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(口絵) 玉箒

目 次


 (口絵) 東大寺宝物図中所載 玉箒

 (口絵) 辛鋤

 観古雑帖埋麝発香 解題

 観古雑帖
   玉箒野生
   沈水香刻字
   壺鉢針斤量
   天平勝宝八歳暦
   百万塔中刻版経
   新羅墨
   天寿国曼荼羅繍銘
   菅野真道卿手書
   仏誕生摩耶夫人像
   桃尾氏捺印田券

 埋麝発香

 付 穂井田忠友 歌集

日本古典全集 (第三期)
穂井田忠友 「観古雑帖、埋麝発香」


 昭和3(1938)年6月、 日本古典全集刊行会。
 縦 15.2 cm、横11.2cm、本文 153頁、紙装。


  前出の 狩谷棭斎全集・第三 「轉注説、扶桑略記校譌、毎條千金」 の紹介文中で述べたように、「日本古典全集」 は、この年(昭和3年、1938年)から、与謝野夫妻と正宗敦夫との共同編集から 正宗敦夫の単独編集に移行した。 右の扉や(ここには表示しないが)巻末の奥付には 「日本古典全集 第三期」 と「第三期」の文字が追加されている。 正宗による 何らかの変革の意思が示されているように思われる。
 そして、「第三期」に属する本書においては、右の扉に示されるように、井上通泰・山田孝雄・新村出の3名の顧問が加わっている。

 正宗敦夫(明治14(1881)~昭和33(1958))は、大正・昭和期の国文学者で、小説家・正宗白鳥の弟。
 岡山県和気郡穂浪村(現在の備前市)の旧家に、9人兄弟の2番目として出生。 長兄・白鳥が勉学のため上京したので 家にとどまり、小学校以上の学校には進学できず 自学・独習した。 少年時代、岡山医学専門学校教授としてこの地にあった 井上通泰(慶応2(1867)~昭和16(1941)、眼科医にして国文学者)の知遇を得、その教えを受けて国文学の道に進んだ。 国文学における正宗の業績として、まず挙げられるのは、万葉集研究の基礎資料となる「万葉集索引」の作成である。 この索引は、初版が昭和6 (1931) 年に刊行され、増補された最終版が、平凡社の『万葉集大成』の一部(第15~19巻)として 昭和30(1955)年に刊行された。 それまで 何人も作成し得なかった資料を独力で完成させたもので、不朽の業績といえよう。
 それに続く業績が、この「日本古典全集」の編集であるが、こちらの方には かなりの難点があるように思われる。 正宗には 好事家的な傾向があり、それが編集方法や解説内容に反映している。 その結果、学術的な厳密さに欠けるところがあり、当該文献等の文学性・芸術性などの重要な点が、読者に的確に伝えられていないからである。 年月をかけて膨大な点数の古典籍を編集・刊行しながら、あまり評価されていないのは、ここに原因があろう。

 本書「観古雑帖、埋麝発香」 は、江戸時代後期の古典学者・穂井田忠友(寛政4(1792)~弘化4(1847))が著作・刊行した、「観古雑帖」(天保12(1841)年序文) と「埋麝発香」(天保11(1840)年序文) の2種の書を、縮小・活字化等の整理を加えて、再刊したものである。
 正宗敦夫による忠友の小伝は、父祖の伝記(の引用)を主にしていて 内容に乏しいが、「彼の人の仕事で最も大なるは 正倉院の文書の整理であって、正倉院文書正集五十四巻は、畢生の大事業であった。」という 最後の1行が 生きている。(ただし、「五十四巻」は、「四十五巻」の誤り。) 正倉院宝物については、江戸時代初期から必要な修理が開始されたとされるが、古文書の本格的な整理は天保4(1833)年に実施され(「天保整理」と呼ばれる)、穂井田忠友がその作業の中心であった。 この「天保整理」は貴重な経験で、忠友は古代文物に関する知見を大いに高めたことであろう。 これら2種の書も、このことと密接に関連している。
 「観古雑帖」 は、10種の文物(品目は右下の目次中に列挙)について、その図と忠友の考証文を併せて掲載した書である。 また、「埋麝発香」 は、正倉院に保存された奈良時代の古文書から、そこに押捺された国郡印等の印影70個を選んで転写し、原寸で掲載した書である。
 本書には、この2種の書のほかに、口絵として、「玉箒」 および「辛鋤」 と題された、説明付きの2つの図が添えられている。 これら「玉箒」と「辛鋤」は、正倉院宝物の中でも著名なものである。 すなわち、これらは共に、孝謙天皇の天平宝字二年( 758年)の正月三日に 宮中で行なわれた初子(はつね。正月の最初のの日)の儀式に使用されたもので、とくに玉箒は、儀式に参列した大伴家持が初春の初子の今日の玉箒たまばはき 手にとるからに ゆらぐ玉の緒(『万葉集』巻二十)と詠んだ、正にその玉箒なのである。 図に示されているように、箒の穂(小枝)の全体に紺色のガラス玉が取り付けられているので、儀式の際 人が手にすると、美しくゆらいだのであろう。 実物を目にした忠友は、その光景を想像しながら、丹念に写しとったのである。 ここには、この「玉箒」のみを掲げておく。
 なおこれら2つの図は、上記2種の書との関係では 「観古雑帖」の方に属するものであるが、正宗の「解題」には、「観古雑帖」の刊本により、添付されているものといないものとがあるため、「付録」として扱う旨の記述がある。
 付録としては、さらに「穂井田忠友歌集」なるものが添えられている。 しかし、忠友は歌人として知られているわけでもなく、見れば みな理屈まみれの凡作であり、無くもがな の部分といえよう。

 「本文の一部紹介」 としては、「埋麝発香」 をとりあげ、収録されている70個の印影中、8個を選んで掲げることとする。
 巻頭に置かれた忠友の「埋麝発香印部序例」(漢文)は、記述内容が印影の配列と合致していないうえ、収録印と関係のない事項が記載されたりしているが、体裁を示すものとして、そのまま掲げる。
 「埋麝発香」をとりあげることとしたたのは、印影の転写が きわめて精密で美しく、原本に忠実に再現されているように思われ、本書中 最も価値の高い部分であると判断したことによる。
 各印影ごとに、忠友によって 印章名と説明が添えられているので、その説明も掲出するとともに、番号(「埋麝発香」における掲載順序)と印文を追記した。 例えば、1番目のものは、忠友が「民部省印」と 適切な印章名を与えているのであるが、印文は「民部之印」であるので、 “ 1 「民部之印」 ” と追記した。




本文の一部紹介






埋麝発香




埋麝発香印部序例




1 「民部之印」

5 「坂井郡印」

7 「山城国印」

41 「尾張国印」

53 「書」

60 「造東寺印」

61 「左京之印」

67 「治部之印」






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