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扉 (書名の下に「乾」とあるのは、この「皇朝篇」の 別名(乾篇)で、これに続く「漢土篇」を(坤篇) として 対置させている。) |
目 次
序 五言絶句 18首 「遣興吟」 伊達 正宗 七言絶句 212首 「冬夜讀書」 菅 晉帥 「萬里藤房」 阪谷 素 「西伯利車中作」 重野 安繹 「謝細川十洲被惠梅花」岡松 辰 「金州城下作」 乃木 希典 「庚午元旦書感」 渋沢 栄一 「中秋」 若槻禮次郎 五言律詩 7首 五言排律 1首 七言律 14首 五言古詩 6首 七言古詩 47首 「泊天草洋」 頼 㐮 「諾曼頓歌」 中村 正直 (総計 305首) 作者索引 |
一部紹介 |
遣興吟 (遣興ノ吟) 伊達 正宗 (1567(永禄10)~1636(寛永13)、 武将)
馬上靑年過 馬上 靑年 過ぐ
時平白髪多 時 平らかにして 白髪多し
殘軀天所許 殘軀(残年) 天の許す所
不樂復如何 楽しまずんば 復 如何
《通釈》 青年時代は 馬に跨( って、千軍万馬の間を往来した我が身も、今や太平の世となって、我が頭上に白髪が沢山 見えることになった。 百戦 場裡) ( 、九死に一生を得て、猶) ( 生き長らえて居るのは、蓋) ( し天から許された運命に相違ないから、此の好機を 逸) ( せず、我が余生を楽しみ暮らさないで どうしようぞ。)
冬夜讀書 菅 晉帥 (1748~1827、漢詩人、号:茶山)
雪擁山堂樹影深 雪は 山堂を擁して 樹影 深し
檐鈴不動夜沈沈 檐鈴 動かず 夜沈沈
閑収亂帙思疑義 閑( に乱帙を収めて 疑義を思う)
一穗靑燈萬古心 一穂の青燈 万古の心
《通釈》 樹影深い雪は山中の我が家を閉じこめて、樹木 遮いかぶさり、檐先( に吊) ( した鈴も微動だにしないので、四辺) ( はしんしんとして 夜が更けてゆくばかりである。 心閑) ( に 取り乱した書物を整理) ( けて、平生の疑義) ( を考えて居ると、ほのかに照らす灯の青い光が 古人の心を照らし、古人の心と自分の心とが ぴたりと合って よくその意味が解せられる。)
訣別 梅田 定明 (1816~1859、京都の儒者、号:雲浜)
妻臥病床児泣飢 妻は病床に臥し 児は飢に泣く
挺身直欲當戎夷 身を挺して直に戎夷に当らんと欲す
今朝死別興生別 今朝 死別与(と)生別と
唯有皇天后土知 唯だ 皇天后土の知る有り。
《通釈》 今 我れ 住み慣れた此の家を出ることになつたが、折柄( 妻は病に臥し、児は飢に泣き叫んでゐる。 自分は これより一身を投げ捨てゝ戎夷) ( を拂) ( はうと思つてゐる。 思へば 今 妻子に別れると、死別になるか生別になるか、それは唯 天地神明が知るのみ、一身の生死など問題でない。)
萬里藤房 (万里小路藤房( ) 阪谷 素 (1822~1881、漢学者、号:朗盧))
誰使中興爲亂麻 誰か中興をして 乱麻と為( らしむ)
雲林豈肯忘天家 雲林 豈( 肯) ( て天家を忘れんや)
君王若問臣踪跡 君王 若( し臣の踪跡を問はば)
為奏松蔭泣露華 為に 奏( せよ 松蔭 露華に泣く と。)
《通釈》 折角 出来上った建武中興の業が、再び乱れて 新田足利の争覇となり、世は乱麻の如くに乱るゝことになったのは、そも誰がしたのであらうか。 身は雲林に逃れ 遊行の僧となったが、心は朝廷を忘れる様なことは致さない。 君王( が臣) ( の踪迹をお尋ねになったならば、不相変) ( 松の蔭で 露に濡れて泣いて居りますと 奏) ( しあげてもらいたい。)
西伯利 車中作 (西伯利( 車中ノ作) 重野 安繹 (1827~1910、漢学者、号:成斎))
無邊豐草飽羊牛 無辺の豊草 羊牛を飽かしむ。
日没平原餘景脩 日は平原に没して 余景 脩( し)
說是蘇卿牧羝處 説( う 是れ蘇卿牧羝の処と)
雁聲獨帶漢時秋 雁声 独( 帯ぶ 漢時の秋)
