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表紙 |
目 次
自 序 第一部 はしがき ますらを物語 椿の家 阿満と竹渓和尚 其角の手紙 親ごころ 恋する者 判つた人 判らぬ人 雪の朝飯 朧駕籠 第二部 お用の尼 上の巻 下の巻 第三部 兼好と長明 つれづれの つみ草 方丈記 樊噲 |
内容の一部紹介 |
樊 噲 ― 春雨物語より ―
解 説
「樊噲」は 春雨物語のなかの最終の一篇である。 春雨物語は 秋成の歴史小説短編集で、日本史上の各時代様相を捉へ描いた 短篇の連作で その最終にこの一篇が掲げられてゐるのは、秋成がおのれの生きた同時代の様相を このなかに写してゐるものと見てよからう。 「昔、今を知らず」といふ書き出しは、ただ語り出しの様式であつて、実は秋成にとつては 水滸伝の要約を試みた現代小説なのである。 一両の値をしらぬ山村の老婆だの 諸国に横行する盗賊、甥の寺に泊り合せた二人の盗賊どもをなぐりたしなめる武士や 盗人の金を坊主が受取れるかと云ふ僧、さては 雷門ですりと果し合をする仲間など、天明ころの江戸の文化や風俗の諸相など 巧みに取入れられてゐるのを見る。 なほ 別稿「水滸伝雑記」(八)も この篇と水滸伝との関連を説くものだから 併せ一読を煩はしたい。
10
里をはなれたころに 夜が明けた。 四人 (樊噲、仲間の村雲、手下の小猿、月夜) 連れ立つてゐては 見咎められよう。
「お前たちは江戸に出よ。 村雲はどうする気か。」
と 問うと、
「津軽の果は まだ見た事もない。 どうだ、あつちの方は?」
「おれも そのつもりだ。」
と 酒店に入つて、別れの盃を酌み交した。 樊噲は酔ひ狂つて、
「聞けば、唐土の人は 別れには柳の枝を折るとか云ふが、それでは。」
と、その川ぞひに老木の柳があつたのを、えい と声をかけて引き抜いた。 それから柳をどうするのだかは 知らない。 と云つて 道ばたへ投げ捨てた。 酒店のおやぢは 怖( ぢて物も云へなかつた。)
存分に飲み食ひして、二人(小猿と月夜)は江戸に目ざした。 村雲は 千両の金を取紊めたのが恥づかしくなつたと 半分を返さうとするが、多く持つたとて何になるでもない。 盗むのは手もないはなし、飢ゑれば食はう。 金が無くなれば 他( の宝をせしめるばかり、沢山持つてゐるのは面倒くさいと 受取らなかつた。 二人(樊噲と村雲)とも 藁苞) ( にして背負うて行く。 日は暮れかかつてゐるが 宿るべき村里もない。 小山の上に 甚だ貧乏くさい寺がある。 若い 病身げな僧がゐて、云う、)
「ここには もう人を泊めてゐて、上げようにも 食ひ物もありません。 二十丁ほど歩けば 宿場があります。」
「食はずともいいし、寝ないでもよい。 知らぬ道に迷ひたくないのだ。 一夜の宿( を貸せ。」)
と 押し入つて見ると 破れ障子の奥に泊つてゐる人がゐて、咳( ばらひをしてゐる。)
小者( がひとり、外から帰つて来た。 米を買つて来たと云つて 袋をおろす。 二人は、)
「この米を価高く買はう、売れ。」
と 金一枚を投げ出した。
「いけません、これは客人の米ですし、その値では過ぎます。 お前さんがた一人 宿場に行つて買つてござれ。 この米も その主が買ひに走らせたものです。」
と云ふ。 聞きわけて床にのぼり、障子をあけ放して見ると、年のころ 五十あまりの武士であつた。 笑ひながら、
「お二人とも大そう元気な方々ですな。 ここに ござれ、夜どほしでお話を伺ひませう。 この寺の主( は わしの甥ですが、病身がちで、気が弱いのです。 飯を焚くのは、わたしの小者がしますわい。 わけへだてなく いつしよに食べませうや、別にお米を買ふまでもありますまい。」)
