西洋絵画考

背景と範囲

 私はもともと少し身体が弱い所がありまして、一応「普通」として生きてきていますが、外見上または動作などにやや動きの悪い所があります。 その様なこともあって若い頃、どうやって身を立てて行くかという模索の中で、『若い内は何とか人についていけても年を取ったらなかなか人について行けないのではないか』と思い、当時自分として一番得意だと思っていた絵を描いて、多少長く掛かっても油絵の画家を目指すのが良かろうと考えたのです。 それは私が二十歳のころ昭和50年前後のことでした。
 その頃、盛んに西欧の作家達、特に印象派を中心として近代フランス系の絵画の展覧会が多く開かれるようになり、当然のように私も友達と良く見に出かけ、カタログなど買い求め、真似て絵を描いてみたりしていたわけです。 その様な経験の中で、私はある美術展を見ながら「こりゃ〜大変な時代になった。 見るだけなら皆解るようになるだろう、これからは日本で絵描きをするにもこの人達と勝てはしなくとも肩を並べる芸術性を持たなくては食っていけないぞ」と思いました。

 その様なわけで、結局私は主に19世紀終わりから20世紀中盤にかけて活躍したフランス系の画家達の絵を手本として油絵を勉強するようになりました。 つまりセザンヌ以降の印象派・後期印象派・ナビ派・フォービズムなどと分類されたりしていますが、大きく言えばヨーロッパ表現主義の内セザンヌを筆頭にピカソ・マチスと流れるフランス系の絵画の延長線上に日本の文化と混じり合ったような画風は出来ないかと考える様になったのです。 多少の変遷はありますが、基本的に私が目指しているのは、そのあたりの流れにあります。
 ここでそのあたりの流れと書くのは、多少意味合いがあって、現在日本の美術関連の特に絵画を中心とした流れは大きくは三つ有って、一つは日本画の世界、又一つはコンテンポリー系、そして一つが造形と言う言葉を代表とする流れです。 他に近年ファインアートなる言葉を持ってリトグラフを中心に売っている流れもありますが、基本的にアマチュアから教育者・プロまでが一団となって一つの大きな流れをなしているのは前記三つです。 もっとも、そのようなことをいっている間に時代は流れ、現在はもっと混沌としてきていますが、ともあれ私はその三つの流れのいずれにも属さないと言うか、乗ることが出来なかったと言うべきか・・・ そんな私の考えですから、かなり古いか、ややおかしいのではないかとも、推察されるわけですが、にもかかわらず、この一文において対象としているのは、その私の考えるところの『西洋絵画』です。 まあ、つまりは独断と偏見の自論と申せましょう。 尚、アートという世界はとても広いものです。 一般にアートという言葉が意味する事柄は日本で言う美術も芸術もファインアートも、子供が絵などを描いてアートするも含まれるわけですが、その様なアートの世界には、私の考えるような『西洋絵画』もあるかもしれない、と考えて頂ければ幸いです。

『西洋絵画』に於けるアートは一筋縄でない

 「西洋絵画の芸術性は一筋縄でなく、幾筋かの琴線があり、それを縒りに縒り、束ねに束ね、そして最後にオリジナリティーなる色を塗った一本のひものような物であり、そのひもを見る人の心と言うべき無意識世界に垂らして何事かを成すものである。」 これが私が西洋絵画について最初に解ったと言うべき事であり、その後その芸術性を作家側から紐解く端緒となった考え方です。
 ここでひもは一つ喩えですが、それには二つの大きな意味があります。 その一つは、作家は一般に個々としての存在性を強く打ち出す傾向にあり、それぞれが個々に存在しているかの様にも見えますが、元々西洋絵画にしても日本の絵画の世界にしてもマイスターもしくは画工の世界であり、基本的に師匠から弟子へとノウハウを受け継いで行く世界であったわけです。 それが近代、美術学校なる教育伝承システムと美術市場の成長拡大により、個々に作家活動をする人の数が増えてきて、現代においては作家と言えば、皆個々に創作活動をする者を差す様になっています。 しかし そのノウハウや考え方なる部分はヨーロッパの2千年を超える歴史の中で、脈々と受け継がれ、そこに新しいものが加えられ、それぞれの時代を作りながら発展変化してきた訳で、その流れは現代のコンテンポラリー系まで続いているのです。 巨匠から何かを学び、自分のものにし、そこに自分の新しい考え・やり方・感性等を盛り込むことに由って自分の作品を作ることに成功した者が、次の時代の巨匠となる。 その様に個々の作品の向こうにある作家のノウハウや物の見方・考え方はヨーロッパのアートとしての大きな流れの中に生まれ育まれているのであり、決して突然ランダムに生まれた物ではなくむしろシーケンシャルな存在であることを「ひも」もしくは筋に喩えています。
 又一つは、サルバドール・ダリがその芸術について説明した言葉、「・・人の無意識世界に潜って何かをすること・・」に由来します。 彼は実際にホースで空気を送る形の潜水服を着て記者会見を行いその芸術について説明したと言われていますが、空気を送らずに被ったために危うく窒息しそうになったとは有名な話です。 この『人の無意識世界に何かをなす』と言う概念はヨーロッパのアートを紐解くのに大変重要な考え方です。 後述する「西洋のアートの基本としてリアリズム」などにも関連しますが、アートの根本に係わる重要な要素だと思います。 
 たとえば、コンテンポラリー系では、ある作品が新しい価値観とかニューカルチャーとかを含んでいるか否かを大変重要視する傾向があります。 なぜ『新しい』事が重要なのかは、多分に第二次大戦後のアメリカ国民の自意識の風を受けたことも大きいでしょうが、アートに次世代の価値観の萌芽を求めるのはヨーロッパ系アートの一つの大きな流れです。 作家が先人から受け継いだものの中に新しいものを入れて作品を作ることに成功したとき、その時点ではそれは個性ですが、その“新しいなにがしか”を見た人の物事の判断基準の一つにすることが出来、それが世の中の流れとなれば、やがて「誰々以降・・・」と表現され作家は「The Artist (その芸術家)」となるわけです。 しかし言葉で言えばそうですが、問題は「絵は“絵”」です。 そこにあるものは絵空事です。 それをどうして人の実際の思考や言動に影響を及ぼすことになるのでしょうか。 そこにダリの言う「・・・人の無意識世界に潜って・・・」があり、そしてそれを、ヨーロッパアート世界の脈々と連なる作家達が“その技”を磨き、現在『政治・宗教・芸術』と並び称される社会的存在性を勝ち得る力としてきたのです。 

