らんだむ書籍館


「国立博物館ニュース」
 第118号


 昭和32 (1957) 年3月、 東京国立博物館。
 B4タブロイド版。 4頁(4面)。




 筆者の少年時代の読書は 乱読であったが、次第に歴史関係に集中するようになった。 また、文字(言語)で表現された歴史よりも、それ自体が歴史のあかし である物(歴史遺物)に興味が向くようになった。
 高校時代に、居住地の川崎からほぼ毎月 上野の国立博物館に通うようになったのは、この博物館の「友の会」に入会したからである。



 この「国立博物館ニュース」 第118号の 第1面には、大きな「鳳凰」の写真が掲載されている。 その写真説明は、左下に小さく出ていて、これが平等院鳳凰堂の屋上の鳳凰であることと、その平等院鳳凰堂の大修理がこのほど完了したことが、記されている。
 ところで、この鳳凰は どこかで目にしたことのある図柄だと思われるかもしれない。 そのはずで、現行の1万円札の裏面に印刷されているものである。 (おもての福沢諭吉の肖像の ちょうど裏側の位置にあり、この写真と同じく右向きになっている。)




 第2面~第3面は、陳列品の解説が主体であるが、歴史・美術・工芸等各分野のニュース記事もあり、第1面の平等院の鳳凰に関して 「鳳凰堂の修理成る」という記事がある(朊部勝吉・執筆)。


 それによれば、平等院鳳凰堂は、戦中・戦後の管理不行届きによる屋根の雨漏りや 各所の破搊が甚だしいため、昭和25年2月から修理が開始されたが、破搊の程度が甚だしいため、設計や工事の変更を繰り返して徹底した復原を行ない、この昭和32年3月、ようやく完成をみたのであると。
 とくに、構造材の補強に鉄材を用いたこと、堂内一面の彩画の剥落止めを行なったことなどが、従来の復元工事より一歩進めた点のようである。
 その修理完成時の写真が示され、「平安の昔の姿にもどった宇治鳳凰堂」との説明が付されている。


 「鳳凰堂の修理成る」の記事の上部には、「表慶館の新陳列」という記事があり、この3月から、表慶館全体を使用し 考古資料を時代的・地域的に配列して、日本の古代文化を明確に把握できるようにした、とある。 その時代的配列は、次のとおりである。
     縄文式文化時代 (第一室、第二室)
     弥生式文化時代 (第三室、第四室西側)
     古墳文化時代 (第四室、第五室、第六室)
     有史時代 (第七室、第八室)


 この第2面~第3面 の左下には、「博物館の珍品」と題するコーナがあり、まさに珍品が紹介されている。
 見出しは、「お公家さん用の 尿 筒ゆばり つつ」。
 装束着用の時に自ら懐中する 紙(渋引きの和紙)製のもので、長さ 27cm余り、幅 7.7cm (丸く筒にすると直径 約 5cm、一度で棄ててしまったものであろうと。 写真も添えられているが、省略。)
 明治15年に 山名貫義という学者から寄贈されたものであるが、一度も陳列されたことがないという。


 第4面 には、増田精一という人の「イラン・イラク通信」なる連載記事の「第三便」がある。
 位置がよく判らないが、「モースル西方五十キロのテル・ル・サラサート(三つの丘の意)」という所で、「農耕文科の起源を求めようとする」発掘を進めているという。
 往年 ドイツ考古学調査団が村人を教育し、発掘方法を教えた。 その村人が今、専業人夫としてこの発掘に従事しているのだという。 そのため、大建築址に慣れた者が多く、「ちょっと目を離すと、層位を考えずに 住居址の壁ばかりを出してしまう」と言い、「日本ですと、こんなに方々を発掘しておれば、その中には考古学に関心をもつ人たちが出てくるのですが、この国ではインドのカスト(caste)に近いものがあるのでしょうか、学問は学問で他のイラク人にまかせ、彼らは全くの人夫にとどまっている次第です。 そんなことが、この国の発展をさまたげているのかもしれません。」 とある。




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