らんだむ書籍館


カバー


目 次

(カッコ内は、原書に別掲されている初出年月)

  望樹記 (大正9(1920)年10,11,12月)

  觀画談 (大正14(1925)年7月)

  暴風裏花 (大正15(1926)年10,11月)

  辛 (昭和3(1928)年4月)

  野道 (昭和3(1928)年5月)

  芦声 (昭和3(1928)年10月)

  プラクリチ (昭和7(1932)年7月)


  収載作品について  塩谷 賛


幸田露伴 「望樹記」

 昭和23 (1948) 年 11月 再版。 東京出版株式会社。
 (初版は、同年8月刊)
 B5版。 本文 206頁。



 幸田露伴 (本名:成行、慶応3(1867)~昭和22(1947)) の 短編( 随筆・小説) 集。
 巻末に添えられた解説(塩谷賛『収載作品について』)には、「本書の収載作品は、さきに岩波書店で露伴最後の小説集「幻談」を再刊したのに続けて、それに先行する作品を編輯したもので、晩期前半に於ける言文一致体の文章であつて小説として目し得るものの殆どすべてである。」 とある。
 露伴の逝去後、その遺文を集めた 「蝸牛庵日記」、「蝸牛庵句集」、「蝸牛庵遺墨」、「露伴の書簡」、「露伴小品」(正続)などが編集・刊行されたが、通常の作品集としては、本書「望樹記」が最後のものであろう。
 これも 終戦後まもない時期の出版で、簡素ではあるが、上品な造本である。 右のカバーの下の本体の表紙は白で、背中のみに「望樹記 露伴」と 銀色の箔押しがなされている。
 目次に示す7篇が収録されているが、うち 「望樹記」、「野道」、「芦声」の3篇は 自らの田園生活を扱ったもので、書名に照応した 内容的な特徴をなしている。

 今回の「一部紹介」には、「芦声」の全文を掲げる。
 東京の東部を 蛇行して流れる 中川。 その川べりでの釣で出会った少年との、ひとときの交流を描いたものである。
 この文が発表されたのは、昭和3(1928) 年であるが、文中では「三十余年も前のこと」 とされている。 露伴が、それまで住んでいた神田鍛冶町から、郊外の向島(寺島村)に転居したのが 明治30 (1897) 年であるから、この出会いがあったのは、その翌年(1898年)頃であろうか。
 題名の「芦声」(旧漢字では「蘆聲」)という語は、一般の文にはもちろん、漢詩文などにも見かけないので、露伴の造語ではなかろうか。 芦の茂る川辺に表われた、もろもろの形象や営みなどを、淡彩で一気に描くように、包括的に表現したものであろう。
 文は、一人称(自分、予)による 自述形式で、登場人物(茶店の老婆、少年)との会話は、カッコなしの直接話法で表現されている。 会話と地の文との区別が つきにくく、少し戸惑うのであるが、読み慣れてくると、のどかな田園風景の中での人と人との係わりに、いかにも適した文体のように感じられてくる。 ただし 考えてみれば、これは 我が国 古来の、ふつうの表現方法であり、露伴の初期の作品に多く見えるほか、本書中の他の作品にも行なわれているので、露伴の特別の工夫なのかどうかは、判断しがたい。 (カッコを付加するか しないかは、初出誌の編集者の方針によっても、左右されそうに思われる。)
 会話の間には、相手に関する観察の語が 挿入されている。 少年に対するそれは、次第に親しみを感じるところから、境遇の推察・同情を経て、「田野の間にも斯様いふ性質の美を持つて生れる者も有るものか」 と感嘆するに至る 過程が、かなり緻密に表現されている。 そして、年少者に対する こうした気持ちの表現にこそ、露伴晩年の境地が、最もよく示されているのではないかと思われる。



