ゲルク派
ダライ・ラマを頂点にいただくゲルク派は、チベット最大の宗派である。ガンデン寺、デプン寺、セラ寺、タシルンポ寺、タール寺など、大抵のチベット仏教寺院はゲルク派である。堕落した密教を改革したツォンカパ(一三五七〜一四一九)は、ヘールカ(呼金剛)、ヤマーンタカ(大威徳明王)、ヘーヴァジュラなどの修法や、ナーローの六法、カーラチャクラ(時輪金剛)などの伝統も引き継いだ。ただし、最高の密教経典は九世紀に成立した『秘密集会タントラ(一切如来金剛最上秘密大教王経)』であるとする。戒律を重んじ顕教を必修としたところに大きな特徴がある。また性ヨーガ(瑜伽)の実践は、堕落の危険が大きいとして事実上禁じた。ツォンカパは優れた法力の持ち主で、文殊菩薩から直接教えを受けたとされる。
カギュ派の活仏制度を取り入れた後、ダライラマによるチベット支配が確立したのは、ダライラマ五世(一六一七〜一六八二)の時だが、その死後の混乱期に清朝の介入を招き、チベットは保護国の位置に転落する。清朝崩壊後、中国から独立しようとするラサのダライラマと、中国と協調しようとするシガツェのパンチェン大師との間に確執が生じる。新中国の成立後もその構図が続いていると見て良い。
ゲルク派は中国では「黄教」と呼ばれている。戒律厳守と長年の顕教の学習の後、密教の修行が許されるのは、ごく一部の僧侶に過ぎないという。その奥義は曼陀羅観想が中心の「生起次第」とヨーガの技法を用いる「究竟次第」に大別される。臨死体験に近い状態へ生理機能を操作する修行は、命懸けのものであるとされ、それによって死後に中有に陥ることなく、報身として衆生の救済が続けられるとされる。また中有に陥らぬためには生前の修行が必須とする点、世界的に有名となったニンマ派の「死者の書」と立場を異にする。いくら死後に僧侶が祈っても、中有に陥った段階で来世の行き先が決まってしまう、というのがゲルク派の主張である。