日本の美術・芸術とアート

 この命題は明治以降日本の作家特に洋画系の作家にとって、きわめて大きな課題であって、多くの者達が悩み苦しみの中でそれぞれの処し方を編み出してきたわけですが、私にとっても比較的大きな関心事でありました。 
 私は昭和三十年に生まれました。 時は戦後復興期から高度成長時代に入った頃です。 東京オリンピック・大阪万博と続き、徐々に海外旅行も一般的になり、世は国際化の時代へ、文化的にもエルビスプレスリーやビートルズに始まる欧米文化の波が押し寄せ氾濫する時代へと、国際化社会への変化を実感してきた世代です。
 そんな背景の中、二十代の頃私が考えていたのは、日本の中に流れる東洋的文化と西洋文化の融合の中に次世代のものを生み出すことが日本が今あることの一つの意味ではないかと言うことでした。 しかしながら、その後思うに至ったことは、日本の美術・芸術の伝統的なものと欧米のアートとはその根本的部分に大きな違いがあり、融合して新たな文化を創るという感じではない、と言うことです。
 日本の芸術は基本的に、また一口に言えば情緒性の世界にあります。 対して欧米のアートは勿論情緒性も表出されますが、基本とか根本的とかと言う方向性で見ていくとそれは知性の世界のものであります。 この事は多くの識者も語るところでありましょう。
 ただ、入口は違っていますが、人がその才能と努力を傾注することは同じです。 従って、その到達する深さ深度みたいなものは同じ程度まで達します。 日本の芸術は情緒性の世界から人の心と言われる無意識世界に潜り、「気」と言われるものを持つ作品世界に達し、西洋のアートは知性の世界から人の無意識世界にアプローチし、結果『「理念」とその理念に統合された作品世界の創世』に達するようになると考えています。
 「気」とは漢字一字又は単語一つを以て表され、作品がある精神性を感じる場を表出するに至ったとき、そのある精神性です。 寂、凛、貴、厳、麗、念、祈、楽、怒濤、静寂、高貴、等々です。 また「理念」とは数語の言葉を以て表される、人間の行動言動の指針・考え方のある方向性を示す一つの概念です。 「絵はユートピアである」モーリス・ドニ、「絵は心の安楽椅子」アンリ・マチス、「春小鳥が歌うがごとく」パブロ・ピカソ、等々が作家の言葉として残されています。 「セザンヌ以降」と称されるセザンヌにおいては『単純化と象徴化そして再構成』と言う概念が、そう私のお絵かきもその概念を元にしており、その意味ではセザンヌ以降に属する作家の一人であると自負しています。
 日本の美術・芸術も欧米のアートも基本的に人間のためだけのものです。 一部音楽が酒の発酵や植物の生育に影響を与えるなる話もありますが、人が人を対象に精神的何かを提供しようとするものです。 対象の人が直接的又は結果的に作者と同一人物であったとしても、一般的に芸術・アート作品は人間にしか意味を持ちません。 またたとえ料理等でも、その芸術性・アート性の部分においては、人間の精神的価値しか持たないものです。 その基本となる人間において、情緒性及び知性は時として相反する精神性として存在し、脳においてもそれぞれ関連する部位が違うことが知られています。 それをまったく一緒にして『新しい・・性』なるものを作ることは難しい。 結局どちらかを土台にする他はないと考えるようになったわけです。 私は結局、融合と言うよりはアートという土台の上に日本の情緒性をのせるというか、日本の情緒性をアートするしかないないのでと考えるようになりました。 もっとも、現在はさらにあきらめ気分で、個人的原風景や信条は残しつつも『日本』に拘るのはしばらく止めようと思っており、アートはやはり西洋のものなんだと考えているところです。
 ともあれ、この美術・芸術・アートの精神的価値の創造には、大きく言って二つのパターンがあります。 一つは言うまでもなく日本語の美術であり、美術は『美』をもって術を為すものです。 『美』は『死の美学』を一つの頂点とする体系を持っています。 すなわち『生きているように死んでいる状態の提示』を究極としています。 ラファエル前派の画家ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフェリア」は有名ですね。 我が町大宮にも現代作家で彫刻家の方が、生きているひとをそのまま石膏取りして作品を作り、ひところ一世を風靡しましたが、その時作家は「これが究極の美である」旨の発言をされていました。 