の如く、クヮジャ と音略して、少年の世故に疎く 諸事に未熟なるを 貶めていふに用ひられた。 狂言の称呼は 更にそれからの転化で、郎等() ・ 冠者()ばらと 『沙石集』 にもあるやうに、同じくクヮジャ と訓んでも、特に主持()の若者を意味するやうになつてゐたのが、いつしか内容の変化を生じて、主持()でさへあれば 必ずしも若者でなくとも 冠者()と呼ばれるやうになつた。 即ち、言葉の本来の意義 (年少者) が消失して、派生的意義 (従僕()) で使はれるやうになつたのが 狂言の冠者である。 言ひ換へれば、最初は 一定の年齢についての称呼であつたのが、最後には 特定の社会的地位の称呼となつたのである。
太郎冠者の太郎()は 本来 男性の惣領の通俗的称呼で、昔は 太郎の長男は小太郎と呼ばれ、小太郎に長男ができると 又太郎と名づけられるやうな 習慣があつた。 兄弟を 年の順で呼べば、太郎 ・ 次郎 ・ 三郎と名づけるのが普通であるが、しかし 太郎といふ名は 必ずしも年長者でなくとも、目立つ男といふほどの意味にも 一般的に用ひられ、古くは 君太郎 (蘇我の入鹿の通称) とか 降つては相模太郎 (北条時宗の通称) とかいふやうな名もあり、狂言の中には それぞれの性格的特徴に 太郎を付けて、悪太郎 ・ 鈊太郎 ・ 弓矢太郎 或ひは 岩太郎 ・ 河原太郎 などと呼ばれる人物がある。 また 人間以外にも、例へば利根川は 関東一の大河といふ意味で 坂東太郎の異名があり、また 陰陽学の方では 天一天上の最初の日を 特に天一太郎と呼んだり、耕作に関する四厄日の第一を 梅雨()太郎 (八専二郎 ・ 土用三郎 ・ 寒四郎 と合せて四厄日) と呼んだり、或ひは 幼児の疳の薬として用ひられていた小動物に 孫太郎虫の名があるのは、幼児の一般名として孫太郎の称呼があつたものか。 再び人間に戻るが、愚鈊な人間のことを三太郎といふのは、これも 太郎の名の一般化された一例である。 要するに、太郎といふのは 本来 男性年長者に対する固有名詞であるが、更に転化して 人或ひは物の顕著なもの、代表的なものに対する一般名としても用いられる。
それに似たことは 外国にもある。 英国の例でいへば、最も通俗的な男性固有名詞のヂョンは 男子の一般的称呼として、特に従僕の一般的称呼として 用ひられたりする。 その用例として ヂョン ・ ア ・ ドリームズ (夢みる人 ・ 愚人) といふのがある。 また ヂョン ・ ブル (英人) とか、 ヂョン ・ チャイナマン (支那人) とかいつたやうな 典型的性格を意味する集団」もある。 ヂョンの愛称化されたジャックは 更に通俗的で、固有名詞から一転化して 男子の一般的称呼となり、また 従僕の一般的称呼となるのは もちろんのこと、時としては 水夫の一般名としても用ひられる。 さういつた意味での複合詞としては、エヴリマン ・ ヂャック (万人各自) 、ヂャック ・ イン ・ オフィス (役人ぶる男) 、ヂャック ・ オブ ・ オール ・ トレイツ (なんでも屋) 、ヂャック ・ オブ ・ ボス ・ サイズ (内股膏薬の男) 、ヂャック ・ ナイフ (水夫用ナイフ) などがあり、ヂャック ・ アス (牡の驢馬) が愚人の一般名であるところは われわれの三太郎を聯想させる。 また、ヂャック ・ アンド ・ ヂル といへば、男の典型名と女の典型名を組み合わせて、太郎とお花といつたやうなもので、それを応用した諺に、エヴリ ・ ヂャック ・ ハズ ・ ヒズ ・ ヂル (どのヂャックも自分のヂルを持つ) といふのがあるが、われ鍋にとぢ蓋 といつたやうな意味になる。 ヂャックは、これもやはり人間だけでなく、器具類や器械類の特に人間の労力に代用される種類の物の名称にも用ゐられる。 日本でヂャッキと訛つてゐるヂャック (起重機の一種) が その一例である。
少し余計なことを言つたが、太郎()は 英語のヂャックやヂョンに似て、もともと個人的な固有名詞であつたのが、一般名化される傾向があつたので、従僕を意味する冠者()と結合されて 太郎冠者()といふ称呼ができた時は、それは特定の個人に対する称呼でもあつたが、同時に 従僕()を意味する一般名でもあつた。 だから 大名A の従僕も太郎冠者であり、大名B の従僕も太郎冠者であり、また、大名C の従僕も太郎冠者であれば、大名D の従僕も太郎冠者である。 すべて 主持()の従僕()は 皆 太郎冠者である。
だから 狂言に於いては、太郎冠者は必ず主持で、主人と共に登場する。 主人は、従僕の側から見れば、わが一身を委託した人であるから、常に頼うだ人()と呼ばれる。 太郎冠者の頼うだ人は 大名()であるか 小名()であるかが原則で、大名は 江戸時代になつては 知行一万石以上の城主をさういつたが、それ以前 鎌倉 ・ 室町時代に於いては 将軍家の家臣で、相当に広大な領地を持つてゐた守護 ・ 地頭の類をさう呼び、さらにそれ以前の王朝時代末期には 地方に大きな名田() (公田と区別して 領主が自分の名を附けて呼んでゐた土地) を所有したものが即ち大名で、狂言の大名は さういつた名田所領者として理解される。 また小名は その所領の名田が 大名に較べて遥かに小さいものであつた。 とにかく 狂言の大名 ・ 小名の表面上の身分は さうなつてゐる。 取り扱はれてゐる主題は、もちろん、狂言創作当時 (室町時代初期) の世態人情の 諧謔化なり風刺なりに向けられてあることは いふまでもないけれども。
太郎冠者の舞台的地位は 大名物()と小名物()に依つてちがふ。 前者では 頼うだ人がシテ (主役) で、太郎冠者はアド (副役) であるが、後者では 反対にシテが太郎冠者で、頼うだ人がアドであるのが きまりである。 それは 前者ではより多く大名の愚鈊を犠牲にして 風刺を試みようとする意向が現出し、後者では 主として太郎冠者の悪戯者的活躍を提示しようとする趣旨に裏づけられてゐるからである。 尤も、さうはいつても、前者に於いても 太郎冠者の活躍には相当著しいものがあり、後者に於いても 頼うだ人の愚鈊ぶりは大名のそれに劣らぬものがあるのは もちろんである。
