らんだむ書籍館


扉 (表紙カバー欠)

目 次

凡例


 翁について
   

脇能物
 脇能物について
   高砂、弓八幡、養老、志賀、代主、
   松尾、淡路、御裳濯、絵馬、老松、
   放生河、白楽天、佐保山、呉朊、
   西王母、右近、難波、白鬚、道明寺、
   東方朔、源太夫、大社、寝覚、輪蔵、
   鶴亀(月宮殿)、富士山、鵜祭、
   逆矛、加茂、嵐山、竹生島、和布刈、
   九世戸、江島、玉井、金札、岩舟、
   鹿島

修羅物
 修羅物について
   田村、八島(屋島)、箙、忠度、
   通盛、経政(経正)、俊成忠度、
   頼政、実盛、兼平、知章、朝長、
   清経、巴、敦盛、生田敦盛(生田)

鬘物
 鬘物について
   東北、井筒、野宮、采女、仏原、
   夕顔、半蔀、落葉、江口、楊貴妃、
   二人静、吉野静、千手、身延、
   住吉詣、雪、芭蕉、定家、鸚鵡小町、
   関寺小町、檜垣、姥捨、葛城、
   誓願寺、梅、藤、杜若、六浦、羽衣、
   熊野(湯谷),松風,草子洗小町(草子洗)
   祇王(二人祇王)、胡蝶、吉野夫人、
   初雪、源氏供養、大原御幸

四番目物
 四番目物について
   雲林院、小盬、西行桜、遊行柳、
   蟻通、雨月、室君、鱗形、三輪、
   龍田、巻絹、内外詣、班女、雲雀山、
   水無月祓、加茂物狂、飛鳥川、玉鬘、
   浮舟、花筺、三山、桜川、三井寺、
   柏崎、蝉丸、隅田川、籠太鼓、百万、
   卒塔婆小町、富士太鼓、梅枝、芦刈、
   高野物狂、歌占、弱法師、木賊、
   土車、東岸居士、自然居士、花月、
   菊慈童(枕慈童)、枕慈童〔観世〕、
   天鼓、邯鄲、唐船、三笑、一角仙人、
   錦木、松虫、通小町、船橋、女郎花、
   善知鳥(烏頭)、阿漕、求塚、藤戸、
   綾鼓、恋重荷、水無瀬、砧、鉄輪、
   葵上、道成寺、鳥追舟(鳥追)、
   竹雪、接待(摂待)、俊寛(喜界島)、
   景清、鉢木、藤栄、放下僧、望月、
   春栄、盛久、安宅、七騎落、
   小袖曽我、元朊曽我、小督、木曽、
   満仲(仲光)、現在忠度、桜井駅、
   楠露、夜討曽我、禅師曽我、
   大仏供養、橋弁慶、笛之巻、忠信、
   正尊、錦戸、関原与市、咸陽宮

切能物
 切能物について
   国栖、藍染川、調伏曽我、春日龍神、
   大蛇、現在七面、小鍛冶、殺生石、
   合浦、鵺、現在鵺、鞍馬天狗、
   善界(是界・是我意)、大会、車僧、
   熊坂、烏帽子折、第六天、張良、
   野守、鵜飼、松山鏡、泰山府君、
   鍾馗、皇帝、壇風(檀風)、谷行、
   昭君、舎利、雷電(妻戸・来殿)、
   紅葉狩、大江山、羅生門、土蜘蛛、
   飛雲、黒塚(安達原)、龍虎、項羽、
   草薙、船弁慶、碇潜、海人(海士)、
   当麻、融、玄象(弦上)、須磨源氏、
   松山天狗、山姥、石橋、鷺、猩猩、
   大瓶猩猩、大典

曲名索引 (五十音順)