そうどちらもまさしく『生きてるように死んでいる状態を提示している』作品であるわけです。 個人的にはオフェリアの方がきれいなお姉さんというかお嬢さんというかで、好みですが、どちらも美術であることは疑いありません。 でもそれだけだとチョット窮屈ですね、そこで直接的に人の死を主題とするのではなく、「死の世界」もしくは「死の・死への連想」等を明示又は暗示する手法により、美術と為しているのがほとんどです。 たとえば、可愛い子供さんを写実的に描いたとしても、バックや、対象の陰影の色やそのコントラストの強調、または少し関係ない風景との組み合わせにより、少し宙に浮かせれば、死んだ子への追憶と言ったイメージが作れます。 つまり死の陰を匂わせる手法ですね。 最近見たテレビにフランスの現代作家の作品の紹介が在りましたが、その方の作品は特定の場所や学校等機関において過去在籍した人の写真等を集積した物でした。 それぞれ過去に生きていた人が使っていた・その人の記録=生きていた記録=>時間の経過により死の記録に、死は生きていた最大の証であり、消去法的「生の証拠」であります。 又、作品の前において人は必ず生きている。 その生きている人に対して『死』の提示は、その人にとって生の証・生の確認となります。
 また、生きている人にとって生きていることは当たり前であることが多く、ややもするとそのことに心のよどみも出てきます。 その様なところへ『死』の提示は心に活を入れる効果もあるわけです。 私はそれがタバコに似ていると考えています。 タバコの煙は人体にとって毒物ですが、すぐに死に結びつくほどでは有りません。 そこで体はこの煙にある一連の防御反応をするわけですが、それがちょうどよどんだ体に活を入れるような効果があるわけです。 現代はタバコと言うと「百害有って一利なし」といわれますが、「毒でない薬はない」のであり、おおよそ毒物はその利用法によって人に利益をもたらす物でもあるのです。 私の観測では近年増える若年層の精神性疾患は禁煙と逆相関関係にあるではないかと考えています。 喫煙する子のほうがうつ病・自律神経失調症等神経性疾患に掛かりにくいように見えるのです。 実際どうだかはわかりませんし、確かに肺がんリスクもあります。 でも肺がんが減れば他の何かが増える、それがこの世と言う物でしょう。 尚、私自身は体質に合わないのでほとんど吸いません。 一方美術の方は体にも心にも特に害はありません。 ただ人は自分の死に恐れを持っていて、そのことが、無意識に作品の死の暗示・提示に反応して、ある種の感動を生むわけです。 もっともさらに人間を観察すると「人の不幸を観る快感」なる、あまり大きな声でいえない人間の持つ一面も垣間見られことがありますが、良くも悪くも、美術が人の精神的存在性に大きな関わりをもっていることは間違いありません。
 さて、西洋絵画においても、現在の世界アートシーンにおいても、その主流の流れは美術でありますが、西洋絵画の流れの中には単に美術的感動を求めるものでないものもあります。 特に近代フランス絵画史上に多く見られます。 たとえばナビ派と呼ばれる画家たちの絵は比較的顕著でありますが、元々キリスト教会の祭壇画として発達した経緯もあり、実存しない対象をあたかもそこに生きているように感じさせる・もしくは錯覚させる・信じさせる・人の心に生きている存在にする、と言う方向性も持っていた訳です。 つまり死の美学は人の無意識世界に死を感じさせるのに対して、ある表現対象を人の無意識世界に生きている状態にすることを目指すタイプ、その意味では逆の作用を基本とするアートもあるのです。 モーリス・ドニ、ボナール、バイヤール、マンギャン、マチス、ルノワール、ルオー等々の作家の作品に多く観られます。 私はそのタイプのものを共有共感型幸福感創造と考えています。 彼らの多くはその画面上に生きることの喜びや愛情を持って対象とその場面を描いています。 結果、画面に作家の対象に対する愛情や喜びが表出されている絵画が多くあり、その『絵の中の真実』としての「生きる喜び・愛」を、人は見る事で、共感し、共有して自分の人生の喜びとしていく。 そういうタイプの幸福感創造もあるわけです。  ちなみに私個人としては後者のタイプを目指しております。 そして、私の絵の原風景は「冬枯れの雑木の梢に感じたある光」であり、絵画上の理念は「絵は心の温泉である」です。

