らんだむ書籍館


表紙

口絵写真



目 次


 自叙

 邦訳小泉八雲全集に就て
 批評家子規
 東洋人の詩感
 芸術の内容は何か
 無駄話
 懸泉堂の春
 喜びの歌、悲しみの歌
 飾窓を見る事の面白さ
 訳詩集「月下の一群」
 僕の詩に就て
 散文精神の発生
 本郷座見物記
 『思想なき文芸』
 秋風一夕話
 黄菊白菊
 『夜ひらく』を読む
 わが父わが母及びその子われ
 初歩の疑問
 夏の夜です
 旅の話
 処世術
 「風流」論
 思ひ出と感謝
 珍奇なる薔薇
 あさましや漫筆
 吾が回想する大杉栄
 夏の夜の街にて
 さみだれ
 ゆく春の雲
 白き花
 高橋新吉のこと
 洞庭劉氏
 「カリガリ博士」
 わが恋愛生活を問はれて
 感興
 私の日常生活
 「詩」といふこと
 志賀直哉氏のこと
 「赤光」に就て

 解説 (島田謹二)



創元文庫
佐藤春夫
新編 退屈読本」


 昭和27 (1952) 年4月、 創元社、 本文 274頁。


 詩人・小説家 佐藤春夫(明治25(1892)~昭和39(1964))の「退屈読本」は、文壇に登場してから少壮期までに書かれた、創作の外縁をなす評論、随筆類を集大成したもので、大正15(1926)年に 新潮社から刊行された。 四六判ながら二段組みとし、400頁あまりの分厚な書であった。
 戦後、「創元文庫」に組み入れられて復刊されることとなり、著者の委託を受けた 島田謹二(明治34(1901)~平成5(1993))、比較文学者、東京大学教授)が文庫本1冊の分量に整理・圧縮したものが、この「新編 退屈読本」である。
 このような整理・圧縮は、当然ながら 著者の望まぬものであったことが「自叙」に示されており、委託された島田もまた、不本意ながらそれに当たった旨を「解説」に記している。 しかしながら、熱心な春夫ファンならざる一般読者にとっては、便利で読みやすい、手頃な書物になっていると思う。
 「退屈読本」なる書名については、著者は特に説明していないが、島田は次のように述べている。
 思へば「退屈読本」とは、じつに皮肉な名前である。 文字どほりに「退屈」な「読本」といふのが表面の意味であらうが、その「退屈」とは「人生」に対するそれである。 さうして「退屈」な時によむ「読本」といふ複雑なニュアンスをうらにこめてゐることは、いふまでもない。 てあたりしだいにならべられたその配列法も、意味ふかい。 そこには雑然として何もかも投げ出した、八方やぶれの不敵な面魂つらだましひがのぞいてゐる。 不統一の中に統一を感じさせるこのならべ方も、ただ一味の清新さをねらつただけではなからう。 ……
 そう言われてみると、この意表をついたネーミングの意味が、この「新編」では、かなり失われているのかもしれない。



