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表 紙




目 次 (簡略化して示す)


 尊像造顕の準拠(儀軌)

 尊像の分類      

 如来部        

 菩薩部        

 須弥壇(諸尊配置)  

 明王部        

 天部         

 荘厳         

 羅漢・十大弟子・祖師 

 本地垂迹       

 七福神 等       


岩波写真文庫 42
「仏像 ― イコノグラフィー ―


 1954 (昭和29) 年 9月 第7刷。
 (初版は、1951 (昭和26) 年 10月刊)
 B6版。 本文 64 頁。 岩波書店。


 『岩波写真文庫』は、岩波書店が 昭和25(1950)年から刊行を開始した、自然や社会の諸事物の写真による記録(の叢書)である。 B6版・64頁の定型で、平均 約200枚の写真を収め、定価100円であった。
 創刊から5年後の昭和30(1955)年に作成された「岩波写真文庫目録」によれば、この時までの約5年間に147点が刊行されていて、その分野は、自然科学、社会・産業、美術・歴史・伝記、自然・地誌、趣味・スポーツ・芸能 と 多方面にわたっている。
 これは、表現力が極めて豊かな写真という媒体を 存分に駆使することによって、多くの主題に対して、多面的なアプローチやストーリイ展開が可能になったことによるものであろう。

 めざましい刊行点数の中にあって、本書「仏像 ― イコノグラフィー ―」は、やや特異の存在である。
 それは、シリーズ中の他書のように 「写真自体に語らせる」ことが少なく、写真は説明文に従属するデータの扱いになっていること、である。

 そもそも 本書は、仏像を芸術作品として鑑賞する面から捉えたものではなく、その形態が表現している宗教的な意味を整理・解説したものである。
 イコノグラフィー(iconography)とは、西欧における キリストの聖像(icon)に関する 体系的な研究手法や知識体系を言うのであるが、ここでは 仏像に関する同様の手法や体系について、その名称を用いたのである。

 このため、仏像として表現された外観についての 宗教的意味の解説が主体であり、よく行なわれているような仏像の芸術的な側面については、全く立ち入っていない。 (こうしたことから、掲載されたそれぞれの写真の仏像についても、それが制作された時代や作者、安置されている寺院などについては、全く記載されてない。)

 本書に類するものは、その後も出現してはいるが、安易な手引きに堕しているものが多く、ここまで周到に整理されたものは少ないと思われる。


 本書の「一部紹介」としては、本書の概説部分とも言うべき、尊像造顕の準拠尊像の分類 の2部分を掲げることにする。




本文の一部紹介





尊像造顕の準拠

「別尊雑記」 菩薩部の一部

 仏教尊像の形は 勝手気儘に作られてはならぬ。 諸尊像を造顕するためには 一定の規則がある。 この規則の基本となるものは 経典儀軌である。

 経典には 諸尊の像容が説かれている。 奈良時代までは、主として経典に述べられている所にしたがって 尊像を造顕したが、平安朝になって密教が渡来してからは、儀軌が主たる造顕の準拠となった。

 儀軌とは、或る尊を念誦供養する場合の 儀式作法の規則を図示し、且つ 解説したものである。 これは 最初 インド、支那において発達したが、弘法、伝教等の入唐八家をはじめとし、留学僧がこれを日本に将来し(五部心観はその一つ)、さらに日本においても 特に密教の内部において複雑に発達した。 かくて 非常に繁雑になったので、平安末期以降、これの整理事業が行われた。 その主要なるものに、図像鈔ずぞうしよう(永厳又は恵什撰)、別尊雑記べつそんざつき(心覚撰)、覚禅鈔かくぜんしよう(覚禅撰)、阿娑[口+縛]鈔あさばしよう(承澄撰)などがある。 上図(不鮮明のため、ごく一部を掲示)のように 無数の諸尊について、その形、色、種字、持物などに至るまで、いちいち厳密に規定している。 殊に 覚禅鈔は東密系の、阿娑[口+縛]鈔は台密系の儀軌の集成として 重要である。 仏師も絵師も この儀軌の示す通りに 尊像を造顕しなければならない。 儀軌に外れた尊像は誤まれる尊像であって 礼拝像としての資格を闕くものとされる。 昔の偉れた仏師は、啻(ただ)に彫刻や作画技術に秀でていたのみでなく、経典や儀軌に精通していたのであって、だからこそ、正しい尊像を作り得たのである。 しかるに 時代が降ってくると、僧俗ともに 尊像に関する知識や理解が低下して来て、いろいろ間違った尊像が作られたり、礼拝されたりするようになってしまった、現代の文化的教養としても 儀軌の知識は必要である。




尊像の分類


 仏教尊像は 如来、菩薩、明王、天という 四種類の部類に大別される。 通俗には 仏教の諸尊像をすべて仏像といっているが、厳密にいえば、「仏」とは如来部の諸尊だけで、それ以外は「仏」ではない。 だから 如来部以外の諸尊の像を仏像とよぶのは 正しくない。 四部各部は、それぞれ教理上の意味が違っているから、従ってその形も 一見区別できるように違っている。 四部諸尊の他に 羅漢や祖師の像もある。

