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表紙


目 次


序説      (南州外史)


真山民詩集序   (董師謙)

 五言古詩     十首
 長短句      二首
 五言律詩   六十六首
 七言律詩   五十七首
 五言絶句    十二首
 七言絶句   二十一首
   総計  百六十八首


近藤南州・評訂 「真山民詩集」

 明治 35 (1902) 年 11 月 、3 版、 青木嵩山堂。
 (初版は、明治 28 (1895) 年 9 月)
 活字印刷。 線装。 縦 14.8 cm、横 9.9 cm。 本文 40 葉。


 真山民(シン・サンミン) は、中国・宋代の詩人であるという。 しかし その名や作品は、中国詩(漢詩)の選本(名詩集など)には 絶えて見ざるところである。 その時代を特定した 吉川幸次郎の「宋詩概説」にも見えないから、見逃されても当然の 存在だったのであろう。
 そんな目立たぬ小詩人を、明治の民権思想家・中江兆民は、独自に発見・評価している。 兆民によれば、真山民の詩 は、独創にすぐれ、先人の表現の模倣・追随が無い、というのである。
 兆民が最初にその詩に出会ったのは 17、8 歳の頃らしいが、再びこれに接したのは 業病による死が間近に迫ったときで、寄寓先の主人の書棚の中に その詩集を見い出したのであった。 (→ 「一年有半」
 兆民が書棚中に見い出したのが、本書 すなわち ここに掲げる 近藤南州・評訂「真山民詩集」 である。


 本書の主体をなすものは、中国・元代の董師謙なる人物が「大徳丙午(西暦1306年)夏」に記した序文を持つ 「真山民詩集」である。 右の目次に示されるように、各体の詩 168首ほどが収められている。
 評訂者・近藤南州(明治期の漢学者、名は元粋、1850~1922)が手にした「真山民詩集」の伝本は、江戸時代の漢学者・村瀬栲亭(1744~1819)と、同じく泉沢履斎(1779~1855)が、それぞれ別個に校訂し、同じ文化年間に刊行した二書であった。 南州は、これら二書について 他の選本等も含めた検討で 異同を調整し、この「真山民詩集」に対する従来の学者の論考を整理・紹介した「序説」を付加するとともに、多くの詩に短評を添えたのである。

 「本文の一部紹介」は、 168首の詩のうち、「七言絶句」 21首を、原文および訓読で示し、南州の短評がある場合は その短評も併せ掲げることとする。 (南州は、所々に圏点も付しているが、これは煩わしいので 省略する。)



本文の一部紹介



        

七言絶句

   楊妃 (楊貴妃)

  三郎掩面馬嵬坡   三郎(楊貴妃は 玄宗を「三郎」と呼んだという。) 面を掩ふ 馬嵬坡(楊貴妃の死所)
  生死思深可奈何   生死 思ひ深く 奈何(いかに)すべき
  瘞玉驛傍何足恨   瘞玉の駅傍 何ぞ恨み足る
  潼關戰骨不埋多   潼関戦骨 埋めざるもの多し
            《南州の評》 冷語痛絶


   水墨海棠 (水墨の海棠) (この詩も楊貴妃にちなむ。)

  不將翠袖巻紗紅   翠袖 紗紅を巻くを将(もちい)ざるは
  怪得陳玄奪化工   陳玄(墨)の 化工(神の作ったもの)を奪いしかと 怪しまる
  想是太眞春睡去   想ふに是れ 太眞(楊貴妃の字)の春睡に去(お)
  夢魂正在黑甜中   夢魂 正に黑甜(熟睡)中に在るならん
            《南州の評》 着想 人の意表に出づ。



  三月晦日 與邵古心諸友閑遊東園 分韻得空字
      (三月晦日(みそか)、邵古心ら諸友と東園に閑遊す。分韻して空字を得たり。)

  韶華収拾太匆匆   韶華(春の けしき)を収拾(たずね歩く)するも 太(はなは)だ 匆匆(気ぜわしい)たり
  眼底浮花一掃空   眼底の浮花は 一掃して 空しきに
  留得數枝紅藥在   数枝の紅薬(芍薬)は 留め得て在り
  五更分付與熏風   五更(明け方) 熏風と与(とも)に 分付せり
            《南州の評》 平穏。


   年少春遊 (年少の春遊)

  錦袍朱帶玉花驄   錦袍・朱帶 玉花の驄(ソウ、あしげ
  著意追歡紫陌東   意を著(あらわ)し 歓を追ふ紫陌(都の市街)の東
  只道春風屬楊柳   只(ただ) 春風は楊柳に属すと道(い)ふも
  不知楊柳有秋風   楊柳に秋風有るを知らず
            《南州の評》 年少の輩に、頂門の一針と為したるならん。         


   山間小春 (山間の小春)

  小桃枝上認年華   小桃の枝上 年華(春の光、気配)を認む
  随分紅開一兩花   随分(いたるところ) 紅を開く 一兩花
  將謂東風只城市   将(まさ)に 謂(い)ふ 東風 只(いま)城市と
  也吹春色到山家   也(また) 春色を吹き 山家に到らしむ