《通釈》 車窓より見渡す限り 西伯利の野原は茫々として はてしなく、牧草が豊かに生い繁って、放たれた羊や牛が腹一杯に草を食べて居る。 落日を遮る山もないから、平原の上に日が没して 夕景が容易に暮れない。 この辺は その昔(前漢・武帝の時) 匈奴の北境で 蘓武が羝( を牧) ( って居た地) ( であるというが、今は尋ぬる処もなく、唯 鳴き渡る雁の声のみが 何となく漢代の声色を帯びて聞こえる。)
謝 細川十洲被惠梅花 (細川十洲の梅花を恵せらるを謝す) 岡松 辰 (1820~1895、漢学者・漢詩人、号:甕谷)
詩朋贈我一瓶春 詩朋(詩友) 我に贈る 一瓶の春
數朶瓊英映壁新 数朶の瓊英(玉のように美しいもの) 壁に映じて新( たなり)
自咲衰殘瀕死日 自( ら 咲) ( う 衰殘 瀕死の日)
得爲溪上看梅人 溪上 看梅の人と為( るを得たるを)
《通釈》 詩文の交( 深き君が、病床見舞にと一枝の梅を贈つて 春の訪れを知らして下された。 早速に瓶中に挿) ( せば、玉をあざむく真白な梅花五六輪、壁に照り映) ( えて、室内に新たなる趣) ( を添えた。 老衰して余命 幾許) ( も無い今日、御蔭で溪上看梅の風流人になり得たのは、寔) ( に望外の幸) ( ぞと思うにつけ、一入) ( 君が厚情の程を喜ばしく感ずる次第である。)
金州城下作 (金州城下ノ作) 乃木 希典 (1849~1912、軍人(陸軍大将))
山川草木轉荒涼 山川草木 転( た 荒涼)
十里風腥新戰場 十里 風 腥( し 新戦場)
征馬不前人不語 征馬 前( まず 人 語らず)
金州城外立斜陽 金州城外 斜陽に立つ
《叙説》 大将の次子・保典( 大尉は 金州で戦死した。(下略))
《通釈》 金州城外の山川草木は 忽ちの間に砲煙弾雨に打ち砕かれて 凄まじき景色と変じて、砲声止んだばかりの此の新戦場十里一帯に吹く風も 猶 血の香を漂( わして 腥) ( い。 此の惨状に打たれてか 我が馬も足掻) ( を止め 馬上の我も亦 黙々として之を促す元気もなく、金州城外、夕陽斜なる処 駒を駐) ( めて 茫然たるのみである。)
庚午元旦書感 (庚午元旦 感を書す) 澁澤 榮一 (1840~1931、実業家、号:靑淵)
瓦全徒擬古精忠 瓦全( (なすことなく生きながらえて)徒) ( に擬す 古精忠(古来の忠臣))
自愧經綸未奏功 自( ら 愧) ( ず 経綸 未だ功を奏せざるを)
山海殊恩何日報 山海の殊恩 何( れの 日にか報いん)
空迎九十一春風 空( しく迎う 九十一春風)
《通釈》 生き甲斐もなき瓦全の身で、心ばかりは徒らに 古来の忠臣を真似ようとして居るが、自分ながら 一向政治経済上に何の役にも立ち得ないことを愧ずるのみである。 君恩は 山よりも高く海よりも深く、殊に旧臘 御陪食を仰せ付けられた御恩は 何日になつたら報い奉ることが出来ようか。 空しく九十一歳の春を迎えて 嬉しくも又 愧ずかしくもある。
中 秋 若槻 禮次郎 (1866~1949、明治から昭和にかけての官僚・政治家で、総理大臣に至る。 号:克堂)
只合涓埃答聖明 只 合( に 涓埃(微小なつまらぬもの。自らをいう) 聖明に答ふべし)
敢求竹帛記功名 敢て竹帛に 功名を記すを求めんや
中秋偶見故郷月 中秋 偶( 見る故郷の月)
卌載曾無今夜情 卌載( 曽) ( て 今夜の情 無し)
《叙説》 昭和五年四月、倫敦( で開かれた海軍軍縮小会議に 首席全権として 樽俎折衝の大任に当つた。(下略))
《通釈》 忠良なる臣子として 微力を尽して 陛下の御恩に報い奉らんと欲するのであつて、功名を歴史に残そうなどとは思わない。 平生 唯々報国の赤心あるのみで、売名的野心は少しもない。 久振りで故郷に帰り、偶々( 中秋に逢い、故人(知己・友人)と相会して月見の宴を催したが、四十年来、今夜のように懐かしく清いことはない。)