大名にしても、小名にしても、或ひはそれに準じる富裕者にしても、身分と裕福の程度に応じて 従僕を二人以上抱へてゐることがある。 その場合、太郎冠者()は 第一の従僕で、第二の従僕は 次郎冠者()と呼ばれ、たまに第三の従僕があれば 三郎冠者()と呼ばれるが、狂言では それ以上の従僕は登場しない。 さうして、その場合、太郎冠者の太郎()は 次郎冠者の次郎() (また、たまに三郎冠者の三郎()) に対して 年長者 ・ 先輩の意味を持つから、言葉の本来の内容を恢復したわけである。
狂言には 多くの太郎冠者が出る。 つまり、大名物 ・ 小名物の曲目の数 (現行曲としては 大名物十七番 ・ 小名物四十六番) だけ 太郎冠者が出るわけである。 その外の種類の物にも、太郎冠者がシテまたは小アドとして出る曲が数番あるから、合計六十余人の太郎冠者をわれわれは持つことになる。 これを横に一列に列べると おびただしい数ではあるけれども、(写真の重複映しのやうに) 竪に重ね合せて映して見ると、大体に於いて共通したところがあつて 一人() の太郎冠者の映像ができあがる。 モリエールの喜劇の中に幾人も出て来る従僕のスガナレル、或ひは シェイクスピアの史劇と喜劇の中に三度ほど出て来る騎士フォルスタフの場合などが、それに似てゐる。 要するに、さういつた 一人() の太郎冠者の行状を跡づけて見て、中世的庶民階級の一性格を整理することに依つて、或ひは多少なりとも、狂言作者の諧謔表現と社会批判の志向が 窺はれはしないかと思ふのである。
大名が太郎冠者を呼び出すときの独白に、狂言の流儀によつて 「まづ のさ者() を呼び出し、此の儀を申し聞かせ喜ばせうと存ずる」 といふ言ひ方をする。 のさ者は のさばる者の原意から、わがまま者、のらくら者などの意味を持つ言葉らしく、本来 礼に倣はざる野人であるから、粗野で、放縦で、あつがましく、人を人とも思はぬ横着な いけづうづうしさがある。 それでゐて、根は臆病者で、から威ばりで、ほら吹きで、うそつきである。 さういふと 取り得がないやうだが、多くの場合、主人ほど愚鈊ではなく、むしろ反対に、あたまはよく働き、才気は十分にあり、物事に屈託がなく、人の思はくを見ることに機敏で、怒つた相手を笑はせるなどは最も得たもので、いつも人を食つたやうにへらへら笑つてゐる。 だから、彼のゐる所は常に明るくて朗らかで、喜劇的空気が充満してゐる。 欠点は 道義観念が弱く、恒常心に乏しく、教養が低いことであるが、しかし、そんな小むづかしいことを喜劇的性格に求めるのは 求める方がむりである。 教養は低いけれども それを補ふだけの才気があるから、何事にも器用で、酒の席にもなれば 謡つたり舞つたりすることは 最も得意とするところで、また、当時流行の秀句の理解などにも、鋭い所を見せ、腰折の一つ二つは 口を衝いて出ようといふものである。
太郎冠者が 田舎から初めて都に出た頃のことであつた。 見物に出て、北野から祇園へ廻らうとして、ぶらぶらやつて行くと、道ばたに菊の花が作つてあつた。 そのうちで一番見事なのを一枝折つて、よごれ乱れた髪に挿して、のつしのつしと三條通りの方へ歩いて行き、三條の橋の上に立つて景色を見たり 通行人を眺めたりしてゐると、其処に一群の美人連が通りかかつた。 いづれ内裏の上臈たちでもあつたものか、彼自身の言葉で形容すると 「芥子の花を飾つたやうに」 美しかつた。 彼が扇をかざして 見とれてゐると、そのうちの年の二十ばかりの女が、太郎冠者のぼうぼう頭に 菊の花が揺らいでゐるのを見つけ、そのをかしさに興味を持つたと見え、一首の歌を口ずさんだ。 「都には所はなきか菊の花、ぼうぼうがしらに咲きぞ乱るる。」 これはひやかされたなと思ふと、虫が収まらないので、太郎冠者 早速 彼一流の鸚鵡がへしで 一矢酬いようと決心した。 鸚鵡がへしといふのは、原歌の中の一字を置き換へて 返歌とするやり方であるが、太郎冠者の鸚鵡がへしの返歌は、 「都にも所はあれど菊の花、おもふかしらに咲きぞ乱るる」 といふのであつた。 それを 後から芥子の花の連中に追ひついて 高らかに口ずさんだもので、まづは太郎冠者の勝ちであつた。
すると、その美人は 「田舎の、こちへ」 と手招きした。 人見知りといふことを知らない 太郎冠者のことだから、いい気になつて のつしのつし 後からついて行くと、祇園の松原に幕を打ちまはしてある。 その中へ美人連は 幕の裾を打ち上げ打ち上げしては 入つて行く。 彼も同じやうにして 後から入ると、これへ、といつて坐らされた。 其処は 上座か下座か 田舎出の太郎冠者には 初めはわからなかつたが、見ると あたりには人もゐず、緒ぶとの金剛草履が列んでゐるきりで、美人連は 遠くの屏風の中に坐つてゐた。 やがて 料理が運ばれても 菓子が運ばれても、すべて自分の前を素通りするだけで、ばかばかしくなつたから、座敷を踏み散らして 幕の外へ出ると、後から声を立てて はした女が追つかけて来た。 さうして、いきなり太郎冠者の両手を捩じ上げて、さいぜんの物を返せといふ。 人に馳走もしないで、返せとは何を、と一応は力んだが、あまり強く捩じ上げられて 痛いので、それならば返すから此処を放せ、といつて懐から緒ぶとの金剛を取り出し、これか、といつて渡した。
これは後日に 太郎冠者が頼うだ人に話して聞かした 土産話で、どこまでが本統で どこからがうそだか わからないけれども、太郎冠者らしさが現れて 面目躍如たるものがある。
太郎冠者の奉公してゐる大名は、型の如く 領地争ひの問題で 訴訟のため都に逗留してゐるが、一年二年とたつうちに、たいがいの所は見物してしまつたし、内にぢつとしてゐるのも退屈だから、今日はどこぞ珍らしい所へ行つて見たいと言ひ出した。
