デュラスの映画と小説
高野敦志
先日、デュラスの映画『インディア・ソング』というのをビデオで見た。これは『愛人(ラマン)』が出版された頃、日本でも封切られた作品で、当時は「デュラス旋風」とか言って騒いでいる人もいた。自分が大学生の頃だったので、非常に懐かしく見ることが出来た。
これは主役のアンヌ・マリー・ストレッテルに、元副領事が狂おしい恋心を抱く物語で、その脚本の翻訳も出ているが、この映画の元には『ラホールの副領事』というデュラスの小説がある。作品として読む場合には後者の方が面白いのだが、『インディア・ソング』の映画には実験的技法が用いられている。物語の大半は二人の対話という形で進められ、画面の収録と台詞の録音は別個に行われている。画面と音声のずれが生きていて、しかも一般の映画とは異なり、カルロス・ダレッシオの曲も、バックミュージックとして甘んじることなく、台詞と対等の地位を主張している。言葉では表現できない愛、一人の相手に対するものではなく、愛そのものの発露がテーマとなっているデュラスの世界にあって、この映画は彼女の作品の特長を余すことなく表現している。『愛人』が有名になり過ぎたせいか、他の作品はその陰となって顧みられないきらいがあるが、もしデュラスに少しでも関心があるなら、映画の『インディア・ソング』と小説の『ラホールの副領事』を、比較対照されてはいかがだろうか。