らんだむ書籍館


表紙


目 次



  帰去来 
   帰去来
   

  柳河風俗詩 
   柳河
   櫨の実
   手まり唄
   水路
   赤い小太刀
   水面
   紺屋のおろく
   NOSKAI
   かきつばた
   AIYANの歌
   牡丹
   曼珠沙華
   気まぐれ
   道ゆき
   目くばせ
   六騎
   梅雨の晴れ間
   旅役者
   片足
   BAN*BAN
   AIYANの春
   白芥子

  蟹味噌 
   蟹味噌
   矢部のやん七
   筑後柳河
   柳河河童で
   三瀦󠄀と沖の端

  鹹川 
   林泉の鴨
   沖ノ端
   生家
   沖ノ端の鹹川
   夏の三柱宮
   水船舟行
   
   初売
   魚市
   千石船
   童子柳河
   町内
   柳河風俗
   月夜
   
   水郷の朝
   城内
   或る月夜
   蟹味噌
   兵児
   兵児
   柳河の玩具

  水郷柳河 
   水郷柳河
   朱欒のかげ
   古問屋の正月
   四月の巡礼
   水路の五月
   蛍の塔
   BAN*BANの春
   BAN*BANの夏
   「水の構図」序文
   「水の構図」跋文

  後記  (藪田義雄)






挿画目次



  竹林の火 (表紙)

  柳河 (扉)

  蟹味噌

  水天宮祭


北原白秋 「柳河風物詩」

 昭和21 (1946) 年 8月。 富岳本社。
 B5版。 紙装(くるみ製本)。 本文 171頁。



 北原白秋 (本名:隆吉、明治18(1885)~昭和17(1942)) の、故郷・柳河* を主題とした詩文集。
* 現、福岡県柳川市。 もと、「柳川」 「柳河」両様に書かれていた。 白秋は一貫して「柳河」としていたので、その作品においては この表記が尊重されている。
 白秋は、柳河への愛着が深く、これを扱った詩歌や文章が多い。 本書は、白秋の門人・藪田義雄が、「風物詩」の視点からこれらを集め、「柳河の全貌を鳥瞰したといひ得る」ように 整理したものである。(『後記』)
 風物をうたった詩文において、白秋が特に重視したのは、柳河の「ことば」で、その独特の響きを伝えるべく、アルファベット表記、標準語への翻訳、注釈などの工夫がなされている。
 また、本書中の挿画は、歌集「雀の卵」(大正10(1921)年刊)に掲載された 白秋自筆の口絵で、それを本書では特に木版で制作して 組み入れている。 (なお、右に示した表紙も木版で、やはり「雀の卵」中の「竹林の火」と題された口絵である。 象徴性が高いところから、表紙に選ばれたらしいが、柳河には関係付けられないもののようである。)

 今回の「一部紹介」は、本書の特徴をなす3点の木版挿画を主体に、それぞれの挿画に対応した内容の 詩文を掲げることとする。 (作品との兼ね合いで、上述の 柳河ことばに関係した部分を十分に取り入れることは できなかった。)



本文の一部紹介







        

〔扉〕 柳河



柳河河童で

柳河やながは河童かつぱで、
三池みけ、もぐら、
大牟田おほむた すずめは、
すすだらけ。


菜の花 盛り は
よかばつてん、
瀬高せたか ぎつね
すぐかす。






童子柳河

涼しさは 水 豊かなる柳かげ 葦笛吹きて 我等行けりし

夏の照り 葦辺行く子は 魚籠びくもちて 何か真顔の我にかも似る

今ぞ見む 郷国くにわらべがどの顔も 我によく似る 太郎によく似る







        

〔挿画〕 蟹味噌

蟹味噌

どうせ、泣かすなら、
ピリリとござれ、
酒は地の酒、
がね味噌みそ



うすがね き、
南蛮なんばんがらし、
どうせ、蟹味噌がねみそ
ぬしやからい。



酒のさかなに、
蟹味噌がねみそ ませ、
えてくれんの、
死んでくれ。




蟹味噌

蟹味噌がねみそといふのを御存じですか。 松毬のついた小さな果や蕨の芽生を
よろこぶ山国の人には 恐らく想像の外でせう。 九州、ことに筑紫附近では、
マガニといつて 片足だけが大きな蟹が居ります。 それを沢山に捕へて来て、
生きながら搗きつぶし、真赤な唐辛を 指で摘み切つては ふりかけふりかけ、
三日ばかり 漬けて置くのです。 さうして 眼でも足でも甲羅でも 其の儘かり
かりと齧りながら、その痛烈な辛さに 涙をぽろぽろ流して 賞翫するのです。
 南国人は これだからうれしい。 私もかういふ空気の中に生ひ立つて来た
のを ほんたうに誇としてゐます。







        

〔挿画〕 水天宮祭

赤い小太刀

赤い小太刀をかつぎつつ
JOHNジヨンは しくしく泣いてゆく。
水天宮のお祭が
なぜに こんなに かなしかろ


悲しいことはなけれども、
行儀ただしく、人なみに
神輿みこし のあとに従へば、
きんの小鳥のヒラヒラが
なぜか こころをそそのかす。


街は五月の入日どき、
覗き眼鏡がとりどりに
店をひろぐるそのなかを、
赤い小太刀をかつぎつつ、
JOHNジヨンは しくしく泣いてゆく。

* JOHN(ジヨン)とは、他の作品に対する自注によれば、「坊ちゃん」のこと。
(もちろん、大問屋の跡取り息子たりし、作者自身をさしている。)



水郷柳河 (一部抜萃)

 まだ夏には早い五月の水路すいろに、杉の葉の飾りを取りつけ初めた 大きな三神丸さんじんまるの一部を、
ふと 学校がへりに発見したおきはたの子供の喜びは 何に譬へよう。 艫(とも)の方の化粧部屋
むしろで張られ、昔ながらの廃れかけた舟舞台には 桜の造花を隈なくかざし、欄干の三方に垂
らした御簾みすは 彩色も褪せはてたものではあるが、水天宮の祭日となれば、粋な町内の若い衆
が紺の法被はつぴに棹さされて、幕あひには笛や太鼓や三味線の囃子 面白く、町を替ふるたびに幕
を替へ、日を替ふるたびに歌舞伎の外題げだいも とり替へて、同じ水路を上下すること三日三夜、
見物は皆 あちらこちらの溝渠から小舟に棹さして集まり、華やかに水郷の歓を尽して別れる
ものの、何処かに頽廃の趣が見えて、祭の済んだあとから、夏の哀れは 日に日に深くなる。
 この騒ぎが静まれば、柳河にはまた、ゆかしい螢の時季が来る。



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