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「考古学雑誌」 第三十三巻 第十二号



表 紙




目 次


   論 説

 契丹族の服飾について ……… 田村 実造
  一 その頭髪と胡帽 一

 上野国分寺文字瓦の考察 …… 相川 龍雄

 環頭柄頭雑考 ………………………… 神林 淳雄
  一 環頭大刀とその文化 一


   雑 録

○学界 ○寄贈交換書目 ○考古学関係論文要目
○第三十三巻総目次





 昭和18 (1943) 年12月。
 日本考古学会
 (会長・黒板勝美、副会長・原田淑人)
 発行所 : 吉川弘文館



 「考古学雑誌」は、明治43年(1910年)に創刊された 考古学専門誌である。
 考古学者・斎藤 忠(1908~2013)の著書「日本考古学の百年」(2001年刊)によれば、明治33年当時 「考古」なる雑誌が存在しており、それが「考古学雑誌」の前身であるという。

 本誌の「一部紹介」としては、右目次中の 神林 淳雄 「環頭柄頭雑考 一 環頭大刀とその文化 一 の全文を 掲げることにする。
(ただし、文末の注釈部分は、繁雑となるため省略。)
  環頭大刀の 我国と朝鮮半島における出土品は、極めて類似・近接した関係にあり、古代におけるこの地域の密接な交流が伺われる。 そのことがキメ細かく論じられていて、当時の製作状況をも再現するかのような 論考である。


本文の一部紹介

   環頭柄頭雑考
                            神林 淳雄


 原史時代 大刀外装中環頭大刀(原文のまま)は 最も変化に富み、その伴出遺物にも特長あるものが多く、即ち、環頭大刀には朝鮮半島方面より我が本国へ渡つて来たものと、我国で倣製されたものとがあるが、半島を経て渡つて来た環頭柄頭を出す古墳の中には 古新羅を中心とする朝鮮の古墳文化と密接な関係を持つものがあるので、環頭大刀の背後に潜む文化の一端を述べて見たいと思ふ。
 本文に於いて 単鳳式・単龍式・双龍式・三繋環式の環頭大刀を中心に、半島より渡来せるもの 及びこれと近似せる型式を踏むものを第一類とし、稊(やや)日本化されたもの 及び全く日本的になつたものを 第二類 乃至 第三類と分類してみた。 その試みに対しては 製作技術の方面からも批判する必要があるが、それは その方面の研究家の考察を俟つことゝする。 本稿では 割合に類別し易いもののみを示して、その発展過程を一別(瞥)することとする。