本文の一部紹介






芦 声


 今をること 三十余年も前のことであつた。
 今に於て回顧すれば、其頃の自分は 十二分の幸福といふほどでは無くとも、少くも安康の生活にひたつて、朝夕を心にかゝる雲も無く すがすがしく送つてゐたのであった。
 心身共に生気に充ちてゐたのであつたから、毎日々々の朝を、まだ薄靄が村の田の面や畔の樹の梢を籠めてゐるほどの夙さに起出て、そして九時か 九時半かという頃までには、もう一家の生活を支へるための仕事は終へて了つて、それから後はおちついた寛やかな気分で、読書や研究に従事し、或は訪客に接して談論したり、午後の倦んだ時分には、そこらを散策したりしたものであつた。
 川添ひの地に居たので、何時となく釣魚の趣味を合点した。 何事でも覚えたてといふものは、それに心の惹かれることの強いものである。 丁度其頃 一竿を手にして 長流に対する味を覚えてから 一年かそこらであつたので、毎日のやうに中川べりへ出かけた。中川沿岸も 今でこそ各種の工場の煙突や建物なども見え、人の往来も繁く、人家も多くなつてゐるが、其時分は 隅田川沿ひの寺島や隅田の村々でさへ 然程さほどに賑やかでは無くて、長閑のどかな別荘地的の光景を存してゐたのだから、まして中川添ひ、しかも平井橋から上の、奥戸、立石なんどといふあたりは、まことに閑寂なもので、水たゞ緩やかに流れ、雲たゞ静かにたむろしてゐるのみで、黄茅白芦の洲渚、時に水禽の影を看るに過ぎぬといふやうなことであつた。 釣も釣でおもしろいが、自分は其の平野の中の緩い流れの附近の、平凡といへば平凡だが、何等特異のことの無い 和易安閑たる景色を好もしく感じて、然様さうして自然に抱かれて幾時間を過すのを、東京のがやがやした綺羅びやかな境界に 神経を消耗させながら享受する歓楽などよりも 遙に嬉しいことと思つてゐた。 そして又 実際に於て、然様いふ中川べりに遊行したり 寝転んだりして 魚を釣つたり、魚の来ぬ時は 拙な歌の一句半句でも釣り得てから帰つて、美しい甘い 軽微な疲労から誘はれる淡い清らな夢に入ることが、翌朝のすがすがしい眼覚めと いきいきとした力となることを、自然不言不語に悟らされてゐた。
 丁度 秋の彼岸の少し前頃のことだと覚えてゐる。 其時分 毎日のやうに 午後の二時半頃から家を出でゝは、中川べりの西袋といふところへ遊びに出かけた。 西袋も今は 其の辺に肥料会社などの建物が見えるやうになり、川の流れのさまも、土地の様子も大にへんかしたが、其頃は あたりに何が有るでも無い 江戸がたの一曲湾なのであつた。 中川は 四十九曲りといはれるほど 蜿蜒屈曲して流れる川で、西袋は 丁度西の方、即ち江戸の方面へ屈曲し込んで、それから又 東の方へ転じながら南へ行くところで、西へ入つて袋の如くになつてゐるから 西袋といふ称も生じたのであらう。 水は湾々と曲り込んで、そして転折して流れ去る、恰も開いた扇の左右の親骨を 川の流れと見るならば 其の蟹目のところが即ち西袋である。 そこで其処は 釣綸つりいとを垂れ難い地ではあるが 魚は立廻ることの多い 自然に岡釣りの好適地である。 又 其の堤防の草原に腰を下して眸を放てば 上流から水は吾に向つて来り、下流の水は吾より出づるが如くにみえて、心持の好い眺めである。 で、自分は 其処の水際に蹲つて釣つたり、其処の堤上に寝転がつて、たまたま得た何かを雑記帳に一行二行記しつけたりして、毎日楽しんだ。 特に其幾日といふものは、其処で好い漁をしたので、家を出る時には既に西袋の景を思浮べ、路を行く時にも 早く雲影水光の吾が前に在るが如き心地さへ仕たのであつた。