泊 天草洋 (天草洋( に泊す) 頼 襄 (1780~1832、歴史家・漢学舎・漢詩人、号:山陽))
雲耶山耶呉耶越 雲か 山か 呉か 越か
水天髣髴靑一髪 水天 髣髴( 青一髪)
萬里泊舟天草洋 万里 舟を泊す 天草の洋( )
煙横蓬窗日漸沒 煙( は 蓬窗) ( に横たわりて 日 漸く没す)
瞥見大魚波間跳 瞥見す 大魚の波間に跳( るを)
太白當舟明似月 太白(金星)舟に当りて 月似( りも明らかなり)
《通釈》 彼( れは 雲か山か、はては 支那大陸の呉か越か。 空や水とも分かぬ彼方は、只 一筋 黒髪のやうに見えるだけである。 思へば 我も亦 遠く来つる者かな。 今宵 船の繫) ( するは 天草洋) ( で、長き旅寝の今日も暮れるか、夕靄は船窓を掠めて棚引き、日は次第に沈んでゆく。 ふと見れば ちらりと大きな魚が跳つて 姿を波間に隠して、後には 我が船の真向うに 太白星が月よりも明るく輝き、金波が遠く流れて、実に壮絶奇絶の景である。)
《余論》 余も曾て島原より汽船に乗つて三角港に渡り、所謂( 天草洋を横断したのであるが、実際は 天草の島々が点在し、雲仙岳高く聳え 阿蘇山も望むべく、決して「雲耶山耶呉耶越」と疑う余地はない。 而) ( も 萬里泊舟といつても 大洋中に夜泊も出来ない。 そこで この篇につきても兎角の論がある。 (中略) しかし 詩は常識を以て論ずべきではない。一読壮快雄大の気が胸に満ちて、如何にも茫茫たる大海に舟を泛) ( べた気分になるのが 本詩の妙味であり、この人を圧する意気が 山陽の 独壇場) ( * である。(下略))
* ふつう この語は「独擅場(どくせんじょう)」の誤りとされているが、著者は意識的に使用しているようである。別著の漢和辞書『新字鑑』においては、見出し語「独擅場」に対して「ひとりぶたい。俗に独壇場(ドクダンジョウ)ともいふ」との説明を与えている。
諾曼頓歌 (諾曼頓( の歌) 中村 正直 (1740~1831、思想家・漢学者、 号:敬宇))
南紀之山汝應紀 南紀の山 汝 応( に紀) ( (記)すべし)
節惟霜降日丁巳 節は惟( れ霜降 日は丁巳)
咄咄怪事諾曼頓 咄咄怪事 諾曼頓( 《参考》「咄咄」は 驚き怪しむ声、「チェ」といふ如し。「咄咄怪事」とは 怪しからんことをいふ。)
死者惟日本人耳 死者は 惟( 日本人のみ)
人心或可有氷炭 人心 或( は 氷炭(愛憎)有るべきも)
風伯豈有所偏庇 風伯(風の神) 豈( に 偏庇) ( (不公平)する所 有らんや)
若使一船之人同遭難 若( し一船の人をして 同) ( に難に同) ( わしめば)
吾儕遺恨猶可已 吾儕(われわれ)の遺恨 猶 已( むべし)
南紀之海汝應知 南紀の海 汝 応( に知るべし)
惡風濁浪英國旗 悪風濁浪英国旗
咄咄怪事諾曼頓 咄咄怪事諾曼頓
日本人無一脱災 日本人は一( も災を脱する無し)
人心或可有氷炭 人心 或は氷炭有るべきも
天公豈可有偏私 天公 豈に偏私(不公平)有るべけんや
若使篙工柁師同遭難 若し篙工柁師(船頭・かじとり)をして 同( に難に遭わしめなば)
吾儕有所殺悲哀 吾儕 悲哀を殺( ぐ所有り)
南紀之島汝應哭 南紀の島 汝 応に哭すべし
二十五人葬魚腹 二十五人 魚腹に葬らるるを
咄咄怪事諾曼頓 咄咄怪事諾曼頓
白人相賀再生福 白人 相賀す 再生の福
人心或可有氷炭 人心 或は氷炭有るべきも
天心豈有所厚薄 天心 豈に厚薄する所 有らんや
一船之中異命運 一船の中( 命運を異にす)
吾儕是以恨無極 吾儕 是を以て 恨( み 極まり無し)
《叙説》 明治十九年(1886年) 英国商船ノルマントン号が 紀州 熊野灘( で沈没し、同乗の日本船客二十五人 尽く魚腹に葬られたのに、船長を始め白人船客は 一人も遭難したものはなかつた。 咄咄怪事、天道 果して是か非か。 さすが温厚なる先生(中村正直)も こゝに義憤を発し、この歌を作つて 二十五人の亡霊を弔つたのである。)
終