太郎冠者はもう都馴れて、主人よりはよほど通人であつたので、それでは 下京辺() によい庭を持つた方があつて、丁度 宮城野() の萩が見頃だから お供をしませうといふことになつた。 しかし、庭を見せてもらふと、きまつて亭主が当座の歌を所望するから、その下心で行かねばなるまいと 太郎冠者に注意され、さういつたことにかけては 全然素養のない 大名のこと故、急に気がひけて来て、「そのやうなむづかしい所ならば 行くまいまでよ」 と言ひ出した。 だが、せつかく思ひ立つて お出でなされれぬと申すは残念なことだといつて、外出ずきの太郎冠者は 一案を思ひつき、自分の持ち合わせの歌を 一首主人に教へて 予行演習にかかつた。 その歌は 「七重八重九重とこそ思ひしに、十重咲き出づる萩の花かな」 といふのであつたが、それがどうしても 大名には覚えられない。 そこで太郎冠者は 物に譬へて覚えさせようとした。 まづ扇を出して、扇の骨は十本あるのがきまりだから、「七重八重」 で骨を七本八本まで開き、「九重」 で九本、「十重咲き出づる」 で ぱらりと皆開くことにしょうと 約束した。 それならば 何とかなりさうだが、その先がまたむづかしいといふ。 「萩の花かな」 が出るかどうかが 気づかはしいのである。 しかし、太郎冠者のいふには、「常常 こなたの私を叱らせらるるに、臑脛() の伸びての、屈()うでの、と仰せらるるによつて、慮外ながら向臑()と鼻の先をお目にかけませう」 と、これで 主人も一安心して出かけることになつたのである。
さて 向の家について 太郎冠者からお庭拝見を申し入れると、此の頃は上掃除なによつて、と 一応は辞退されたが、頼うだ者を案内したといふと、それではと 通された。 「ははあ、これは打ち開いた景のよい庭ぢやなあ」 と、大名は床几を出させ、太郎冠者は 亭主を大名に紹介する。 亭主は 上掃除な といつたが、隅から隅まで塵一つないといつて 大名は感心する。 庭のたたずまひは、まづ一面に備後砂を敷いて、島先に梅の古木を椊ゑ、北山から引かせた黒石を立石とし、明るい秋の日のさんさんと照る下に 宮城野の萩が白砂の上に赤赤と咲きこぼれて 美しい。 大名は 梅の古木の枝を茶臼の挽木にしたいの、立石の中の白い部分を打ち欠いて火打石にしたいの などといつて、太郎冠者に気を揉ましたが、やがて亭主は 太郎冠者を通じて 「これへお腰を掛けらるるほどの御方へは、歌を一首づつ所望申しまする。 こなたにも 何とぞ一首遊ばしてください」 と申し出た。
そこで 大名のプロムプター付き即興が始まるのであるが、その間 主役のからくりを見られないために 亭主にはあちらを向かしての詠吟であるけれども、せつかくの予行演習もあらかた忘れてしまつて、太郎冠者が扇を開いて骨を七本八本見せると、「七重八重」 とは出ないで 「七本八本」 といひ出すやうな始末で、上の句を完了するだけにも 大変な手まどりであつた。 亭主はそれを繰り返して 「七重八重九重とこそ思ひしに、十重咲き出づる」 * と吟じ、 「あとを承りたうござる」 と催促すると、その時太郎冠者は 主人のあまりの無能さにあいそをつかして、臑を叩き 鼻の先を指して 姿を消してしまつたので、大名は途方にくれ、それきりにしようとしたけれども、亭主がどうしても承知しないので、「太郎冠者が向臑」 と言ひ放つてしまつた。
* 著者の不注意と思われる小錯誤あり。 「萩大名」 の通常テキストにもとづき訂正。
さういつた風流韻事にかけては 大名は愚鈍の骨頂を発揮するが、食料品調達などの俗事にかけては 必ずしもさうでない。 愚鈍は愚鈍ながらに 人並の俗才に長けてゐる。 もとより 太郎冠者に於いては 独擅場である。
問題の係争事件も大体目鼻がついて 有利の展開を示し、近く本領安堵の御教書()をいただいて 帰国できさうになつたので、それにつきいろいろと取成しにあづかつた人たちに ふるまはうといふことになり、太郎冠者の才覚が必要となつた。
何しろ早急なことで、台所には何かさかながあるか と聞かれても、太郎冠者は、今日は お台所には 何もさかなはござりませぬ、と答へる外はなかつた。 それでは肴()町へ走つて 何ぞ求めて来いといはれ、さて市場へ出かけて見ると、浦が荒れたと見えて 魚は何もなく、雁だけがあつた。 初雁()で 値段は三百疋といふのを 二百疋に負けさせた。 十文が一疋に換算されてゐた時代であらうから、二百疋は二千文、即ち二貫文である。 銅銭二貫文は金一両、銀十両に換へられてゐた筈で、相当に高値であつたと思はれる。 米を標準として考へると、例へば文明年間には 一貫文で米が五斗四升買へたといふのであるから、たとひ初雁にしろ、雁一羽二貫文は 高値であつたに相違ない。 太郎冠者は とにかくさういふ取引を始めたけれども、亭主が頼うだ人を知らないといつて、金と引換でなければ 渡してくれない。 仕方がなく、金はすぐ持つて来るから その間店を引いて置いてくれと頼むと、引いては置くが あまり遅くなると店を出すから そのつもりでゐてくれ、と念を押された。 さて 家に帰つて 主人に金を請求すると、恥ずかしいことながら 唯今 金はない、といふ。 それならば お振舞を延ばしたがよからうと忠告したけれども、汝を出した後で いづれもへ人を遣はしたところが、皆揃つて今夜来るとのことで、今更どうにもならなくなつた。
その時 主人が太郎冠者へ申し渡した言ひつけこそ 聞きごとである。 「汝は日ごろ才覚な者ぢやによつて、雁をただ取る調儀()をせい。」 これは 雁をちよろまかして来い といふことである。 さすがの太郎冠者も考へたが、奇策縦横の男だけに 忽ち一策を案じ出し、「こなたの肴町までお出でなさるれば ざつと済むことでござる」 と 簡単に引き受けた。 主人は でかけることを承知した。
出かける前に ちよろまかしの申し合せがある。 もちろん 太郎冠者が指導者である。 店は引かせては置いたけれども、かれこれ だいぶ時間もたつたので、いづれもう店先に出してあるだらう。 それをまづ 大名が入つて行つて 値段を聞き、幾らでもかまはないから 言ひ値で買はうといふことにする。 そこへ太郎冠者が駆けつけて、約束の金を持つてきたといふ。 きつと亭主はことわるに相違ない。 すると 太郎冠者は 亭主にいひがかりをつけて、雁を持つて行かうとする。 今度は大名が腹を立て、太朗冠者に向かつて 刀の柄()に手をかける。 いづれ 亭主があわてて留めることだらう。 その暇に 太郎冠者がちよろまかさうといふのである。