と気心のよい言葉に安心して、煙草をくゆらし、湯を呑みながら話し合つた。
「お坊さんは強さうですね。 目つきもすごい。 そちらの大男どのは どうなされたか。 額に刀疵が 二ところみえますな。 米の価を払ふに 金一枚を出されたのは 富貴の人の旅でもありますまいに、血気にはやつて博奕を打ち、または盗みをして あばれ歩く人ですか。」
と 問はれて、村雲は答へた ――
「盗人です。 昨夜はいい仕事をして、金をどつさり持つて 多いのは邪魔つけだから、使ひすてる気でした。」
「そんな事だらうと思つたよ。 お主( の風俗) ( 、 僧の人体) ( 、まことに悪徒) ( に見えます。 命を塵や灰同然にあばれあるくのは 乱世ならば豪傑の名をとり、国を奪つて敵を摺󠄀) ( れさせませう。 勇ましい。」)
と云ふと、樊噲は、
「盗人だって命は惜しいのです。 財宝は得やすいが、命は長持ちしにくい。 百年の寿命を盗む法があらば ご伝授ありたい。」
と云ふと、武士は笑ひながら、
「財宝をかすめられた者の恨が無しにはすみませぬ。 公( では、お主) ( たちのやうなのを捕へやうと 備へて居ります。 人を殺し 盗をした報の 命百年といふのはありますまいぞ。 聞くところでは、盗人は罪を知つてゐて 良民に立ちかへり、若いうちに罪を改めようと心がけてゐるものとか、お主たちは別ですな。 乱世の英雄ぢやわ。 しかし今日、太平の世も久しいから、盗賊の罪はれませうぞ、改めたとて、大罪を犯してをれば 終には捕へられませう。 常談どころではありませんぞ。」)
と云ふ。 樊噲はにらみつけて、
「力は身にあまつてゐる。 今までにも つかまらずにすんだ事もたびたびでさ。 天命さへ長ければ 罪はあつてもまぬかれます。」
と云ふ。 村雲の云うには、
「お年寄りは、お念仏を申して 極楽参りをお心がけ召されい。 ここのご住職も甥子どのと承つたが、一子出家すれば一族天に生るとやらの こぼれ幸を得ようと、ここに泊らつしゃつてのお念仏でせう。」
と嘲り笑ふと、
「老いたりとも武士です。 主君に仕へて 忠誠の外には念願もござらぬ。 壽( も天命にまかせて 長いも短いも どちらでもよろしい。 百年の壽を願つて あちらこちら逃げかくれて、安心の地がなければ 夭亡) ( の人と同じぢや。」)
樊噲は、
「問答は無益なもの、君に忠誠の人のお心がけを拝見したいもの。」
と 面を打たうと手をふり上げた。 勝てないで、引倒された。 腕利きと見てとつて 起き上り、立蹴( に蹴らうとすると 足をとらへて、今度は横つ倒しに投げ、えいと声をかけざま、腋骨) ( をしたたかに当てた。 当てられて 起き上りもできない。 村雲が立代つて、錫杖で打ちかかり、打ちはずして 右手を捉へられ、動かせない。)
「きさまが面( の刀疵、二ところもあるのは、度々ひどい目にあつた 術のない盗人だな。 さあ この手を放してみろ、公) ( には、わしみたいなものはいくらでもゐて やすやすと捉まらうぞ。」)
と これも突き倒す。 手がしびれたらしく、再びは打ちかかれない。 樊噲は呻き出して、「骨が折れたぞ、この野郎!」
と 怒り声を出したが、力は尽きてゐた。 武士は笑つて、
「さあ夕飯ができた 食はさうぞ。」
と 樊噲を引きおこし 「う」と声をかけて背中から蹴ると、やうやく起き直つた。 村雲は 手の筋を違へたと呟いてゐるのを、これもつかまえて 何とかしたら、痛がつてゐたところが 常のとほりに直つた。
11