 其日も 午前から午後へかけて 少し頭の疲れる難読の書を読んだ後であつた。 其書を机上に閉じて終つて、半盞の番茶を喫了し去つてから、
 また行つてくるよ。
と、家内に一言して、餌桶と網魚籠あみびくとを持つて、鍔広の大麦藁帽を引冠り、腰に手拭、懐に手帳、素足に薄くなつた薩摩下駄、まだ低くならぬ日の光のきらきらする中を、黄金色に輝く稲田を渡る風に吹かれながら、少し暑いとは感じつゝも 爽かな気分で歩き出した。
 川近くなつて、田舎道の辻の或腰掛茶店に立寄つた。 それは藤の棚の茶店といつて、自然に其処に在る古い藤の棚、と云つてまで大きくもないが、それに店の半分は掩はれてゐるので 人々に然様呼びなされてゐる茶店である。 路行く人や 農夫や行商や 野菜の荷を東京へ出した帰りの空車を挽いた男なんどの 一寸休む家で、所謂三文菓子が少しに、余り渋くも無い茶よりほか何を提供するのでも無いが、重宝になつてゐる家なのだ。 自分も釣の往復りに立寄つて 顔馴染みになつてゐたので、岡釣に用ゐる竿の 継竿とは云へ三間半もあつて長いのを 其度々に携へて往復するのは好ましくないから 此家へ頼んで預けて置くことにしてあつた。 で、今 行掛ゆきがけに例の如く此家へ寄つて、
 やあ、今日は、また来ました。
と挨拶して、裏へ廻つて自ら竿を取出して 攩網(たもあみ)と共に引担いで来ると、茶店の婆さんは、
 おたのしみなさいまし。 好いのが出ましたら ちと 御福分けをなすつて下さいまし。
と笑つて世辞を云つて呉れた。 其言葉を背中に聴かせながら、
 あゝ、宜いとも。 だが まだボク釣師だからね、ハヽヽ。
と答えてサッサとあるくと、
 でもアテにして待つてますよ、ハヽヽ。
と、背後から大きな声で、中々調子が好い。 世故に慣れてゐるといふまでで無くても 善良の老人は人に好い感じを持たせる。 斯様かう云はれて悪い気はしない。 駄馬にも篠の鞭、といふかくで、少しは心に勇みを添へられる。 勿論 未熟者といふ意味のボク釣師と自ら云つたのは謙遜的で、内心に下手釣師と自ら信じてゐる釣客は無いのであるし、自分も此の二日ばかりは不結果だつたが、今日は好い結果を得たい、と念じてゐたのである。
 場処へ着いた。 と みると、いつも自分の坐るところに 小さな児がチャンと坐つてゐた。 汚れた手拭で頰冠りをして、大人のやうな藍の細かい縞物の筒袖単衣の裾短なのの、汚れかへつてゐるのを着て、細い手脚の渋紙色なのを貧相にムキ出して、見すぼらしく蹲(しゃが)んでゐるのであつた。 東京者では無い。 田舎の此辺の、しかも余りい家では無い家の児であるとは 一目に思ひ取られた。 髪の毛が伸び過ぎて、領首がむさくなつてゐるのが 手拭の下から見えて、そこへ日がぢりぢり当つてゐるので、細い首筋の赤黒いところに汗が沸えてでもゐるかのやうに 汚らしく少し光つてゐた。 傍へ寄つたらプンと臭さうに思へたのである。
 自分は自分のシカケを取出して、穂竿の蛇口に着け、釣竿を順に続いで 釣るべく準備した。 シカケとは 竿以外の綸其他の一具を称する釣客の語である。 其間に チョイチョイ少年の方を見た。 十二三歳かと思はれたが、顔がヒネてマセて見えるので 然様思ふのだが、実は十一か、高々十二歳位かとも思はれた。 黙つて其児は シンになつて 浮子うきを見詰めて 釣つてゐる。 潮は今ソコリになつてゐて これから引返さうといふところであるから、水も動かず浮子も流れないが、見ると其浮子も売物浮子では無い。 木の箸か何ぞのやうなものを、明らかに少年の手わざで、釣綸に徳利むすびにしたに過ぎなかつた。 竿も二間ばかりしか無くて、誰かのアガリ竿を貰ひか何ぞしたのであらうか、穂先が穂先になつてない。 蓋し 頭が三四寸折れてせて終つたものである。