   三月晦日 (三月の みそか)

  九十春光能有幾   九十(九十日、春の三か月)の春光 能く幾(いくばく)有りや
  東君遽作遠行人   東君(春を擬人化して言う)(にわか)に 遠行の人と作(な)
  樽前莫惜今朝醉   樽前 惜しむ莫(な)かれ 今朝の酔いを
  明日鶯聲不是春   明日の鶯声は 是れ 春にあらず



   晩歩 (晩(くれ、夕方に歩む)

  未瞑先啼草際蛩   未だ瞑(くら)からぬに 先ず啼(な)く 草際の蛩(こおろぎ)
  石橋暗度藕花風   石橋は暗きに 藕花(グウカ、はすの花の風 度(わた)
  歸鴉不帶殘陽去   歸鴉(キア、ねぐらに帰るからす 残陽を帯びずして去り
  留得林梢一抹紅   留めたり 林梢 一抹の紅
            《南州の評》 一幅の活画。        


   春閨詞

  愁鎖眉尖未肯消   愁(うれい)は眉尖(まゆじり)を鎖(とざ)すも 未だ消すこと肯(あた)わず
  何心更畫兩娥嬌   何の心か 更に両娥の嬌を画く
  一春螺黛渾無用   一春の螺黛(眉を引く道具, 小型の黛)(すべ)て 用 無し
  付與東風染柳條   東風に付与して 柳條(柳の枝)を染めん
            《南州の評》 艶にして巧。 才人の筆にして 古にも之を言う事 無し。 


   山間秋夜 (山間の秋夜)

  夜色秋光共一闌   夜色・秋光 共に 一闌(イチラン、たけなわ)
  飽収風露入脾肝   飽くまで 風露を収めて 脾肝に入る(全身に入れる)
  虛簷立盡梧桐影   虚しき簷(のき)に 立ち尽す梧桐の影
  絡緯數聲山月寒   絡緯(こおろぎ)数声 山月寒し
            《南州の評》 一読 精気 脾肝に入れり。 


   新年

  粧點春光到眼邊   春光の粧点(よそおい)は眼辺に到る
  凍消殘雪暖生煙   凍(こおり)消え 残雪暖かく 煙を生ず
  杏桃催換新顏色   杏桃は 新たな顔色に換(か)えんと 催(し)
  惟有寒梅老一年   惟(ただ) 寒梅の 一年を老ゆる有り
            《南州の評》 言外の意を宣領(表現)す。 


   越王山 (浙江省・紹興の会稽山と考えられる。春秋時代の越王・勾践は、ここで呉王・夫差に敗れ、臥薪嘗胆の苦労を積んで その恥をすすいだという。)

  玉輦金輿去不回   玉輦・金輿(いずれも天子や諸侯の乗物) 去りて回(かえ)らず
  空餘千仞碧崔嵬   空しく余す 千仞の碧崔嵬
  英雄安得如潮水   英雄は 安(やす)んじて潮水の如し
  毎日山前兩度來   毎日山前に 両度 来たれり



   次韻邵古心春遊阻雨 (邵古心の「春遊して雨に阻(はば)まる」に次韻す)

  田里煕煕便是春   田里 煕煕(キキ、なごみ 楽しむさま)として すなわちこれ春
  追遊何必艶陽晨   追遊 何ぞ必ずしも 艶陽の晨(うららかな朝)にあらんや
  打門吏少花村靜   門を打(たた)く吏 少なく 花村 静かなり
  聽雨高眠亦可人   雨を聞き 高眠するも また可人(なかなかよい)
            《南州の評》 真に 是れ 仙郷。 


   醉餘再賦 (酔余 再び賦す) (起句の「詩翁」は、真山民自身を言うのであろう。)

  堪嘆詩翁酒興豪   嘆ずるに堪えんや 詩翁 酒興の豪なること
  醉餘猶復一登高   酔余 猶お復(また) 一登高す
  西風抵死相搖撼   西風(秋風) 死に抵(いた)らんも 相 搖撼(ゆりうごかす)
  爭奈儒冠裹得牢   奈(なに)を争いて 儒冠の裏(うち)に牢を得んとするや
            《南州の評》 強硬 想うべし。


   觀音閣前梅花 (観音閣前の梅花)

  畢竟花猶爲色界   畢竟 花は猶お 色界を為し
  未應香解動閨思   未だ 香解(香界=寺院か?)に応(こた)えて 閨思を動かさざるも
  淸香綽約如氷雪   清香 綽約(たおやか)として 氷雪の如し
  千手何曾折一枝   千手(観音の手) 何ぞ曽て一枝を折りしか



   春盡山行 (春尽きんとするの山を行く)

  幽鳥數聲啼曉煙   幽鳥(山鳥)数声 暁煙(朝もや)に啼く
  杖藜未到白雲邊   杖藜(老人用の杖) 未だ 白雲の辺に到らざるに
  陰陰萬綠又如許   陰陰たる万緑 又た 許(かく)の如し
  春在一枝紅杜鵑   春は 一枝の紅杜鵑(つつじ)に在り
            《南州の評》 楚々として 人を動かす。