さて大名は 肴町にでかけ、教はつた道を左に折れて 角から三軒目。 「やいやい、亭主亭主」 と景気よく入つて行き、「それはなんじやい」 と 雁をさす。 初雁で 値段は五百疋と吹かれたが、「五百疋に 身が買はんず買はんず。 どちらへもやるな」 といつてるところへ 太郎冠者がやつて来て、「のうのう 亭主亭主、代り (代金) を持つて参つた。 この雁を持つて参らう」 といふと、「ああ、これこれ、やることはならぬ」 と 亭主は拒む。 それから筋書通りに 亭主と太郎冠者との喧嘩が始まり、「身どもが先へ来て求めた雁じやによつて、是非とも こちへ取らねばならぬ。」 「やることはならぬ。」 と、争つてゐると、大名は居丈高になつて、「やいやい、そこな奴」 と 太郎冠者に呼びかける。 「やあ」 と 太郎冠者は横柄にこたへる。 「やあとは おのれ憎い奴の。 誰が者なれば 諸侍() の求めた雁に手をさゆるぞ」 と 大名は押つかぶせてかかる。 太郎冠者も負けないで 口ごたへをする。 大名 「おのれ そのつれな事をいうたらば、為にわるからうぞ。」 太郎冠者 「為にわるからうというて何となさるる。」 大名 「目に物を見せう。」 太郎冠者 「それは誰が。」 大名 「身どもが。」 太郎冠者は笑ひ出して 「某も似合ひに 主() を持つてゐまする。 こなたの目に物を見せさせられたりとも、深しいことではござるまいぞ。」 大名 「ていとさういうか。」 太郎冠者 「おんでもない (もちろんの) こと。」 大名 「たつた今、目に物を見せう。」 と、此処で、大名は 素袍の右の肩を脱ぎ、刀の柄に手をかける。 太郎冠者はへこたれず、「これは身どもが持つて参る」 と、雁を取らうとする。 「いやいや、やることはならぬ」 と、亭主が太郎冠者を遮る。 大名 「亭主 そこのけ。 一打にしてくれう。」 その剣幕に驚き、亭主は大名を遮り、 「ああ、聊爾() をなさるな」 と しきりに留めにかかる。 大名は なほも物凄い剣幕で、「いやいや、そこをのけといふに」 といひながらも、延び上つて、太郎冠者が雁を取つたかどうかを 確かめようとする。 亭主は 「何とぞ御免なされてください」 とわびる。 自分の店先で上祥な事が起こつては と恐れてゐるのである。 その間に大名は 太郎冠者がたしかに雁を取つて行つたのを見て、「むう、亭主のわびごとか。」 亭主 「なかなか、私のおわびごとでござる。」 大名 「それならば 堪忍のせう」 と、亭主の顔を立ててやつた風に見せかけて 脇へ退き、素袍の肩を入れる。 亭主は 店から雁が消えてゐるのに 初めて気がつき、「南無三宝、雁をはづされた」 と あきれてしまふ。
場面は一転して 大名と太郎冠者と帰り道で待ち合せるところになる。 大名 「いえ、太郎冠者。」 太郎冠者 「えい、頼うだ人。」 大名 「何と取つたか 取つたか。」 太郎冠者 「取りました 取りました。」 大名 「何と取つたか。」 太郎冠者 「まんまと 取りましてござる。」
それから さつきの作り喧嘩の話になり、知らぬ者が見たならば 本統の喧嘩と思つたであらう、と、これは、双方とも 芝居がうまく行つたことの自慢である。 時に 「さて こなたには 早いことを なされましたの」 と 太郎冠者が 例のへらへら笑ひで言ひ出すのを、「早いこととは」 と 大名はとぼけてゐたが、「亭主と一つ二つ申しつのつた時分、棚の端へちよつとお手がまいりましたが、何を取らせられたぞ」 と すつぱ抜かれると、大名は 「ここな者は」 と 一応たしなめて、「諸侍が 何とさやうな さもしいことをするものぢや」 とは言つたが、太郎冠者は 「いやいや、隠させらるるな。 たしかに見ましてござる」 と承知しない。 大名はなほもしらを切つて 「いやいや、何も取らぬ」 とは言つたものの、「それほど隠させらるるならば、私の雁もお目にかけますまい」 と 太郎冠者にいはれて 腰が弱くなり、「すれば真実見たか」 と大名。 「なかなか、見ましてござる」 と太郎冠者。 こんな事にかけては 大名も相当なものではあるが、太郎冠者にはかなはない。 大名 「あたりに人はないか。」 太郎冠者 「いや、誰も居りませぬ。」 大名 「それならば見せうほどに、これへ出い」 と、なほもあたりを警戒して 太郎冠者を傍へ寄らせ、「国元への土産にせうと思うて、これ、これを取つたわ」 といひいひ 懐中から取り出して見せた物は、何と、紫の袱紗であつた。
「私は雁を取りました。」 さういつて 太郎冠者は 隠し持つた雁 (舞台では黒塗の折烏帽子) を出して見せる。 「近頃 出かいた。 急いで毛を引かせい。」 これが 大名の褒め言葉であつた。
いよいよ 帰国の日も近づいた。 訴訟のことは 予定以上の好結果で、本領安堵の外に 加増の御沙汰までも戴いたので、大名は 心も晴れ晴れとなり、久しく 鼬の道切 * となつてゐた女のことなども思ひ出し、いづれ此のまま本国へ帰ることになるかと思つてゐたが、今一度逢つて 別れを惜しんでからのことにしようかと思ひ直し、「かの人の方()へ暇乞ひに行()たものであらうか、但しまた、沙汰なしに下らうか」 と、太郎冠者に相談した。 如才のない太郎冠者は すぐと主人の顔色を読み取つて、「これは お出でなされたなら ようござろう」 と 答へた。
* いたちのみちぎれ。 交際が途絶えること。 (いたちは、一度通った道は 再び通らぬ、とされていることから。)
そこで 二人して出かけた。 主人は表へ通つて 床几に掛け、太郎冠者は勝手に廻つて、主人を案内して来たことを 女に告げる。
女 「何ぢや、頼うだ人のお出でなされた。」 太郎冠者 「なかなか。」 女 「これは いかなこと。 あの頼うだ人は、わらはが方をば 見限らせられたものを。 何として お出でなさるるのぢや。 これは そなたのわらはを喜ばするのであらう。」 太郎冠者 「いや、はや表へ通られてでござる。」