 此児は釣に慣れて居ない。 第一 此処は浮子釣に適してゐない場である。 やがて潮が動き出せば 浮子は 沈子おもりが重ければ 水にしをられて流れて沈んで終ふし、沈子が軽ければ 水と共に流れて終ふであらう。 又 二間ばかりの竿では、此処では鉤先はりさきが好い魚の廻るべきところに達しない。 岸近に廻るホンの小魚しか 鉤には来らぬであらう。 とは思つたが、それは 小児の鉤であるとすれば 兎角を云ふに及ばぬことであるとして 看過すべきであるから 宜い。 たゞ自分にとつて困つたことは 其児の居場処であつた。 それは 自分が坐りたい処である。 イヤ坐らねばならぬところである、 イヤ当然坐るべきところである、と云ふことであつた。
 自分が 魚餌を鉤に装ひつけた時であつた。 偶然に少年は自分の方に面を向けた。 そして 紅桃色をしたイトメといふ虫を 五匹や六匹では無く 沢山に鉤に装ふところを看詰めてゐた。 其顔は たゞ注意したといふほかに 何の表情が有るのでは無かつた。 しかし 思ひのほかに目鼻立の整つた、そして怜悧だか気象が好いか何かは分らないが、たゞ阿呆げて居ない、狡いか善良か何様かは分らないが、たゞ無茶では無い、といふことだけは読取れた。
 少し気の毒なやうな感じがせぬでは無かつたが、これが少年で無くて 大人おとなであつたなら くに自分は言出す筈のことだつたから、仕方が無いと自分に決めて、
 兄さん、済まないけれどもネ、お前の坐つてゐるところを、右へでも左へでも宜いから、一間半か二間ばかり退いておくれでないか。 それは 私が坐るつもりにしてあるところだから。 と、自分では出来るだけ言葉をやさしくして言つたのであつた。
 すると 少年の面上には 明らかに反抗の色が上つた。 言葉は何も出さなかつたが、眼の中には威をあらはした。 言葉が発されたなら 明かに其は拒絶の言葉で無くて、何の言葉が其の眼の中の或物に伴なはうやと感じられた。 仕方が無いから自分は 自分の意を徹しようとする為に 再び言葉を費さゞるを得なかつた。
 兄さん、失敬なことを云ふ勝手な奴だと怒つて呉れないでおくれ。 お前の竿の先の見当の真直のところを御覧。 そら 彼処あすこに古い「出し杭」が列んで、乱杭になつてゐるだらう。 其の中の一本の杭の横に 大きな南京釘が打つてあるのが見えるだらう。 あの釘は わたしが打つたのだよ。 あすこへ釘を打つて、それへ竿をもたせると宜いと考へたので、わたしが家から釘とげんのうとを持つて来て、わざわざ舟を借りて彼処へ行つて、そして考へ定めたところへ 彼の釘を打つたのだよ。 それから 此処へ来る度に わたしは彼の釘へわたしの竿を掛けて 彼の乱杭の外へ鉤を出して釣るのだよ。 で、また私は釣れた日でも、釣れない日でも 帰る時には屹度何時でも 持つて来た餌を土と一ツにね丸めて 炭団たどんのやうにして、そして彼処を狙つて 二ツ三ツも抛り込んでは帰るのだよ。 それは 水の流れの上ゲ下ゲに連れて、其の土が解け、餌が出る、それを魚が覚えて、そして 自然に魚を其処へ廻つて来させようといふ為なのだよ。 だから 斯様いふ事をお前に知らせるのは 私に取つてとくなことでは無いけれども、わたしがそれだけの事を彼処に対して仕てあるのだから、それが解つたら わたしに其処を譲つて呉れても宜いだらう。 お前の竿では 其処に坐つてゐても 別に甲斐が有るものでも無いし、却つて二間ばかり左へ寄つて、それ其処に 小さい渦が出来てゐる 彼の渦の下端を釣つた方が得が有りさうに思ふよ。 何様だネ、兄さん、わたしは お前を欺すのでも強ひるのでも無いのだよ。 たつてお前が其処を退かないといふなら、それも仕方が無いがネ、そんな意地悪にしなくても好いだらう、が遊びだからネ。