   初夏

  陰陰濃綠護簾櫳   陰陰たる濃緑は 簾櫳(レンロウ、住居の目かくし)を護(まも)
  囘首芳菲迹已空   首を回(めぐらせ)ば 芳菲 (花々)の迹(あと) 已に空し
  胡蝶徑拋春色去   胡蝶 径(みち)に 春色を拋(なげうつ)て去りしに
  又來庭館舞熏風   又た 庭館に来りて熏風に舞う
            《南州の評》 亦た 寓意有り。


   讀明皇羯鼓錄 (『明皇羯鼓録』(唐の玄宗が 羯鼓という楽器を好んだことなどを記した書物)を読む)

  要把春風火急催   春風をして 火急に催すことを要(もと)
  臨軒一擊萬紅開   軒に臨(のぞ)んで一撃すれば 万紅(花々がすべて) 開く
  如何羯鼓聲方歇   如何(いかん)ぞ 羯鼓の声 方(まさ)に歇(や)みたる
  便有漁陽鼙鼓來   便(すなわ)ち 漁陽の鼙鼓(漁陽の地で反乱を起した安禄山の軍楽)来れり
            《南州の評》 多少の感慨 あり。


   錢塘懷古 (錢塘江は、浙江省を流れて杭州湾に注ぐ川で、下流の流れの速いことが特徴。 この川への、山民特有の思いが示されている。)

  嗚咽江流帶恨聲   嗚咽せる江流 恨みを帯びたる声
  不堪重上浙江亭   重ねて浙江亭に上るに堪えず
  東風吹起繁華跡   東風 吹き起す 繁華の跡
  惟有吳山似舊靑   惟(た)だ 呉山の 旧に似て青き有り
            《南州の評》 居然(安定した状態)として 唐調。


   呉王夜宴圖 (前掲「越王山」で、勾践を破った呉王・夫差の、勝利の宴の光景。)

  銀漏迢迢夜未晨   銀漏(銀の水時計) 迢迢(時がゆったりと過ぎていくさま) 夜は未だ晨(あ)けず
  管弦聲裡綺羅春   管弦の声裡(音楽につつまれ) 綺羅(きらびやかな趣向)の春
  飮餘方擁名娃醉   飮余(飮飫=酒宴か?)(まさ)に 名娃(美女。すなわち、勾践が献上した西施。)を擁して 酔う
  豈料稽山已臥薪   豈(あ)に 料(はか)らんや 稽山 已に薪に臥せるを
            《南州の評》 伏禍(「禍福倚伏=禍福は互いに寄り添う」を簡約した語)は、歓娯の中に機ざす。 天下の事、皆 然り。


   九日 (九月九日・重陽における感慨)

  懶把黄花插滿頭   黄花(茱萸の花)を満頭(頭いっぱい)に挿すことの懶(ものう)きは
  正緣老大見花羞   正に 老大(としより)の 花を見て羞ずるに緣(よ)
  年來頗恨儒冠悞   年来 頗(すこぶ)る 儒冠の悞(あやまり)を恨む(残念に思う)
  好倩西風吹去休   好(よ)し 西風を倩(やと)い 吹き去りて 休(や)めん



   高帝 (漢の高祖・劉邦 BC256~BC195 の 人物像)

  未央前殿養親時   未央(未央宮)の前殿に親を養ひし時(劉邦が皇帝になって、宮殿で父親をもてなした時のこと)
  想見當年俎上危   想見(思い出す)す 当年(あのとき)俎上に危うかりしを(宿敵・項羽の人質となっていた父が 命の危険にさらされたこと)
  借問杯羹何等語   借問す 杯羹(スープ)は何等の語なりや(項羽が父を煮殺すとおどしたので、劉邦がそのスープを飲ませてくれ、と応じたこと)
  如今安用玉巵爲   如今 安んじて玉巵(玉の杯)を用いて為す
            《南州の評》 余もまた、平生 是の論を持す。 図らずも、前賢 先に之れを言へり。




参 考


 中江兆民の他に 真山民の詩を特に評価した人に、幸田露伴がある。 すなわち、その『幽情記』(大正8年刊)における「真真」の条に、山民の詩 数篇中の佳句を挙げ、「… 人品詩品 ともに卑しからざるを示し、篇什 富まずといえども、一個の好詩人たるを失はず。」と評している。 「真真」は、宋代の学者にして政治家・真徳秀(1178~1235、号:西山)の後裔で、零落しながらも気高さを保持した女性(その名が、真真)を描いた作品であるが、同じく真徳秀の後裔たる真山民をも引き合いに出して、その詩句の紹介に及んだわけである。
 「一年有半」 中に示されていたように、兆民は 露伴の文学を最も高く評価していたので、過去の作品に対する両者の嗜好が一致したのは 当然かもしれない。




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