西洋のアートの基本としてのリアリズム

 西欧のアートで重要な要素の一つは、リアリズムであります。 しかしここに言うリアリズムとは単に「写実主義」を差すものではありません。 基本としてのリアリズムは包括的もしくはアートの土台として重要な要素であり、ある作品がアートたり得るか、もしくはアートとしてどの程度のものかを決定づける要素の一つであります。 良く表現と言う言葉が使われ、芸術・アートとしての作品は自己表現であるなどと言われたりもしますが、ある表現が作者にとって自己もしくはその本質を元とするか、又は作家が“見た・感じた・考えた・・”等の体験を元にするかは、その作品の成果に、あまり大きな意味を持たず。 観る人にとって、「それが単なる絵空事か、それともその後の人生に一つの価値観を与えうる『真実性』を持つか」が、その作品のアート性として重要なのです。 ある作品に表現された事が、それを見た多くの人々にとって、精神的付加価値を生み、その多くの人々にとって、その体験が『真実』たり得るとき、その作品はリアリティーがあると言うことになります。 そしてその時「人類の知的遺産」ともなりうるわけです。 絵を描くという行為は人間の多くの行為の中の一つであり、絵を描く=芸術及びアート(狭義)ではありません。《注、言語としてのアートは一般に意味する範囲が広いので、一般に絵を描いたと聴いたら、アートしたのねと言って差し支えありません》  絵を描くと言う行為とその結果としての作品をどうしたらアートたらしめるかが問題であるのです。 この事は大変重要で、絵を描くと言う一つの行為をアートたらしめる事が出来れば、他の行為も又アートたらしめる事が出来るわけで、現代コンテンポラリー系等に代表される昨今の表現の多様性はこの土台の上に生まれるのであります。 この西欧のアートの基本としてのリアリズムを良く理解すれば、二十世紀に入って生まれたコンセプチュアルアートから、ヨーロッパ表現主義と呼ばれる多様な表現、戦後アメリカに生まれるポップアートとその後のコンテンポリー系まで、それぞれが個々に存在するものでなく、伝統的なもしくはアカデミックなヨーロッパの絵画や彫刻に端を発したアートとして実は一つのもの一つの流れで有ることが理解できます。 そのとき、ゴッホのあの絵も、マチスのあの絵も、ピカソのあの絵も、ゴッホのリアリズム、マチスのリアリズム、ピカソのリアリズムであるという言い方が出来るのです。
 ではその意味での「リアリズム」の一端を、ピカソの例を取って見てみたいと思います。 ピカソは生涯に渡り幾つかの画風の変遷をみせ、そのそれぞれの時期を「青の時代」などと時代として呼ばれますが、一画人パブロピカソさんが『ピカソ』になるのに欠かせない重要な彼の画風の一つの時代にキュービズムの時代があります。 多くの人がピカソと聞いて思い出すであろう、あの鼻のねじ曲がったような顔は、「人の顔は見る視点(角度・方向)によってフォルム(形)が違っている、その違うフォルムを一枚の絵の中に組み合わせて表現する事でより実在の本質(立体としての存在性)に迫ろうとしている」などと解され、立体=キューブ −> キュービズム(立体派)と言われますが、リアリズムという観点からこの問題を考えますと、たとえば、画家が描く対象として「ギターを引く」という事を選んだとして、その実態はある一定の時間の中に関係する一連の行為の集合に由って存在しておるもので、どの瞬間がギターを弾くという瞬間であるという固定的瞬間がない、つまりある一つのフォルムとして固定できないものです。 また、ある男性がいて、目の前に一人の女性があり、その女性を男性が「自分の妻」として実感した時があって、その実感を絵画上の真実たり得ようとしたとき、その『妻であるなあ』との実感又は認識はどの様にして一人の男性の中に有るでしょうか?を考えてみて下さい。 それは『目尻にしわが三本あり一本は5ミリほどで水平より外側に向かってやや上向き・・・』と言った様な物理的観察によって認識されるものでしょうか、老夫婦においてはそれは別なる実感を得ることは有るでしょうが、若き時代においてはそうでは無いことが多いと思います。 むしろ『「貴方早くしないと遅れるわよ」と言う声に振り替えると、鍋から立ち上る湯気の向こうに白い姿が見えた。 妻である。 ・・』と、繰り広げられるある一連の情景の中に「ある感じ」として実感せられるのではないでしょうか。 では、それを絵画上のリアリティーの対象としたら、どんな表現が生まれるのでしょう、 その様にピカソの絵を見ていけば、彼がどの様な存在性をその作品上に実存せしめようとしているか、おぼろげながらも見えてくる様な気がします。 
 この辺りのことをマチスがピカソに語ったとされる次の言葉も指し示していると思います。 「すなわち、君たちのやろうとしていることは四次元空間の二次元表現だね。」 と、それは当時マチスが、ピカソとキュービズムの画家達に対して語ったと、ある本に出ています。 ここで四次元とは何かと言うことですが、「二次元=平面・三次元=立体に対して、四次元=立体+時間」と国語の辞書には載ってます。 ですから、先の言葉は『時空間と言うか時間の経過の中に存在する対象を絵画と言う平面空間に表現しようとしているのだね』とマチスは言った、と見られるわけです。 