と、言つて聴かせてゐる中に 少年の眼の中は段々平和になつて来た。 しかし 末に至つて 自分は明らかに又新たに 失敗した。 少年は急に不機嫌になつた。
 小父さんが遊びだとつて、俺が遊びだとは定つてやしない。
と 癪に触つたらしく 投付けるやうに言つた。 成程 これは悪意で言つたのでは無かつたが、己を以て人を律するといふもので、自分が遊びでも 人も遊びと定まつてゐる理は無いのであつた。 公平を失つた 情懐を有つてゐなかつた自分は 一本打込まれたと是認しない訳には行かなかつた。 が、此の不完全な設備と不満足な知識とを以て 川に臨んでゐる少年の振舞が 遊びで無くて 抑々何であらう。 と 驚くと同時に、遊びでは無いと云つても 遊びにもなつて居らぬやうな事を為て居ながら、遊びでは無いやうに高飛車に出た少年の 其無智無思慮を自省せぬ点を 憫笑せざるを得ぬ心が起ると、殆ど又同時に引続いて 此少年をして是の如き語を突嗟に発するに至らしめたのは、或は又 或事情が存在して然らしむるもの有つてか、と驚かされた。
 此驚愕は 自分をして 当面の釣場の事よりは 自分を自分の心裏に起つた事に引付けたから、自分は少年との応酬を忘れて、少年への観察を敢てするに至つた。
 参つた。 そりや然様だつた。 何もお前 遊びとは定まつて居なかつたが……
と、たゞ無意識で正直な挨拶ををしながら、自分はぢつと少年を見詰めてゐた。 其間に少年は 自分が見詰められてゐるのも何にも気が着かないのであらう、別に何等の言語も表情も無く、自分の竿を挙げ、自分の座をわたしに譲り、そして教へてやつた場処に立つて、其鉤を下した。
 ヤ、有難う。
と自分は挨拶して、乱杭のむかふに鉤を投じ、自分の竿を自分の打つた釘に載せて、静かに竿頭を眺めた。
 少年も黙つてゐる。 自分も黙つてゐる。 日の光は背に熱いが、川風は帽の下にそよ吹く。 堤後の樹下に鳴いてゐるのだらう。 秋蝉の声がしをらしく聞えてきた。
 潮は漸く動いて来た。 魚は将に来らんとするのであるが 未だこない。 川向ふの芦洲からバン鴨が立つて 低く飛んだ。
 少年はと見ると、干極そこりと異なつて来た水の調子の変化に、些細の板沈子いたおもりと折箸の浮子うきとでは、うまく安定が取れないので、時々竿を挙げては鉤を打返してゐる。 それは座を易へた為では無いのであるが、然様思つてゐられると思ふと 不快で仕方が無い。 で、自分は声を掛けた。
 兄さん、此処は潮の突掛けて来るところだからネ、浮子ではうまく行かないよ。 沈子釣におしよ。
 浮子釣では釣れないかい。
 釣れないとは限らないが、も少し潮が利いて来たら 餌がフラフラし過ぎるし、釣づらくて仕方が無いだらう。
 今でも釣りづらいよ。
 然様だらう。 沈子を持つて居ないなら、此処へおいで。 沈子もあげようし、シカケも直してあげよう。
 沈子を呉れる?
 あゝ。
 自分の気持ちも坦夷で、決して親切で無いものではなかつた。 それが少年に感知されたからであらう、少年も平和で、そして感謝に充ちた安らかな顔をして、竿を挙げて此方へやつて来た。 はじめて此時 少年の面貌風采の全幅を目にして見ると、先刻から此の少年に対して自分の抱いてゐた感想は 全く誤つてゐて、此の少年もまた 他の同じ位の年齢の児童と同様に真率で 温和で 少年らしい愛らしい無邪気な感情の所有者であり、そして其上に聡明さの有ることが感受された。 其眼は清らかに澄み、其の面は明らかに晴れてゐた。 自分は小嚢から沈子を出して与へ、且つ其のシカケを改めて遣らうとした。 ところが少年は