 単鳳・単龍式とは 外環の内に鳳凰が居るか 龍が居るかの違ひであり、その両者の区別の困難なものが多いので 単鳳・単龍を一系統に見た。
単鳳・単龍・双龍 第一類式 は、大体 外環及び環内の龍・鳳凰等がともに厚肉造で その形が非常に鮮明確実なもので、外環には 薄い、箔状の金貝を着せたものが多く、中には、帯状の責金具と称するものが残つてゐる例が多い。 その帯状の金具は、薄い銅板等に金貝を着せ、それに華形のもの又は小環と菱形(或は小環と十字)を交互に押してゐるものがある。 これ等の金貝の残つてゐる外装は 金銅薄板造のものよりも先行してゐるものであり、金貝等を使用してゐるものの中には 朝鮮半島より持つて来たか、或はその帰化人等が製作したか何れかであらう。 先づ最初に それ等 第一類に属する柄頭について述べ、その伴出遺物及び古墳の構造について記する。
 第一例 単鳳・単龍 第一類環式(図①)
      筑前国筑紫郡春日村大字白水日拝塚出土
 同地にある日拝塚は 横穴式石室を有する前方後円墳で、第一図の環頭柄頭は此古墳より出土したもので、これと伴出したものに 金製耳鎖・金環・切子玉・棗玉・臼玉・丸玉・小玉・銀製鈴玉・装飾附須恵器(大高坏)・子持脚附圉・長頚圉・高坏・提瓶・倣製鏡・輪鐙・鉄製轡・雲珠・馬鈴・鉄鏃・鉄鉾・石突・直刀・鹿角柄短刀 がある。 而して この柄頭には 銅に金貝を着せた帯状責金具がついてゐたらしい。 その帯状金具の上に 小環と菱形を交互に押してゐる。 柄頭の外環にも金貝を着せてゐる。
 第二例 単鳳・単龍 第一類環式
      長門国阿武郡大井村字圓光寺出土
 圓光寺の古墳の石室は、考古学雑誌二十巻一号の広津氏報文によれば 「もと十二尺ばかりの長さを有する組合せ式のものにして、下部に平石を敷き その上に丸き石置ありし由」とあり、同誌二十四巻一号の山本氏によれば、 「平地営造の竪穴式古墳」とあり、又「石棺よりは現在同地の小学校に保管せらるる--頗る優秀なる遺物を多数出土し」たとあるが、その丸き石積と平石の関係はあまり明らかでない。 但し 広津氏の写真によれば、石室に丸石積をしてゐることが知られる。 出土遺物は、両氏の文を綜合すると 勾玉・管玉(碧玉岩製)・銅鐶・鉄鏃・坏・大甕の須恵器破片と、三個の環頭柄頭と、その何れかに付属してゐたと思はれる 山本氏の所謂 純金装飾金具と称するものが、出土してゐる。
   この帯状責状金具には 端に小刻があり、中に小環を押してゐる。
 第三例 単鳳・単龍 第一類環式(図②)
      伊勢国鈴鹿郡国府村大貝戸車塚出土
 車塚は 明治三十二年九月発掘されたるものにて、石室は美濃の太田石を以て積み、高六尺巾五尺計りにて、中に石棺二個あり、何れも組合せ式石棺にて、石棺の巾は各内部一尺七寸五分、内部高一尺六寸五分。 厚二寸五分乃至三寸五分であつたらしい。 その遺物は 単鳳・単龍 第一類式環頭柄頭の外に、倣製鏡・臺付銅器・金製耳鎖・金環・杏葉・鈴・切子玉・丸玉・小玉・棗玉・勾玉・管玉・刀身・槌形鉄製柄頭・鉄鏃・鉸具・鞍金具・提瓶・蓋坏・高坏・大高坏(臺形)・坩・鎧残片・鉄斧頭 が出土せる由。 右(上)は 埋蔵物録及び佐藤英山氏の「国府村古墳発掘品図録」による。 猶 面白いことは 本古墳出土の臺附銅器が朝鮮の慶尚北道達西面五十五号墳(三葉式環頭大刀其他出土)からも出土し、その大正十二年度の朝鮮総督府の報告書の達西面出土の物は青銅の坏臺と呼んでゐる。
 第四例 単鳳・単龍 第一類環式(図③)
      但馬国養父郡養父市場村大藪字下山出土
 この古墳は 埋蔵物録によれば石室あり、その奥行四間 入口幅三尺、入口西南に向ふと。 その中より 遺物 金環・銀環・坏(須恵器)・丸玉・小玉 が出土したといふ。 勿論 環頭大刀もそこから一所に出たもので、環頭の外環は銅製で それに金箔の様に薄い金貝で包んでをり、柄は銀線巻の様に思はれ その残缺が残つてゐる。 外装の一部に帯状金具があり、それに小円及び菱形の文を施してゐる。
 第五例 双龍 第一類環式
      近江国高島郡水尾村鴨稲荷山出土
 この古墳は 前方後円墳で 石室もあつたらしく、その中に 彫抜式の家型石棺があり、その内外より、金製耳鎖・金銅製冠・金銅沓・双魚佩等の残缺及び 切子玉・棗玉・銅鏡・双龍第一類頭大刀・鹿角装大刀・鹿角製柄刀子、鉄斧頭・鉄製石突・金銅製鞍金具・鉄製輪鐙・轡・金銅張杏葉・同雲珠・銅鈴・須恵器(大高坏形器臺)・坩・蓋付脚付坩・高坏・䝵・埴輪円筒等が伴出し、其 双龍の環頭装具の中 帯状金具には 銅薄板に菊花状文を彫し、その上に金着してゐる。

