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情報局 編輯
「週報」 昭和十九年一月十二日号 (377号)


表紙




目 次


 本年の戦局展望    陸軍省報道部
 太平洋戦局の新展開 大本営海軍報道部
 〈質疑応答〉 国民徴用 (2)
 反枢軸外交の動向   外務省調査局
 大東亜戦争日誌 (自昭和十八年十一月三日
          至同十一月二十九日)
 週刊日誌





 昭和 19 (1944) 年 1月12日。
 編輯者:情報局。
 印刷者/発行者:印刷局。
 A5判、本文:20頁。


 奥付によれば、本誌「週報」が創刊されたのは 昭和11年1月のことである。 大陸・南方への進出をめざした国策が首相らの五相会議で定められたのが、この年の 8月であるから、その後の太平洋戦争への展開とともに、本誌は国策の宣伝・周知媒体としての役割を高めていったものであろう。
 「本文の一部紹介」 としては、冒頭記事 「本年の戦局展望」の前半部における 注目すべき記述(アンダーラインで示す)を含む部分を掲げる。
 本「週報」377号 発刊の翌年には、日本は 広島・長崎に原子爆弾の投下を受け、ポツダム宣言の受諾となるのであるが、そうなるべき実況は 本号の記事に充分 表われているように思われる。
 また、目次中の 「大東亜戦争日誌」 は、日にち毎の文字通りの日誌であるが、記事中の 「我が方の損害」 の項には、 「自爆未帰還機 三十機」 などという 驚くべき記録が連続しているのである。


本文の一部紹介


   本年の戦局展望

 大東亜戦争第三年、深刻化した情勢の下に 昭和十九年の新春を迎へた。 我々は先づ以て、宝祚(天皇の位)の無窮と聖寿の万歳とを寿ぎ奉り、皇国の必勝を天地神明に祈らんとするものである。
 この度の戦ひは 世界歴史の大転換を齎(もたら)し、皇国三千年の運命を決する本質を有するだけに、我々の前途には容易ならざる艱難が横たはつてゐることを 覚悟しなければならない。 我が国は、近くは満州事変以来、今日まで十数年にわたる戦時生活を続けてきているのであるが、戦時生活を続けて来てゐるのであるが、御稜威の下、事態はすべて順調に進捗し、真に困難な状況や、危険な場面にぶつかつたことは なかつたといへるであらう。
 しかるに 今度の戦争の現実、並びに今後の推移を考察してみるとき、従来 我々の経験しなかつた深刻な情勢、苛烈な戦局が現はれることが予想されるのである。 則ち 現在並びに今後の戦局なるものは、最も困難なる情況下における戦局であり、これに対する我々の心構へと、これに対する施策の適否、実行力の強弱如何によつて 戦争の勝敗が決せられものと考へる次第である。 そこで今、現下の世界戦局を ありのまゝに観察してみることにしよう。

欧州戦局
 まづ 欧州戦局である。 これは何といつても 独ソ戦が中心である。 ヒトラー総統は、初めイギリスを作戦目標としてゐたが、途中、後門の狼、ソ聯が危険であると感じ、これを撃破した後、前門の虎・イギリスに当る決心の下にソ聯に開戦した。 しかも この戦争の短期終結は、戦局の現実が示してゐるやうに、なかなか困難である。 今日でも依然として 消耗戦、運動戦の状態が続けられてゐる。
 昭和十九年一月元旦現在の戦線は、概ね レニングラード西側、ノヴゴロド、キエフ西側、クレメンチュグ、ザボロジェ、ドニエブル河右岸の線と クリミア半島北及び東部両海峡の線にある。
 ソ聯軍は 去る十二月二十日頃、北部戦区のネヴェリ、ヴィテブスク地区において、また同月二十四日、キエフ西方地区において新攻勢を開始し、若干の進出をみたが、ドイツ軍の反撃によつて その後 大なる変化をみない。


