らんだむ書籍館


表紙




目 次


 断腸亭日乗を期待する       脇村義太郎
 江戸と西洋            寺田  透
 荷風が余業            三好 達治
 荷風と東京風景          勝本清一郎
 荷風と漢文学           淸水  茂
 火吹竹              小堀 杏奴
 私と荷風 ―「断腸亭日乗」について―  遠藤 周作
 本の中の世界(十六)
   ――「あめりか物語」――     湯川 秀樹
 ある日の荷風山人         中野 好夫
 荷風文学とのたった一回の出会い  杉浦 明平
 『永井荷風伝』脱稿まで      秋葉 太郎
 こぼればなし
 十二月の出版案内


「図書」 12 - 1962

 昭和37 (1962) 年12月、 岩波書店。
 A5版、紙装。 本文 64頁。


 「図書」 は、岩波書店の販促・PR誌であるが、1938( 昭和13)年の創刊以来、80年以上も継続刊行されているのは、その学術的な内容が高く、読書人にとって有益な記事に富むためであろう。

 本号は、 永井荷風(明治12(1879)~昭和34(1959)、本名:壮吉)の特集である。
 同書店による『荷風全集』刊行の企画がまとまって、それを発表・宣伝するためであり、すべての本文記事は 荷風に関係したもので占められている。

 内容の一部紹介としては、この表紙を飾っている 荷風揮毫の書画幅の部分を、拡大して掲げることとする。 書は 漢詩の七言絶句で、画は この詩の承句(第二句)の意を 具象化したものである。
 表紙裏の頁に、「表紙について」という 編集部の説明文がある。 それによれば、まず、この書画幅の所有者は 近代文学研究者の勝本清一郎であるという。 勝本は 本号への寄稿者でもあるが、荷風との個人的な繋がりは無いようで、この幅は 古書店等で入手したのであろう。 漢詩には当初 編集部の人々に読解できない部分があり、折良く岩波書店を訪れた中国文学者の吉川幸次郎から その解を得るとともに、詩の作者は荷風ではないかもしれぬとの助言を受けて、『全唐詩』と『唐人万首絶句』を数人がかりで探したが、発見できなかった、とある。
 作者の探索は その後も進展がなかったようで、結局 この詩は、全集・第11巻(小説11、詩歌)の「偏奇館吟草」の「漢詩」部分に収入された。 さらに、岩波書店が その後 増補・改訂を加えて刊行した第2次『荷風全集』(1992年より刊行)でも、その第20巻(1994年10月発行)の「詩歌・偏奇館吟草」中の漢詩の部に収入されており、荷風の作品として扱われている。
 吉川幸次郎が 中国詩人の作ではないかと想定したのは、「鈴索」なる語が 我が国では馴染みの無い語で、その使用が不自然に感じられたからであろう。  鈴索は、人の到来や異常の発生などを 離れた所から報知するために、ひも(索)を引いて鈴を鳴らすようにした仕掛けである。 中国では、唐代の翰林院に設けられていたとされるほか、唐の韓偓(844~923年)や 宋の蘇軾(1036~1101年)の詩に、この語の使用例がある。

 思うに この書画は、脳中に浮かんだ語彙やイメージを連結して、荷風が ふと構成した 一種の心象風景ではなかろうか。
 画における 吊り下げられたオウム(鸚鵡)の止り木は、同時に鈴索の端部をなしていて、さらに鈴が吊り下げられている。(このような構成も、荷風が考案したのであろう。) オウムは片脚を持ち上げていて、その姿態も 詩の「嬌」に対応している。
 陳腐な言い方であるが、詩書画一体 の味わいが 自然に創出されているように思われる。




内容の一部紹介





書画幅



 東風簾幕影飄搖  東風 簾幕レンバク(とばり、カーテン) かげ 飄揺ヒョウヨウ

 鈴索無聲鳥語嬌  鈴索レイサク(訪問を知らせる すず) こえ くして 鳥語 キョウなり。

 夢裏春寒猶到枕  夢裏の春寒 なお まくらいた

 一欄梨雪晝蕭蕭  一欄の梨雪リセツ(てすり近くの 雪のような梨の花) ひる 蕭蕭ショウショウ



 丙寅(大正15(1926)年) 暮春  荷風 壮(壮吉) 写(か)く。






参 考


 荷風が漢詩の創作法を学んだのは、16、7 才の頃で、はじめ 父・永井久一郎(1852~1913、号:禾原)に就き、次いで 漢詩人・岩渓裳川(1852~1943)に就いたという(『随筆・冬の蠅』、1945年)。 永井久一郎は、青年期に漢学者・鷲津毅堂に学び、その縁で毅堂の娘を娶った。 その間に生れたのが壮吉、すなわち荷風である。 岩渓裳川も鷲津毅堂に学んだ人で、つまり 永井久一郎の兄弟弟子である。 荷風は、こうした関係の中で生れ育ち、漢学・漢詩に親しんできたわけで、これらは その血肉となっていたといえよう。
 ただし、荷風には その後 一変化があり、「その頃作つた漢詩や俳句の稿本は、昭和四年の秋 感ずるところがあつて、成人の後 作つたいろいろの原稿と共に、わたくしは悉くこれを永代橋の上から水に投じたので、今 記憶に残つてゐるものは一つもない。」(前記『随筆・冬の蠅』)と述べている。 この時期から 漢詩と距離を置くようになったことも、確かであろう。




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