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目 次
狩谷棭斎全集第三・解題 轉注説大概 (与謝野 寛) 狩谷棭斎全集第三 轉注説 轉注説附録 (澁江抽斎、岡本況斎) 扶桑略記校譌 毎條千金 |
本文の一部紹介 |
轉注説大概
■ 説文学に於て 古来 支那の学者に最も異説多きは 六書中の「転注」に関する解釈である。 即ち許慎の「説文解字」の叙に「 周禮に、八歳にして小学に入れば 保氏の国子に教ふるに先ず六書よりす。 一に曰く 指事。 指事とは 視て識と有る中の 「転注」の解釈に就て、唐の裴務斉( るべく、察して見るの意にして、「上」「下」これなり。 二に曰く 象形。 象形とは 其の物を成すべく描き、體に随い詰詘せる(紊得させる)ものにして、「日」「月」これなり。 三に曰く 形声。 形声とは 事を以て名に取り、譬えに取りて、相い成るものにして、「江」「河」これなり。 四に曰く 会意。 会意とは 類を比) ( べて誼) ( を合し、目に指撝(さししめす)するものにして、「武」「信」これなり。 五に曰く 轉注。 轉注とは 類を建) ( つるの一首(一種)にて、同意を相い受く。 「考」「老」これなり。 六に曰く 仮借。仮借は本) ( 其の字無く、 声に依りて 事に託す。 「令」「長」これなり。」) ( より現代に及ぶも 百家の諸説紛紛として決せず、之を概括するに 凡そ四派の説がある。)
一 には 形体の展転を主とするもの、是れは 裴務斉の「切韵」の序に有る「考字左回、老字右転」の説に始まり、宋の陳彭年の「広韵」、元の戴侗の「六善故」、周伯琦の「六善正譌」、清の呉善述の「六書約言」等は 之に由つて説を立ててゐる。…
二 には 声韵の展転を主とするもの、是れは 宋の張有の「復古篇」に始まり、宋の毛晃「韵略」、明の趙古則の「六書本義」、楊慎の「転注古音略」、清の顧炎武の「音論」、其他の諸家 之に由つて説を立つる者が多い。 … 是等諸家の説に多少の差異は有るが、或は転注を仮借と混じ、或は後世 謂ふ所の注釈と混じ、また 古音及び許氏(許慎)の「考老」の説と合はない。 …
三 には 訓義の展転を主とするもの、是れは早く 南唐の徐諧の「説文繋伝」に始まり、宋の鄭樵の「通志略」、元の楊桓の「六書統」、明の趙宦光の「説文長箋」、清の朱駿声の「説文通訓定声」、曹仁虎の「転注古義考」、江声の「六書説」、許宗彦の「転注説」、夏炘の「六書転注説」、戴震の「六書論」、段玉裁の「説文解字注」、王筠の「説文釈例」其他 許瀚、孫星衍、鈕樹玉、張位の諸家 各( 大同小異の説を立ててゐる。 …)
四 には 以上三種の説を綜合し、形体と声韵と訓義と併せて 展転すると為すもの、是れは 現代の支那に於て 朱宗萊が 中華民国七年(一九一八)出版の「文字学形義篇」に書いてゐる新説である。 …
以上 概叙する所に明かなる如く、説文六書の「転注」の解釈は、古来百家の説 愈( 繁くして 愈) ( 迷路に入り、今日に至るも 猶 未だ定説を得ないのである。)
■ さて 翻つて我が棭斎の「転注説」を読むに、棭斎の炯眼卓識は 徐諧以来紛々たる百家の議論の 由つて錯迷に陥れる根原を一掃し、「転注」に就て 後の学者の新しく前進すべき自由研究の大道を拓開し 指示してゐる。 即ち 許慎が「説文解字」の叙の六書の諸項に羼入( (他の文が入り混じること)の文ある事を、後魏書に載せたる江式の「論書表」を引いて考證し、之を刪) ( り去つて許慎の旧に復するに非) ( ざれば 其正義を得ること能) ( はずと断じたるは、彼土の学者の何人も曾て想ひ及ばざる一大発見である。 古来「転注」の解説の牴牾混乱して 学者を惑はしめたる所以は、実に許慎の説文叙の「五に曰く転注」の下に有る「転注者、建類一首、同意相受、考老是也」と云ふ十五字に躓) ( いたる為めであつた。 棭斎に拠つて之を羼入と決するを得るならば、支那に於て一千年の久しい間に堆積したる転注説は 悉く象を撫する群盲の徒爾を繰返したものと云ふべきであらう。 而して 江式の「論書表」に著眼して得たる棭斎の論断は 容易に之を破るべくも無い。 宋以来の多くの学者、毛晃、趙光則の如きが 屡(しばしば)許慎の古説を疑ひながら、一人として羼入の文に心附く者の無かつたのは意外である。 我々日本人は 近世の学界に棭斎先生のあつた事を以て 光栄としたい。 而かも 支那現代の学者が今日猶 棭斎の説文学あるを知らず、上述四派の転注説の中に模索を続けつつあるは 遺憾である。 想ふに 此の「日本古典全集」に由り 棭斎の「転注説」が世に出でて、如何に多く 彼国今後の学界の刺激と成る事であらう。)
終