主僧と小者とが 夕飯を運び出た。 お前さんがたには 一椀づつ与へよう。 牢獄のなかを思ひ知れと、高く盛り上げた飯を 一椀づつ給せられた。 口惜しかつたので、食はなかつた。 そのうちに夜は更け、寝床をわけて眠つた。
翌日 起き出ると、是を痛むところへ貼れと云つて 薬をくれた。 これは有難いと、それぞれにいただいて 貼つた。 武士は 朝食をすまして立つて行かうとして、
「お主ら、主人の僧は若いが、病身の人である。 武士の子で 武術の心得はあるが、慎んで あらはすことはあるまい。 痛みがよくなつたら 一礼して、さつさと引取るがよい。」
と云つて 門を出た。 主僧は送り出して、
「あの盗人どもは 籠の鳥同然だ。 痛みつかれてはゐるが、狼藉でもあれば、また 骨たがへをさせてくれませう。 ご心配なく お立去り下さい。」
と云つてゐた。 容易ならぬ眼( と見えたが、やうやう昼すぎになつたところ おも湯をあてがはれた。 先に出した一両を 宿の代にと差し出すと、)
「盗人の金を 坊主が受取れると思うか。」
と 見むきもせずに 炉に柴を焚いてゐる。 怖ろしくなつて 物も云はないで 出て来た。
それから、村雲の云うには、
「海から上つて以来、何とはなく、おぢ気がさしてしまつた。 本国の信濃にかへつて、休養しよう。 江戸は 住んでゐたむかし、見知られてゐるから危い。」
と云つて、ここで手を分つた。
樊噲も 心さびしげに、今はひとりで奥州の果まで見る気もなく、江戸に出て遊ばうと、また会ふ日を約して、江戸に出たが、人のおほぜいゐるところは気がすすまない。 或る日 雨がすこし降つてゐるので浅草寺を心ざして来たが、こんな日でも落ちつかなくて、あじろ笠を深くかぶり、酒店でもの足らぬほどに酔つて 神鳴門(雷門)に入つてみると、何ごとか 人が、立ち騒いでゐる。 盗人( だと口々に云ふので、小猿や月夜が危地に立つてゐるやうな と行つてみると、傍の二人の手に血がつき、二人の子分も刀を揮つて戦つてゐるのである。 若い侍) ( が五六人 取囲んでゐるが、この五六人も少しづつ疵つけられてゐた。 市民や寺の人々のなかからも 男たちが棒を手に追つ取り巻き、可哀さうである。 助けてやりたいと思つて 人を押しわけ、これはどういふ喧嘩かと、知らぬ顔して問うと、あの二人の盗人) ( め、酒をくらつて 若いお侍衆のふところをさぐつて 見あらはされ、屋敷へつれて行つて殺さうとなさると 逃れやうと刀を抜いて 一人に切りつけたのだ。 みな同じお仲間だから、このうちに血まみれになつて やり合つてござるにだと云ふ。 そんな事なら、と進み出て、双方とも、つまらぬ争闘) ( です。 仲裁) ( しませうと云ふ。 小猿と月夜とは力を得て 抜き放つた刀をかまへ、木かげに立つてゐる。 侍たちは、いや拙者どもは このとほり疵をうけては、帰るに道もない。 奴らを首にして帰り、主家におわびをいたすまで、仲裁なんか云ひ出した和尚も 命を落しなさるな と云つて 受けつけさうにない。 「首は渠(かれ)等のものですよ。 盗んだものをさへ弁償すれば 助けておやりなされ。 たちまはりにまごついて疵を受けられたのは 方々の不運でせう。 仲裁をお聞入れなくば。」)
と 錫杖(樊噲は修行者を装い、錫杖を持っていた)を おつとつて 二三人を一度に打倒す。
「そら 盗人( の親分が来たぞ。」)
と 群がり逃げるのもあり、打つ倒せ。 打ち殺せ。 と 襲ひかかる棒は 篠原よりも多い。
「きさまたち、眼が無いのか。 おれは修行者だ。 道理を申して、人の命を失はせまいとするのもわからずに、とやかく申す奴ばらは 打ち散らしてくれるぞ。」