 「本文の一部紹介」 としては、館主好みの次の3篇を掲げる。
 「あさましや漫筆」
 「洞庭劉氏」
 「感興」



本文の一部紹介





あさましや漫筆

   上田秋成の諸短編を論ず


 谷崎潤一郎はかつて、雨月物語● ● ● ●に対して、自著に「新雨月物語」と題名しようとする意嚮があつた ―― そのことを彼は、当時、余に語つた。 蓋し、R.L.ステイヴンソン(Robert Louis Stevenson,1850~1894、スコットランドの小説家・随筆家・詩人)に、「新アラビヤンナイト」があるやうなものであらう。
 秋成は日本のテオフイル・ゴオチエ(Pierre Jules Théophile Gautier,1811~1872、フランスの詩人・小説家・劇作家)だ ―― と、さうは言へないだらうか。
 潤一郎は新日本のテオフイル・ゴオチエだ。 ―― と、これは正しくさう言ひたい。
 その当時のその潤一郎と、余は或る日 雨月● ●を語つた。 座に芥川龍之介が居た。 いや、どうも我我が龍之介の我鬼窟に居たらしい。 龍之介が座に居たでは 主客顛倒になる。
 席上、潤一郎は 雨月● ●のなかでは 蛇性の淫● ● ● ●が第一だ、 青頭巾● ● ●もいいと言つた。 余は反対だつた。 青頭巾● ● ● ●はまだしも 最後の方があるからいい。 蛇性の淫● ● ● ●は困る。 事実、余はあの集のなかでは 蛇性の淫● ● ● ●吉備津の釜● ● ● ● ●とが 最もきらひだ。 後者は 誰が見ても だれたものだと言ひさうである。 蛇性の淫● ● ● ●に到つては 力作である。 その点は集中第一である。 しかも余は どうも決してあれを十分に買ふことが出来ない。 あの話のなかには、「くるしくもふりくる雨か三輪が崎」新宮あたりのことが描かれ、怪しい美女は蛇だから もとよりどこの産とも知れないが、主人公豊雄は、則ち余が故郷の人間である。 そんな点で、余は当然この作に親しみを感ずるが本当であり、また実際、余があの本を最初に読んだ中学生時代から、名著のなかに吾が故郷が現はれることを誇らしいやうに感じ、さては真名児といふ蛇の美女が住んでゐそうなのは、この町では一たいあの辺あの辺ゝ ゝ ゝだらうなどと つまらない事を考へたりした程にまで 充分な親しみをあの作に抱いてゐながら、それでもなほ、そのころから 作としては あれがいやだつた。 潤一郎が傑作だといふのを異とする程に いやだつた。 その理由として 私は簡単に言つた ―― 「あの作は 持つてまはつてゐる。 一本調子なくせに くどい。 それに いやらしいゝ ゝ ゝ ゝ ゝ。」
 龍之介がそばから、
 「いや、小説といふものは 本来くどくつて いやらゝ ゝ ゝしいものだよ。 ―― それが好きでなけりや 小説家にはなれwないのさ。 蛇性の淫● ● ● ●は 僕もいいと思ふね。」
 小説は本来 くどくつていやらゝ ゝ ゝしいといふ、龍之介の見解は同感するとしても、(これはつい近日のことだが、やはり龍之介とふたりで、「風流では小説は書けない」と話し合つたこともある。) 蛇性の淫● ● ● ●に就ては、余は言ひ張つた。 「いや、僕は両君が何と言つてもいやだね。 くどい。 持つてまはつてゐる。 吉野まで引つぱりまはさなくてもよからう。」
 「いや。 あれがいいのだ。」と潤一郎が言ふ。 「あんな遠方までつけまはしてゐるのが 値打だよ。 吉野といふ名所も よく使つてあるな。」
 「うむ」 余は その言葉に賛成してもよかつたが、しかし あれは嫌ひだといふ感じは その為めに消失することはなかつた。 つまり どこまでも余の好みに遠いのである。
 「それぢや何がいい」 龍之介が 念の為にたづねた。
 「短いものさ、白峰● ●でも、浅茅が宿● ● ● ●でも、夢応の鯉魚● ● ● ● ●でも ―― 就中、菊花の約● ● ● ●が傑作だ。 あれが雨月中の一等だらう。 つまり雨月は 巻之一と巻之二の外は景品だらう。 …… 菊花の約● ● ● ●はいい。 僕は あれの書き出しと結びとが 同じやうに出来てゐるのが、つまり 結句でもう一度くり返してあるのが ひどく好きだ。作意のすがすがしい精神的なところも、それから老母の気持の美しいのも ―― つまり、色気の絶無なのが、あの作として甚だいい。 それに 幽霊が暗のなかではなく 名月を透してくるのもいい。 ―― 新らしい。 一そう物凄い。」
 「だが」 龍之介から 軽く抗議が出た。 「どうも 翻訳味が抜けきらなくてね。」
 話は 雨月物語● ● ● ●から 春雨物語● ● ● ●に移つた。 誰だつたか、滝田樗陰は雨月● ●の愛読者だといふことから、その樗陰が、しかし 春雨● ●雨月● ●に比して、殆んど軽んずるらしいといふことなどを伝へてから、自然、我我も春雨● ●雨月● ●との優劣論があつた。 いや、これはすこしも論にはならなかつた。
 春雨● ●雨月● ●とでは 比較にならない。 雨月● ●は精一ぱいだが 春雨● ●にはゆとりがあつて 筆が枯れ切つてゐる ―― 三人のうち 誰が言ふともなく、これは全く一致した。 龍之介はたしか 日本文であれほど雄勁なのは珍重だと言つて、「蒼古」といふ文字を口にした。 雨月● ●は きちやうめんな 挌を外さない楷書だが、春雨● ●は 筆力に任せた古怪で奇聳な草書体だと言つていい。 墨色淋漓、そのくせ描写の効果は 雨月● ●より反つて精密である。 雨月● ●は学んで及ぶべし。 春雨には かなわぬ。 なぜ 樗陰ともあるものが 春雨● ●を認めないだらう。 ―― 樗陰でさへさうなのだから、世俗一般で春雨● ●が忘れられてゐるのも 無理はない ―― と、このやうな説が 一座の結論の空気であつた。
 春雨● ●のなかでは 血かたびら● ● ● ● ●が 異議なく第一等当選であつた。 渾然玉成してゐるからだ。 すごい。 皆はまた 樊噲● ●が未完のままで伝はつたのを惜んだ。 潤一郎が最も強調した。 異論はない。 実際、雨月● ● 春雨● ●を通じて 樊噲● ●こそ 最も新しいからだ。 あれが完全にあつたならば 無論両集中の白眉だつたらうと惜しまれる。 大力の男を取材に択んだのもよければ、長崎の妓楼であばれると支那人たちが樊噲樊噲と呼びながら逃げまどふと書いたのも愉快だ、 と言つたのも 確か潤一郎だつた。 余は プロスパア・メリメをふと対比させて考へてもいいやうな気持だつたが、ただ気持だから言はずに過ぎた。 それとも、言つたかも知れない。
 「海賊も悪くはないぜ」と余は言つた。
 「なるほど。 あれあ 佐藤春夫がかみしもゝ ゝ ゝ ゝをつけて現れたやうな概がある」 これは龍之介の諧謔であるから、当否は 春夫自らは知らず。

