らんだむ書籍館
内藤虎次郎
「先哲の学問」
表紙カバー
目 次
山崎闇斎の学問とその発展
白石の一遺聞に就て
大阪の町人学者富永仲基
慈雲尊者の学問に就て
寛政時代の蔵書家市橋下総守
履軒学の影響
山片蟠桃に就て
賀茂真淵翁と山梨稲川先生
山梨稲川の学問
[附録] 解脱上人の出られた家柄
跋 (内藤乾吉)
昭和 21 (1946) 年 5月。
弘文堂書房。
B6版、紙装。 本文 334頁。
内藤 虎次郎
(慶応2(1866)~昭和9(1934)、号:湖南)は、秋田県出身(秋田師範学校卒業)の東洋史学者、京都帝国大学教授。 当サイトにおいては 既に晩年の詩文集(私家版)
「玉石雑陳」 (1928年刊)
を収載し、その人物を紹介した。
「本文の一部紹介」
としては、右の目次における
「跋」
(嗣子・内藤乾吉の執筆) を掲げる。
本文の一部紹介
跋
先考が前哲の学問事蹟を紹介顕彰した講演を集めて 一書を編んでは如何と 勧める人のあるまゝに、遺著目録を按じて この十篇を得た。 そこで これを校訂すべき材料を 先考の書庫中に探つたところが、図らずもその材料の一である小冊子の裏表紙に、先考の筆跡で次の如く記されてあるのを見出した。
山崎闇斎
新井白石
富永仲基
慈雲尊者
市橋下総守
山片蟠桃
山梨稲川
信西入道の一家
これを見ると、「信西入道の一家」を除く外は、すべて江戸時代の人々であるといふ点で纏まつても居り、恰
(あたか)
も此の書の如きものが、已に先考の生前に その自著整理計画の一部として考へられて居つたことが 推測される。 ただ右
(上)
の中には 中井履軒の名は見えず、また「賀茂真淵翁と山梨稲川先生」なども恐らく考に入つて居らぬかと思はれるけれども、遺著としてはなるべく多くを存したい意向から、今はそれらも加へることにしたのである。
十篇の中 「山崎闇斎の学問と其の発展」、「履軒学の影響」、「山片蟠桃に就て」、「賀茂真淵翁と山梨稲川先生」の四篇は 著者未校のもので、編者の校訂に係ることを断つて置かねばならぬ。 その中 「山崎闇斎の学問と其の発展」は、数年前 創元社が日本文化名著選の一として 先考の近世文学史論を再刊した際に、「山崎闇斎学派に就て」と題してそれに附載したが、元来この講演は速記が非常に不完全であつた為め、其時には十分の校訂が出来て居らなかつた。 今度 先考が講演の為めに用ひた色々の材料が出て来たので、速記の不分明の処が大方判読出来るやうになつたけれども、なほ不明の処がいくらか残つてゐる。
富永仲基は 先考が早年よりして尤も景仰し、その顕彰に力めたところであるから、之に就て発表したものも一二に止まらない。 編者の知るところでも 次の如きものがある。
富永仲基
明治二十六年 雑誌 「亜細亜」に載せ、明治三十年刊行の先考の随筆集「涙珠唾珠」にも収む。
大阪の一偉人
明治三十八年一月二十二日 大阪朝日新聞
富永仲基に就て
大正十年十一月 大阪懐徳堂講演、速記を家に蔵す。
富永仲基の仏経研究法
大正十三年五月九日 龍谷大学論叢第二百五十六号に載す。
翁の文 跋
大正十三年六月、亀田次郎氏所蔵の「翁の文」を先考が影印刊行せるものに附す。
大阪の町人学者 富永仲基
大正十四年四月五日講演、同年八月 大阪毎日新聞社発行の「大阪文化史」に載す。
この外、近世文学史論(旧名 関西文運論)、大阪の町人と学問(日本文化史研究に収む)、支那上古史などの中でも 之に触れてゐるのであるが、こゝに収めたのは それらの中、最後に発表されたものである。 富永仲基については 其後色々新事実も発見されて居り、石浜純太郎氏の「富永仲基」
(昭和十五年創元社刊)
には それら仲基に関するあらゆることが綜合記述されて居る。 因みに山片蟠桃についても、その伝記や著書の詳しいことが 故亀田次郎氏の「山片蟠桃」
(昭和十七年全国書房刊)
に見えてゐることを附言する。
さて こゝに収めた講演は、前後二十余年に亙る間に、様々の機会に於て試みられたものであるから、かうして集めて見ると、中には同じやうな話が屢々
(しばしば)
出て来ることなどが目立つけれども、其間に自から又 文化史家としての著者の一貫した態度といふやうなものも浮き出て居り、殊には一文化科学者として 我邦前輩文化科学上の隠れたる偉蹟の顕彰 乃至はその科学的精神ともいふべきものゝ闡明には 少からぬ熱情を示してゐることが見られようと思ふ。 大抵は 一般人を対象とした通俗的講演であるから、何人にも一通りは話の意味が分る筈であると思ふけれども、一面 富永仲基の如き 著者の学術に甚大の影響を与へてゐるものや、山崎闇斎に対する批評に見られる如く 学問上の共鳴に基くものなどもあつて、それらは又 著者の学問を知る人々には 別の興味があるかも知れぬ。 いづれにしても 学者が学者を語つてゐるのであるから、自らの学問的体験からものを言ふといふことは当然であつて、そこらに自ら此書の特色もあらうかと思ふ。
昭和二十年一月十五日
内藤 乾吉 識
終
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