女は、だまされるのかとは思つたが、表へ行つて見ると、大名が床几に掛けてゐるので、「やれやれ、おなつかしや。 今日は どち風が吹いてのお出でなされてござるぞ。 定めて わらはが方へではござるまい。 間違ひでござらう」 と、まづ 嫌味をいひ出す。 大名 「お怨みは御尤もでござるが、此の間は 殊の外せはしうござつて、久しうお見舞も申さず、太郎冠者さへ忙しうて、便りもいたしませなんだ」 と弁明これ努め、そんな応答がいろいろあつた後、「さて今日参るも 別なることでもござらぬ。 まづ こなたも喜うでくだされいは」 と、かねての訴訟も 都合よく運び、新地の拝領も過分にあつたことを知らせる。 女は、内内案じてゐましたが、このやうなうれしいことは ござりませぬ、 と 喜びをいふ。 大名は 「さりながら、外に こなたの肝をつぶさせらるることがござる」 といつて、いよいよ お暇()をいただいたので、明日は都を立つて 国元へ下ることになつた、と知らせる。
女 「や、何と仰せらるる。 お暇が出まして、明日は はやお国元い下らせらるる」 と、その言葉の下から泣き出す。 「さてもさても、わらはは いつまでも此方にお出でなさるることと存じて お目にかかつてござるに、かやうに 今などお別れ申すと存じたならば、初めよりお目にかかりますまいものを。」 さういつては 頻りに泣く。 見れば 目の下には 涙が垂れ流れてゐる。 大名は それを見て心を動かされ、「私も かやうにござらうと存じたならば、お目にかかるまいものを。 さりながら、また近い内には登りまするほどに、その時分 ゆるりとお目にかかりませうほどに、さう思うてくだされい。」 などといつて、釣り込まれて 泣き出す。
但し、大名の泣くのは、釣り込まれてではあつても、真実 泣くのであるが、女の方は 俯向いて 猪口()の水を目に塗つて 泣いてるやうに見せかけてゐるのである。 それを見て取つた太郎冠者は、主人をそつと物陰に呼びだして、「もうし、あの女はまことに泣くと 思しめしまするか」 と いふと、「ここな者は むさとした。 あれほど 真実 歎かるものを、なぜにそのやうなことをいふぞ」 と 機嫌がわるくなる。 太郎冠者 「いや、あれは 傍へ水を置いて、それを塗つて 泣く真似をいたしまする。」
その時、女が 「もうし、もうし、どれへござるぞ」 と 呼び立てるので、大名は あたふたと取つて返し、用があつて太郎冠者に呼ばれて 話してゐたといふと、女 「それ 見させられい。 たまたま お出でなされても、はや わらはをうるさうおぼしめして 表へ出でさせらるる。 そのお心ぢやによつて、お国へ帰らせられたならば、わらはがことなどは、ふつつりと忘れさせらるるであらうと思へば、悲しうてなりませぬ。」 さういつては また泣き出す。 大名 「何しに 今までおなじみ申したものを 忘るるものでござるぞ。 国元へ下つたらば、早早 文の便りをもいたしませう。」 大名は なだめようとするぇれども、女は一向に聞キ入れず、「唯今こそ さやうに仰せらるるとも、お国元へ下らせられてござらば、いろいろおもしろい お楽しみもござらうほどに、なかなか わらはなどがことは 思しめし出ださるることではござらぬ。 忘れさせられぬお心ならば、ここもとに お出でなさるる内も、折折は お出でなさるる筈なれども、近頃は なんのかのと仰せられて お出でもなされず、太郎冠者さへくだされぬものを、何として お国元でわらはがことなどを 思しめし出ださるるものでござるぞ。 逢ふは別れの始めとは申せども、かやうに はかないお別れにならうと存じたならば、おなじみ申すまいものを。 近頃くやしいことをいたいた。」 さういつては 目の縁に水を塗つて しきりに泣く。 女が泣けば泣くほど、大名はおろおろして 慰めかねてゐる。
太郎冠者は いつまでも主人を嘲斎坊 * にさせて置くのが いまいましく、また物陰に呼び出して、「あれほどに水をつけて泣くを こなたはお気がつきませぬか。」 大名 「さてさて そちはむさとしたことをいふ。 あのやうに真実にいうて泣くものを、またしても むさとしたことをいふか。 すつ込うでおろ。」 と、大変な剣幕である。 太郎冠者は 主人の女に甘いのにあきれてしまひ、今更 薄のろ教育でもあるまいが、「思へば思へば、あの女めが憎いやつ」 だと、いまいましく、一つには 女に恥をかかせてやり、一つには 主人の目を醒ませてやらうと決心し、奥へ行つて猪口に墨を入れ、それをそつと水の猪口と取り換へた。
* ちょうさいぼう。 人から馬鹿にされ、からかわれる人。
女は 俯向いて泣きじやくつてゐたが、またしても大名のゐなくなつたのに気がついて、「もうしもうし、頼うだお方、どちへお出でなされたぞ」 と 呼び立て、大名がもとの席へ戻つて来ると 「それそれ、それ見させられい。 わらはがとやう申すを うるさうおぼしめして、何のかのと仰せられて 立つつ居()つなさるる。 いかに男ぢやというて、さりとてはお心強いお方ではござらうぞ。」 さうくどかれて、大名はますます心弱くなり、「それほどに思しめすならば、国元へ下つたならば、早早 太郎冠者を迎ひに上せませう」 と いひ出す。 女 「何と仰せらるる。 太郎冠者を迎ひにくださるる。」 さういつた顔を ふと見ると、何と、目のまはりは 浅ましくも 真つ黒である。
大名は 肝をつぶして その場を立ち、「太郎冠者、こちへ来い、こちへ来い。」 といふけれども、太郎冠者は 「用はござるまい」 とすねてゐる。 大名は 「ちと 用がある。 早う来い。」 と あせってゐる。 したり顔に行つてみると、大名は 「あれは何とした面()ぢや」 と あきれかえつた体である。 太郎冠者 「それ 見させられい。 私が申すのを聞かせられぬによつて、墨と水とを取り換へて置きました。」 大名は 「一段と出かいた」 と、初めて目がさめて、太郎冠者の思ひつきを褒めたけれども、自分たちだけが見て おもしろがつてゐるべき問題ではなく、当の本人に知らせねば 虫が収まらないので、懐中してゐた鬢鏡 * を 片身と称して 女にやることを思ひついた。
* びんかがみ。 髪の形を映して見るための、小さな手鏡。