 後一年以上も経つてから、ふと潤一郎が言ひ出した。 「雨月● ●のなかでは やっぱり、出来は菊花の約● ● ● ●が一等だつた。 この間 読み直してみたのだが。 あれは完璧だ。 全く書き出しがすばらしいのだよ。 青青せいせいたるはるやなぎ御園みそのうゝることなかれ。 まじはり軽薄けいはくひとむすぶことなかれ云云と 軽薄な人のことを議論のやうに書いたすぐあとで、丈部左門と赤穴宗右衛門が不意に出てくるね。 読者は、書き出しに軽薄な人とあるだけに、何れは軽薄な交の実例が書かれてあるものだと思ひ込む。 さうして 赤穴は身分の知れない行路病者だけに、この男が問題を起す軽薄漢なのだらうと思ふ。 ところが 彼等の友愛が美しいものになつて発展して行く。 はてな? と思つてゐる頃に、赤穴は突然、一度帰国して来ると言ひ出すだらう。 そこで読者は、そら始まつたゝゝゝゝゝと思ふ。 さうして 始めからの用心が一層緊張して来る。 ところが この赤穴宗右衛門が 命を捨てても約を果すといふ人物なのだから、読者の予想はまるで裏切られる。 しかも美しく裏切られる。 発展の効果が異常なために、感に打たれることが異常に深い。 専ら、あの絶筆に千鈞の重みがあるのだよ、 まあ仮りにあれの書き出しが、青青たる春の柳ではなく、不用意にも正面から、歳寒くして松柏の色を知るとでもなつてゐて見給へ。 あの話は芸術的感動が希薄になつて、只平凡な道話的色彩以外には、或は 人にアッピイルしないかも知れないのだ。  …… それに結末のところで やっぱりもう一度、あゝ 軽薄けいはくひとまじはりむすぶべからずとなむ。 と切つたのもいい …… 」
 余は 余が単に感じたにすぎなかつたことを、潤一郎が詳しく説いて聞かせたのに推朊しながら、自分の思つてゐることが、全部言つてしまはれさうなので、大急ぎで喋り出した。 「さうだ。 さうだ。 最初と最後が同じ意味になつてゐる。 前後で軽薄な人間を直接たしなめて置いて、内容は その反対の実例を見せてゐるのだね。 我々は読み去つて、最後が最初と同じなだけに、もう一ぺん、書き出しに返つて来たやうな気がする。 さうして、最初は 単に物好きな緊張で読んで来たものを、今度は純然たる深い感動で、もう一ぺんゆつくり味ひ直す。 ―― かうして あの話の気持は、頭も尻尾もない、無限にめぐる不思議な一つの環だ。 永久に消えないやうな 余情を湛へてゐる …… 」