 ところで、中世ヨーロッパの絵画とそのリアリズムは『神の国又は神の存在性』を主なターゲットとして発展その業を磨いてきました。 それがルネッサンス以降顧客層の幅が広がるのにつれ、先ず描かれる対象が色々な風物を対象とするようになりました。 又、表現技術面において、ドラクロワの出現により、『リアリズムが単に画面の視覚上の表現を離れ(分離し)=画面上では・・であっても、見た人の中であるリアリティーを得る』ことを得、以後リアリズムの「リァリー」の表現対象が飛躍的に広がることとなります。 やがてそれは二十世紀に入りモーリスドニ先生言うところの「絵はユートピアである」なる完全なる論理・理念を対象とするようにもなり、この絵画に論理性や理念性を強く意識する流れは、数々の実験的時代を経て現代コンテンポラリー系へと脈々と流れていきます。 すなはち「次世代の理念少なくとも新しい価値観を提示又は内包・暗示することがアートとして重要である」との価値観に繋がっているわけです
 さてそんなリアリズムの基本は表現対象が何であれ、それを作品を通じてその作品を見る・聞く・読む・触る等の何らかの方法によって接触した人に伝え(一般にアートにおいて、それは明示されず、暗示もしくは暗示的である)、それをその人の「リァリー(本当)」にすることです。 この辺りのことを諸先生方の言葉を借りると「人に原風景を与える(人の原風景にする)」とか、「・・にマチュエールを与える(・・に存在性を与える)」とか表現されます。 
 そこで、この「リァリー」について一つ例を引いてみましょう。 私が若い頃買い求め結局十分の一も履修出来なかった英語の教材の中に一つの例文があります。 その例文の中で、兄と妹が町のカフェで次のような会話をします。
   兄:あの人は大学の先生だよ
  妹:ほんと(
Really)!あの眼鏡かけたおじさんが?
  兄:そうだよ、彼は有名な科学者なんだよ
 この例文で
Really=りァりー(私の耳にはリリーと聞こえましたが)こそ、Real => Raslity => Realism(リアリズム)と派生する一連の言葉の名詞形であります。 まあ要するに「ほんと」と言う意味です。 日本語英語の『リアル』は主に視覚上の物理的物体的実感を意味することが多いのですが、それを「ほんと」という言葉に置き換えるとむしろ社会的事実や事象の有無、など情報の真意性を意味することが多いわけで、先の例文でも「ほんと?」とはその男性が大学の教授であると言う社会的な存在性情報の真偽を差しています。 一般に人はある情報の真偽に由ってその後の言動を変えてゆきます。 この例のようにある一人の人が大学の教授であるかないかは物理的フィジカルな面においてはただのおじさんですが、社会的には普通大きな意味を持ちます。 社会の動向を左右する人々の集団に大学教授の果たす役割の大きさは小さく無いのは事実であります。 それはともかく、ある情報が人にとって『真か偽か』=『リァリーか否か』=>リアリティーの有無が、その後の人やその集合としての世の中に、大きな影響をもたらすことは理解されるでしょう。 そこにヨーロッパのアートの中で、作品の持つリアリティーが非常に重要な要素であることの意味があり、ある意味「ヨーロッパのアートの基本はリアリズムである」とまで表現できる根拠があります。
 ヨーロッパのアートは長い年月をかけて、作品におけるそのリアリティーを磨いてきました。 そしてその表現技術の発展と共に、リアリティーの対象も物体的実感だけでなく、論理・理念・価値観等々より精神的・社会的又は思念的対象へと広げてきています。 そしてそこに培われたノウハウは産業界特にマーケティング系(対顧客)・コマーシャルなどに活用されているのです。 当初絵画や彫塑と言った限られた媒体の上に育まれたアートでありましたが、二十世紀を経て今世紀の昨今ではマニュファクチュアリング(工業生産)にその媒体を広げつつあります。 簡単に言えば物を買うのはお客さんという人間ですから、その人の意識を上手に買ってくれる方向に持っていく、その手法として媒体を通して相手の無意識世界に、ある特定の意識性を以てアプローチし、何らかの示唆を与えると言うアートにおけるノウハウが有効であるわけです。
 まあそんなわけで、好むと好まざるとに係わらず、今後も我々日本人が欧米の文明及びシステムを元としてある現代社会の中に暮らす以上(つまり江戸時代以前の日本に戻るわけにもいかないので)、文明やシステムを生み出した土台となる欧米の文化を知る上で、一つの知識として、ヨーロッパのアートの中にあるリアリティーについて考えてみることも、人それぞれに何らかの利益あるのではないかと思います。

西洋絵画における自由

 さて先にピカソのキュビズムにおけるリアリズムについて解析を試みましたが、そのように一つ一つ彼の芸術性を紐解いていくと、ある一つの結論に達します。 それは彼の芸術はあたかもただ自由にやっているだけに見えるかも知れないけれども、『あたかも春小鳥が歌うがごとく』をその“画業”に体現して見せている。
 そしてそれは遠くフランス絵画の巨匠プッサンの体現して見せた画工の自由の境地の“ピカソ的再現”であると言うことです。 ここに又、特にフランス絵画の底流にある一本の琴線を見た気がします。 その自由の境地は決して『ただ自由にやればよい』のではなく、むしろそれは『三昧の境地』に近いものであると思います。 つまり人がそれぞれの道に入り、修行の果てにたどり着く境地、であると。
 ピカソは天才であり巨匠です。 画家としての天性・天分には色々あり西洋の巨匠といえども皆同じではありませんが、その中にあって“巨匠性”の天分の大きい人です。 ラファエロ、ミケランジェロ、ドラクロア、レンブラント等と並びうる一つの時代に一人二人出るかでないかの巨匠の中の巨匠の一人であります。 その天才が幼少より一つことを極めてたどり着いた境地、それが『あたかも春小鳥が歌うがごとく』との自由の境地であり、画工にとって自由とはその様な物であると思います。 彼の天性の一つは素描家としての天性です。 しかし彼がその自由を手に入れることが出来た最大の基礎、それはマチュエールを扱う天性であると考えています。 
 因みに岡鹿之助氏がその著書の中で後年のボナールの言葉として「技術の奴隷から解放されて、技術の主人公になった」と記しています。 その辺りの記述を少し抜粋すると、
「ボナールはピカソやマチスなどと同じように、色の純度やその振幅を出来るだけ生かすことに次第に成功していった。 ピカソの色のコンストルュクションや、マチスの色のアラベスクに対して、晩年のボナールは色を契機として、詩というよりも音楽の領域にもぐり込んでしまったようなものである。 ・・・ 色の魔術師だなどと呼ばれると、ボナールはなにかインスピレーションのうちに生きる天才のように受け取られるかもしれないが、生まれつき優れた色感をもっていたには違いないが、彼の長い仕事の持続には、造形上の重要な諸問題に常に心を傾けて、欲深く、それらのものを自己のものとして取り入れていった努力は見逃せない。 そして知識や技術の錬磨にもまして、つねに彼の感覚を磨いていった。 ・・・ 」
 つまり、岡鹿之助氏は「画家はその知識や技術を練磨し、且つ感性や感覚を磨いて、やがて“あたかも自由に”絵筆を揮える高みに達する」と教えています。
 このことは一画工をめざす者として、つねに心にとどめおきたい所です。