女は、なほも怨みごとをつづけ、「お国元へ下らせられて 美しい奥様にお目にかからせられたらば、わらはがことなどは、夢にも見させらるることではあるまいと思ひますれば、身も世もあられぬやうに 悲しうてなりませぬ」 といつては、また新しい勢ひで 泣きぢやくつてゐたが、鬢鏡を押しつけられて、太郎冠者が迎ひに上るまで これをあなたと思つて 持つてゐませうといふことになり、ついでに 蓋を取つて見よ といはれ、蓋を取つて見ると、今までは水を塗つてゐたつもりの わが顔が、墨くろぐろと映し出されたので、「はて 合点のいかぬ」 と、驚いた、 が、 忽ち 相手の悪意に勘づいて 怒り出した。 「やい、わ男、ようもわらはに恥を与へおつたの。 何としてくれうぞ。」
大名 「いやいや、身どもは知らぬ。 太郎冠者がしたことでおりやる。」 さういはれて、怒り立つた女は 太郎冠者に立ち向ひ、 「やい 太郎冠者、ようもわらはに 恥を与へたの。 をのれ 引き裂いてくれうか」 と、逃げようとする太郎冠者を捉へて、猪口の墨を その顔になすり附ける。 「ああ、私ではござらぬ。 頼うだお方でござる。 ゆるさせられい」 と太郎冠者は その手を振り切つて 逃げ出してしまふ。 今度は また大名の番である。 「やい、わ男、わらはに恥を与へおつたによつて、おのれ引き裂いてやらうか、食ひ裂いてのけうか。」 さういつて 引つ捉へて、その顔にも さんざんに墨を塗りたくる。 大名 「身どもは知らぬ。 ゆるさしめ、ゆるさしめ。」 女 「逃げたというて 逃がさうか。 あの横着者、捉へてくれい。 やるまいぞ、やるまいぞ。」
一時間の後、大名と太郎冠者は、どこかで顔の墨を洗ひ落して、烏丸松原の因幡堂()に 参詣してゐた。 本尊 薬師如来の御像は 釈迦如来の自作で 因幡に渡つたのを、一条天皇の御世に、因幡の国守 在原の行平が都に帰ると、その後を慕つて 行平の屋敷に飛んで来たので、其処を寺として安置した と伝へられてゐる。 それで 王朝以来 霊験あらたかな因幡薬師として 上下の信仰を集めてゐた寺である。
「さて、いつ詣つても、しんしんとした殊勝な御前()ではないか」 と、大名は さつきの事件からは もう別人のやうになつてゐて、何といつても明日は、めでたく国元へ出立のできるのを 喜ばしく思ふ気持になつてゐた。
大名 「さて 身どもが思ふは、此のたび仕合せよう国元へ下るも、日ごろ信仰するお薬師の御利生()ぢやによつて、国元へ下つたらば、此のお薬師を移いて 安置せうと思ふが 何とあらうぞ。」 太郎冠者 「これは 一段とようござりませう。」 大名 「それならば これほどにこそならずとも、此の御堂()は 恰好のよい御堂ぢやによつて、とてものことに 此の恰好に御堂をも建てうと思ふほどに、汝もここかしこをとくと見覚えて置け。」 太郎冠者 「畏まつてござる。」
さういつた下心で 二人は建造物の鑑賞にかかり、御厨子、来迎柱の箔の置きやう、軒先の組様、欄間の彫刻、獅子置の具合など 今更のやうに 感心して打ち眺め、それから後堂()へ廻つて、桝形、垂木、破風 と 一つ一つ見て歩き、縁の板の見事な楠、欄干の金物、総じて釘隠し真中四分の一煮黒め、一つとしておろかな物のないことに感歎して、 大名 「何と国元の大工が、此のやうな事をとくと合点してせうか。」 太郎冠者 「仰せつけられたらば、ずゐぶん精を出して いたすでござりませう。」 大名 「いやいや、精を出したりとも、今いまの細工人では、なかなか これほどには得せぬであらう。」 などと話し合つてゐたが、大名は 突然 「やい 太郎冠者、あの つうと空に、黒い物が見える。 あれは何ぢや」 といつて 破風の方を指さし、「あれあれ、あの異形()な物は 何ぢや。」 太郎冠者 「鬼瓦のことでござるか。」 大名 「まことに鬼瓦ぢや。 あの鬼瓦は、誰やらの顔によう似たな。」
太郎冠者は 「誰に似ましたぞ」 と 生()返事はしたものの、見れば 頼うだ人が涙ぐんで、しくしくと泣き出してゐるので 驚いた。 「もうしもうし、お前は 俄かに御落涙の体でござる。 それは 何事でござる。」 大名 「されば あの鬼瓦が、誰やらに似たと思うたれば、国元の女どもが、妻戸の脇まで送つて出て、やがて息災でお帰りなされい、めでたうお目にかかりなせう というて、につと笑うた顔にそのままぢや。」 さういつて 声に立てて泣き出した。 大名は さつきの黒塗の女に 都会の商売女の誠意のない姿を まざまざと見せつけられて、ひどく幻滅を感じてゐた直後のことではあり、明日はいよいよ国元へ立つといふので、急に里ごころがついて、家に残した女房が 恋しくなつたのである。
しかし、それにしても、鬼瓦の物凄い相貌で 奥方の顔を連想するとあつては、さすがの太郎冠者にも、それが適切な連想でなくもないので、それだけ なほと返事につまつて、 「いづれさう仰せらるれば、どこやらが似ましてござる」 と答える外はなかつた。 大名 「どこやらといふことがあるものか。 それは 似ぬも同じことぢや。 これは 似たも似たも 大抵のことではない。 瞼の覆ひ被()さつたところ、猿田彦の鼻ほどきよいと高いわ。 さりとてはよう似た。」 太郎冠者 「なるほど、唯今 見ますれば よう似ましてござる。」 大名 「また 口の耳せせまで切れたところ、首筋に苔の生えたは、そのままの女どもぢや。」 さういつて、上を見上げ見上げしては、人目もかまはず 大名は泣きつづける。
太郎冠者 「もうしもうし、おつつけお下りなさるれば、早速にお逢ひなさるることでござる。 なぜ 御落涙なされますぞ。」 大名 「まことに さうぢや。 おつつけ国元へ下れば 逢ふことぢや。 よしないことに 落涙した。 このやうな時は どつと笑うて退()かう。 つうつとこれへ寄れ。」 太郎冠者 「畏つてござる。」 大名 「さあ笑へ。」 太郎冠者 「まづ お笑ひなされませ。」 大名 「まづ。」 太郎冠者 「まづ。」 二人 「まづ、まづ、まづ。」 さうして、ははは、と 高らかに 口を揃へて 笑つてのけた。
その後、五条の通りを道行く人は、二人の田舎者の主従が いかにも機嫌よく語り合つて行くのを 見たであらう。
