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表 紙 |
目 次
晩翠堂詩文集序 三渓隠士 旧聞新識 (前号之続) *航西日乗 濹上漁史 辛巳孟冬賀不忍池長酡楼新築 (七律) 中州居士 伊香保温泉雑詩 (七絶、五首) 復軒学人 初聞秋声 (七絶) 東洲吟客 秋日山行 (五律) 錦湖漁客 墨水観流燈戯戯作 (七絶) 松塘釣客 夕時雨 原 宏平 羽後霧 中尾五百樹 山皆紅葉 吉田正明 網代眺望 佐々豊水 芳原に遊び 娼妓の身を思ひやりて 三田潜龍 椿 高崎正風 紅勘伝 恕軒学人 |
本文の一部紹介 |
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紅勘伝
恕軒学人(信夫恕軒)
紅勘なる者は、何許の人なるかを知らず。 亦( 、其の姓字を 詳) ( にせず。 婦女 呼んで「紅勘」「紅勘」と曰) ( ふ。 故に名づく。 或は曰ふ、紅勘は 「勘蔵」を通称とす。 初め 紅粉を鬻) ( ぎ、以て業と為す。 故に号して 紅勘と曰ふと。 是の人や、性 介) ( にして、才 多く、状 陋にして、芸に精) ( し。 嘗) ( て芳原(吉原)妓郭の幇間(遊廓で客の遊興を助ける者。たいこもち)と為) ( るも、一旦 思い有り、則ち 止) ( む。 勘(紅勘)の言に曰く、人の世に処し 活を求むるは、心に欲せざるも 笑いて献じ、意に満たざるも言を呈し、点頭して 人の髭髯を払拭し、膝行して人の鼻息を窺伺す。 暗夜に哀れみを求め、白日には其の妻妾に驕る。 奴(私、自分)は、不肖にして、為すに忍びざるなり。 若) ( し夫) ( れ 花柳の巷(まち)に逊遥し、歌妓・舞女の間に食息すれば、晒然として笑ひ、怡然として娯) ( む。 得ること無く、喪) ( うことも無し。 惟適之安) ( (唐・韓愈の詩句)、吾の天なり。 奴や 安) ( ぞ 之を為さざるを得ん。 是) ( に於いて、手に三弦(三味線)を持ち、腰に 笛と小鼓を帯び、一曲 以て一笑を博し、一演 以て数銭に易) ( ふ。 江都(江戸)は富盛の地にして、俗(庶民)の弦歌(三味線を弾きながらうたう歌)を尚) ( ぶこと、凡) ( そ 一郭五街より 三劇七妓の巷に至る。 紅勘の名は、嘖々) ( (ほめそやすさま)と伝播す。 其の三弦を用ふるに、柄(棹)は 未だ必ずしも紫檀ならず、槽(胴)は 未だ必ずしも花櫚ならず、撥) ( は 未だ必ずしも象牙・鼈甲ならざるなり。 柄 折れれば 則ち易) ( へるに 擂木) ( を以てし、弦 絶つれば 則ち継) ( ぐに 麻糸を以てす。 或は 飯匕) ( を以て 撥と為し、或は 敗) ( し鼓の皮を以て 槽と為す。 然) ( り 而) ( して、其の弦を一弾すれば、則ち 韻調は雅淡にして、抗墜(? 意不明)は宜しきを得。 人をして 肉飛び 魂を消さ使) ( む。 忽) ( ちにして 小鼓、忽ちにして 細管、歌舞 斉) ( しく発し、宮商 並び奏す。 弦 一) ( 耳) ( 、而して 音に至りては 則ち二。 笛 一) ( 耳) ( 、而して 声に至りては 則ち双。 縹渺 宛転、行雲 遅廻。 士女・群集 囲繞し、喜んで微笑する者 有り、感じて黙聴する者 有り、覚えず喝采する者 有り。 蓋) ( し 五人の合奏するに非) ( ざれば、其の一曲を学ぶ能) ( はず、一人の十手を有するに非) ( ざれば、其の一段を擬する能) ( はず。 而して 紅勘 独) ( り 能く之を行なふ。 其の曲 終り、人 散ずれば、則ち 眇たる(貧弱な)小丈夫の 弦を抱きて凝立(じっと立つ)するのみ。)
天倪氏(恕軒の自称であるが、「宇宙人」のようなニュアンス) 曰く、吾 嘗て『開元遺事』(正しくは『開元天宝遺事』で、唐代 開元・天宝期 (713~755年頃) の 出来事や逸話を集めた書)を読むに、曰く 「賀懐智(楽人の名) 琵琶に善( し。 石を以て槽(ソウ、弦楽器の胴)と為す 」と。 又) ( た 聞く、「紅勘 三絃を善くし、亦) ( た 敗) ( し鼓の皮を以て、槽と為す」 と。 勘 (紅勘) 豈) ( ど 其(賀懐智)の苗裔(子孫)ならんか、何ぞ其の技の妙(たくみで、すばらしい)なること。 夫) ( れ 弾吹歌舞(楽器を奏し、歌舞を演じること)は、婦女の小技たるのみにして、君子は之を卑) ( しむ。 然) ( れども、其の妙処に到らんと欲すれば、一曲一技と雖) ( も、一朝一夕に能) ( く得る所に非) ( らず。 況) ( んや 衆技を貫穿して、誉) ( れを一世に取るをや。 余 少壮のとき、先妣(亡き母)に従ひ、紅勘の技を観る毎に、慨然として歎じて曰く、「渠) ( 裙釵の小技(女性が行なうべき わざごと)を修) ( むると雖) ( も、既に天下の絶技と為る。 我は 則ち 書を読みて道を志し、自ら君子の徒と称す。 而して 曾) ( て 一技の長ずる所、人の 為に(長ずるが為に)称誉する所を、有する能) ( わず。 豈) ( に 内に 能く 心に羞) ( じざるを得ん」と。 蓋し 紅勘を知る者は、率) ( ね皆 婦人女子 耳) ( 。 故に、口に能く之を揚) ( ぐ。 而して 手に之を筆する能わず。 余 為に 之を惜しむ。 因) ( て、之が伝を作り、以て 後の 虞初氏(前漢の武帝の時、初めて小説を作った人) その人の如き者を俟) ( つ。)
菊池三渓 云う。 予も亦た 紅勘なる者を知れり。 其の人、短小にして、眇然たる一匹夫たる耳( 。 當) ( に 其の一たび弦を弾ずるや、 曲を度し、音節清朗として 金石を出) ( すが如し。 聴く者をして 怡然) ( として楽しましめ、帰るを忘れさせしむ。 今や 紅勘は物故し、墓には宿草(はびこった雑草)有り。 其の人と其の技は、泯滅) ( (ほろびてなくなる)して伝わらず。 天倪氏 記して之を存したれば、其の人 朽) ( ちず。 以て、一片の墓碣に抵) ( つべきなり。)
中村敬宇 云う。 此の篇は 紅勘を写し得て、躍々然として 紙上に露出せり。 余 紅勘を知らず。 然れども、之を読むに 其の人を見るが如し。 設( し 其の人を知る者に之を読ましめ、則ち驚きて 逼肖なる者と為さんには、當) ( に如何ぞ。 古人曰く、文は化工して 物に肖) ( せるが如くす、と。 洵) ( に然) ( り。)
終