 いゝよ、僕、出来るから。
と云つて、自らシカケを直した。 一ト通りの沈子釣の装置の仕方ぐらひは知つてゐるのであつたが、沈子の無かつた為に 浮子釣をしてゐたのであつたことが知られた。
 少年の用ひてゐた餌は 蓋し自分で掘取つたらしい蚯蚓(みみず)であつたから、聊か其不利なことが気の毒に感じられた。 で 自分の餌桶を指示して、
 此餌を御使ひよ、それでは魚の中りが遠いだらうから。
 少年は遠慮した様子を 一寸見せたが、それでも餌の事も知つてゐたと見えて、嬉しさうな顔になつて餌を改めた。 が、僅か一匹の虫を鉤に着けたに過ぎなかつたから、
 もつとお着け、魚は餌で釣るのだからネ。
 少年は また二匹ばかり着け足した。
 今までは何処で釣つてゐたのだい、此辺は 浮子釣なんぞでは巧く行かない場だよ。
 今までは奥戸の池で釣つてたよ。 昨日も一昨日も。
 釣れたかい。
 あゝ、鮒が七八匹。
 奥戸といふのは対岸で、成程そこには浮子釣に適すべき池があることを 自分も知つてゐた。 然し 今時分の鮒を釣つても、それが釣といふ遊びの為で無くつて 何の意味を為さう。 桜の花頃から菊の花過ぎまでの間の鮒は 全く仕方の無いものである。 自分には合点が行かなかつたから、
 遊びぢや無いやうに 先刻お言ひだつたが、今の鮒なんか何にもなりはしない、やつぱり遊びぢやないか。
といふと、少年は急に悲しさうな顔をして 気色を曇らせた。 が、
 でも 僕には鮒のほかのものは釣れさうも思へなかつたからネ。 お相撲さんの舟に無銭たゞで乗せて貰つて往還ゆきかへりして 彼処あすこで釣つたのだよ。
 無銭たゞで乗せて貰つて の一語は 偶然に其実際を語つたのだらうが、自分の耳に立つて聞えた。 お相撲さんといふのは、当時 奥戸の渡舟守をしてゐた 相撲上りの男であつたのである。 少年の談の中には 裏面に何か存してゐることが明白に知られた。
 然様かい、そして又 今日は何様して此処へ来たのだい。
 だつて 折角釣つて帰つても、今 小父さんの言つた通りにネ、昨日は、こんな鮒なんか不味まづくて仕様が無い、も少し気の利いた魚でも釣つて来いつて 叱られるのだもの。
 誰に。
 お母さんに。
 ぢや お母さんに吩附(いいつ)けられて 釣に出てゐるのかい。
 アヽ。 下らなく遊んでゐるより 魚でも釣つて来いつてネ。 僕 下らなく遊んでゐたんぢやない、学校の復習や宿題なんかしてゐたんだけれど。
 こゝに至つて合点が出来た。 油然として 同情心が現前の川の潮のやうに突掛けて来た。
 ムヽウ。 ほんとのお母さんぢや無いネ。
 少年は吃驚びつくりして 眼を見張つて自分の顔を見た。 が、急に無言になつて、ポックリ 一寸 頭を下げて 有難うといふ意を表したまゝ、竿を持つて前の位置に帰つた。 其時 恰も自分の鉤に魚が中つた。 型の好いセイゴが上つてきた。
 続いて又二尾、同じやうなものが鉤に来た。 少年は焦るやうな緊張した顔になつて、羨ましげに、又 少しは自分の鉤に何も来ぬのを悲しむやうな心を蔽ひきれずに 自分の方を見た。
 しばらく 彼も我も無念になつて竿先を見守つたが、魚の中りは一寸途断えた。
 ふと少年の方を見ると、少年は まじまじと予の方を見てゐた。 何か言ひたいやうな風であつたが、談話の緒を得ないといふのらしい、たゞ温和な 親しみ寄りたいといふがごとき微笑をかすかたゝへて 予と相見た。 と同時に 予は少年の竿先に魚の来つたのを認めた。