如来部
 如来部 如来とは 「仏」の別名である。 仏は 梵語 Buddha の音訳で、覚者の意味である。 その数も沢山あり、それぞれ性質も違っているから、それを供養礼拝する態度にも相違があるべきであるが、通常礼拝されている仏は、釈迦、阿弥陀、大日、薬師くらいのものである。 釈迦が仏教を始めた当初には、仏とはただちに釈迦を指していたが、その後 仏教が発展し、その教義が確立してからは、釈迦如来は、究竟の真理たる法の この世に現われてきたもの、即ち 応身仏であって、人間にその法を説き教えるものとされる。 これに対して、その法の当体そのものを法身仏として立てて、これを大日如来と名付け、この如来を中心として仏教の哲学体系を組み立てたのが 密教である。 又 修行によって覚者となり、報いをうけている報身仏として 阿弥陀如来が立てられ、これを礼拝する信者もその報いにあやかることができるとされる。 衆生の病苦を救うものとして 薬師如来がある。 こららの如来は、それぞれの仏国土(浄土)を有ち、各自の浄土の主尊である。 如来の性質が違っているのに応じて、その浄土の様子も違っている。 又 どの浄土にも沢山の菩薩その他がいて、その主尊に従って修行しているが、浄土の性質が違うのに応じて、その菩薩などの性質も違っている。
 ―― さて、如来は すべて出家の姿として、ただ法衣を身につけるだけで、他に何等の装身具もつけない。 法衣の着方には通肩と偏袒右肩とがある。 頭上には椀を伏せたような烏瑟膩沙うしにしや肉髻につけい)があり、髪は螺髪であり、額に白毫がある。 釈迦や阿弥陀など 如来相互を区別するには 主として手の印相による。 印相というものは、諸尊の内証(覚り)の外面的表現であるからである。

菩薩部  



 菩薩部 菩薩 とは 菩提薩埵の略で、自らも覚り、衆生をも教化救済するために、勇猛に道を求めて修行するものの 謂である。 菩薩は いずれかの如来に付属して、法を学ぶのであるが、その修行の程度によって、初地の菩薩から高位の菩薩に至るまで 種々の段階がある。 六波羅蜜を具足して 最高の段階に達した菩薩を その如来の補処の菩薩と呼ぶ。 いわば 如来の候補者といった様なものである。 そこで 尊像配置の場合、或る如来を主尊とすれば、その如来に付属する菩薩群の代表者として 二体の補処の菩薩を主尊の両側に立てて脇侍とする。
 ―― 菩薩は すべて温顔、上半身裸体、下半身にはスカートのような裳(或は裙)をつける。 髪を結び(宝髻)、垂髪を肩に垂れ、金銀珠玉を鏤めた宝冠を戴き、天衣てんねを纏い、胸飾、腕釧、足釧等、豪華な装身具をつける。 菩薩相互を区別するには、その形姿や持物等による。


明王部  



明王部 明王とは 持明使者じみようししやといって、如来の真意(明呪みようじゆ)を奉持して 悪を破砕する使者の謂であるが、これは全く密教哲学の理論的に生み出したものである。 密教では 三輪身ということを説く。 如来(自性じしよう輪身)は 温慈な菩薩(正法しようほう輪身)として正しい法を正しく説くが、時として自性を以ては済度し難き強情我慢の輩がある。 かかる輩をも見捨てることは 如来の慈悲にそむくから、これらに対しては、明王(教令きようりよう輪身)となって 威を以て仏法に導く。 だから明王は 如来の使者とみてもよいし、如来の変身とみてもいい。
 ―― 明王は すべて焔髪、怒顔、牙を剥き、武器を執り、忿怒の形相 勇ましきものである。 だから 明王部は 一に忿怒部ともいわれる。 上半身裸体、下半身短裙、大体 菩薩の姿に準ずるが、冠も菩薩の如き美しいものではなくて 多くは金線冠、胸飾の如きも 蛇や髑髏の瓔珞などで、すべて恐るべき形相をとる。 各明王を区別するには 形姿や持物等に依る。


天部  



天部 仏教は、仏教成立以前からインドにあった婆羅門や民間信仰の神々を、自らの中に採り入れて、これに仏教守護の役目を課した。 天部諸尊の大部分は これである。 それらの神々には もともと山川草木鳥獣等 自然現象を神格化したものが多い。 だから 上述三部の諸尊は性別を超越しているが、天部の諸尊には 男あり、女あり、鳥獣あり、甲冑に身を固めた武将もあれば、正装した女形もある、といった工合で 種々雑多である。 如来部、菩薩部、明王部諸尊の形姿をよく理解していれば、天部諸尊を見わけるのに困難はない。






参 考




『源氏物語』における「普賢菩薩の乗物」

 仏教の影響が生活の全般に及び、寺院への参詣が頻繁に行なわれていた時代の人々は、本書に示されているような仏像に関する知識は、ふつうに持ち合わせていたことであろう。
 『源氏物語』中、美人にあらざる唯一の女性・末摘花すえつむはなについて、物語は その鼻の異様な形状を述べ、「普賢菩薩の乗物」 のそれに対比させている。
 そこで、本書の「菩薩部」にある「普賢菩薩」 の部分を示せば、下のとおりである。
 (左側は、絵画。 右側は、彫像。)
 当時の人々は、乗物となっている動物の名はもちろん、その動物が現実に存在するかどうかも知らなかったと思われるが、「普賢菩薩の乗物」 とあるだけで、この、鼻に最も特徴のある動物の図像・形態を、思い浮かべることができたのであろう。



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