密教とは何か


 ここでは主に、チベットの密教について取り上げていくつもりだが、その前に「密教」の定義から始めることにしよう。一口に密教というと、一般の民衆から秘匿されており、選ばれた者に対してのみ、秘儀が伝授されてきた宗教をいう。そう考えるなら、西洋におけるカバラや錬金術なども、その中に分類されることになる。ここでは一般に日本で呼ばれる「密教」に限定することとする。
 日本で「密教」というと、空海の真言密教と、最澄から始まり、円仁えんにん円珍えんちんを経て安然あんねんの時に完成した天台密教がある。また、それ以前にも体系化されていない「雑密」と呼ばれる初期の密教が、奈良時代にはすでに伝えられており、役行者えんのぎょうじゃを祖と仰ぐ山伏による修験道も、神道や道教の儀礼を内に含みながらも、真言や天台の密教の影響を受けて発展してきた。また南北朝期からは「立川流」という、真言密教に陰陽道おんみょうどうの思想と性秘儀を取り入れた異端の流派が、邪教として排撃される江戸期まで存在していた。
 仏教の創始者である釈迦牟尼は、カースト制を否定し、インドで一般に行われていた苦行や呪術を退け、修行に伴って得られる神通力にも捕らわれてはならぬとした。初期の上座部の仏教は、出家を前提とし厳格な戒律のもとに悟りを求めるもので、主に東南アジアに伝わった「南伝仏教」がそれである。紀元後、他者の救済を説く「大乗仏教」が出現する。それは「北伝仏教」として中国や朝鮮を経て、日本に伝えられた我々のよく知る仏教である。そして、大乗仏教が在家中心だったこと、さらに、復興したヒンズー教に対抗して信者を獲得するために、民間の呪術的な儀礼が、仏教の中にも取り入れられるようになった。大乗仏教の代表的な経典『法華経』の「薬王菩薩本事品」や「陀羅尼品」では真言・陀羅尼を唱えることで、神仏の加護が得られるとしており、「如来寿量品」で説かれる「久遠実成くおんじつじょうの仏」も、釈迦の神格化という観点から見れば、法身の大日如来の出現を予感させる。天台宗では「法華経」の「久遠実成」の釈迦如来と、『大日経』『金剛頂経』の大日如来を同体と考えている。護国経典として知られている『金光明経』では曼陀羅を描くことが説かれている。ただし、この段階では中心となるのは釈迦如来であるが。
 インドで密教が一応の完成を見るのがいわゆる「中期密教」で、『大日経』や『金剛頂経』によって、それまでの雑多な呪術が、高度な思想と体系化された儀礼によって、新たな展開を見るようになる。ヒンズー教の神々を仏教化して取り入れ、それを曼陀羅の宇宙観の中に、見事なまでに序列化したのである。日本に伝わった密教はそこまでである。加持祈祷の宗教と見られがちの真言・天台の密教だが、その本質はこの身のまま現世で仏になる「即身成仏」と、祈りによる救済が可能だとする点にある。もちろん、真言宗で日常的に読誦される『理趣経』では「妙適(性交)」を「菩薩の境地」と表現しているが、性秘儀は「立川流」という異端を除けば、日本の密教では取り入れられなかった。
 その後、仏教は性秘儀をタブー視しなくなった。ヨーガの瞑想法を実践するうちに、肉体の特定の位置(チャクラ)に神経を集中し、そこに集まったエネルギー(プラーナ)を頭頂に導くことで、梵我一如ぼんがいちにょに比すべき悟りの境地が得られること、そうしたエネルギーを迅速に得るには、性秘儀によって下半身のチャクラを熱することが効果的だ、ということが発見されたからである。ところが、異性と交わることは仏教の戒律と抵触する。そのため後期密教においては、僧侶は戒律を守ると悟りが得られない、というジレンマに立たされることになる。
 イスラム教の勢力がインドに迫ると、仏教徒はヒンズー教徒と手を組んで、最後の仏教経典『時輪タントラ』を生み出す。十三世紀になると、インド仏教はイスラム教徒によって滅ぼされる。そしてその教えはヒマラヤを越えたチベットで、脈々と伝えられるようになる。第二次世界大戦後、チベットが新中国に併合されてから、後期密教は存続の危機に立たされる。ダライラマ十四世のインド脱出の後、欧米に渡ったチベット仏教僧によって、後期密教はそのベールをはがれ、その高度な思想と神秘的な技法が、先進国で注目を浴びるようになった。

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