と 錫杖の前に立つた七八人を打つと、あつとさけんで皆 打つ倒れた。 侍どもも またうろたへて 逃げ出すのは追はないで、二人の者ども来いと 小腋にひつかかへ すつ飛んで逃げ出した。 人声ばかり騒々しかつたが 追つかけては来なかつた。 広いところへ連れ出して、血を拭き、顔や手足を洗はせ、様子を繕はせ、ものも云はせずつつ走つた。
江戸を離れてから見ると、金を包んだ苞は 無くなつてゐた。 落としたなと思つたが、引き返しても手には入るまい。
「きさまたちのおかげで 搊を見るわ。 わけてやつたのは もう有るまいな。」
「博奕に敗けたり、岡場所の酒の代に ばらまいたりしてしまひまして、今日は あの侍のふところの物を取つたのが、ここにあります。 どうで金はありますまいが、酒手ぐらひのことは ……」
と 見れば 僅かに金一分である。 これでまた酒を買ひ、ふぐと汁( と 十分に食つて、江戸には出られないと、東の方へ行つた。 那須野の原に日が落ちた。 小猿と月夜の云ふやう、)
「この野は 道が入りくんでゐて、闇夜には道に迷つた事もありました。 ここで しばらく休んでゐて下さい。 案内者を見つけてまゐります。」
と 駈け出して行つた。
殺生石と云つて 毒があると云ふ 石の囲( のくづれたところで、火を切り出し 焚き立ててゐた。 僧がひとり とほりかかつて 目も伏せず平然と行くさまは にくらしいばかり。)
「お坊さん、何かあらば食はせ。 あり金は置いて行け。 ただでは通さぬ。」
と云うと、法師は立ちとまつて、
「ここに 金一分ある。 差し出さう。 食ふものは持たない。」
と云つて、はだか金を樊噲の手にわたして ふりむきもせずに行く。
「行く先に若い者が二人 立つてゐませう。 樊噲に逢つて物を与へて来たと云つて お通りなさい。」
と云ふと
「応( 。」)
と答へて、しづしづと通り過ぎた。 まだ半時とは経つまいと思ふころ、この法師は また立ち戻つて、
「樊噲 居るか。 わしは発心のはじめから、偽りは云はなかつたのに、ふと物惜しみをして、まだ一分 残して置いたのは、心が清くなかつた。 是も渡すぞ。」
と云つて、また与へ、手のうへに置いたのは、心に寒く身にしみて、こんな まつ直( な法師もゐるのだ。 わが身が 親、兄を殺し、多くの人に害し、盗みして 世にあることのあさましさを感じ入つて 法師にむかひ、)
「御徳に わたくしの心も改まりました。 お弟子にして 修行させてください。」
と云うと、法師も感じて
「甚だ結構な心がけだ。 さあ、ござれ。」
と 連れ立つて行く。 小猿と月夜とが 出て来たので、
「きさまたちは どこへでも行つて、勝手にせい。 おれはこの和尚さんのお弟子になつて 修行するのだ。 襟もとの虱みたいに つき纏ふな。 もう逢ふ事もあるまいぞ。」
と、目をくれて 別れた。
「つまらぬ子供は 捨てたがよい。 懺悔ばなしは 道々聞かう。」
と云ひながら 法師は先に立つた。
―― この物語は 奥州の古寺の大和尚が 八十あまりの齢になつて、今日を最後の日と、湯浴みし、着ものを着かへ、椅子に坐し、目を閉じて 仏名をさへ称へない。 侍者や客僧などが進み出て、
「まことに有難い おん覚悟です。 遺偈の一つも おのこし下さい。」
と云ふと、
「遺偈といふのも 皆うそいつはりだ。 本当の事を語つて 命を終らうぞ。 わしは 伯耆の国に生れて、しかじかの悪ものであつたが、ふと感じ入つて今日に到つた。 釈迦や達磨と同じく、わが心も 今は曇りはないぞ。 」
と云つて死んだと云ふ。
心を修むれば誰しも仏心、放てば妖魔とは、この樊噲が事であつたのである。 (をはり)
終