らんだむ書籍館


  表紙カバー
  (このカバー絵は、文庫の各書に共通。)


目 次


 百科文庫 芭蕉翁絵詞伝序  (露伴道人)

 解 題           (幸田露伴)

 芭蕉翁絵詞伝

  絵 (三十三面)

  詞書

  跋        (蝶夢 幻阿弥陀仏)



冨山房百科文庫
蝶 夢 ・著、 幸田露伴・校訂  「芭蕉翁絵詞伝」


 冨山房。 昭和13(1938)年10月。
 縦 17 cm、横 11 cm。 紙装。 本文 112頁。

 「冨山房百科文庫」は、出版社・冨山房が 昭和10年代に、各学問分野の書籍の一般人向け普及を目的に刊行した 文庫本のシリーズである。
 同社は 明治期に、国文学分野を主体とした「袖珍名著文庫」(例:「古今奇談・英草紙」) 、昭和初期には その後継である「新型名著文庫」(例: 「撰集抄」) という 各文庫本シリーズを刊行してきた。
 「冨山房百科文庫」は、これら先行の文庫本シリーズを 改良、発展させたもので、社会科学や自然科学の分野を含めるなど、対象領域を大幅に拡大している。 「百科文庫」を称した所以であろう。 また、書き下ろしの学術参考書も、含まれているようである。

 幸田露伴は、上記「袖珍名著文庫」のとき、このシリーズ各冊の校訂を担当した学者の一人で(他は、饗庭篁村、上田萬年、関根正直、芳賀矢一、藤岡作太郎、宮崎三昧、尾崎紅葉の7名)、その担当した書の一つ「蝶夢・芭蕉翁絵詞伝」が、シリーズの第一冊であった。 ただし、この書は「絵」と「詞」が組み合わされたものであるのに、「絵」が省略され、「詞」のみのものであった。 印刷の困難さが理由と思われるが、露伴は 詞のみでも刊行する意義があると判断したのであろう。 巻末の「解題」での 蝶夢を紹介した部分は、露伴らしい名文である。
 次の「新型名著文庫」では、「蝶夢・芭蕉翁絵詞伝」は シリーズ第六冊目に組み込まれ、三十三面の絵が 全て収容されて、完全な内容となった。 また、同冊内に「芭蕉翁俳句・俳文集」が付加された。
 そして この「冨山房百科文庫」にも 「絵詞伝」が編入されたわけであるが、「新型名著文庫」の完全な内容が踏襲され、序や解題も再掲される一方、「芭蕉翁俳句・俳文集」は付加されず、「絵詞伝」のみの すっきりとした内容となっている。

 「本文の一部紹介」としては、「芭蕉翁絵詞伝序」および「解題」(いずれも 露伴の執筆)、ならびに、画面上でも趣旨が了解しやすいと思われる 五面の「絵」と その「詞書」を、掲げることとする。
 なお、五面の「絵」には いずれも芭蕉が描かれているのであるが、入力画像のコントラストが弱いため、画面から その姿態・行動を見い出すのは 困難と思われる。 このため、芭蕉が描かれている部分(四角形の枠 で囲んだ部分)の近辺をクリックすれば その部分が拡大表示されるようにした。



本文の一部紹介


百科文庫 芭蕉翁絵詞伝序



 蝶夢の芭蕉翁絵詞伝は 韻趣を以て優る。 蓋し 蝶夢 既に芭蕉の俳諧を尚び、又 其 人となりを愛し 而して後に 此篇有り。 芭蕉の詞章、人物、もと韻趣を以て勝る。 伝の おのづからにして韻趣を以て勝るも、亦 当に然るべきなり。 而して 蝶夢もまた 世俗猥薄の俳諧者流にあらず。 風流薀藉、韻趣を以て勝るの人たり。 此の人にして 此の伝を選す。 今に於て 人の芭蕉を忘るゝ能はず、又 蝶夢を忘るゝ能はざるも 宜なりといふべし。 芭蕉 もと西行に私淑す。 西行僊去の後 世に西行絵詞伝あり。 西行と其伝とも 韻趣を以て勝る。 芭蕉は 其心 西行を追ひ、此篇は其体 彼伝に倣ふ。 韻趣的々 流れて尽きざるもの有る也。
  昭和十三年九月            露伴道人