 そんなことを論じ合つたのは もはや五年ももつと以前のことである。
 春雨● ●雨月● ●とが私の愛読書であつたのは 十年ももつと以前のことである。 今はさほどにもない。 さうして 机辺にもない 菊花の約● ● ● ●の書き出しさへ 思ひ出すのはおぼつかないほどである。
 それにしても これは今考へることだが、菊花の約● ● ● ●のやうな作品が、教科書のなかに採用されてゐないのは まことに不思議である。 たましひよく一にち千里せんりをゆく ―― よりも なほ不思議である。 あれは 中学校の高級生などには さほどにむづかしい文章ではないのに、教科書編纂者は気がつかないのか。 迂闊だ。 怪異な話だから採らないのか。 文学は科学ではない。 さうして、これはただ信義を高潮した叙事詩である。 少年をして読ましめるに これに越したものが国文学史上にさうあらうとも覚えない。 何にしても 私はこれを怪しむ。
     さびしさに秋成がふみよみさして庭に出でたり白ぎくの花
 ふと 白秋の歌をうろおぼえに口吟したら、さまざまなことを思ひ出して、そのなかから秋成に関したことをそのままに書きつづる。 ごく軽い風邪で、三日ほど臥床して、秋の雨夜のつれづれのわざである。 これは 近頃めづらしくも 頼まれて書いた文章ではない。 ―― それだけに 売るのが惜しいやうだ。 ―― はい、さういふ口がもう、こんな短文を、それもろくろく書き上げもしないうちから、売るつもりになつてゐるのたのか。 あさましや。 則ち あさましや漫筆と題する。
 それにしても、「思想のない文章」などと言つて 文学論の序論のやうなことを、大人が数人もよつてたかつて 大真面目に論じなけりやならない今日に、こんな呑気な文章の鑑賞法などは、技巧の末技を喜ぶなどと 叱られるかも知れない。 おそろしや、一そうのこと、売るつもりなら、おそろしや漫筆としようか、どちらでもよい。

(十二年十一月)