単鳳・単龍 第二類式 は、外環は厚肉造であつても、環内の鳳凰・龍や 稊退化し形が崩れて来てゐるもの、全体が銅に鍍金した金銅製のもので、双龍第二類では外装全体に金銅薄板を使用した例が多い。
 第一例 伝上野国群馬倉賀野町出土(図⑦)
これは 単龍第二類式で、龍が非常にくづれてをり、柄縁の金具にも金銅薄板を使用してゐる。
 第二例 信濃国下伊那郡下川路村出土(図⑤)
矢張 単龍第二類式ではあるが、これは前者より更に形の崩れたもので 外環の鱗の部分に魚々子状のものを打つてゐる。
 第三例 常陸国久慈郡田渡村索松院出土(図⑥)
外環に鱗状のものが残り、前者よりはよいが、中の単龍と思れるものが多少退化してゐる所を見ると、第二類に入れてもよいと思れる。
 第四例 伊勢国一志郡川口村索松院出土(図④)
この柄頭も 多少型崩してゐる。 ことに 茎の所でそう思はれる。

双龍第二類環式 この第二類式については、既に考古学雑誌第二十九巻第四号に於いて 「金銅装大刀と金銅製柄頭」の部分で述べたので、その地吊を列挙する位として、第二類と第三類の過渡期のものについて述べる。
 第一例 遠江国周智郡飯田村院内出土
非常に大形のもの。 外環厚肉、環内の龍 稊扁平。
 第二例 尾張国春日井郡高蔵寺町大字神明出土
非常に大形で、 外環厚肉、内の双龍 稊扁平にて形崩れ、薄板金銅装の鞘を伴ふといふ。
 第三例 美作国真庭郡久世町富尾出土(図⑧)
 この柄頭を出した古墳に就いて 埋蔵物録に 「石廓の周囲は積石あり、而して該石廓は四方共積石にて開きたる箇所なし、石蓋は十二枚、土棺は発掘の際 破砕」 とある。 又 「石廓の周囲は二尺角大の石を以て積み、縦十五尺・横六尺・深六尺の石廓を安置し、該石廓の上部は石蓋を覆ひ居れり」 ともある。 この所よりは、猶 管玉(碧玉岩製)・鉄鏃・鎹・須恵器(提瓶・䝵・脚付坩・脚付椀・平瓶・高坏・蓋坏・坩)・四方手・雲珠・鈴・銀環 等も一所に出てゐる。 最後に この双龍第二の柄頭は、金銅製にして 環の断面はカマボコ型で、双龍は多少の肉付はあるが、扁平になりかけてゐる。 形は 前二者よりも小形となる。

双龍第二・第三類過渡期環頭  第一例 能登国 鹿島郡御祖村曾祢古墳出土(図⑨)
 この環頭柄頭は、山下喜作氏の宅地内に存する石室を有する古墳から 直刀破片・壺・䝵・坏の類を含む須恵器と共に 明治四十一・二年頃に出土したものである。 その柄頭には 第三類柄頭(後期古墳)に見る 様な金銅薄板造の鞘がついてゐる。 これも第二類に入れたが、第三類に近づいてゐる。
 第二例に、これと同形式のものが 切子玉・管玉と共に 能登国鳳至郡内浦村から安政二年(1855年)に出土し、現在は前田侯爵家で所蔵されてゐる。
 第三例 上総国 君津郡清川村出土(図⑩)
 非常に大形の柄頭で、双龍第二類式の気分を多少残してゐるが、外環が非常に偏平となり 第三類に近いが、中の双龍が純然たる第三類のものよりも稊 厚く、第三類になりきつて居らない。 柄鞘共に金銅薄板造で 金銅の頭椎大刀が伴出したといはれてゐる。 猶 これと伴出せる金銅の双魚佩は珍しく、近江鴨出土の双龍第一類式柄頭に伴出せる双魚佩に対比する時、非常に興味がある。