野上豊一郎 「能二百四十番 ― 主題と構成

 昭和26 (1951) 年12月、能楽書林。
 縦 17.7 cm、横 10.3 cm。 背クロス・紙装。 本文 337頁。


 本書は 能楽の現行曲目 240 を分類・整理し、それらの概要を容易に把握し得るようにした 参考書である。
 能の曲目は、上演における進行順序から、① 脇能物、② 修羅物、③ 鬘物、④ 四番目物、⑤ 切能物、の 5種に分れるが、『翁』という古い曲のみは 特別な存在で、これら5種のいずれにも入らず、別格扱いされる。  右の目次には、別格の『翁』を先頭に、240 の曲が上記5種の分類に沿って配列されている。
 そして 本文では、共通に設定された次の各項目に沿って、それぞれの曲の概要が説明されている。
 「人」(登場人物)、「時」(季節、時代)、「所」(国内外の具体的な場所のほか、単に「都」など)、「構成」(舞台上での展開順序)、「主題」(その曲が何を表現しているか)、「流派」(その曲を伝承している流派)、「小書」(特殊な演出の名称)。
 本書をコンパクトで利用しやすくするため、さらに加えられた工夫がある。 それは、上記の共通項目からなる 各曲毎の説明が、印刷上りで 必ず1頁内または2頁内(のいずれか)に収まるように まとめられていることである。 このため、任意の頁を開くと、必ず見出しの曲名が表われ、目次と照合しやすくなっている。
 こうした工夫もあって、本書は 一見しただけでは、既存の知識を単純に綜合した データブックのように見做されそうであるが、仔細に読み込んでいくと、一語一句にも著者の創見や独自の解釈が多いことに気付かされるのである。 著者の生涯をかけた能楽研究の成果が、ここに凝縮されている、と言うこともできよう。

 この著者・ 野上豊一郎(明治16(1883)~昭和25(1950))については、別著 「太郎冠者行状」 の著者紹介を 参照されたい。

 「本文の一部紹介」としては、
 『翁』 の部分の概要説明「翁について」と、『翁』の解説本文
 「脇能物」 の部分の概要説明「脇能物について」と、曲「高砂」の解説本文
の それぞれを 掲げることとする。



本文の一部紹介




        

おきなについて



 『翁』は 能の外の演技で、能よりも遙かに古い歴史を持つ。 村上天皇の御代に はた氏安うじやすが 義弟 権守ごんのかみと共に 宮廷に召されて、伝来の猿楽六十六番を舞つた。 その中から 最上の三番を選んで一組に仕立て上げたのが 『式三番』であると言ひ伝へられてある(『申楽談義』(能の大成者・世阿弥の著書))。
 『式三番』にも変遷があつて、記録に現れて来る最初の頃は、父尉ちちのじよう稲積いなづみおきな(翁面)・代継よつぎおきな(三番申楽)の三老翁の演技であつたのが、父尉は延命冠者えんめいくわじやと共演するやうになつて 最後に廻され、翁面の前には 童形の面箱めんばこの外に 露払つゆはらひの舞が添へられてゐた時代があつた。 室町時代には すでにさういふ形式になつてゐたやうである。 露払の舞の性質は 正確にはわからないが、多分 狂言の役者が翁の舞の先行的演技を勤めたものであらう。 それが面箱の役と兼帯であつたか否かは不明であるが、今日でも『翁』を下掛諸流で上演する時は、面箱が千歳の役をも兼帯する如くに、或ひは兼帯してゐたものではないかとも想像される。 その露払の舞がすたれて、千歳せんざいの舞が舞はれるやうになつたのは いつからであらうか。 世阿弥の書いた物には 千歳といふ名称は一つも見えないし、却つて露払の記載があるから、千歳の出来たのは もつと以後のことかと思はれる。 しかし、露払の舞が千歳に変形したのだとすれば、実質的には室町以前から行はれてゐたことにもなる。
 『翁』は 、千歳の舞・翁の舞・三番叟の舞、と、性質の異なつた三つの舞を連ねて見せるだけで、その間に連絡もなければ、もちろん筋の発展などのあらう筈もなく、その点からでも 演技としての素樸な原始形態が特長となつてゐることが見られるが、殊に、最初から必要なだけの人員がぞろぞろと一緒につながつて登場し、役者は 舞台の上に着座しても まだ「役者」のままで、「人物」にはなつてゐず、立ち上つて舞ふ時に 初めて「人物」に扮したことになるところ、また 舞つてしまつて着座すると、再び もとの「役者」の資格に返るところなども、舞台演技といふよりは 座敷演技とか祈祷演技とか儀式演技とかいつたやうな様式である。 そんなわけで 『翁』は 特別に厳粛に演じられる習慣ができ、さういつた解釈が与へられてゐるのは、早くから内容的に神聖な意味づけをされたからで、今日なほ 儀礼として演出されてゐるのである。
 『翁』は 能の上演が特別に儀礼的の意味を持つ時に、番組の初番の脇能物の前に附けて演じられることになつて居り、それを 『翁』附『高砂』とか、『翁』附『老松』とかいふ風に呼び、原則としては 『翁』のシテが脇能物のシテをも演じるのであるが、何等かの便宜上から、さうではなくて、別別のシテにすることもある。
 正式の番組で 初めに『翁』を附ける場合は、それと調和を保つやうに、最期の切能物の後に、別に「祝言しふげんとして 『金札』とか『岩船』とか 半能(前場を省略した形)にして 附けることがある。 (その『祝言』の能の代りに 『附祝言つけしふげん』と称して 簡単に祝言的詞章の数句を地謡が吟唱することもある。)




