らんだむ書籍館 |
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表紙 |
目 次
序 一 永徳の生涯 二 永徳を廻る人々 三 永徳の作品 洛中洛外図屏風 聚光院襖絵 許由巣父図 唐獅子図屏風 檜図屏風 永徳関係年表 [写真版目次] 御物唐獅子図屏風 絵図屏風 (国立博物館蔵) 許由図 (旧小倉家蔵) 巣父図 (同上) |
内容の一部紹介 |
唐獅子図屏風
(先行20字略)桃山の障壁画家としての永徳の本領を見る可き作品は、金碧画である。 然し 金碧の作品で永徳筆と認められる作品は 非常に少ない。 その唯一ともいう可きものに 御物の唐獅子図屏風がある。 之は元来 毛利家に伝えられたもので、陣屋屏風とも云われることは 先に述べた通りである。 現在は 一隻(セキ、一組の屏風を表す単位)のみが残り、他の一隻は 永徳の曽孫に当る常信が補つている。 この図には 永徳の孫で江戸時代初期の狩野派の第一人者である探幽が、永徳の筆であることを鑑定した 紙中極めというものがある。 この極めは 探幽の地位を考えると かなりに信頼してよいようである。
雌雄の唐獅子が悠然と歩む 甚だ豪壮な絵で、陣屋屏風として武将の背後に飾られて その威容を示すにふさわしいものである。 それ故 普通の屏風と違つて大きさも大きく 高さ二・二五米もある。 屏風は 高さ一・七米位のものが普通である。 唐獅子は画面一杯に描かれ、その間に岩と僅かに木の梢を覗かせている。 極彩色の典型的な金碧画である。 獅子の輪郭線、岩の皺(ひだ、凹凸)を現わす線、枝の線、等 何れも力強い颯爽たる墨線が用いられている。 高さ二米に余る大画面を 狭しと闊歩する唐獅子は 画面の外に迄(まで)躍り出ようとするばかりの勢いを示している。 それは唯単に唐獅子の姿勢によるのではなく、画面を構成する仕方そのものが このような感じを我々に与えるのである。 唯単に与えられた画面の中だけで表現が行われているのではなく、画面の外の環境、即ち雄大なる建築や きらびやかな装飾と調和するように 描かれているためである。 屏風をも含めた広義の障壁画は 当然このようなものでなければならない。 永徳がこの屏風を描こうとした時には 必ず先ず第一にこのような意図があつたことと思う。 我々がこの絵を鑑賞する際にも かゝる点を考慮する必要があると思う。 そして そうすることが とりもなおさず 桃山障壁画の正しき鑑賞態度でもあるのである。 更に細部に亙つて見ると、金雲の弧が大きく、その曲率が少ないのは 金碧画としては時代の古いことを示している。 岩の下方の線を水平に描いて之を金雲で掩わず、更に金雲をへだてて背景を描くのも それを示す。 特に 画面の中央の上方 金雲の間に背景を覗かせて調子をとつているのは、時代の古さを示すと共に 永徳の構図法の特長でもある。 唐獅子という空想的画題を描いている点で かなり自由に装飾化されているが、なお僅かに見せた梢、岩石等にも 形式化の跡 少なく、桃山時代前期ともいうべき永徳の時代にふさわしい様式を示している。 色彩は濃厚な岩絵具を用い、墨線は墨黒々と引かれて 燦然と輝く金箔の部分と相対応している。 明るい力強い感覚は 一瞬にして観る者の眼を奪い去る。 永徳晩年の筆になる、堂々たる陣太鼓の轟きを思わせるような絵である。
終