モデルン、エスプリ・モデルン、パンチュウル・モデルン

 この三つの言葉について述べるのは、大変危険であります。 なぜなら、私はこの三つの言葉についてそれを専門的に解説した文章に出会っていないからです。 それぞれ話の断片として1〜数回見た記憶があるだけなのです。 しかしそれでも独断的解釈を試みるのは、先に記した「・・高み・・」、画工が目指すべき“ある高み”において重要な要素・示唆を含んでいると思うからです。
 前章に引用した岡鹿之助氏の著書のボナールの絵の解説の中に次のような記述があります。
 「・・ ボナールがどんなにフォルムの重要性に早くから眼を開いていたかが伺われる。 ボナールの“エスプリ・モデルン”は他の前衛芸術家と同じように、まず形態への新しい覚醒にはじまる。 ・・ 印象派の人たちが色に傾きすぎて(あるいは光と言い代えてもいい)形をおろそかにしてきたその欠点から、早くもボナールは抜け出した。 ボナールは生まれながらの色彩家だけに、彼が形への反省を持ったことが、彼を“パンチュウル・モデルン”の線にまで高めた規定をつくることになったのである。」
 実は現在のところ、『エスプリ・モデルン』と『パンチュウル・モデルン』と言う、言葉もしくはフレーズに出会ったのは、後にも先にもこの一文だけです。
 因みに耳慣れない上ほとんど流通していない言葉なので、辞書など引くと、まず『モデルン』については、フランス語で[Modelerモドレー:形を作る、造形する、(土などを)こねる、形を際立たせるなどの意]が出てきます。 モーリスアスランの展覧会カタログには『・・ アスランは生来のすぐれた素描家で、形態描写の確実さや、モドレー(人体の肉付け)の巧みさでは屈指の手腕家として知られていた・・ 』とありますので、”モデルン”はこのモドレーの過去形か何かであろうと思われます。 まあ要するに《「形付け、肉付け」=二次元上(キャンバス・紙等の平面上)に三次元の存在性(立体)を表現する事》と言った意味だと思います。 
 では『エスプリ』は何でしょう。 一般に日本ではカタカナでそのまま『エスプリ』とするか、(機知)とカッコ書きとするかですが、機知と訳すからと言って「この絵には機知がある」という人はいません。 ハッキリと目に見えるものでないので、完全な対訳が難しいのです。 辞書では[Espritエスプリ:精神、心、才気、意、思い、能力、才、機知、心の傾向、などの意]とあります。 それをモデルンするわけですから、簡単に言えば、「絵の中の精神性・心・人の思いなどを形付ける・肉付ける」と言うことになります。
 
次の『パンチュウル』、辞書をさがすと[Peinture](この表音記号は難しいパチュルとでも書くべきところだが、パとチュの間に間が出来てパンチュールのように聞こえるのだろう):「絵・絵画」の意、ということは、『パンチュウル・モデルン』=「絵を肉付ける」の意か? それって『絵を描く』とどう違うのか? なにか肩透かしを食らったような感じもありますが、この辺のところ示唆するエピソードが印象派の画家シスレーとピサロの話しとして残っています。 
 ピサロは印象派の画家たちの中では年長で一目置かれていた存在であったわけですが、まだシスレーが若くアトリエで絵を描いていたある日、ピサロがシスレーのアトリエを訪れて「君!絵を描きたまえ!絵を!」と意ってシスレーを外へ連れ出したと言うのです。 シスレーは最初いぶかしげであったが、(シスレーさんは絵を描いていたのです訳ですから、なんてシツレイと思ったに違いありません。)ピサロについて行き、その現場で描く姿とその絵を見て、何かをつかんだらしく、その後、現場で絵を描く「現場主義」を生涯貫いたと伝えられています。 とすると『絵』とは現場のことなのか??・・ ところが、これについてピサロについて記したある一文は、「確かに私たちはピサロの描いた同じ場所に行くことは出来る。 しかし、そこにピサロが描いた『絵』は無い」と結んでいます。 ・・なにそれ?・・ですね。
 あたかも禅問答のようになって来ましたが、日本語で言うところ、人がある光景の前に立った時に「《その光景・風景・景観などが》“絵”になっているね」と表現することがありますが、すなわちその“絵”の意味と近いと考えられます。 ただ、日本語で『その“絵”』は自分以外のものが自分の前に見せてくれる物でありますが、西洋絵画において、それは画家がモデルンするものである。 というわけです。
 森羅万象この世の全ての物は別に人間のために在るわけでない、ましてや画家の描く“絵”のためにあるわけでない、しかし画家はそれらを見聞きする体験の中に、絵にすべきある感動を見出し、自らのキャンバスの上にその“絵”をモデルンするのです。
 あまり詳しく書くと多くの違和感を覚える美術関係の方々も多いかもしれませんので、簡単に結果だけ言うと、パンチュールモデルンの域にあるとは「ある絵が作者の理念と理念に統合された世界の創造としての作画行為の上に生まれ、一枚一枚が作者の創造世界の一部または一光景として存在している状態」にあるということだと思います。 又、その一光景とは「シーン」であるとも思います。 ここで「シーン」とは何か、それは映画のワンシーンのシーンです。 つまり作家は映画監督のようにまずシーンを考え、作り出し、そのシーンを描く訳です。
 そこで私は、ある絵を描くパターン・画風を考え付くと、風景・花・静物(特に果物)・裸婦・着衣人物の5つのモチーフを描くように試みます。 そしてそれがほぼ同等の力を持ち、どの絵を見ても、その時私が表現したいと思っていることが感じられるように、私の絵の世界の一シーンで在るようにすることを目指しています。
 なぜ5つのモチーフかといいますと「山があり、海があり、雲が湧く、草木茂り、花が咲き、実が実る。 そして人は生まれたのだ。 人、生れ出りし者」と、いう考え方に基づいています。
 