        

おきな

人    面箱めんばこ  折烏帽子、直垂上下、厚板(込大口)、小刀。
( 面箱そのものは能面を納めた箱であるが、舞台に運び出されると 御神体として扱われる。このため、これを捧げ持つ役(人)を含めて 面箱という。)
 おきな   翁烏帽子、翁狩衣、白練、指貫(込大口)。
     後で 面・おきな白色尉はくしきじよう 又は 肉色尉にくしきじよう )。
 千歳せんざい  折烏帽子、直垂上下、(込大口)。厚板、小刀。
 三番叟さんばそう  折烏帽子、直垂上下、(込大口)、後で 厚板、
      面・三番叟さんばそう黒色尉こくしきじよう)、剣尖烏帽子。
 右(上) 翁(シテ)と千歳(ツレ)は 能役者、三番叟と面箱は 狂言役者の担当であるが、それは上掛の演出法で、下掛の場合は 千歳の役をも狂言方が勤めて 面箱の役を兼帯し、登場順は先頭に立つ。

構成  面箱・翁・千歳・三番叟・囃子方・地謡 の順序で登場、拝礼して それぞれの座(翁は笛座前に、千歳と面箱は脇座に、三番叟は仕手柱先)に着座。 囃子は 初めは笛と小鼓(三人)で囃す。
 (一) 翁の謡 ― 坐つたまま直面ひためんで、地謡と掛合。
 (二) 千歳の舞、、、、
 (三) 翁の舞、、、。 (おもてを掛けて舞ひ、終つて取る。)
     翁還り (翁退場、上掛の場合は 続いて千歳も退場。)
 (四) 三番叟の舞、、、、、。 ― もみの段 (直面で)、面を掛けてアドと問答、すずの段 。
    (三番叟の舞には地謡なく、囃子は太鼓が加はる。) 三番叟、面を取つて退場。

主題  天下泰平・国土安穏の祈祷として舞ふのが本意で、同時に遐齢延年の祝福が 「君」に対しても 「われ等」に対しても与えられる。

流派  各流にある。

小書  「初日之式しよにちのしき」、「二日之式ふつかのしき」、「三日之式みつかのしき」、「四日之式よつかのしき」、「十二月往来じふにつきのわうらい」、
父尉延命冠者ちちのじようえんめいくわじや」、 「法会之式ほふゑのしき」、等。
 付記 現今 普通に演じられる『翁』は 「四日之式」である。





      