解 題



 芭蕉翁絵詞伝三巻は、蝶夢、これが文を撰し、至信(画家・狩野至信)、これが画を作して 成れるものなり。 文情飄逸、画意瀟洒、共に能く蕉翁を伝ふるに足るの故を以て、世の蕉翁を景慕するもの、清談の余、雅談の末、説いて 蝶夢が絵詞伝に及ぼさゞること無し。 蓋し 蝶夢が蕉翁を尊崇するの情の真なる、意の誠なる、発して其の筆端に溢れ、楮表に満つるあるに因らずんば あらざるなり。 其の絵詞伝を撰するに至れる始末の如きは、蝶夢自ら之を記して 巻末に付せり。 読者 就いて覧て、其の存心敦厚のところを知り、併せて 絵詞伝の世に称せらるゝ所以を知るべし。
 蝶夢は 蓋し 塵外の人(俗世間を離れた、すなわち 仏門に入った人)。 京都寺町 帰白院の住職なりきといふ。 寛政四年(1792年)十二月二十四日、享年六十四にて没しぬといへば、享保の末に当りて生れしなるべし。 蝶夢は其の俳号にして、幻阿弥陀仏は其の仏名なり。 庵を五升庵といひ、また 泊庵といふ。 帰白院を退きて後は 洛東岡崎に住し、俳諧に遊んで 悠々吟哦 世を卒りぬとなり。 芭蕉翁を追慕渇仰するの情 極めて深く、かつて粟津の義仲寺なる 芭蕉堂の頽破せるを再建し、又 石山の幻住庵を守りしこともありきといふ。 此等の事 皆 蕉翁を思ふの余に出でざる無し。 其の人となり 想ふべきなり。
 蝶夢が幻住庵を守れる折の事なりき。 まづ頼む椎の木もあり夏木立 といふ蕉翁の句によまれたる椎の木の、あるじは代り 庵は古びたれど、猶 幾歳の霜に堪へ 雪に耐へてありけるが、さすがに生滅のことわり是非無くて、あはれ老木も 日の光り露の恵みを受くる命数尽きて、遂に敢無くも枯れ果てければ、かつては 我が翁の慈愊のまなじりかゝり、風雅のたゝへごとさへ得たる樹を、よしや非情のものなればとて、草木成仏の金句もあるに、如何で やみやみと炉中の煙りとして、芽ぐまぬむかしのすがたに還らしむるに忍びんや、とて これをもて俳席の用に供ふる文台を作り、時の俳宗 蓼太に贈りきといふ。 この一事 以て 如何ばかり蝶夢が蕉翁をおもふ心の厚かりしかを知るに足れり。 この文台は 今猶 雪中庵に伝はりて雀志氏が許に儼存すれば、此の事は 決して捕風捉影の談にあらず。 蝶夢が人となりも よろこぶべきかな。
 蝶夢が著はすところ、芭蕉翁絵詞伝を外にして、墨直、松島道記、宰府紀行、時雨会集、芳野冬之記、養老滝記、遠江記 等 およそ十七八部ありといふ。 好事の士 捜索して 之を読むべき也。
 冨山房主人 蝶夢の芭蕉翁絵詞伝を新刊するに当り、これを書して 以て題す。
  明治癸卯一月             幸田露伴



芭蕉翁絵詞伝 (絵、詞書)



絵三
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 徒然なる折にや、笠をはり給ふ詞に、
 秋風淋しき折々、竹取たけとりたくみに習ひ、妙観が
刀をかりて、自ら竹を割り、竹を削り、笠作かさつく
おきなと名乗る。 朝に紙を重ね、 夕部ゆふべに干して、
また重ね重ねて、渋といふ物をもて、色をさはし、
廿過ぐる程に、やゝ出できにけり。 其のかたち
裏の方にまきいれ、外様そとさまふきかへり、荷葉かえふなかば
開くるに似て、をかしき姿なり。 西行法師が
富士見笠か、東坡居士とうば居士が雪見笠か、宮城野
の露に供つれねば、呉天ごてんの雪に杖をやひかん。
あられにさそひ、時雨しぐれかたぶけ、そぞろにめでゝ、殊に
興ず。 興のうちにして、俄に、感ずる事あり。
再び、宗祇の時雨ならでも、仮の宿りに袂をうるほ
て、笠の裏に書き付け侍る。

  世にふるも さらに宗祇そうぎの 宿りかな
絵五
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 江戸(*)を出で、海道を上り給ひけるに、富士河の
ほとりにて、三つばかりの捨子の、泣くあり。 此の
河の早瀬にかけて、浮世の波をしのぐに堪へず、露
ばかりの命 待つ間と、捨ておきけん、小萩がもと
の秋の風、今宵こよひや散らん、明日やしをれんと、袂よ
り、食ふべき物 投げて通るに、

  ましらをきく人 捨子すてごに 秋の風いかに

 いかにぞや、汝、父に憎まれたるか、母に疎ま
れたるか、父は、汝を憎むにあらじ、母は、汝を
疎むにあらじ、只、これ、天にして、汝が性の
拙きをなけ。
(*)原注:貞享元年(1684年)八月より二年四月にわたり
京に至りてかへる「甲子吟行(野ざらし紀行)」;あり、この
辺の文 これに依つて書いてある。
絵八
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 雪の、いと面白う降りける夕、おなじ心なる人の、
集りて、遊びけるに、もとより、貧しきいほりなれば、
人々、薪かひに行くあれば、酒買ひに行くもあり。

  米かひに ゆきの袋や 投頭巾なげづきん
絵二六
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 四条河原の納涼なふりやうを見て、書き連ね給ひけるは、
夕月夜ゆふづくよの頃より、有明ありあけ過ぐる迄、川中にゆかをなら
べて、夜すがら、酒飲み、物 食ひ遊ぶ、女は、帯
の結目 いかめしく、男は、羽織 長う着なして、法師
老人、共に交り、桶屋 かぢやの弟子ら迄、いとまえが
ほに罵る。 流石に 都の景色なるべし。

  河風や うすかき着たる 夕涼ゆふすゞみ
絵三一
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 三十日の夜より、泄痢せつりといふ病に、いと強く悩み
給ひて、物 宣ふ力なく、手足、氷れる如くなり給ふ
と聞くより、京よりは、去来、太刀もとりあへず
馳せ下り、大津よりは、木節ぼくせつ薬嚢やくなうを肘にかけて、
かち(徒歩)より来つき、丈草を始め 正秀しやうしゆう、乙州
ともがら 迄、聞くに従ひて難波に下り、 病の床に、
いたはり 仕へ奉る。 元より、心神の煩ひなければ、
不浄ふじやうを憚りて、人を近くも招き給はず。 十月五日
の朝より、南の御堂みどうの前、静なる所にうつし参らす。
 愚按、この家、花屋仁右衛門といふが別屋にて、今にあり。
 (↑ 蝶夢の追記)

 八日の夜ふけて、側に居ける、呑舟といふをのこ
召して、硯にすみする音のしけるを、如何ならんと、
人々 いぶかり思うに、

  旅に病みて 夢は枯野かれのをかけめぐる






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