洞庭劉氏


 情史巻二十四に 洞庭劉氏の一項がある。
 (* 「情史類略」ともいう。 明代の文人・馮夢龍の編著。 恋愛や夫婦間の情愛などに関する 故実・小話を集めた書。)
 洞庭劉氏。 其夫葉正甫。 久客都門。 因寄衣而侑以詩曰。 情同牛女隔天河。 又喜秋来得一過。 歳歳寄郎身上朊。 絲絲是妾手中梭。 剪声自覚如腸断。 線脚那能抵涙多。 長短只依先様。 上知肥痩近何如。
 予は この詩を愛誦する者である。 第五句以下 更に妙。 謂ふところの 才情兼備はるものである。 ―― …… 年々にお送りして 御身につけていただくお召物、その一本一本の絲は わたしが自分で手にとつた梭(ひ。 織機で、糸を通す道具。)のものです。 衣を剪ちながらも この音と一緒に腸が断れるやうな気がいたします。 絲目には どっさり涙を縫ひ込んで置きましたわ。 ゆきも丈も 昔のとほりに致して置きます。 でも 近頃お痩せになつたのやら お肥りなのやら 存じませんもの。 ―― 背後に軽い怨言かごとのまじるも いいではないか。
 立秋の後 旬余日。 今夜は よほど秋らしい。 こほろぎの声が耳につく。 つれづれのあまり 友に幾つかの手紙を書いて、偶々 秋灯の下にこの詩を見出でたが、三十にして家を成さざる予は、反復愛誦して 眼底が自ら熱くなるのを感ずる。 葉正甫を艶羨するの情に勝へない。 富貴と功名と そもそも何ぞ。 予は今、市井の幸福を 水月を望む猿のごとく 望むものである。 嗟。 予が為めに 一介の洞庭劉氏 無き乎。

(十年九月)