脇能物わきのうものについて



 また 神能物、、、とも呼ばれる。 正式の 初番目物、、、、であるから 初能物、、、とも呼ばれる。 番組の初番に置かれ、原則としてワキの儀礼的登場で始まるので 脇能物、、、の名称は起つたと解されてゐる。
 舞台的構想としては、最後に神体が現れて それぞれの神性にふさわしい舞踊を見せるやうに筋を運ばせ、その神体は 初めは(じよう)の姿で登場し、神社の参拝者に話しかけられて 神社の縁起を物語りするとか、名木名所の来歴を話すとかして、参拝者に更に深い信心を起させ、そのねぎらひの意味で舞踊、、して見せるのであるが、舞踊には 尊皇敬神を勧める意味が托されるのが普通である。 但し、神体が女性の場合は もちろん初めは女の姿で現れ、舞踊も女神にふさわしい種類のものが舞はれる。
 舞踊には 神舞かみまひしんじよまひちゆうまひ)がく 及び ハタラキ の区別がある。 神舞、、は 神格の高さを示す 颯爽たる強い舞で、若若しい神にふさはしく、真ノ序ノ舞、、、、、は 神威の荘重さを見せる 重重しい静かな舞で、いかにも老体の神に似合はしく、中ノ舞、、、は 女神でなければそぐはないやうな 優雅典麗の舞であり、は 何よりもまづ 異邦的な感じのする賑やかな舞で、それを舞ふものがすべて異邦人とは限らないけれども、楽 即ち舞楽ぶがくが 本来異邦的の本質を持つてゐる如く、それを舞ふ者にも 何となく異常な所のある者が多く、最後のハタラキ、、、、に至つては、本統をいへば、脇能物的といふよりは 切能物的成分の勝つた荒荒しいもので、神の中でも 特にたけだけしい雷神とか龍神とか 或ひはさういつた種類の神の舞ふのに似つかはしく、その種類の脇能物の存在をあまり高く認めなかつた世阿弥には 殆んど作品が発見されない。 (現行脇能物中の彼の作品には 僅かに『金札』があるくらゐである。)
 さういつた舞踊の品質の相違を最もよく表はしてゐるのは 後ジテ(神体)の扮装で、神舞物ならば、黒垂くろたれ透冠すきかんむり・着付厚板・狩衣・白大口の上品な装束で、面は少し憂愁の気味はあるが(憂愁は 能では上品なものとされている)、若若しい邯鄲男かんたんをとこを掛けるとか、真ノ序ノ舞物ならば、臈闌けた老神だから 白垂しろたれ初冠うひかんむりに 柔和な皺尉しわじよう(または舞尉まいじよう石王尉いしわうじよう)の面を掛けて、着付厚板または小格子に狩衣・色大口といふ扮装にするとか、中ノ舞物ならば、黒垂くろたれ天冠てんぐわん増女そうをんなの面を掛け、摺箔すりはくの着付に 長絹ちやうけん緋大口ひのおほくちとか、異邦の女性であることを示すためには 側次そばつぎを被せるとか、また楽物ならば、面は魁偉な悪尉あくじようを掛けて、白垂・鳥兜とりかぶとに 着付厚板、狩衣・半切はんぎれといつたやうな 舞楽の伶人らしい仕立にするとか、また働物ならば、赤頭あかがしら唐冠たうかんむり龍戴りゆうたいの類を戴き、着付厚板に法被はつぴ・半切の姿で、面は 雷神ならば、大飛出おほとびでを、龍神ならば黒鬚くろひげを、その他のたけだけしい神ならば 小癋見こべしみとか天神とかを掛ける、といつたやうな区別がある。
 それにまた 前ジテ(尉)の扮装にも異同があるが、一々の区別は 本文 登場人物の記載にゆずり、要約していへば、気品の高い尉は 小牛尉こうしじよう小尉こじよう)の面を掛け、着付小格子に白大口を被る(水衣は全部に共通)とか、少し品格の低い尉ならば 朝倉尉あさくらじよう(または三光尉さんこうじよう)の面に 無地熨斗目むぢのしめを着流にするとか、最も気品の乏しい尉ならば 笑尉わらひじようの面にするとか、それも流派によつて多少の相違はあるけれども、大体さういつた約束ができてゐる。
 そこで 現行曲脇能物三十九番を類別すると 次の如くになる。
   神 舞 物   ― 『高砂』『弓八幡』『養老』『志賀』『代主』『松尾』『御裳濯』『淡路』『絵馬』
   真ノ序ノ舞物 ― 『老松』『放生川』『白楽天』『佐保山』
   中ノ舞物   ― 『呉朊』『西王母』『右近』
   楽 物    ― 『難波』『白鬚』『道明寺』『東方朔』『源太夫』『大社』『寝覚』『輪蔵』『富士山』『鵜祭』
   働 物    ― 『氷室』『逆矛』『加茂』『嵐山』『竹生島』『和布刈』『九世戸』『江島』『玉井』『金札』『岩船』『鹿島』
 右(上)の内、中ノ舞物 はすべて女神であることは 言ふまでもないが、そのほか、神舞物の『絵馬』、真ノ序ノ舞物の『佐保山』、楽物の『鵜祭』は、いづれも女神でありながら、それぞれ男神の舞ひさうな舞を舞ふのは 例外的である。 さすがに 働物だけには 女神は参加しない。 即ち、脇能物の各種舞踊は 必要に応じて女神にも舞はせ得るが、働物だけは例外である。 その点からも 働物が脇能物的本質から遠いことは 言はれ得るだらう。
 構成についていへば、脇能物は 他のどの種類よりも比較的厳密に 序破急五段、、、、、の玄理に膠着する傾向があり、その体裁を原則的に示すと、場面は前場と後場と 二場、、に区分され、前場は 序破四段を含み、後場は 急一段を含む といふのが 妥当とされてゐる。 即ち、序の段でワキが登場し、破の前段でシテが登場し(シテは大概ツレを同伴する)、破の中段でシテとワキの問答から初同となり、破の後段で 詞章としての主要部分(クリ・サシ・クセ)が地謡によつて吟唱され、それに続くロンギで シテは中入をして、急の段で舞踊、、を見せる、といふのが原則である。 だから 音曲的に見れば、クセの吟唱される破の後段、、、、が中心であり、また舞踊的に見れば、神舞とか 真ノ序ノ舞とか 中ノ舞とか 楽とか 或ひはハタラキとかの舞はれる 急の段、、、が重点であるとも いふことができる。 詞章的にいへば、脇能物の主題は 神社の縁起とか神の事蹟とかが叙事詩的、、、、に(主としてクセの部分で)叙述される所にあつて、随つて 鬘物などに見られる叙情詩的な幽玄の情緒からは距離がある。 吟唱の様式が 概して剛吟、、で、強さと速さを特長とするのも、儀礼的表現として 飾り立てるためである。
 但し、それは原則的のことであつて、個個にについての例外的変化は 本文の記載によつて知つてもらひたい。