そして、常にその絵の場面に対して、その場面の前(過去)と後(未来)とを設定し、それを暗示するように心がけています。 つまり、過去から未来へと流れる時間の間の時間が「今」である。 その今の光景がシーンであり、そのシーンを描いたものが一枚の絵である訳です。
 私が絵を描く多くの場合においては、まず興味を引く物を探します。 次にその中からある種の輝きを探します。 そしてその物を主役とするシナリオを考えます。 その過程で舞台と脇役を考え、それらを画面上に配置します。 言うなれば、絵の中の主役・脇役・背景を決める。 そしてその場面の構図を考える。 それにしたがって、それぞれの主なパートの主色・色調・諧調・バルール・タッチ等々を大まかに決めます。 そして絵を描くのです。 最後はプリアラモードで、自由闊達に、あたかもただ描いたがごとくに。
 
マチュエールの話し

 前章で引用してきた岡鹿之助氏の著書は「油絵のマチュエール」と言います。しかし、この本で「マチュエール」という言葉とその意味を解説しているのは『まえがき』の一文だけです。 本文の「マチュエールの話し」では、ファン・エイク兄弟が艶油を発見したとか、ルノワールは柔かい筆で薄く溶いた絵の具を重ね描いたとか、逆にピサロは溶き油を一滴も使用しなかったとか、ボナールは・・まず白を塗って乾いてから黒をカサカサと擦り付ける様に塗って・・などと、個々の作家の、時としてその時代ごとに、絵の具の使い方、画の描き方について細やかな観察結果を記されています。 そこでまずは、最初の一文を掲載させていただきます。
 ― この書名に用いたマチュエールという語は、油絵を描くにあたって使用する『材料』の意である。 しかし、マチュエールというフランス語には、もう一つ、美術の術語として『画面の肌』という意味がある。 描かれた油絵の面には、絵の具の盛り上がったところだの、薄くツルツルしているところだの、又は硬くしまった密度の濃いところだの、荒い粗面のところだの、その描く人の性格や意志により、或いはその表現手段によって、絵の具の層がつくり出すさまざまな変化が生じるものである。 その様な物質的表れかた−つまり筆触と絵の具がキャンバスの上に作り出す画の肌―のことを画家はマチュエールと呼んでいる。・・−
 日本の洋画界の重鎮であられた小磯良平氏のある画集には氏の若き日のエピソードとして、『・・先生に良い絵は良いマチュエール(画肌)をしていると教えられた小磯少年は絵をペロリと舌でなめて見た・・』と載っている。 それから数十年後、とある美術雑誌に日本画家須加五々道氏の言葉として『マチュエールとは作品の存在性の全てである。』と在った。 又あるとき、友人と日本人女性画家の展覧会で、その点描風の絵画を前に作家に話を聞く機会があったが、私が「要するにこの何もない壁面にマチュエールを与えようとしているのですね」と尋ねると、お酒を飲んでよい気持ちのところ、少し真顔になって「ええ・・まあそうです」と答えられた。
 私はここいら辺のことを「マチュエールの芸術性」と自分で言っています。 タブローにおける「マチュエール」をどう捕らえているか、最終的に自分の画面にどういう風なマチュエールを作るか、そしてそれを画家がどう意識し、どこまでコンセプシャルにコントロールし実現しているか、それがその作家の芸術家としての存在性に大きな意味を持つと考えています。
 何が言いたいのか判らない、とお思いの方も多いでしょう。 そうパンチュールモデルンと同じか、それ以上に難解なのです。 しかし、このマチュエールとその意味を極めた者が二十世紀以降の巨匠になった。 ピカソはこのマチュエールの芸術性を操る天才だったが故に、彼はその絵画上の自由を手にすることが出来た。 また、近代現代アートシーンはこのタブローに於ける『マチュエールの芸術性の覚醒』と前述した『リアリティーの視覚上と表現技術上の分離』を基に、その媒体をイラストなどの絵画的創作手法は勿論のこと、人のあらゆる行動をその媒体とすることに成功したと考えられるのです。
 『リアリティーの視覚上と表現技術上の分離』は絵画が提供するリアリティーの対象を物体としてのリアリティーからより精神的存在性に対するリアリティーへと発展もしくは変化させたことは前述しました。 しかし、そこで問題となるのは、絵はあくまで絵という物体であるという現実です。 物体であったので物体としての存在のリアリティーは比較的容易であり、現在技術の進歩により3Dとしてディスプレー上においても実現されているように、右目と左目で同時に一つのものを見るときに生じる脳内における画像データのズレを擬似的に画面につくり出すことによって成り立ちます。 油絵の場合、描写した物の境界線部分において、もしくは一筆単位の色と色のパートの境界線部分を、隣り合った絵の具と絵の具がミクロ的単位で混ざり合わせることと、最後に置く側の絵の具の端が前に置かれた絵の具の層に対し、僅かに盛り上がった状態に仕上げることにより得られます。 写実的絵画ではその他も、フォルムの正確性や、置かれた色面の色と絵肌の類似性なども重要な要素ですし、スペースアクティビィリティーを求めるならば、遠近法に代表される構図手法と色面のバルールのコントロールなども重要な要素です。 ただ、最終的にどのような絵を求めるかは別にして、油絵を表現媒体とするならば絵の具と絵の具の境界線上を最終的にどうするかは、基礎的技巧にして終生付いてまとう課題でもあります。
