サキャ派


 サキャ派はクン氏の血統と密接なつながりを持っている。それは開祖のクン・クンチョク・ゲルポ(一〇三四〜一一〇二)から、一族の手で法が守られてきたからである。クンチョクによって中央チベットのサキャ(灰色の大地)に僧院が建てられ、そのまま同派の名称となった。
 サキャ派は、ドグミ訳経官から得た『カーラ(時輪)チャクラタントラ』などをもとに成立した。クンチョクの子、サチェン・クンガ・ニンポ(一〇九二〜一一五八)は、卓越した技量と精神的到達を得た人物である。さらにサキャ・パンディタ(一一八二〜一二五一)は、モンゴル人にチベット仏教を伝え、その甥のパクパ(一二三四〜一二八〇)は元の皇帝忽必烈フビライに招聘され、国師となって元を施主にすることに成功した。パクパはモンゴル文字を作り上げ、また宗教および世俗の面で、チベット全土を支配することに成功した。ただし、元朝の崩壊とともに、サキャ派の勢力は急速に衰えた。
 根本の教義は『ヘーヴァジュラ(呼金剛)タントラ』に基づく「道果説」である。これは悟りを求める道程に、すでに悟りの効果が現れている、という考え方である。涅槃と輪廻はともに心の現れであるから不可分で、輪廻を捨てようとしても涅槃には到達しない。妨げられた心が輪廻であり、それが解放されると涅槃に至る。その不可分性を瞑想を通して悟ることが、サキャ派の修行の目指すところである。
 中心的な寺院は「サキャ寺」である。そのうちの南寺は現存するが、北寺は中国によって破壊されて跡形もない。なおサキャ派は中国本土では「花教」と呼ばれている。

戻る