高砂たかさご   脇能物 (神舞物)   世阿弥 作

人    ワキ (阿蘇神主)  大臣烏帽子、狩衣、厚板、白大口。
 ワキヅレ(従者)二人  ワキに準じる。
 ツレ(姥)  面・うば、姥鬘、鬘帯、よれ水衣、唐織、(いろなし)、摺箔。杉箒。
 シテ(尉)  面・小牛尉こうじじよう小尉こじよう)、尉髪、水衣、小格子厚板、白大口。サラヘ。
 アヒ(所の者)  長上下、段熨斗目、小刀。
 後ジテ(住吉の明神)  面・邯鄲男かんたんをとこ、黒垂、透冠、狩衣、厚板、白大口。

時    春 (前場は夕暮、後場は夜)。

所    播州・高砂の浦(前場)、津の国・住吉(後場)。

構成  〔序の段〕 前場 (一)真の次第でワキ・ワキヅレ・登場、次第(地取)、名宣、道行、着ゼリフ。
 〔破の前段〕 (二)真ノ一声でツレ・シテ登場、一声、サシ、下歌、上歌。
 〔破の中段〕 (三)問答、上歌(初同)。
 〔破の後段〕 クリ、サシ、クセ。(四)ロンギ。(シテ中入、ツレ退場)。(アヒのカタリ)。
 〔急の段〕 後場 (一)待謡。(二)出端で後ジテ登場、掛合、神舞、、。(三) ロンギ(切)。

主題  高砂の松と住吉の松が 神秘的に相生あひおひであることによつて 夫婦の和合を示し、夫婦の和合が 国家組織の単位としての安定を感得させるための 常盤の松を象徴として 種族繁栄、国家永続を祝福し、更に従属的主題として和歌の威力を唱道し、『古今集』(住吉)を夫とし 『万葉集』(高砂)を婦とし、両者の併用によつて 更に鞏固な統一を主張する。

流派  各流にある。

小書  「流八頭ながしやつかしら」(喜多以外の諸流)。「真之型しんのかた」(春・剛)、「真之掛留しんのかかりとめ」(喜)、「八段之舞はちだんのまひ」(観・梅)、「大極之伝たいきよくのでん」(観・梅)、「作物出つくりものだし」(宝)、「祝言之式しふげんのしき」(各流)、「翁ナシの伝おきな   デン」等。




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