 三繋環式も矢張 環の厚肉造のものを第一類とし、環が割合に薄手で 柄縁が銅で鋳出されてゐるものを第二類とした。
 三繋環式第一類  第一例(図⑪) 肥前国東松浦郡玉島村大字南山字玉島 共有林出土
 第二例(図⑫) 伯耆国西伯郡宇田川村福岡出土
 第三例(図⑬) 大和国出土
 第四例     丹波国天田郡中六人部村大内出土
 第五例(図⑭) 岡崎市井田町大明神出土
 三繋環式第二類柄頭  第一例(図⑤) 伯耆国西伯郡大高村岡成出土
 第二例(図⑯) 上野国群馬郡倉賀ケ野町出土
 三繋環式の環頭大刀及び刀子は、その第一類に近いものが 朝鮮に非常に沢山 出土してゐる。 それ等の環頭柄頭は 大場磐雄氏の所謂 特殊朊飾品が併出してゐる例が少くないので、この日鮮に於ける環頭柄頭と特殊朊飾品を出す遺跡と比較して見るのも 決して無駄ではない。


 此処では 原史時代に於ける日本内地及び南鮮の環頭大刀を出す遺跡と これに伴ふ特殊文化遺物について表示し、上代の日鮮文化関係の一助とする。
出 土 地 環頭大刀種別 特殊服飾品 主な伴出物 備考
慶北達西面五十五号墳 三葉式 金銅冠・金銅沓・耳飾・金銅中空玉・銀製帯 青銅坏臺・青銅蓋附椀・馬具・臺形陶質土器
慶北達西面三十七号墳 三葉式及三繋環式 冠・金銅沓残片・金製耳飾・銀製銙帯 臺形陶質土器 第二石槨
慶州路東里飾履塚 1 三繋環式
2 双龍文
白樺冠帽・双禽怪獣文履・金製耳飾・金製銙帯 馬具・耳状把手附盌 丸石積石室・棺
慶州路東里金鈴塚 三繋環式 金銅製冠・金銅飾冠・金製耳飾・金製銙帯 陶質及素焼土器・馬具 丸石積石室・木棺
梁山夫婦塚 三繋環式 金銅冠・金銅沓
金製金飾銀製銙帯
圓頭大刀・馬具
耳状把手附盌



 日 本 内 地
出 土 地 環頭大刀種別 特殊服飾品 主な伴出物 備考
筑前白水日拝塚 単鳳単龍
第一類
金製耳飾
銀製中空玉
装飾附大高
馬具
前方後円墳
横穴式石室
肥後江田舟山古墳 銀象嵌龍文
環頭大刀
金銅冠・金銅沓・金製耳飾 馬具 前方後円墳
肥前東松浦郡玉島 三繋環式 金製耳飾 銀環・金環玉類・鏡類 石室古墳
伊予妻島古墳 三葉式 冠・銀平玉 円墳
近江水尾鴨村古墳 双龍第一類式 冠・金銅沓
金製耳飾・双魚佩
鹿角装刀子・直弧文柄大刀・須恵器(大高坏) 前方後円墳
伊勢国府保子里車塚 単鳳単龍第一類 金製耳飾 青銅臺・馬具・須恵器(大高坏) 前方後円墳
上総国清川村長須賀 双龍第二類 双魚佩 馬具・須恵器


 以上の単鳳・単龍・単龍 三繋環の第一類環頭柄頭の中には 相当南鮮の古新羅系の文化に近似してゐるもののある事は前述の如くであつて、その両者の間に何等かの文化交渉を持つてゐる事が考へられる。 第一類の環頭柄頭の中に帯状責状金具の伴つてゐるものの年代は、梅原末治博士が近江鴨古墳で述べられた如く 西暦五・六世紀の頃のものと思はれ、朝鮮の冠・沓・金製飾・三繋環式の環頭大刀を伴出した慶尚北道達西郡達西面古墳群の年代も矢張 西暦五・六世紀頃と見て居られる様であり、第二類の環頭の年代は 更にそれより多少降る様である。

(昭和十八年十二月八日)





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