徒然に バックナンバー3 平成26年夏バージョン

このページのコンテンツはあくまでも私個人の言葉・感想等であります

 「奇しくも」という言葉があるが、長く生きているとたまにはそれを実感する時もあるものだ。 この8月二つの展覧会に出品する機会を得た、一つは茨城県つくば美術館を会場とする「ブルーアート展」、また一つはマルタ共和国で行われる「日本芸術名画30選」、どちらも出版及び美術系イベント業者さんの手による参加なので、有料且つかなり高い費用が必要で当分ローン・分割地獄で首が回らない。 今年こそはお財布を守りたいと思っていたが、とある画家の名前が出されて、負けてしまった。 『まあ命を取られることはないし・・』とつい承諾してしまったのである。 
 少し宣伝しておくと、「ブルーアート展」のブルーとはブルーライトアップから来ているとのことで、国連が毎年
4月2日を自閉症啓発デーと定めて推進する自閉症啓発運動の一環として、各国各都市のタワー(東京タワーなど)をブルーライトアップすると同時に各種イベントが行われ、その一環としてこの展覧会も実施されるとのことです。 一方マルタ展の方はマルタの富豪で世界的名画のコレクターであるビガンスキーさんがその収蔵品を展示する展覧会の一角をこの業者さんがまあ割り当ててもらうことに成功したわけですね。 多少少ないので15号以下30名限定というわけです。 それでも要するに「世界の名画といっしょに・・」が売りなんです。
 『
8月のマルタ島は観光シーズン真っ盛り、さては日本からも観光客をとの狙いか?』などといつもの悪い癖は今日はさておいて、それでなくとも今年は展覧会の話が多く、出費が大変な所、無理に無理を重ねてしまったのは、
そう「ゴッホ」の名が出てきたからです。

 つくばの方は複製画という事だが、ゴッホの絵が展示されるという。 営業の娘さんにも「・・ゴッホのサンレミの教会(オーヴェールの間違いだった)という絵があってね・・青い服のあの青の階調も元をたどれば教会の絵のバックの空のあの青の階調に由来するのよね〜・・」などと言っちゃって、じゃあ出さなきゃしょうがないわね。 で、そのパンフレットをもらって少し驚いた。 正しく、名前を言い間違えたが、あの絵が載っていたのである。
 「オーヴェールの教会」の絵が! 

 また、マルタ展の方は、その営業さんとは長い付き合いと言うか、随分昔から全部は到底参加できないが、何回かに一回はその話に乗ってきた人で、何年か前、独立されて今は社長さんと言う事になる。 去年マルタ島で現地の政府とのコネクションを得て一回日本人作家の展覧会を開催したのである。 去年は僕は断ったのであるが、今回は、前回ドイツでの展覧会に付き合ってから、数回断った後だし、ゴッホのもしかすると本物と会場を一つにするかも知れないと思っちゃたのよねぇ〜。 まあパンフレットにはアルル時代の「耳を切った自画像」(僕の持っているゴッホの画集による)が載っていました。 まあ本物を出展するかどうかは分からないが、もしレプリカなら逆に世界で一番観客を集めるゴッホの絵は外せないわけで、とりあえずゴッホの絵と会場を同じにする可能性は高いわけであり、『可能性はゼロではない!』で、「まあ命を取られることはない」となってしまった訳だ。

 「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」この画家ほど「なごやひろし」に影響を与えたものは無い。 人生で最初の油絵は、中学2年の頃だと思うが、学校の美術の時間にベニアの板に描いたゴッホの「アルルの跳ね橋」の模写だった。 当時少しばかり絵に自信を持っていた僕は、そのあまりの不出来に鼻っ柱をおられた感があって、その後しばらくは油絵に手をださなかった。 高校へ行っても、選択科目では美術を選んだが、美術部には入らなかったのも、その経験が大きかった。 その後、高校も3年になってからだと思うが、当時の美術の先生が、「お前、油絵をやってみないか」といって、最初の油絵のお絵かきセットを世話してくれたのが、この道の始まりになった。 当時、僕は体が弱かった、そして今以上に金に縁がなかった。 ある意味、何もかもが思うように行かなかった。 空が岸田劉生の絵のように青く見えた。 ゴッホの画集をよく見たが、特に「オーヴェールの教会」の絵を見ては涙を流した。 二十代の初め頃、人生たった一度だけだが、景色がゴッホの糸杉の絵のように見えたこともあった。 《ウ〜ン純粋だったのよね、まあ一度だけで良かった》 それから四十年、心のどこかでゴッホの絵を追っかけている自分がいるのである。



人生最初の油絵「ゴッホのアルルの跳ね橋の模写」と良く涙したゴッホの画集「オーヴェールの教会」の図

例えば、次の写真の絵はスタイルB1993年頃の作で「浜辺の裸婦」の連作の一枚だが、この一連の作品も二十前後の頃、モヤモヤと将来絵描きになる夢を持ち始めた頃、『ゴッホのタッチでルノワールのような裸婦の絵を描いたら新しい絵が生まれるかの知れない』と思いついたのが始まりで、それから紆余曲折十数年の時を経てこのシリーズにその思いは完結したのです。
当時数ヶ月ぐらい毎日のように描き、最後に50号の絵を2枚描いて、「オレの描きたかったのはこんなもんだな」と思い、その後3ヶ月くらい、その絵の前でお茶を飲んでは、アトリエをあとにする日々が、続いたことを覚えています。

F4号 浜辺に裸婦

また次の絵はスタイルDに属し2000年前後の作で、「お花畑のミミ」という絵です。 ミミとは死んだ飼い猫のミミのことで、「ミミちゃんが天国へ女性の姿に戻って帰っていく図」ですが、そのタッチ・配色・構図の曲がりぐわい等々「オーヴェールの教会」によく似ているでしょう。 簡単に言えば白い教会の代わりに白い服を着たミミちゃんを配した、なごやひろしの「オーヴェールの教会」の絵なのです

F10号 お花畑のミミ

特に静物画では特にゴッホの影響が強く見られます。 タッチや色の作り、そして橙や黄色の果物の影になぜか青、パリ時代のゴッホの静物画にそのルーツがあるのです。

F4号 レモンとミカンのある静物

そして2010以降スタイルE、その絵の具の使い方にの透明度を重視した厚めの塗りは、まさしくゴッホの絵を手本として、年数が経って絵の具が蝋化していった時、反射光でない通過光の色、目標としては絵全体が宝石でできているような感じを目指したのですね。 と言うことは、白いワンピースに青い階調の空?、はたまた藍色と青の階調の青いワンピース?
そう、まあ要するにゴッホの絵、特に「オーヴェールの教会」へのオマージュなんですね。

F15号 A Lady in a blue.

しかしして、この八月、奇しくもその絵と「白い帽子の少女」を持って会場を一にするとは、何をかを思わんですな。
「たかだかレプリカじゃないか」って? いいんですレプリカで、なぜなら僕が、四十年前涙し、今日まで心のどこかで追い求めてきた”その絵”は、ゴッホの画集のある一枚の図版だったのですから。

F20号 白い帽子の少女 1996年頃スタイルC


平成26年5月吉日 徒然に
なごや ひろし