ドイツの対策
 独軍の公表によると、昨年中にドイツの大中五十四の都市が 敵米英の盲爆の惨禍に見舞はれてゐる。 ベルリンだけでも 前後十三回の大空襲で 一万数千トンの爆弾が投下され、そのため ベルリンの一区画は完全に破壊され、恰も数十日間の市街戦で焦土と化したやうになり、また ハンブルグ、ライン地方の小都市から数百万と思はれる市民が完全な寝床を奪はれた。
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 昭和十九年一月元旦現在の戦線は、概ね レニングラード西側、ノヴゴロド、キエフ西側、クレメンチュグ、ザボロジェ、ドニエブル河右岸の線と クリミア半島北及び東部両海峡の線にある。
 ソ聯軍は 去る十二月二十日頃、北部戦区のネヴェリ、ヴィテブスク地区において、また同月二十四日、キエフ西方地区において新攻勢を開始し、若干の進出をみたが、ドイツ軍の反撃によつて その後 大なる変化をみない。
 かやうに 東部戦線は一進一止の状態であるが、ソ聯軍の物的・人的搊耗の多大であつたことからみると、今後ソ聯としては、米英の援助なしでは 到底 ドイツに當り得ないまでに 戦力を消耗し尽して来てゐるものと考へられる。 しかし、ドイツ軍としても、さきにはイタリア戦線の補填、また近い将来予想される米英の欧州侵入作戦、いはゆる第二次戦線に対し万般の対策準備を必要とし、且つまた東方戦場の地形、天候、気象の関係等からして、対ソ作戦は 幾多の制約を受けるであらう。
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大東亜戦争
 大東亜戦争を回顧してみるに、第一年は 皇軍の電撃作戦により連戦連勝、以て戦術的に、経済的に、当初の作戦目的を達成した年であり、第二年はこの大戦果を速かに戦力化するやう物的に、心的に一切の施策が進められ、しかも敵はこれを妨害、阻止すべく反攻し来り、各地に局地の攻防戦が展開された年であつた。
 とくに、昨年十一月一日、敵のブーゲンビル島上陸作戦開始以来、彼我の激闘は ブーゲンビル島よりギルバート諸島、さらに ニューブリテン島方面にまで進展し来つた。 この方面の敵作戦指導の着想は、あくまでも飛行基地の獲得にある。 現に、敵はブーゲンビル島トロキナ附近に飛行場を拡張整備中であり、マキシ、タラワ島方面においても既に飛行場を整備し終つてゐる模様である。
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太平洋戦を決するもの
 いまから約三百五十年前、英国のドレークがイスパニアの無敵艦隊打ち破つて 大英帝国の基を開いた大海戦以来、ネルソンのトラファルガー海戦、前欧州大戦のジュットランド沖の大海戦、それ等を経て大東亜戦争の直前に至るまでの間、木造の帆前船から鋼鉄艦に変り、また明治以後になつて魚形水雷の発明があり、水雷艇が生れル、潜水艇が出現して 海上戦闘におおきな変化が齎されたであるが、この三百五十年間、海上武力の王者たるの地位は、戦艦がずつと占めてゐたのである。
 ところが航空機の偉大な発達によつて 戦術に一大変革を来し、航空機が海上戦闘の王者となるに至つた。 これは 空前の大変化であるといはねばならない。 この様相は大東亜戦争開始以来、数次の戦闘によつて立証されて来てゐるのであつて、制空権なきところ制海権なく、制海権なきところ兵力機動の作戦もなければ、兵站、補給の途もないことになる。
 飛行機の優越性は、その偉大な機動力、攻撃威力、補充とに存する。 しかも 無線兵器の進歩によつて空中のみならず 直接海上、夜間といへども威力を発揮し得ることになつた。
 さて、これを太平洋方面戦闘の実相に照らしてみるのに、今日までのところ 我が航空勢力は、遺憾ながら 敵に比し劣勢であるといはねばならず、これが ガダルカナル作戦以来、戦勢が押され気味となつて来た根本原因である。

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反攻撃嶊から一大攻勢へ
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 現代戦が大消耗戦であり、大補給戦であり、大科学戦であり、しかもこれ等の戦ひが同時に且つ有機的に固く結びついて行はれてゐる総力戦の性格を正しく認識し、そしてまた タラワ・マキシ 両島における四千五百名の勇士の壮烈なる玉砕を想起するとき、現戦局の我々に要請するものが何であるかは 一目瞭然であつて、この目前の戦機を最大限に活用するものに対してのみ 勝利の栄冠は授けられる。
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