感興


 僕は 自分を落葉樹だと言つた。 又 冬眠動物だと思ふ。 ―― 謂ふ意味は 冬になると体も心もぢつとしてしまつて、動かなくなつて ―― 動けなくなつてしまふ。 実際、自分はこの十日以上も 寝たきりになつて居る。 人には、きまりが悪いし 失礼なので、風邪を引いたのだと言つて置く。 が、これは嘘だ。 又 気分がすぐれないとも言つて居る。 この方が本当だ。 何といふことなしに 気分がすぐれないのだ。 好んで誇張して言ふと、人生には 毎朝床から わざわざ起きて見るだけのねうちが ない様な気がするのである。  そんなことをしてゐるうちに、たうとう罰が当つたと見えて、肩が張りだして 歯が痛くなり出した。 もうかうなると ハガキ一行も書けない ―― 実際、父へ書かなければならない手紙の返事も 書けないで居る。 書くことだけではない。 さすがお喋りが、かうなつて来ると 話もろくろく出来ない。 心に浮ぶのは、とぎれとぎれな比喩のやうなもので、人の顔を見てゐると 口に出てくるのは つまらない語呂や洒落見たやうなものばかりである。 心が全く停滞しきつて居る。 ちゃうど北方にある港か何かのやうである。 僕は老年期のことを考へる。 人間が老年期になれば 若しや いつもこのとほりで、久遠の冬のなかへ閉じ込められるのではなからうかと。 が、もう一度考へ直して見ると、老年期といふものは きつとそんあに悪いものではなささうである。 心の活動も衰へて居れば、体もしんゝゝから衰へて、そこに何かいい調和があつて、微妙な平静があるだらう。 ところが、自分の状態には、幸か上幸か その調和もないのである。 心にしても体にしても、冬だからと言つて、未だやつぱり さうしんゝゝからおとろへて居る訳ではない。 さうして 老年期の平静の代りに、何か自分のなかに 奇妙な争闘があるやうな気がする。 しんゝゝには 未だ鬱して居るものがあつて、それだからこんなに上愉快なのだ。 考へて見ると、この冬に於ける僕の心の状態は、何も今年に限つたことはない。 この三四年来 ―― それより以前のことはちよつと思ひ出せないが ―― いつもさうであつたやうだ ……
 それにしても 今年はことにひどい。 といふのは、困つたことに、自分は近ごろ 何も書けなくなつて来て居る。 これは実際困つたことであつて、しかし 人々がさう思つてゐるかも知れないやうな 恥づかしい事ではない。 峠をぢつと堪へて居れば いづれは亦書けるやうになる ―― 前途が開けて来る。 さうすれば 今度こそは本気にいい仕事をする。 今のところ 苦しいには苦しいが、峠へさしかかつたことを 何も隠すには及ばないことだ。 僕は一たい間歇泉で、すこし湧いては すこし休み、しばらく湧いては しばらく休み、永いこと湧いては 永いこと休み、 ―― 今までの経験では、間歇の時間がだんだん 湧くのも休むのも各々長い時間になつて来る。 だんだんさうなつて来るやうな気がする。 だから今度は この前よりはもつと長いこの峠をこらへなければなるまい。 僕の間歇泉が休みさうになつて居るこの徴候は すでにこの前の冬から見えて居た。 で、泉の湧出がだんだんとのろく衰へて行つて この冬になつて ―― 今になつて、たうとう休止してしまつた。 何も書きたくない。 書きたくとも書けない ……
 親というものは有難いもので、僕のこの情態を遠くに居て ちやんと知つてゐてくれる。 ―― ラスコルニコフのお母さんは、誰からも聞かないかれども、ラスコルニコフに何かあつたといふことを ちやんと感づいて、しかもそれを 死にぎはまで口に出さずに居たやうに ―― 。 で、僕の父は、僕に当分 国へ帰れといふ。 用事があるから、半年か一年ぐらひ居る心積りで故郷へ、父の家へ来いと言ふ ―― さう云ふ手紙を つい一週間前にも貰つた。 ―― 未だ返事も書かずに居るが。 僕は最初 田舎へ帰ると この上にも消極的な気持になりはしないかと思つて、二の足を踏んでゐたが、もうかうなつて来ると 都会に居ようが田舎にゐようが、是以上消極的になるわけでもないから、いよいよ田舎へ帰ることにしよう ―― さうすれば 書けない原稿などを無理に書かずとも済む。 ―― 気に入らない作品などを集めて 本にせずとも済む。 ―― 東京に居たのでは 頼まれる原稿を断りきれないし 金も欲しい。 自然、いやなものでも何でも、書かずには居られない。 ―― あれは 自分が十六か十七ぐらひの時であつたらう。 父はよく椊木屋の例をとつて、文学に志してゐる自分を 諭したものであつた。 (いろいろの道楽をつぎつぎに持つてゐた父は 多分あのころ椊木の道楽の時代であつたのだな) ―― 父は言つた。 「椊木を楽しむといふのは 愉快ないいことだ。 しかし 椊木屋になつて見ろ、楽しくも何ともないから。 好きなものを職業にしてはいけない。 折角の好きなものがいやになる」 と。 私は私で さう思はなかつた。 「自分の好きなことを仕事にせずして、何を仕事にすればいいだらう …… 」 今にして思へば、父の言つたことは 嘘ではない。同時に、私の考へたことも より以上に本当だが ……
