らんだむ書籍館 |
![]() |
扉 表紙には、画家・杉本健吉(1905〜2004)による 西田の素描(上半身、和服姿)が用いられていて、 その鋭いまなざしが 印象的である。 本書の一大 特徴であるが、著作権が存続しており、割愛した。 |
目 次
西田寸心先生遺墨 序 西田 琴 西田先生の風格 高坂 正顕 西田先生の日記について 西谷 啓治 西田先生と数学者 下村 寅太郎 教育と貧乏 相原 信作 先生によつて予見せられた日本民族の運命 相原 信作 晩年の西田幾多郎先生 島谷 俊三 続・晩年の西田幾多郎先生 島谷 俊三 西田先生の思ひ出 高山 岩男 西田先生と哲学的概念 高山 岩男 思惟 鈴木 岩弘 付録 「善の研究」の生れるまで 島谷 俊三 ― 寸心先生伝資料の一節 ― 装画 杉本 健吉 |
内容の一部紹介 |
西田寸心先生遺墨 ― 高山岩男宛書簡 ―
1
御手紙 拝見いたしました。 御宅の事 心配してゐましたが それでも皆々よくなられました由 安心致しました。 東京は 実に大変の様です。 誠に気の毒なものです。 敵機 時々私共の頭上を通りますが、こゝには投弾は せない様です。 京都は今の処 無事の様だが これも中々分りませんよ。
総力戦など これでは全くだめですよ。 もつともつと日本人は systematic に組織する訓練ができてゐなくてはだめです。 従来 全くそんな教育ができてゐなかつたのです。 俄に泥縄的なことを教へても だめでせう。
![]()
2
私は此際 実に心配いたし居ります。 此には 実に大決心をせねばならぬ時ではないかと存じます。 このまゝに引きづられて行つて 足腰も立たない様になつては 民族生命もだめになつてしまはないかと存じます。 何とかしても 我々民族がどうあつても 此際 精神的 自信( を失ふ様なことがあつては ならないと存じます。 力でやられても 何処までも 道義的に 文化的に 我国体の歴史的世界性 世界史的世界形成性の立場だけの自信を失はず、固く此立場を把握して 将来の民族発展の自信を持たす様にせねばならぬと思ひます。)
![]()
3
先日 例のK君がこちらへ来訪せられました故 此事を論じ 同君も全く同意見でしたが、同君も どうも何ともできない様なので、私はどうも 此外に将来の途はない様に思ひますが。
そこで 私は君方に一言したいのですが、君方は 一つ此の出立点となる 深大なるに思想学問の根拠を作らねばならぬと云ふことです。 私はK君の問に対して 断じて日本人に可能だと云つて置きました。 唯 力にのみ依頼して居れば きつとだめになります。 此の事は 高坂、木村、西谷、鈴木等 諸君に御伝へ置き下さい。 私は もはや老骨 何時とも知らぬ身の上ですが、唯 これを念として
![]()
4
努力して居ります。 今、宗教論を書いて居ります。 (先日 数学論を沢瀉に送つて置きました。 できるだけ書き残します。)
唯 残念なことには、先日 神田の精興社が 二十五日に焼けて、第六論文集は 丁度校正がすんだ所で焼けてしまひました。 「思想」も そこから出してゐましたので、「生命論」も もう一寸と 出る見込もないかと存じます。 何とかして 今 書いて居たものを 後に残して置きたいと存じますが。 大拙(西田の終生の友人・鈴木大拙。)は 今度 「日本的霊性」(大東出版社)といふものを書きました。 大変 面白いと存じます。
![]()
5
例の論文集補遺 もう五六冊位あつたら 送つて下さい。
上田の妻 私の長女(上田弥生。前月(2月14日)、49歳で急逝。)が 突然死亡して 私もがつかりいたしました。 胆嚢炎とかいふ病気にて、色々の心痛苦労のため 心臓が弱つてゐたため、ほんの一日位の病気にて絶命いたしました由。 近年は殊に親切に 孝行を尽しくれましたのに、いかにも懐しくおもひ、老年に 云ひ様のない淋しさと悲哀に 沈み居ります。 私もだんだん老衰し行く様です。 何卒御大切に。 皆々によろしく。
三月十一日 西田。
高山君。 君も、こちらへ出て来る如きこともなきか。
終