らんだむ書籍館 |
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表紙 |
目 次
断腸亭日乗を期待する 脇村義太郎 江戸と西洋 寺田 透 荷風が余業 三好 達治 荷風と東京風景 勝本清一郎 荷風と漢文学 淸水 茂 火吹竹 小堀 杏奴 私と荷風 ―「断腸亭日乗」について― 遠藤 周作 本の中の世界(十六) ――「あめりか物語」―― 湯川 秀樹 ある日の荷風山人 中野 好夫 荷風文学とのたった一回の出会い 杉浦 明平 『永井荷風伝』脱稿まで 秋葉 太郎 こぼればなし 十二月の出版案内 |
内容の一部紹介 |
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書画幅
東風簾幕影飄搖 東風 簾幕(とばり、カーテン) 影( 飄揺) ( )
鈴索無聲鳥語嬌 鈴索( (訪問を知らせる すず) 声) ( 無) ( くして 鳥語 嬌) ( なり。)
夢裏春寒猶到枕 夢裏の春寒 猶( 枕) ( に到) ( り)
一欄梨雪晝蕭蕭 一欄の梨雪( (てすり近くの 雪のような梨の花) 昼) ( 蕭蕭) ( )
丙寅(大正15(1926)年) 暮春 荷風 壮(壮吉) 写(か)く。
参 考
荷風が漢詩の創作法を学んだのは、16、7 才の頃で、はじめ 父・永井久一郎(1852~1913、号:禾原)に就き、次いで 漢詩人・岩渓裳川(1852~1943)に就いたという(『随筆・冬の蠅』、1945年)。 永井久一郎は、青年期に漢学者・鷲津毅堂に学び、その縁で毅堂の娘を娶った。 その間に生れたのが壮吉、すなわち荷風である。 岩渓裳川も鷲津毅堂に学んだ人で、つまり 永井久一郎の兄弟弟子である。 荷風は、こうした関係の中で生れ育ち、漢学・漢詩に親しんできたわけで、これらは その血肉となっていたといえよう。
ただし、荷風には その後 一変化があり、「その頃作つた漢詩や俳句の稿本は、昭和四年の秋 感ずるところがあつて、成人の後 作つたいろいろの原稿と共に、わたくしは悉くこれを永代橋の上から水に投じたので、今 記憶に残つてゐるものは一つもない。」(前記『随筆・冬の蠅』)と述べている。 この時期から 漢詩と距離を置くようになったことも、確かであろう。
終