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表紙
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戒田要次郎・編輯
「改正・大日本全図」
明治23(1890)年10月 再版、東京・三松堂
(初版は、明治22 (1889) 年 6月刊)
表紙サイズ:[縦]182mm、 [横]122mm。
畳込み部分の全紙サイズ:[縦]517mm、 [横]841mm。 (縦 3折、横 7折)。
明治初期の実用的(携帯用)日本全図である。
著作者の戒田要次郎については知るところがないが、地図部分の印刷は 既に実績の多い銅板印刷である。
(銅板印刷の先行例 →「絶句類選評本」)。
右に示す表紙は、丈夫な板紙
2枚が 布(クロス)で二つ折りの形に接続されたもので、既に普及した洋装本の製本技術で制作されている。 (なお、この二つ折り表紙の部分は、著作者・標題・発行元を囲む枠が 同一の図形活字の配列でデザインされているところから、活版印刷で制作されていることが判明する。)
この二つ折りの中に、上記サイズの日本全図が、縦3折り・横7折りに 折り畳まれて(最左・最下段の頁が板紙に糊付固定)、収納されているわけである。
折り畳まれている部分を展開した全体図(標題『大日本全図』)は、下に示すとおりである。
これが『大日本全図』であるが、この全図には、横長の「本州」の右上に存在するはずの「北海道」が、見当たらない。 北海道は、右下の別枠内に 南北(上下)を逆にして表示されているのである。 北海道を本来の位置関係のまま表示させようとすると、紙面の縦方向を更に約270mmほど拡大させねばならないので、紙面を大幅に節約するために、あえて このような工夫をしたようである。 この工夫は、本地図の大きな特長と言ってよいであろう。
「千島諸島」、「琉球諸島」(2部分)、「小笠原諸島」も、本州とは別枠の表示となっている。 しかし、これら北海道以外の地域の別枠表示は、その後の 他の地図においても、普通に見られるところである。
地図には、当然ながら、「地名」が必須の要素である。 地名としては、行政区画がその階層構造のまま用いられることが、最も望ましい。 明治新政府による「廃藩置県」は明治4年(1871年)に実施されたが、これにより行政区画が一挙に整備されたわけではなく、その後のかなりの期間にわたって修正が繰り返された。 このため、本『大日本全図』において基本となっている地域表示は、「県」ではなく、旧国名(いわゆる「延喜式国名」)である。 この旧国名の下に、従来から使用されてきた下位の地名が適宜 付与されているわけである。
それでは、眼を近づけて実際に使用するように、「武蔵・相模・東京湾」のあたりを 拡大表示させてみよう。
主要な地名の他に、この時までに整備された鉄道の線路も 確認できるであろう。
(右下の太い斜線は、上述した「北海道」を表示させる別枠の一部。 また、「武蔵・相模」と「甲斐」の間の白い筋は、
銅版印刷した紙どうしを糊付させた部分、である。)
終
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