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青木正児 「支那文学概説」






目 次


 序

 第一章 語学大要
  (一) 六書
  (二) 訓詁
  (三) 音韻
 第二章 文学序説
  (一) 文学思想の発展
  (二) 文学諸体の発達
 第三章 詩 学
  (一) 詩経
  (二) 古体詩
  (三) 近体詩
  (四) 詞曲
 第四章 文章学
  (一) 文章流別
  (二) 辞賦
  (三) 駢文
  (四) 古文
 第五章 戯曲小説学
  (一) 雑劇
  (二) 戯文
  (三) 文言小説
  (四) 白話小説
 第六章 評論学





 昭和 13 (1938) 年 1月 3版。
 (昭和10年12月 初版)
 弘文堂書房
 A5判、クロス装、本文:242頁。


 青木 正児 (あおき・まさる、1887~1964)は、中国文学者。
 京都帝国大学支那文学科を卒業後、同志社大学・東北帝国大学・京都帝国大学・山口大学等の教職を経つつ、多くの著書を残した。 中国文化全般に渉る豊富な知識を展開させている点に 特色がある。
 本書は、こうした教職の過程での講義内容を教科書として集約させたものであろうが、各章の末には「選読書目」が列挙され、そこには各書の特徴事項が補足説明されるなど、懇切な配慮がなされている。
 「本文の一部紹介」 としては、右目次中の 「第五章 戯曲小説学」中の 「(四)白話小説」の後半部分を掲げる。



本文の一部紹介


   (四)白話小説

 ・・・・・
 さて 人情小説の長篇は 「金瓶梅」一百回を以て 現存の最古にして 且つ 第一傑作とする。 作者は未詳であるが、明人の「顧曲雑言」には 嘉靖間の大名士の作と謂つて居る。 近時 明の萬暦板「金瓶梅詞話」と題する本が 北平で影印された。 是が最古の板本で、通行の張竹坡 評本に比すると 始の方の編次に相違が有り、文章も多少 出入が有る。 此の小説は 「水滸伝」中 武松の事 及び其兄 武太郎の妻 潘金蓮と西門慶の情事を取つて発端とし、西門家を中心として 市井の風俗を写したもので、事は頗る淫靡を極めて居るが、描写は甚だ巧妙で 他の追随を許さぬ所がある。 其の後を承けたものに 清初 丁耀光の「続金瓶梅」六十回あり、頗る鑑戒の意を寓して居るが、理屈に過ぎて 原作の純情的なるに及ばざること遠し。 尚ほ 世に行はれて居る 「隔簾花影」と云ふ書は、此の小説の人名を変へ刪略したに過ぎぬ。 「金瓶梅」 の風を望んで起つた明末清初の人情小説に、 「玉嬌梨」二十回、 「平山冷燕」二十回、 「好逑伝」十八回がある。 並に作者未詳であるが、いづれも欧訳本が有つて 欧州では著名であると云ふ。清の乾隆間に至つて 「紅楼夢」 二百二十回が出て、是等群小を尻目にかけて 直ちに跡を 「金瓶梅」 に接した。 前八十回は曹霑の作、後四十回は高鶚の続作である。 原名は「石頭記」と曰(い)つたが、後に今の名に改められた。 此の小説は 満洲貴族家庭の日常生活を写し、児女の性情を描くに力を極め、描写の緻密たるに於て 当に「金瓶梅」と双璧たるべきである。 其の性格描写に於ては「金瓶梅」の上に在るであらう。 且つ 其の結構手法は近代的にして、従来の理想主義的 窠臼(カキュウ、ありきたりの方法)を脱して 自然主義に近い。 高鶚の続作も 筆力 原作に減ぜず、或は却て之に過ぐとの評もある。 近世で此れぐらゐ流行した小説は 他に比類なく、好事の徒が往々書中の事蹟を史実に徴して 其の影射する所を定めんと欲し、種々臆説を逞くし、遂に 『紅学』の称さへあるに至つた。 近時 胡適氏(1891~1962、中華民国の文学者。)は 作者の伝記を調べて、此の作が 其の自叙伝的のものだとの論を出した。(『紅楼夢考証』、胡適文存) 此の説が最も合理的である。 高鶚続作の後を承けて 更に之を継がんと欲するもの 「後紅楼夢」、 「紅楼後夢」等 十数種あると云ふが、御多分に漏れぬ愚作が多からう。 戯曲に作つたものも三種ある。
 社会小説とも見るべきものには、清の乾隆間 呉敬梓の「儒林外史」五十六回が有る。 当時の読書階級の側面観を写し、兼ねて作者自身及び其の周囲の文人生活を描いたもので、科挙の業に齷齪(アクセク)たる時文の士を罵倒し、文芸の士の為めに万丈の気を吐いた 痛快の作である。 即ち 事件が次へ次へと 或るきつかけ・・・・・・・・で移転して行き、前後の起伏も照応も無く、各事件の結末も付けず、終始一貫した筋も無い。 是れは他に類の無い体裁である。 其の描写の繊巧と行文の流麗とは 「金瓶」 「紅楼」に譲り、結構の博大と筆致の遒勁とは「水滸」 に及ばぬが、其の嘲世諷俗の真剣味が 強き印象を与ふると、書巻の気が盎然(オウゼン、満ちあふれている)と漂つて居る点では、他に比を見ざる所である。 当(まさ)に 「紅楼」と並べて 清代小説の双璧とすべきであらう。 清初の李漁以来 「三国志」 「水滸伝」 「西遊記」 「金瓶梅」 を 四大奇書〇〇〇〇〇〇〇〇として居る。 今や吾人は 「紅楼夢」 「儒林外史」 を之に加へて 六大奇書〇〇〇〇〇〇〇〇とすべきであらう。 尚ほ 此の派に属す可きものに 清末の李宝嘉の 「官場現形記」六十回、呉沃堯の「三十年目睹怪現状」一百八回、劉鶚の「老残遊記」二十回がある。 並に清末社会の側面を写したもので、佳作である。 此の外 武侠小説と見なすべきものに、清の康煕間 夏声の「野叟曝言」一百五十回がある。 大作で 武侠のみを主としたものでは無いが、主人公・文素臣が武功を建てゝ日本島に押し渡り、関白木秀 及び 行長 を擒(とりこ)にするなどと云ふ奇抜な話がある。 道光間 文康の 「児女英雄伝」五十三回は、全く武侠小説で、結構も整つて居る。 此の書と「紅楼夢」とは、用語が北京官話を以て書かれてあるので、共に北京語を学ぶ良書として尊重される。 白話小説を読むには 支那語から径を問はねば無理であるが、演戯物は概して俗語が少く、古文の力を以て読み易い、或は是より入るも一法であらう。 「水滸伝」 も 俗語は多いが、訓点本や訳本も出来て居るから、 「三国志演義」に次いでは 「水滸伝」 を読むが順序で、かくて其の他に及べば、支那語を学ばずとも 段々進めるであらう。



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