大名と太郎冠者は、都逗留の手荷物は 先に送り出して、心も軽く身も軽く、近江路から東国をさして 遙遙の家路に就いたが、 大名 「国元を出る時は、われもわれもと 供をしたれども、永永の在京なれば、皆 国元へ下つてあるに、汝一人は よう奉公したに依つて、国元へ下つたならば、くわつと取り立てて取らせうぞ。」 太郎冠者 「それは 喜ばしいことでござる。」 大名 「馬に乗せう。」 太郎冠者 「なほなほでござる。」 大名 「が、乗りつけぬ馬に乗れば 必ず落つるものぢやによつて、馬に乗るまでは 牛に乗せう。」 太郎冠者 「それはともかくも 御意次第でござる。」 大名 笑ひ出して 「これは 戯()れごと。 (馬に乗るまでは 牛に乗れ といふ諺がある。) 馬に乗るほどに 取り立てて取らせうぞ。」 太郎冠者 「それは近ごろ (近ごろ忝いこと) でござる。」
そんな 空()手形の発行も あらまし済んで、旅路のつれづれは ややもすれば 両人とも互ひに 欠伸を移しがちであつたから、大名は 何か退屈しのぎに 太郎冠者におもしろい話でもさせようと思ひ、汝もこれまで身どもが屋敷に来るまでは いづれ方方を渡り歩いたことであらう、中でも一番変つたことのあつた話をして聞かせい、と いひ出した。 太郎冠者は ちよつと首をかしげてゐたが、いや、いづれも お屋敷は似たり寄つたりで、別に変たこともありませなんだが、ただ一度 博奕()の 抵当()に取られたことがござりまする、と 答へると、あの汝がか、と 大名はあきれてゐる。 それは かういふ話である。
太郎冠者が 小名も ごく小身者の家に 奉公してゐた頃のことであつた。 その家は 主人夫婦だけの 小ぢんまりした暮らし向きで、主人にわるい道楽さへなければ、もつとのどかな月日が送れた筈であるのに、幾ら負けても性懲りなく、手慰みをどうしてもやめようとしないのであつた。
ある日、主人に呼び立てられて 行つて見ると、そちは大儀ながら 此の文を何某殿の方へ持つて行け、と いつて手紙を渡された。 太郎冠者は また主人がいつものやうに 寄合ひをして手慰みをするのだらうと思ひ、「慮外ながら これは御無用になされたらようござりませう。」 と 諫言に及ぶと、主人は 「おのれが何を知つて」 と 怒り出し、「そのやうなことではない。 外の用を申し遣はすのだから、早う持つて失せう。」 と 叱られた。 仕方がなく、その手紙を持つて 何某の家へ行き、案内を乞ふと、主人が出て来て、「えい 太郎冠者、そちの来るのを待つてゐた。」 太郎冠者 「頼うだ者より お文をおこしましてござる。」 何某 「やれやれ 念の入つた人ぢや。 文には及ばぬ。 今日よりしては、そちは 某が内の者ぢやほどに、さう心得い。」 太郎冠者は驚いて 「それはまた いかやうなことでござるぞ。」 何某 「すれば そちは仔細を知らぬと見えた。 此の間 そちの頼うだ者と一勝負したれば、某が仕合せがようて、金銀はいふに及ばず、そちまで打ち勝つたほどに、それ故 そちをおこされた。 今日よりしては 身どもが太郎冠者ぢやによつて、さう心得い。」
太郎冠者は あきれてしまつたが、そのやうなわけなら 頼うだ者から何か話があるべきだと思ふに、なんにも話がなかつたので、これから行つて 問い糺して見ようとすると、何某は、それには及ばぬ、頼うだ者の手跡は知つてゐるだらう、と、持つて来た文を 開けて見せた。 まさに 主人の手跡にちがひなかつた。 自分の知らぬ間に 主人が自分を賭けて まんまと身柄を引き渡されたのだから、今更 何とも仕方がなかつた。 「さうござれば、いづ方に奉公いたすも 同じことでござるによつて、此方様に御奉公いたしませうず。 万事 上調法でござるによつて、お目永に 使はせられてくだされい。」
すると 何某 「さて 初めて来て ただゐるは 悪しいものぢや。 山一つあなたへ 使ひに行て来い。」 さういつて すぐといひつけられた。 太郎冠者は それが気に食はなかつた。 人づかひの道を知らぬと見えて、目みえ早早 人をこき使はうといふ量見が 癪にさはつた。 「畏まつてはござりますが、私は持病に脚気がござつて、此方へさへ やうやう這ひもうて参りましたによつて、山一つあなたでござらば、馬上でなくては 得参られますまい。」 何某 「馬上でやるほどならば 某が行く。 それならば 縄を綯()うてくれい。」 太郎冠者 「あれもなるまいこれもなるまい と申すは、近頃 気の毒にござるが、私は終に 縄を綯うたことはござらぬ。 その上、たまたま綯ひまする縄も 左縄で、何の御用にも立ちませぬ。 これも 御免なされてくだされい。」 何某は、それは話がちがふ、そちは縄は得意ぢやと聞いた、といつても、太郎冠者は、「型の如く 上調法でござる」 といつて 話にならない。 「それならば 水を汲め」 といひ出した。 が、太郎冠者は 「いや もうし、私もさもしい奉公をこそいたせ、終に 水などを汲んだことはござらぬ」 と、一向に相手にならない。
何某は 全く手を焼いて、「何の役にも立たぬ奴の。 すつこうでおろ」 と 席を蹴つて 立つてしまつた。 その魂胆は、こんな役にも立たない ふてくされを引き取つたよころで 間尺に合はないから、もとの主人に懸け合つて、金に換算させようといふのであつた。
そこで 出かけて、懸け合ふと、いや そんな筈はない、あれは何でも調法な男で、殊に縄なひは 中でも得意であるのに、合点の行かぬことぢや、と考へ込んだが、いや、わかつた、これは なんにも言はないで だまして遣はしたものだから、ふてたものだと思はるる、御苦労ながら もう一度帰つて、今度は仕合せがわるくて、太郎冠者を取り戻された というて、此方へよこしてくだされい、私が使うてお目にかけませう、と いふので、さういふことに話をきめて 何某は帰つて行き、「やいやい、太郎冠者 太郎冠者、太郎冠者は居らぬか、太郎冠者 太郎冠者」 と どなり立てた。