 ―― 僕は昨晩、どうしても書く気持になれない 文章世界の原稿を思ひ切ることにして、以上のやうなことを 八頭やまた大蛇おろちのやうになつて働く 統一しがたい心の情態で いろいろと考へ込んで居るうちに、急に故郷へ帰りたくなつた。 僕は 十一年前に父の家を出て来てから、時々に国へ帰る。 併し、正直に言ふと 僕は未だ一度も本当に心から帰りたいといふ気で帰つたことはない。 これに反して、僕は勝手に妻を娶つて、東京を食ひつめて帰つたことはある。 ―― 何でも その頃の事である。 僕の故郷の町へ、田舎まはりの新劇団が巡つて来て、シュミット・ボン(Schmidtbonn,Willhelm 1876~1952、ドイツの劇作家・小説家)の「街の子」を上演したことがあるさうである。 つひぞ芝居などを見ない僕の母が どういふわけだか、人に誘はれて その芝居を見たさうである。 さうして あの父と食ひはぐれて故郷へ帰つて来た倅との激越な対談を聞いて 涙を流したさうである。 さうして 家へ帰つてから 父にその芝居の筋を話して聞かせたさうである。 父は その脚本「街の子」を読み度いと言つて、やはり東京に居る僕の弟に その本を捜させたさうである。 しかしあれは、あの森さん(森鴎外)の翻訳は、雑誌「歌舞伎」へ出たきりで 未だ本になつてなかつたので 手に入らなかつたといふ。 そこで僕は それを思ひ出して、この間古本屋で あれの収録されて居る書冊「蛙」(鴎外の翻訳集。大正8年、玄文社刊)を見つけたので、本屋が無法に高いことを言つたけれども 言ひ値で買つて来た。 父がそれをい見て何といふか 聞かうと思つて居る。 ―― 又、脱線してしまつたが、それで昨晩、僕は故郷へ帰りたくなつたのである。 さうして 故郷の父の家のことや、そこで大きくなつたころの自分のことなどを 思ひ出すともなしに思ひ出した …… 。 すると端なくも 自分が生れて初めて 芸術的の感銘ともいふべきものを覚えた当時のことが、ありありと思ひ出されて来た。 これは以前にも思ひ出した。 けれども昨夜のは ただの思ひ出ではない。。 ―― その当時の感興が、そのままではつきり 再び浮びあがつたのである。
 それは 国木田独歩の「春の鳥」であつた。 僕が十一か十二の頃、(三にはなつてゐなかつたやうに思ふ) そのころ僕は非常に永湯のくせがあつた。 ごくぬるいお湯のなかへ 一時間半もつかつてゐて ぼんやり何かと空想するのである。 何でもそんな永湯から上つて、そのために皺がよつて真白になつた指で、姉の読んで居た女学世界をひつぱり出して、疲れたままに 横になつて見て居た。 「春の鳥」は その雑誌にあつた。 …… 台所の上の二階の 物置のやうにとり散した長四畳で、多分 初秋で 西日が障子へ射して居た。 僕は「春の鳥」を読んで あつけない気が先づした。 ―― これによつて考へると、僕はこの以前にも 何といふことは覚えて居ないが 小説のやうなものは読んでいたに違ひない。 しかし、私は あつけなく思ひながらも、雑誌のページを閉ぢることを忘れた。 西日のあたる障子を見つめながら 体ぢうが何とも言へない愉快を感じて ―― 言はば音楽か何かに聴き入るやうに、体中がぼうと恍惚としたものであつた。 ―― さういふことを 昨晩、真夜中にふいと思ひ浮べると、私は体中が何とも言へず温かになつて、自分のなかに 何か媚薬のやうなものが流れ入るやうな気がして、それは 子供の時に「春の鳥」を読んだ後の恍惚と 全く同じものであると感じられた。 さうして又 この一年ぐらゐ 全く味ふ暇がなかつた 創作をして見たい前に何といふことなしに体全体に感じられる 創作欲の前触れにも似てゐる。 又、体質的に通じゝゝの少ない僕が 三日も四日も通じゝゝなかつた後に 通じがつく時の気持にもちよつと似て居て、それよりもずつと程度の高いものである。 僕は今 筆をとれば何かしら書ける ―― といふ気がした。 さうして 度々見えてくれる文章世界のO君にも申しわけがないから なにかしら今この気持ちで書かうと思つた。 しかし 灯をつけるために この楽しい仰臥から体を動したり。灯をつけて部屋が明るくなつたりしたら、この肉体的にも精神的にも実に愉快な気分が その瞬間にうつかり無くなるのではないかとも危まれた。 僕は 少しぐらひ不義理でも、原稿を書くのはよさう ―― もっとこのままでこの気分を感じて楽しんで居よう。 さう思つて 僕は決して体を動かさなかつた。 それから その気分のなかで、「春の鳥」のことを ただ漫然と考へつづけた。
 ―― 僕は 「春の鳥」の前後に何を読んだか、今は全く思ひ出せない。 ただ「春の鳥」を読んだ記憶だけが 実にあざやかに、ぽつかりと心のなかに跡をとどめて居る。 僕は時折、「春の鳥」の夢を見ることがあつた程である。 それは あの話のなかに出る馬鹿な少年のやうに、僕も 自分の父の家の直ぐうしろにある城山の頂から 羽ばたきをして飛翔する夢なのである。 それが 十四五六ごろの僕のよく見る夢であつたが。 …… そんなことを考へて居るうちに 自分は眠に落ちて行った。

(九年一月)





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