 ソレ、お前の竿に何か来たよ。
 警告すると、少年は慌てゝ向直つたが早いか 敏捷に巧いしほに竿を上げた。 可なり重い魚であつたが、引上げると それは大きな鮒であつた。 小さいふごにそれを入れて、川柳の細い枝を折取つて 跳出はねださぬやうに押へ蔽つた少年は、其手を小草でふきながら 予の方を見て、
 小父さん、また餌を呉れる?
と、如何にも欲しさうに言つた。
 アヽ、あげる。
 少年は 竿を手にして予の傍へ来た。
 好い鮒だつたネ。
 よくつても 鮒だから。 折角此処へ来たんだけれどもネエ。
と 失望した口ぶりには、よくよく鮒を得たく無い意で 胸が一パイになつてゐるのを現はしてゐた。
 何様も お前の竿では、わんどの内側しか釣れないのだから。
と 慰めてやつた。 わんどとは 水の彎曲した半円形をいふのだ。 が、却つてそれは 少年に慰めにはならずに 決定的に失望を与へたことになつたのを気づいた途端に、予の竿先は強く動いた。 自分はもう 少年には構つてゐられなくなつた。 竿を手にして、一心に魚のシメ込をうかゞつた。 魚は 式の如くに頓て喰総くひしめた。 此方は合せた。 彼方は抵抗した。 竿は月の如くになつた。 いとは鉄線の如くになつた。 水面に小波さゞなみは立つた。 次いで又 水の綾が乱れた。 しかし終に魚は狂ひ疲れた。 其の白い平を見せる段になつて とうとう此方へ引寄せられた。 其時 予の後に在つた攩網を何時か手にしてゐた少年は、機敏にと其魚をすくつた。
 魚は 言ふほども無いフクコであつたが、秋下りのことであるし、育ちの好いのであつたから、二人の膳に上すに十分足りるものであつた。 少年は 今はもう羨みの色よりも、たゞ少年らしい無邪気の喜色に溢れて、頬を染め 目を輝かして、如何にも男の児らしい美しさを現はしてゐた。
 それから続いて 自分は二尾のセイゴを得たが、少年は遂に何をも得なかつた。
 時は経つた。 日は堤の陰に落ちた。 自分は帰り支度にかゝつて、シカケを収め、竿を収めはじめた。 少年はそれを見ると、
 小父さん もう帰るの?
と 予に力無い声を掛けたが、其顔は暗かつた。
 アヽ、もう帰るよ。 まだ釣れるかも知れないが、そんなに慾張つても仕方は無いし、潮も好いところを過ぎたからネ。
と 自分は答へたが、まだ余つてゐる餌を、いつもなら土にへて投げ込むのだけれど、今日は此児に遺さうかと思つて、
 餌が余つてゐるが、あげようか。
と 云つた。 少年は黙つて立つて 此方へ来た。 然し彼は 餌を盛るべき何物をも持つてゐなかつた。 彼は 古新聞紙の一片に 自分の餌を包んで来たのであつたから。
 差当つて彼も 少年らしい当惑の色を浮めたが、予にも好い思案は無かつた。 イトメは 水を保つに足るものの中に入れて置かねば 面白くないのである。
 矢つ張り 小父さんが先刻話したやうにした方が宜い。 明日 また小父さんに遇つたら、小父さん 其時に少しおくれ。
と云つて 残り惜しさうに餌を見た彼の 素直な、そして賢い態度と分別は、少からず予を感動させた。 よしんば餌入れが無くて餌を保てぬにしても、差当り使ふだけ使つて、そこらに捨てゝ終ひさうなものである。 それが少年らしい当然な態度でありさうなものであらねばならぬのである。
 お前も 今日はもう帰るのかい。
 アヽ、夕方のいろんな用をしなくてはいけないもの。
 夕方の家事雑役をするといふことは、先刻の 遊びに釣をするので無いといふ言葉に反映し合つて、自分の心を動かせた。
 ほんとのお母さんで無いのだネ。 明日の米をいだり、晩の掃除をしたりするのだネ。