すると 太郎冠者が 「はあ 呼ばせられまするか」 と、のそのそと 台所の方から出て来た。 何某 「さて 汝に逢うて、何とも面目もないことがある。」 そのわけは、今の間に また一勝負したれば、今度は此方の仕合せがわるくて、云云、ついては 「そちは 戻つてくれずばなるまい」 といふので、太郎冠者 心に打ち喜び、但し、表面は体裁よく暇を告げて、もとの頼うだ者の家へ帰つて行き、「いやのう 頼うだ人、ようも欺()いて やらせられたの」 と、いきなり憤懣をぶちまけ、「在りやうに仰せられたならば 参るまいではござらぬに、欺()いてやらせらるると申すことが あるものでござるか。 まだ 私はようござるが、後には おかみ様をも打ち込ませらるるでござらう。」 さういはれて、主人も面目なく、「もはや ふつつりと思ひきつた」 と 口先では誓約し、さて 今の勝負に 金も太郎冠者も取り戻して 「鳥目が夥しうあるほどに、縄を綯うてくれい」 と いふと、太郎冠者 「私の得物でござる。 唯今綯うてあげませう。」
それから 自慢の縄綯ひにかかつたのであるが、「慮外ながら 此方()は 後()を控えてゐてください」 と、主人に縄の端を持つてもらひ、「惣じて縄と申すものは 後をひかゆると、殊の外 はかの行くものでござる」 と、その理由を説明しながら、「さて 私が此の縄をなひまする内に、何某殿の内の様子を話して 聞かせませうか」 と いひ出し、主人も 「これは おもしろからう」 とあつて、何某の悪口が始まるのである。
まづ 文を持つて行くと、今日からは 身どもが太郎冠者ぢやによつて、さう心得い、とあつて、山一つあなたへ行けの、縄をなへの、水を汲めの、と、人を使うたことがないと見え、少しも休ませまいとする。 それを皆ことわると、何の役にも立たぬ、すつこんでゐよ、と 腹を立てて 何処かへ出て行つてしまつた。 太郎冠者は 台所につつくりとしてゐて、方方見廻して見ると、以前は勝手よく暮らしたと見えて、家居もつぎつぎしう、竈数も多いには多いが、釜の下では、いつ火を焚いたものやら、蜘蛛の巣ばかりであつた。 それで 貧乏ななくせに子供が多く、いかさま 十二三を頭にして、七八人もあろうか、あそこの隅からは によろり、ここの隅からは によろりと出て、ここへは湯をくれい、かしこへは茶をくれい、いや水をくれい、と、うるさいこと甚しく、それぞれに汲んで出すと、ここへは茶というたに湯をくれた、湯というたに水をくれた、いや熱うて舌を焼いたわ、ぬるうてむせたわ、のというて、せびられる。 「あの子供にせびられうことならば、百年の寿命も 一時にちぢまることでござる。」 といふと、 「定めて さうであらう」 と 主人も相槌を打つ。
太郎冠者 「さて 皆 蜘蛛の子を散らす如く どこへやら遊びに出て行かれまして ござるところで、また私も つつくりといたいて居りますと、奥の方から 山鳩のうめくやうに、太郎冠者 太郎冠者と申して 呼びまするによつて、何事ぞと存じて見ましてござれば、ははは、何某殿のお内儀の出ましてござる。」 主人 「何ぢや、お内儀の出られた。」 太郎冠者 「なかなか。」 主人 「あれは美人で、人に逢はせぬといふが。」 太郎冠者 「何ぢや、美人で人に逢はせぬ。 ははは、いやまた 逢はせたつらではござらぬ。 まづ 目は猿まなこ、鼻は 蛟龍鼻()、口は 耳せせまでくわつと切れて居りまする。 その上、気の上()る病を召されたと見えまして、いかさま 物に譬へて申さば、鼠の尾ほどもない髪を、くるくると捲いて 頭上にとうど打ち上げ、さてまた 暗い所で化粧()をいたされたと見えまして、白い所もあり、黒い所もあり、これも 物に譬へて申さば、禿山へ霜の降りかかつたやうな、ああ何とも見苦しいつらでござる。 さてまた 血の余りと見えまして、幼いのを抱いて出られまして、やい 太郎冠者、此の子の守()をせい といはれまする。 私の申しまするは、唯今までの頼うだ者に、幼いのがござらぬによつて、終にお子様のお守をいたいたことはござらぬ と申してござれば、子供の守をしつけたのしつけぬのといふことがあるものか、泣かさぬやうに守をせい、というて、私へその子を突きつけて、奥へ行かるる後姿を見ましてござれば、そのまま 立臼()に菰を捲いたやうな形()でござつて、その上、足が 片片長いか短いか、片やへちがりちがりちがり、ははは、さてさて 見苦しい体()でござる。」 さういつた悪口の最中に、噂さの家族の主人なる何某が、約束によつて そつとやつて来て、旧主人と入れ代りに 縄尻を持つてゐるのを 太郎冠者は夢にも知らず、「さて その子を抱き上げてござれば、惣じて幼い子は愛らしいものでござるが、これはまた ようお内儀に似られまして、それは憎体()なつらでござつて、その上 あたまへ何やら物が一ぱいできましたが、それに黒い薬を塗り散らいて、さてさて むさくろしい子でござるによつて、私も 進上物を見るやうに つつとさし出いて 抱いておりましたれば、さすがは幼い子でござる。 私を見ますると、にこりにこりと笑ひまする。 笑ふつらを見ましたれば、頻りに腹が立ちましたによつて、片やへつれてまへり、太腿をふつつりと抓()つてござれば、わあと申して吠えまする。」 それをすかせば またにこにこする。 今度は 握り拳をかためて あたまをぐわつしりと打つと また泣き出す。 泣けばすかし、すかせば笑ふ。 笑へば 打つで、太郎冠者は 折からのいまいましさが手伝つて、「よい慰み」 をしてゐると、とうとう その泣き声を聞いて、奥から 「夜叉の荒れたやうに」 お内儀が出て来て、「こちへおこせ」、 といつて その子をひつたくつた。 「いや、その子を取つて 私をきつと睨()められたつらは、そのままの鬼瓦でござつた」 と いつてしまひ、さすがの太郎冠者も はつとした。 つい ニ三日前、因幡堂での一件を思ひ出したからである。
それで 縄なひはどうなつた と大名に聞かれ、もう縄なひどころではなく、何某殿は 「ようもおのれ 女どもを悪口しおつたな、その上 秘蔵の倅を打擲しおつたな」 と、叩きかかつて来る といふ騒ぎで、博奕の抵当()も何も 消し飛んでしまつた といふ話である。
最後に、大名に、さて その何某の内儀も 鬼瓦のやうであつたか と聞かれ、太郎冠者は、いやもう鬼瓦も鬼瓦も、これは本当の鬼瓦でござつた、といふと、大名は 大声で笑ひ出した。 太郎冠者も 天下晴れて 笑ひ出した。 めでたし、めでたし。