 では、物的存在性を離れて精神的存在性をそのリアリティーの対象にしたら、どうするのか、そこにこのマチュエールいや『マチュエールの芸術性』が大きく係わってくるのです。 絵は絵です。 そこにあるのは絵空事です。 人は物を見るとき、常に無意識世界で見ているものを認識し、区分けしています。 たとえば、人の目に拳骨の画像が入ってきた時、それを現実のものであるかどうか、その動きは自分に向かってくくるかどうか、自分の体を移動してその拳骨を避ける必要があるかどうか、大方これくらいの判断をほとんど瞬間的に判断している物なのです。 
 そしてそれが現実である時、次の瞬間的行動の制御と、記憶をします。 そして、次の機会に備えるのです。 つまり、ある人が自分に対して拳骨を向けてきた場合、その人との関係・その場のシチュエーション、その拳骨の強さ、相手の精神状態、等々を判断し、自分の身をその拳骨に対してどう対応させるかの判断と処置、そしてその一連の関係事項を記憶して、次にその人にあった時、その人との関係をコントロールする前提条件として準備する訳です。 でも最初にこれはただの絵であると判断すれば、その後の一連の行動は存在しません。 つまり絵空事で終わるわけです。 3D的表現であれば、そこで人が仰け反りたくなる衝動を感じるか、思わず数センチくらい身を動かせれば、大成功となるわけですが、精神的存在性のリアリティーを求める場合はどうするかです。 その辺のところを割りと多くの作家が「人の原風景」や「心の原風景」と言う言葉を使います。 原風景とはある人の過去の実体験上のある一場面・ある情景を言い、その記憶が、その人の人生において、何か事あるときに明に暗に思い出され、そしてその記憶により、何か事に対する対処に一定の方向付けがなされることを言います。 そこで作家は、自分の作品を見た人に、自分の作品を見た体験を、その人のその後の人生の一つの原風景ならしめんと、欲するわけです。 成功すれば、その時、その作品は見た者にとって、ただの絵空事ではなく、その人の人生上の現実・実体験の一つとなるわけです。 
 でも絵は絵ですよね、でもまた、でもですよ‥作品を見ている人にとって「見ている事」は現実です。 絵であれば「絵を見ている」訳ですね。 それを「『絵』を見たあ〜」と実感させる‥そしてその見る者の得る『絵を見ている実感』に、作者の表現対象とする何事かを乗っけて、見る人の心に滑り込ませる。 成功すると人はその何事かを実体験と捕らえ、「あたかも〜であるがごとく」を「〜は〜だ」言うようになるのです。
 この「絵を見ている」事の実感を与えるための手法として、絵の「『絵』であることの存在性」すなわち「絵の存在性の全て」としてのマチュエールが出てくるのです。
 因みに西洋絵画の歴史上で、現在のマチュエールの芸術性の端緒を切り開いたのは、私の観測ではギュスタブ・モロー先生ではないかと思っています。 モロー先生の絵のマチュエールはかなり細かい筆による書き込みの集積によって、ちょうど大小さまざま宝石を金で固めて作った王冠などの細工品に通じるマチュエールが作られていますが、あの細やかな筆触をそれぞれ少し大きな筆触にしていったら‥ そして「彼はあれくらいの大きさだから‥俺はこれくらい‥」として行くと‥あの印象派の方々の絵が眼に浮かびませんか? そうタッチと呼ばれる物に、やがてそれは「運筆」になってピカソ・マチスと流れるわけです。 最初それは、ある感覚として広まったのだと思いますが。
 いずれにせよ、マチュエールをどうするかは、画家にとって大きな課題で事は間違いありません。 岡鹿之助氏もその著書の中で、ボナールとのエピソードをつづっています。
 ‥‥彼がある時、もうすでに一角の者として有名であったボナールに出会い、「われわれ日本人にはこのドロドロした油絵の具の取り扱いにすら苦労していて‥‥その点あなた方慣れていらっていいですね‥」という感じで言うと、ボナールはギョロっとした眼をむいて「何を言うか!私など未だにマチュエールに苦しんでおる」と叱られた。 又ある時は、別な人の展覧会場で、人に悟られないように身をやつしたボナールが、作品の端を爪で引っかいているのを目撃したそうな。 ‥‥ まあボナールにしてそうなんですから、私に至っては‥先の長い話しですが。

結びに
 この一文は油絵を志す若き人々に捧げます。

2011年10月 吉日
尚、その後、部分的に修正が悪しからず。
なごや ひろし