 彼はまた黙つた。
 今日も 鮒を一尾ばかり持つて帰つたら 叱られやしないかネ。
 彼は黯然とした顔になつたが、やはり黙つてゐた。 其の黙つてゐるところが 却つて自分の胸の中に強い衝動を与へた。
 お父さんは居るのかい。
 ウン、居るよ。
 何をして居るのだい。
 毎日亀有かめありの方へかよつて 仕事してゐる。
 土工か或はそれに類した事を為て居るものと 想像された。
 お前のお母さんは亡くなつたのだネ。
 こゝに至つて 吾が手は彼の痛処に触れたのである。 猶ほ黙つては居たが、コックリ点頭して彼の眼の中には 露が うるんで、折柄 真赤に夕焼けした空の光りが 華々しく明るく落ちて、其の薄汚い頬被りの手拭、其下から少し洩れてゐる額の ぼうぼう生えの髪さき、垢じみた赭い顔、それ等のすべてを無残に暴露した。
 お母さんは 何時亡くなつたのだい。
 去年。
と、云つた時には その赭い頬に 涙の玉が稲葉をすべる露のやうにポロリと滾転し下つてゐた。
 今のお母さんは お前をいじめるのだナ。
 ナーニ、俺が馬鹿なんだ。
 見た訳では無いが 情態は推察出来る。 それだのに、ナーニ、俺が馬鹿なんだ、といふ此の一語でもつて自分の問に答へた此児の気の動きといふものは、何といふ美しさであらう、我恥しい事だと、愕然として 自分は大に驚いて、大鉄鎚で打たれやうな気がした。 釣の座を譲れと云つて、自分が其訳を話した時に、其訳がすらりと呑込めて、素直に座を譲つてくれたのも、斯様いふ児であつたればこそと 先刻の高尾を反顧せざるを得なくもなり、又 今残り餌を川に投げる方が宜いと云つた此児の語も思合されて、田野の間にも 斯様いふ性質の美を持つて生れる者も有るものかと思ふと、無限の感が湧起せずには居られなかつた。
 自分はもう 深入りして此児の家の事情を問ふことを差控へるのを 至当の礼儀のやうに思つた。
 では 兄さん、此の残り餌を土でまるめておくれで無いか、成るべく固く団めるのだよ、然様してお呉れ。 然様してお呉れなら、わたしが釣つた魚を 悉皆でも何程でも お前の宜いだけ お前にあげる。 そして お前がお母さんに機嫌を悪くされないやうに。 然様したら わたしは大へん嬉しいのだから。
 自分は 自分の思ふやうにすることが出来た。 少年は 餌の土団子をこしらへて呉れた。 自分はそれを投げた。 少年は 自分の釣つた魚の中からセイゴ二尾を取つて、自分に対して 言葉は少いが 感謝の意は深く謝した。
 二人とも土堤へ上つた。 少年は土堤を川上の方へ、自分は土堤の西の方へと下りる訳だ。 別れの言葉が交された時には、日は既に収まつて、夕風が袂涼しく吹いて来た。 少年は川上へ 堤上を辿つて行つた。 暮色は 漸く逼つた。 肩にした竿、手にした畚、筒袖の裾短かな頬冠り姿の小さな影は、長い土堤の小草の路のあなたに 段々と小さくなつて行く 踽々然たる其様。 自分は少時 立つて見送つて居ると、彼もまたふと振返つて 此方を見た。 自分を見て、一寸首を低くして挨拶したが、其の眉目は 既に分明には見えなかつた。 五位鷺が ギャアと夕空を鳴いて過ぎた。
 其翌日も翌々日も 自分は同じ西袋へ出かけた。 然し 何様した事か 其少年にふたゝび会ふことは無かつた。
 西袋の釣は その歳限りでやめた。 が、今でも時々 其日其場の情景を想ひ出す。 そして 現社会の何処かに 其少年が既に立派な、社会に対しての理解ある紳士となつて 存在してゐるやうに想へてならぬのである。



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